雲亭 日本古典図書室

ヒヨクレンリィ全部見せます!愛され女性の所顕し

平安貴族は、三日続けて女性のもとへ通い、三日目の夜に餅を食べれば夫婦になれた。ある解説動画の題名では、こう紹介されています。では、物語や日記には、結婚式のどんな場面が描かれているのでしょうか。手紙から、餅とお披露目の夜まで、場面の順に原典を並べてみます。

婚礼誌の表紙を思わせる華やかな装いの平安女性
AI生成によるイメージです

「この餅は、こんなにたくさん仰々しくせず、明日の夕方に持ってきなさい。今日は忌まわしい日だった」。光源氏は、お供の惟光を呼んでこう言い、にっこり笑います。[S05、I05]惟光は、その意味をすぐに悟り、「いくつ用意しましょうか」と尋ねます。光源氏は何を頼み、惟光は何を察したのでしょうか。

01「三日通って餅で夫婦成立」はどんな噂?

ある解説動画の題名では、平安貴族の結婚が「三日通って餅を食べたら夫婦成立」と紹介されています。男性が女性の家へ三晩続けて通い、三日目の夜に餅を食べれば、夫婦として認められた、という流れです。

三日目の夜の餅は、たしかに物語にも記録にも出てきます。ただ、物語や日記の結婚式には、その前後にいくつもの場面が続きます。そして餅の夜は、親族へのお披露目である露顕と重なっていたようです。

そこで、『蜻蛉日記』『落窪物語』『源氏物語』『栄花物語』と、古記録を引いた資料から場面を集め、結婚式の順に並べてみます。順番の手がかりは、服藤早苗が『落窪物語』の婚姻儀礼を、手紙、第一夜と第二夜、第三夜の餅と饗宴の順に整理していることです。儀式書『江家次第』は、露顕が一夜で済む「近代」の手順を、沓取から餅までの順に記しています。[P01、S04、I04]

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02最初は手紙、求婚は歌から始まる?

結婚の最初は、求婚の手紙です。恋心を書いて送る手紙を、明治時代の辞書『日本大辞書』は懸想文(けそうぶみ)と呼び、艶書、つまり恋文のことだと説明しています。[W01]

『蜻蛉日記』の冒頭近くに、その実例があります。のちに作者の夫となる藤原兼家が、ほととぎすに寄せて「音にのみ聞けばかひなしほととぎすことかたらはむと思ふ心あり」と詠み送ります。噂に聞くだけでは甲斐がない、あなたと語り合いたい、という気持ちを込めた歌です。このあと、返事をするべきかどうか、周りの人があれこれ相談する場面が続きます。[S01、I01]

物語では、手紙の扱いはさまざまです。服藤によると、『落窪物語』の道頼は落窪の君へ頻繁に手紙を送りましたが、女君からの返事はありませんでした。[P01]

『江家次第』は「近代例」として、当日になって初めて手紙が届き、返事も禄もない場合がある、と書いています。服藤もこの記述を紹介しています。[S04、I04、P01]

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03初夜から後朝の文まで、手順は決まっていた?

手紙のあと、新郎は夜に新婦の家を訪れます。『江家次第』は、新郎が寝殿の階を上るときに沓取の人が階を下りて沓を取ること、新郎が帳の中に入って新婦が出てくること、新郎が装束を解いて衾を掩うことを順に記しています。[S04、I04]

服藤は、『江家次第』にある沓取や襖覆(『江家次第』の「掩衾」にあたるとみられます)などの儀式が、『落窪物語』のどの場面にも描かれていないと指摘しています。『落窪物語』の帥と四の君の場面は、夜が更けてから帥がやって来て、四の君の弟の少将が案内して中へ導き入れる、という短い描写です。[P01、S03、I03]

翌朝、新郎は帰宅してすぐ、後朝の文(きぬぎぬのふみ)を送ります。『落窪物語』の道頼は、「いかなれや、むかし思ひしほどよりは、今の間思ふことのまさるは」と書き送りました。校註本の頭注は、昨夜逢ったために思いがまさった、と説明しています。落窪の君は気分が悪いと言って返事を書かず、あこぎが代わりに返事を書きました。[S02、I02、P01]

『源氏物語』の光源氏は、新枕の翌朝、硯の箱を紫の上の帳の中へ差し入れて出ていきます。枕もとには結んだ手紙があり、「あやなくも隔てけるかな夜をかさねさすがになれし中の衣を」と書かれていました。紫の上は、そのような心を持つ人とは思いもしなかったと嘆き、起き上がろうとしません。[S05、I05]

『栄花物語』では、小一条院が藤原道長の娘の寛子のもとへ通った翌朝、院から使いが来ます。寛子の兄の二位中将らが出て迎えて酒をすすめ、使いは返事と、葡萄染の小袿を添えた女の装束を受け取って帰りました。服藤によると、後朝の使いに禄を与えるのが慣例でした。[S06、I06、P01]

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04三日夜の餅は、物語でどう描かれる?

冒頭の『源氏物語』葵の巻の続きを読んでみましょう。新枕の翌日の夕方、亥の子の餅が届くと、光源氏は惟光を呼び、餅を数多く仰々しくせず、明日の夕方に持ってくるよう命じます。惟光が「いくつ用意しましょうか」と尋ねると、光源氏は「三つか一つかでもよいだろう」と答えました。[S05、I05]

惟光は、人に知らせず、自分の家で手ずから餅を作り、夜更けにこっそり届けました。少納言は、これは必ず枕もとに差し上げるべき祝いの餅です、と言って箱を弁に託し、弁が几帳から差し入れます。翌朝、その箱が下げられたので、親しい人々は事情を察しました。[S05、I05]

この場面に「三日夜の餅」という言葉は出てきません。けれども『湖月抄』が引く注釈の一つは、亥の子の餅は色々あるが三日夜の餅は一色だから、光源氏は「数々にはあらで」と言ったのだと説明しています。別の注釈も、新枕の三か夜の餅のことを言っていると読んでいます。[W03]

記録にも餅は出てきます。服藤は、三日夜餅の最も早い史料として、『吏部王記』の天暦二年(948)、重明親王が藤原師輔の娘と結婚した三日目の夜の記事を挙げています。餅は筥の蓋に盛られて簾の中に差し入れられ、新郎が食べたそうです。寛仁元年(1017)ごろの小一条院と寛子の結婚では、『御堂関白記』に「この夜餅を供す」とあると、服藤は紹介しています。[P01]

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05餅の夜は、お披露目の夜でもあった?

餅の夜に集まったのは、新郎と新婦だけではありませんでした。『古事類苑』は、婿取りでは第三日か第四日に露顕があり、これは婚姻の披露で、古くは「トコロアラハシ」とも言った、と説明しています。祝いの餅、舅姑以下の親族との対面、役人への饗応と禄は婿取りと婦迎えに共通する儀として並べられ、婿取りでは露顕の当日に後朝使があるとも書かれています。[W02]

服藤は、『落窪物語』の描写から、三日目の夜が新婦方の親族と新郎が初めて顔を合わせる日だとみています。供餅と饗宴、供人への饗応と禄を合わせた一連の儀式が、露顕と呼ばれたのだろう、という推察です。そうだとすれば、三日目の夜の餅と饗宴は、露顕の中心にあたります。[P01]

『栄花物語』の小一条院と寛子の場面は、この重なりを示しています。後朝の使いのあと、「四五日ありてぞ御ところあらはしありける」と書かれ、その夕方、院は皇后宮に「今宵はもちひの夜とか聞き侍りつる」と打ち明けるのです。校註本の頭注は「もちひの夜」を「所顕の餅を祝ふ夜」と説明しています。[S06、I06]

物語には、露顕の言葉そのものも出てきます。四の君が面白の駒と結婚したあと、母の北の方は、「おいらかにはじめよりかうかうしたりといはましかば、忍びてもあらましを、所あらはしをさへして、かくののしりて」と責めます。最初から話してくれれば内密にもできたのに、露顕までして大騒ぎをして、という怒りです。[S07、I07]

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06お披露目の夜は三日目とは限らない

古記録を集めた『古事類苑』が引く『中右記』には、元永元年(1118)の藤原忠通の結婚があります。忠通が民部卿の姫君のもとへ初めて渡ったのは十月二十六日の夜で、「今夕内府御露顕也」と記された日は十一月二日です。この日は午後に後朝使を遣り、夜に忠通が訪れ、帳の中に入ったあとで三夜餅を供した、とあります。[S08、I08]

初めて渡った夜は十月二十六日、露顕と三夜餅は十一月二日で、間は七日あきます。間の夜に通ったかどうかは引用に書かれていないので、十一月二日が三日目の夜にあたるかどうかは、この記録からは決まりません。分かるのは、後朝使、餅、露顕が同じ日に行われた例がある、ということです。『栄花物語』の寛子の例でも、後朝のあと四五日たって露顕があり、その夜が餅の夜でした。さらに『江家次第』は、「近代露顕一夜也、仍無後朝使」、つまり近ごろの露顕は一夜で、後朝使もない、と書いています。服藤も、院政期の摂関家以外では一日ですべての儀式が終わっていたようだと述べています。[S04、I04、P01]

レファ協の事例には、鎌倉幕府の将軍宗尊親王の結婚でも露顕の儀が行われた、という『吾妻鏡事典』の記述が挙がっています。江戸時代の『貞丈雑記』は、婚礼の当日から二日めまでは家の人と親類だけが知り、三日めから広く人に知らせるのを露顕という、と説明しています。この説明は、七日後の露顕と矛盾しません。ずれるのは、露顕を三日目の儀式とだけみる見方のほうです。[W04、W05]

つまり、「三日通って餅を食べれば夫婦成立」という紹介は、手紙、初夜、後朝の手紙、三日目の夜の餅と饗宴という流れのうち、餅の場面だけを取り出した言い方です。その夜の餅と饗宴は、親族へのお披露目である露顕の中心でもありました。物語は作り話なので、描かれた順番が実際の結婚式とすべて同じとは限りません。儀式書の『江家次第』も、決まりを書いた本であり、全員がそのとおりに行ったという記録ではありません。

最後に、露顕と餅が出てくる『栄花物語』の一節を、原文で読んでみましょう。

一

『落窪物語』

三日目の夜に、場面によって餅や饗宴が描かれる。

二

『栄花物語』(小一条院と寛子)

後朝の使いのあと、四五日たって露顕。その夜が「もちひの夜」。

三

『中右記』(藤原忠通)

初めて通った夜の七日後に露顕。後朝使と三夜餅も同じ日。

4

『江家次第』

近ごろの露顕は一夜で済み、後朝使もない。

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『蜻蛉日記』上巻、冒頭近く、求婚の歌と返事の相談
作者:藤原道綱母。石川佐久太郎 校註

原文(該当部分)

音にのみ聞けばかひなしほととぎすことかたらはむと思ふ心あり

(中略)いかに、返り事はすべくやあるなど、さだむるほどに、

現代語訳

噂に聞くだけでは甲斐がありません。ほととぎすよ、あなたと語り合いたいと思う心があるのです。

(中略)さて、返事はするべきだろうかなどと相談しているうちに、

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出典・訳について

『蜻蛉日記』上巻、冒頭近く、求婚の歌と返事の相談

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  • 作品名:『蜻蛉日記』上巻、冒頭近く、求婚の歌と返事の相談
  • 著者・編者:藤原道綱母。石川佐久太郎 校註
  • 巻・章・話番号:上巻の冒頭近く
  • 採用した版・底本:『蜻蛉日記』校註、昭和4年(1929)。国立国会図書館デジタルコレクション pid 1032682
  • 翻刻提供元・URL:国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1032682/1/5 。雲亭が画像から読んだ
  • 原文の頁・丁・表裏・画像コマ:2頁(右頁)、5コマ
  • 引用・再利用条件:国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開、パブリックドメイン(IIIFマニフェストの Access Restrictions が PDM)

表記・訳の注記

旧字体は通行の字体に直し、ふりがなと頭注は省いた。同頁の頭注は、この手紙の主を右兵衛佐藤原兼家とする。「ことかたらはむ」の語義は確かめていないため、訳は試訳。現代語訳は雲亭(Claude)によるAIの試訳で、専門家の校閲は受けていない。

「御ところあらはし」は露顕の宴、「もちひの夜」は餅の夜のことで、校註本の頭注は「所顕の餅を祝ふ夜」と説明しています。小一条院が「今夜はどんなに恥ずかしいことでしょう」と皇后宮に打ち明け、「今夜は餅の夜と聞きました」「大臣(道長)もいらっしゃると聞きました」と言う場面に注目してください。あちらへ行けば二位中将や三位中将たちが待ち迎えるのも、原文では「いとすゞろはしき」、つまり落ち着かない、と話しています。

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出典と原典の画像

元の記録や研究を、自分の目で確かめられます。

ほかの一次資料

『落窪物語』巻一、初夜の翌朝、道頼(少将)の文

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原文(該当部分)

(少将の文)『いかなれや、むかし思ひしほどよりは、今の間思ふことのまさるは。』とありけれど、いと心ちあしとて、御返事なし。あこぎかへりごと書く。

現代語訳

(少将の文)「どうしたことでしょう。以前に思っていたよりも、今この間に思う気持ちがまさっているのは。」と書いてあったけれど、(落窪の君は)たいへん気分が悪いと言って、お返事をなさらない。あこぎが返事を書く。

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出典・訳について
  • 作品名:『落窪物語』巻一、初夜の翌朝、道頼(少将)の文
  • 著者・編者:作者未詳。吉川秀雄 校註
  • 巻・章・話番号:校註本「一の卷」、あこぎが帯刀と少将の文を落窪の君へ届ける場面
  • 採用した版・底本:『落窪物語 校註』明治書院、大正15年(1926)。国立国会図書館デジタルコレクション pid 978199
  • 翻刻提供元・URL:国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/978199/1/22 。雲亭が画像から読んだ
  • 原文の頁・丁・表裏・画像コマ:27頁(左頁の末)、22コマ。頭注は同頁上段
  • 引用・再利用条件:国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開、パブリックドメイン

表記・訳の注記

旧字体は通行の字体に直し、ふりがな、異本注記、話者を示す小字は省いた。頭注は「いかなれや云云」を「前に思ひしよりも今日思ふことのまさるは、何故ぞ。昨夜逢ひし為思ひまさりたる由なり」と説明する。現代語訳は雲亭(Claude)によるAIの試訳で、専門家の校閲は受けていない。

『落窪物語』巻四、帥と四の君の結婚

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原文(該当部分)

夜うち更けて、帥いましける。少将しるべして、導き入れつ。

(中略)かくて左の大臣殿には、三日の夜の事、今はじめたる様に設け給へり。

(中略)暮れぬれば、帥いましぬ。御供の人人に物かづけ饗などせさせ給ふ。四日よりは、日たけつつなむ出でける。

現代語訳

夜が更けて、帥がいらっしゃった。少将が案内をして、中へお導き入れした。

(中略)こうして左の大臣殿では、三日の夜のことを、今初めてするかのように用意なさる。

(中略)日が暮れると、帥がいらっしゃった。お供の人々に褒美を与え、饗応などをさせなさる。四日目からは、日が高くなってから出て行った。

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出典・訳について
  • 作品名:『落窪物語』巻四、帥と四の君の結婚
  • 著者・編者:作者未詳。吉川秀雄 校註
  • 巻・章・話番号:校註本「四の卷」、帥が訪れる夜、三日の夜の用意、四日目以降
  • 採用した版・底本:『落窪物語 校註』明治書院、大正15年(1926)。国立国会図書館デジタルコレクション pid 978199
  • 翻刻提供元・URL:国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/978199/1/133 、https://dl.ndl.go.jp/pid/978199/1/134 、https://dl.ndl.go.jp/pid/978199/1/135 。雲亭が画像から読んだ
  • 原文の頁・丁・表裏・画像コマ:249頁(133コマ左頁)、251頁(134コマ左頁)、252頁(135コマ右頁)
  • 引用・再利用条件:国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開、パブリックドメイン

表記・訳の注記

表記:旧字体は通行の字体に改め、ふりがな、異本注記、話者を示す小字は省略。249頁の「いましける」の前に小字の異本注記があるが、これも省略。現代語訳は雲亭(Claude)によるAIの試訳で、専門家の校閲は受けていない。

『江家次第』巻二十「執聟事」(『古事類苑』礼式部十二 婚嫁一が引く文)

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原文(該当部分)

近代例、当日初有消息、以親本家之者為使、或無返事、無禄

(中略)聟公入自中門、登自寝殿腋階、随所便、但登階、沓取人下階執沓

(中略)聟公入帳内、姫公出

(中略)聟公解装束、掩衾

(中略)次供餅、…聟公食餅三枚

(中略)近代露顕一夜也、仍無後朝使云云

現代語訳

近ごろの例では、当日になって初めて手紙が届く。使いは本家の親しい者。返事も禄も出ない場合がある。

(中略)聟公は中門から入り、寝殿の脇の階から上がる。階を上るときは、沓取の人が階を下りて沓を取る役目。

(中略)聟公が帳の中に入り、姫公が出る。

(中略)聟公は装束を解き、衾を掩う。

(中略)次に餅を供する。…聟公は餅を三枚食べる。

(中略)近ごろの露顕は一夜で、そのため後朝使はない、という。

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出典・訳について
  • 作品名:『江家次第』巻二十「執聟事」(『古事類苑』礼式部十二 婚嫁一が引く文)
  • 著者・編者:大江匡房。『古事類苑』は神宮司庁 編
  • 巻・章・話番号:『江家次第』巻二十。『古事類苑』礼式部十二 婚嫁一
  • 採用した版・底本:『古事類苑 礼式部6』神宮司庁古事類苑出版事務所、大正3年(1914)。国立国会図書館デジタルコレクション pid 897803。引用元の『江家次第』の版は確かめていない
  • 翻刻提供元・URL:国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/897803/1/19 。雲亭が画像から読んだ
  • 原文の頁・丁・表裏・画像コマ:914頁(19コマ右頁の末)から915頁(19コマ左頁)
  • 引用・再利用条件:国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開、パブリックドメイン

表記・訳の注記

漢文の返り点、割注、小字の注記は省いた。「聟公解装束、掩衾」の「掩衾」は、服藤早苗(P01)が「襖覆」と記す儀式にあたるとみられるが、同一視は推定で、対応は確かめていない。中略の部分には、灯りや饗膳、三献、禄などの記述がある。『古事類苑』は明治から大正にかけての編纂物で、原本の『江家次第』と文字が違う場合がある。現代語訳は雲亭(Claude)によるAIの試訳で、専門家の校閲は受けていない。

『源氏物語』葵の巻、新枕の翌朝の文と、翌日の夕方の餅

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原文(該当部分)

君は渡り給ふとて、御硯の箱を、御帳の内にさし入れておはしにけり。人まに辛うじて頭もたげ給へるに、引き結びたる文御枕のもとにあり。(中略)「あやなくも隔てけるかな夜をかさねさすがになれし中の衣を」と書きすさび給へるやうなり。

(中略)君、みなみの方に出で給ひて惟光を召して「このもちひかう数々に所せきさまにはあらで、あすの暮に参らせよ。今日はいまいましき日なりけり」とうちほゝゑみてのたまふ御気色を心ときものにてふと思ひよりぬ。惟光確にもうけたまはらで「げにあいぎやうの始はひえりして聞しめすべきことにこそ。さてもねのこはいくつか仕う奉らすべう侍らむ」とまめ立ちて申せば、「三つか一つかにてもあらむかし」とのたまふに心得はてゝ立ちぬ。

現代語訳

君(光源氏)は、お渡りになるとして、硯の箱を御帳の中に差し入れて出ていかれた。人のいない間にやっと頭をもたげなさると、結んだ手紙が枕もとにある。(中略)「あやなくも隔てけるかな夜をかさねさすがになれし中の衣を」と、書きすさんでいらっしゃるようである。

(中略)君は南の方に出ていらして、惟光をお呼びになり、「この餅を、こんなにたくさん仰々しくではなく、明日の夕方に持ってきなさい。今日は忌まわしい日だった」とにっこり笑っておっしゃる。そのご様子を、気のきく惟光はふと察した。惟光は、はっきりとは承らないまま、「なるほど、愛敬の始めは日を選んで召し上がるべきことでしょう。それにしても、子の餅は、いくつ用意いたしましょうか」と真面目な顔で申し上げると、「三つか一つかでもよいだろう」とおっしゃるので、すっかり心得て立ち去った。

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出典・訳について
  • 作品名:『源氏物語』葵の巻、新枕の翌朝の文と、翌日の夕方の餅
  • 著者・編者:紫式部。丸岡桂、松下大三郎 共編
  • 巻・章・話番号:葵の巻の中ほど
  • 採用した版・底本:『国文大観 物語部1 源氏物語上』明治36年(1903)刊。国立国会図書館デジタルコレクション pid 991353
  • 翻刻提供元・URL:国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991353/1/96 、https://dl.ndl.go.jp/pid/991353/1/97 。雲亭が画像から読んだ
  • 原文の頁・丁・表裏・画像コマ:89頁(96コマ左頁)、90頁(97コマ右頁)
  • 引用・再利用条件:国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開、パブリックドメイン

表記・訳の注記

表記:旧字体は通行の字体に改め、ふりがなは省略。国文大観の本文は句読点が少なく、引用は原本のとおり。「あやなくも」の歌は、文字認識の全文テキストでも一致を確認。「ひえりして」「いまいましき日」の語義は確かめていないため、訳は試訳で、確信は持てない。現代語訳は雲亭(Claude)によるAIの試訳で、専門家の校閲は受けていない。

『栄花物語』巻十三「ゆふしで」、小一条院と寛子の結婚、後朝の使いと露顕

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原文(該当部分)

院よりは、やがて坐しける儘にやと見ゆる程に御使あり。二位中将など出であひ給ひて、えもいはず酔はし給ふに、女房のかはらけさし出づる袖口などこそめもあやなれ。御返り賜はりて、女の装束に葡萄染の小袿そへて賜はりて参りぬ。さて日暮るゝも心もとなくて坐しぬ。四五日ありてぞ御ところあらはしありける。院、皇后宮申させ給ふ、「よさりいかに恥かしう侍らむずらむ。かしこに罷れば、二位中将、三位中将など待ち迎へるに、いとすゞろはしきに、今宵はもちひの夜とか聞き侍りつる、大臣も物せらるべきやうにこそ聞き侍りしか。」

現代語訳

院からは、そのまま(寛子のもとに)いらっしゃったのかと見えるころに、お使いが来た。二位中将などが出て会い、何ともいえないほど酒をすすめ、女房が杯を差し出す袖口なども目がくらむほど美しい。お返事をいただき、女の装束に葡萄染の小袿を添えて褒美にいただいて、使いは帰っていった。さて日が暮れるのも待ち遠しい思いで、(院は)出かけなさる。四五日たって、御ところあらはしがあった。院が皇后宮に申し上げなさる、「今夜はどんなに恥ずかしいことでしょう。あちらへ行けば、二位中将や三位中将などが待ち迎えるのも、何とも落ち着かないのに、今夜は餅の夜と聞いておりました。大臣(道長)もいらっしゃるはずだと聞いております。」

本文翻刻

ここに引用した部分以外は、原典でお読みいただけます。

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出典・訳について
  • 作品名:『栄花物語』巻十三「ゆふしで」、小一条院と寛子の結婚、後朝の使いと露顕
  • 著者・編者:作者未詳。国民文庫刊行会などの校註日本文学大系の一冊
  • 巻・章・話番号:巻第十三「ゆふしで」
  • 採用した版・底本:『日本文学大系 校註 第11巻』大正14年(1925)。国立国会図書館デジタルコレクション pid 1018052
  • 翻刻提供元・URL:国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1018052/1/202 、https://dl.ndl.go.jp/pid/1018052/1/203 。雲亭が画像から読んだ
  • 原文の頁・丁・表裏・画像コマ:316〜317頁(202コマ)。餅の場面は318〜319頁(203コマ)
  • 引用・再利用条件:国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開、パブリックドメイン

表記・訳の注記

旧字体は通行の字体に直し、ふりがなと頭注は省いた。「坐しける」「坐しぬ」は印刷のとおり(ふりがなは「おはし」)。頭注は「二位中将」を能信、「もちひの夜」を「所顕の餅を祝ふ夜」、「かしこ」を高松殿、「大臣」を道長とする。原文の「やがて坐しける儘にやと見ゆる程に」は、「院が帰ったあとそのまま寛子が帳から出ないまま、と見える頃に」と読む余地もあり、訳は一つの読み方。なお服藤早苗(P01)が引く『栄花物語』の本文では、餅の盛り物が「筥の蓋」とあるが、この校註本の318〜319頁では「御破子の蓋」である。現代語訳は雲亭(Claude)によるAIの試訳で、専門家の校閲は受けていない。

『落窪物語』巻二、四の君と面白の駒の結婚のあと、北の方の言葉

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原文(該当部分)

(北の方)『おいらかにはじめよりかうかうしたりといはましかば、忍びてもあらましを、所あらはしをさへして、かくののしりて、誰が媒してしはじめしぞ。』

現代語訳

(北の方)「素直に、最初からこうこうでしたと言ってくれたら、内密にもできたのに。所あらはしまでして、こんなに大騒ぎをして、誰が仲立ちをして始めたのですか。」

本文翻刻

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出典・訳について
  • 作品名:『落窪物語』巻二、四の君と面白の駒の結婚のあと、北の方の言葉
  • 著者・編者:作者未詳。吉川秀雄 校註
  • 巻・章・話番号:校註本「二の卷」、北の方が四の君を責める場面
  • 採用した版・底本:『落窪物語 校註』明治書院、大正15年(1926)。国立国会図書館デジタルコレクション pid 978199
  • 翻刻提供元・URL:国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/978199/1/72 。雲亭が画像から読んだ
  • 原文の頁・丁・表裏・画像コマ:126頁(72コマ右頁)。頭注は同頁上段
  • 引用・再利用条件:国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開、パブリックドメイン

表記・訳の注記

旧字体は通行の字体に直し、ふりがなと異本注記は省いた。頭注は「所あらはし」を「披露」、「忍びても」を「内證にして」、「かくののしりて」を「かく大騒ぎをして披露して」とする。現代語訳は雲亭(Claude)によるAIの試訳で、専門家の校閲は受けていない。

『中右記』元永元年(1118)の記事(『古事類苑』礼式部十三 婚嫁二が引く文)

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原文(該当部分)

永久六年(元永元年)十月廿六日甲辰、今夜内大臣殿(忠通)始渡給民部卿姫君許、十一月二日庚戌、今夕内府御露顕也、仍申時許、先遣後朝使勘解由次官実親(中略)亥刻内府来臨(中略)入御帳中後、奉三夜餅

現代語訳

永久六年(元永元年)十月二十六日甲辰、今夜、内大臣殿(忠通)が初めて民部卿の姫君のもとへお渡りになった。十一月二日庚戌、今夕、内府の御露顕である。そこで申の刻ごろ、まず後朝使として勘解由次官実親を遣わした(中略)亥の刻に内府が来臨した(中略)帳の中にお入りになった後、三夜餅を奉った。

本文翻刻

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出典・訳について
  • 作品名:『中右記』元永元年(1118)の記事(『古事類苑』礼式部十三 婚嫁二が引く文)
  • 著者・編者:藤原宗忠。『古事類苑』は神宮司庁 編
  • 巻・章・話番号:『中右記』永久六年(元永元年)十月二十六日条、十一月二日条
  • 採用した版・底本:『古事類苑 礼式部6』神宮司庁古事類苑出版事務所、大正3年(1914)。国立国会図書館デジタルコレクション pid 897803。引用元の『中右記』の版は確かめていない
  • 翻刻提供元・URL:国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/897803/1/93 。雲亭が画像から読んだ
  • 原文の頁・丁・表裏・画像コマ:1060頁(93コマ右頁)。同じ記事は98コマにも引かれる
  • 引用・再利用条件:国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開、パブリックドメイン

表記・訳の注記

表記:漢文の返り点、割注、小字の注記は省略。「奉三夜餅」は縮小画像で読み、文字認識の結果(「本三夜餅」)と照らしたうえで、2026-10-17の照合で拡大画像でも確かめた。記事の筆者を藤原宗忠とするのは、同じ引用の中で「予」が宗忠と注記されていることによる。現代語訳は雲亭(Claude)によるAIの試訳で、専門家の校閲は受けていない。

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画像 I01 『蜻蛉日記』校註(冒頭近く、求婚の歌)

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国立国会図書館 / 石川佐久太郎 校註、昭和4年(1929)。活字本 / 2〜3頁、5コマ

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画像 I02 『落窪物語 校註』(巻一、後朝の文)

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国立国会図書館 / 吉川秀雄 校註、明治書院、大正15年(1926)。活字本 / 26〜27頁、22コマ

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画像 I03 『落窪物語 校註』(巻四、帥と四の君)

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国立国会図書館 / 同上 / 249頁(133コマ)、251頁(134コマ)、252頁(135コマ)

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画像 I04 『古事類苑 礼式部6』(礼式部十二 婚嫁一、『江家次第』の引用)

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国立国会図書館 / 神宮司庁古事類苑出版事務所、大正3年(1914)。活字本 / 914〜915頁、19コマ

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画像 I05 『国文大観 物語部1 源氏物語上』(葵の巻)

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国立国会図書館 / 丸岡桂、松下大三郎 共編、明治36年(1903)刊。活字本 / 88〜91頁、96〜97コマ

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画像 I06 『日本文学大系 校註 第11巻』(『栄花物語』ゆふしで)

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国立国会図書館 / 大正14年(1925)。活字本 / 316〜319頁、202〜203コマ

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画像 I07 『落窪物語 校註』(巻二、北の方の言葉)

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国立国会図書館 / 吉川秀雄 校註、明治書院、大正15年(1926)。活字本 / 126頁、72コマ

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画像 I08 『古事類苑 礼式部6』(礼式部十三 婚嫁二、『中右記』の引用)

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国立国会図書館 / 神宮司庁古事類苑出版事務所、大正3年(1914)。活字本 / 1060頁、93コマ

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参考にした研究・関連文献

論文 P01 『落窪物語』にみる婚姻儀礼:平安中期貴族層の結婚式

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服藤早苗 / 埼玉学園大学紀要 人間学部篇 / 6号、2006年12月 / 198(45)〜185(58)頁(縦組みのため頁が逆順)

記事で参照した文献

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論文以外の参考資料

解釈と、まだ確かめられていないこと

『落窪物語』『源氏物語』『栄花物語』は物語で、描かれた結婚式には作者の構想も含まれます。『江家次第』は十二世紀初頭の儀式書であり、実際の結婚がそのとおりに行われた記録とは言えません。『中右記』と『江家次第』は『古事類苑』が引く文で、『古事類苑』は明治時代の編纂物です。校註本の頭注や『湖月抄』の注釈は、後の時代の解釈にあたります。引用の現代語訳は、すべて試訳です。

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