吉兆
櫓の鯛、庭の鳩、母の忌日。
本文 現代語訳
吉兆 輪池堂
吉兆 輪池堂
小田原侯は、むかしより吉事あるごとに、必ず城の櫓に鯛一打すゑてあり。今の侯に至りて、あるとき五、六寸の鯛二枚あがりてあり。家臣これを見て、例の吉瑞なりとて、とりおろして侯にたてまつりしかば、料理せしめてめしけるに、はたして召し状到来して、顕職を得給ひき。これ人間わざにあらず、かの人の所為ならんといへり。また御先手頭山本原八郎は、家の紋、鳥居に鳩なり。吉事あらん前には、鳩の来集まるとあり。もとは新御番にてありしが、鳩一羽、家の内に飛び入りし事あり。いかなることにかと思ひあやしみける程に、やがて組頭になりけり。そののち、また五、六羽庭上にゐたることあり。吉兆なるべしといひあへる程に、西丸小十人頭にすすみたり。去年の冬、御先手になる前には、二十あまり来つつ馴れたりといへり。これをおもふに、『白沢図』に「野鳥屋に入る、鬼の名は不穴」〔一に白窟に作る〕と見えて、怪とせしも一概には信じがたし。予は、はじめ国鏡の手伝に出でし時は、母の忌日に召し状到来し、御加増のときも母の忌日にめしけるなり。この母は、予が十歳の時身まかりしが、その遺言を守りて日夜観じをるゆゑ、相感ずる所ありしにや。この事を記しし文を、もとの吉田侯見させ給ひて、感心のよし仰せ下されし。されば親のまもりは現在のみならず、なき後までもかくあれば、おろかにな思ひそと、わかき人に常にいひきかすることなり。
小田原侯の家では、昔から吉事があるたびに、必ず城の櫓に鯛が一打ち据えられている。今の侯の代になって、あるとき五、六寸の鯛が二枚上がっていた。家臣がこれを見て、例の吉兆だと言って取り下ろし、侯に献上したところ、料理させて召し上がった。するとはたして召し状が届き、高い官職をお得になった。これは人のしわざではなく、あの方の所為だろう、と人は言う。また御先手頭の山本原八郎は、家の紋が「鳥居に鳩」である。吉事のある前には鳩が集まって来るという。もとは新御番であったが、鳩が一羽、家の中に飛び込んだことがあった。どういうことかと不思議に思っているうちに、やがて組頭になった。その後、また五、六羽が庭にいたことがあった。吉兆だろうと言い合っているうちに、西丸小十人頭に進んだ。去年の冬、御先手になる前には、二十羽あまりが来て馴れていたという。これを思うと、『白沢図』に「野鳥が家に入るのは、鬼の名は不穴」〔一本には白窟とある〕と見えて怪異としているのも、一概には信じがたい。私は、はじめ国鏡の手伝いに出たときは母の忌日に召し状が届き、御加増のときも母の忌日に召されたのである。この母は私が十歳のときに亡くなったが、その遺言を守って日夜念じているので、通じ合うところがあったのだろうか。このことを記した文を、先の吉田侯がご覧になって、感心したと仰せ下さった。だから親の守りはこの世にいる間だけではなく、亡き後までもこのとおりであるから、おろそかに思うな、と若い人にいつも言い聞かせているのである。
文政八年正月十四日 弘賢識
文政八年正月十四日 弘賢識
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す
吉兆 輪池堂
小田原侯はむかしより吉事ある每に、必城の櫓に鯛一打すゑてあり。今の侯に至りてあるとき、五六寸の鯛二枚あがりてあり。家臣これを見て、例の吉瑞なりとて、とりおろして侯にたてまつりしかば、料理せしめてめしけるに、はたしてめし狀到來して顯職を得給ひき。是人間わざにあらず、かの人の所爲ならんといへり。又御先手頭山本原八郎は家の紋鳥居に鳩なり。吉事あらん前には鳩の來集まるとあり。もとは新御番にてありしが、鳩一羽家の内に飛入りし事有り。いかなることにかと思ひあやしみける程に、やがて組頭になりけり。そのゝち又五六羽庭上にゐたることあり。吉兆なるべしといひあへる程に、西丸小十人頭にすゝみたり。去年の冬御先手になる前には、二十あまり來つゝ馴れたりといへり。これをおもふに、白澤圖に野鳥入屋、鬼名不穴〔一作白窟〕と見えて、怪とせしも一概には信じがたし。予ははじめ國鏡の手傳に出し時は、母の忌日にめし狀到來し、御加增のときも母の忌日にめしけるなり。この母は予が十歲の時身まかりしが、その遺言を守りて日夜觀じをるゆゑ、相感ずる所ありしにや。この事を記しゝ文を故の吉田侯見させ給ひて、感心のよし仰せ下されし。されば親のまもりは現在のみならず、なき後までもかくあれば、おろかにな思ひそと、わかき人に常にいひきかすることなり。
文政八年正月十四日 弘賢識
注
- 写本の位置
- 写本は3167の18カット目右ページから19カット目右ページの冒頭まで。19カット目右ページの2行目から第4話「伊香保の額論」が始まる。
- 校合
- 「親のまもりは現在のみならず」は写本の読み。活字本系テキストは「現世のみならず」とする。写本を採った。
- 校合
- 「いかなることにかと」は活字本系に従った。写本は「ことにやと」とも読め、判読を保留する。
- 校合
- 「國鏡の手傳に出し時」は写本の表記。活字本系は「出でし時」とする。
- 注記
- 「一作白窟」の割注は写本でも「鬼名不穴」の下に小字2行で入る。
- 注記
- 輪池堂は屋代弘賢の号。末尾に「弘賢識」とある。国鏡の手伝は、幕府の古鏡調査の手伝いと解した。
- 注記
- 小田原侯は文政期の藩主大久保忠真で、文政元年に老中になった。故の吉田侯は前の吉田藩主と解したが、人物の特定は雲亭の推定で未確認。
- 注記
- 『白沢図』は妖怪の名を記した古い書で、野鳥が家に入る怪の名を「不穴」または「白窟」とする。
AI試訳 / 専門家未校閲