武州多摩郡貝取村にて古碑を掘出せし話
多摩郡貝取村の百姓が山で足を踏み抜き、石塔婆を樋に使った地下の穴を見つける。
本文 現代語訳
武州多摩郡貝取村にて古碑を掘り出せし話 好問堂記
武州多摩郡貝取村で古い碑を掘り出した話 好問堂記
予が友なる沙門春登、ある時訪ひ来たりて、物語らふことのついでにいへるは、「去りし文政六年癸未三月、余が隣村、多摩郡貝取村の百姓、雨後に家居の後ろなる山に登りて薪を採らんとする処に、いかがはしけん、片足土中に落ち入ること、その深さ二、三尺ばかりなりければ、いと怪しみて其所を穿ち下ること、おおよそ五、六尺ほどにして一大穴あり。空洞、縦横二間余もあらんとおぼしく、その傍らに小穴あり。また六、七尺ばかり、めぐりに小溝を構へて漏水を通はする備へとせり。その遺棄せる埋め樋、みな石塔婆をもて作りまうけ、長さ三、四間、その数およそ四、五十基、みな掘り出せり。年暦を検するに、弘安元年より文明九年に至る。今を距ること五百三十有余年、しかれども金字の梵箔なほ存せり。惜しむらくは欠損の者半ばに過ぎ、かつ文字磨滅、多くは読むべからず。その中、全形のもの二基を摺り打ちして帰る。実に当時の質朴を見るに足るものなり。思ふに当時、足利持氏、成氏らの争戦止む時なき頃なれば、この辺、上州北越の官道にて、民家その乱妨を恐れ、資財雑具を隠せし所ならん」といへり。
私の友人である僧の春登が、ある時訪ねて来て、話のついでに語ったことには、「去る文政六年癸未の三月、私の隣村である多摩郡貝取村の百姓が、雨上がりに家の裏の山へ登って薪を取ろうとしたところ、どうしたことか片足が土の中に落ち込み、その深さは二、三尺ほどもあったので、たいそう不思議に思ってそこを掘り下げると、おおよそ五、六尺ほどで一つの大きな穴に行き当たった。空洞は縦横二間あまりもあろうかと思われ、その脇に小さな穴がある。また六、七尺ほど、周りに小さな溝を構えて漏れる水を通す備えにしてある。その打ち捨てられた埋め樋は、みな石塔婆で作ってあり、長さは三、四間、その数はおよそ四、五十基で、すべて掘り出した。年代を調べると、弘安元年から文明九年に至る。今から五百三十年あまりも前だが、それでも金字の梵字の箔がまだ残っていた。惜しいことに欠けたものが半分を超え、そのうえ文字が磨り減って、多くは読めない。そのうち完全な形のもの二基を拓本に取って帰った。実に当時の素朴さを見るのに足るものである。思うに当時は足利持氏や成氏らの争いが止む時のない頃であったから、この辺りは上州や北越へ通じる官道にあたり、民家がその乱暴を恐れて、家財道具を隠した場所であろう」ということだった。
春登は和学を好み、『万葉用字格』をあらはしたり。
春登は国学を好み、『万葉用字格』を著した。
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す
武州多摩郡貝取村にて古碑を掘出せし話 好問堂記
予が友なる沙門春登、ある時訪ひ來りて、ものかたらふことの次にいへるは、去りし文政六年癸未三月、余が隣村多摩郡貝取村の百姓、雨後に家居のうしろなる山に登りて薪を採んとする處に、いかゞはしけん、片足土中におち入ること、その深さ二三尺ばかりなりければ、いとあやしみて其所を穿ちくだること大よそ五六尺ほどにして一大穴あり。空洞縱橫二間餘もあらんとおぼしく、その傍に小穴あり。亦六七尺ばかり、めぐりに小溝をかまへて漏水を通はする備とせり。その遺棄せる埋樋、みな石塔婆をもてつくりまうけ、長三四間、その數凡四五十基、みなほり出せり。年歷を檢するに、弘安元年より文明九年に至る。今を距ること五百三十有餘年、しかれども金字の梵箔猶存せり。惜らくは缺損の者半に過、且文字磨滅、多くはよむべからず。その中全形のもの二基を摺打してかへる。實に當時の質朴を見るに足るものなり。思ふに當時足利持氏成氏等の爭戰止時なき比なれば、此邊上州北越の官道にて、民家その亂妨をおそれ、資財雜具をかくせし所ならんといへり。
春登は和學を好み、萬葉用字格をあらはしたり。
注
- 写本の位置
- 写本は3167の40カット目右ページから40カット目左ページの前半まで。40カット目左ページの後半に第4話「隱語」の題があり、同じページから本文が続く。
- 校合
- 題の「古碑」は写本の目録と本文の表記。活字本系テキストは「古牌」とする。
- 校合
- 「採んとする」「片足」「通はする備」「遺棄せる」「ほり出せり」「半に過」「止時なき」「資財雜具をかくせし」は写本の読み。活字本系テキストは「採らんとする」「片あし」「通はす備」「遺棄する」「ほり出でたり」「半に過ぎ」「止む時なき」「資財雜具などをかくしゝ」とする。
- 注記
- 春登は時宗の僧で万葉学者。武蔵関戸の延命寺に住んだことがあり、貝取村はその隣村にあたる。『万葉用字格』は万葉仮名の用字を分類した書。人物の特定は雲亭の推定で未確認。
- 注記
- 貝取村は今の東京都多摩市貝取。弘安元年は1278年、文明九年は1477年。足利持氏と成氏は鎌倉公方と古河公方で、十五世紀の関東で戦乱が続いた。
- 注記
- 「摺打」は拓本を取ることと解した。「梵箔」は梵字に施した金箔と解した。
AI試訳 / 専門家未校閲