雲亭日本古典図書室収録作品の一覧

隠語

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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第二集 第4話 / 好問堂 山崎美成 記

職人、商人、僧、盗賊、役者、遊女それぞれの隠語を、和漢の書と見聞から集める。

本文 現代語訳

隠語
隠語
唐土に市語あり。『委巷叢談』に見えたり〔なほ彼の邦に隠語、謎語あれど、予が『猜彙』に載せたれば、ここに記さず〕。我が邦の工商、おのおのその職業によりて隠語あり。屋根屋にて熱き飯と冷飯とを混ぜしを「ふる板まぜ」といひ、縫箔屋にてから汁にむき身を入れたるを「雪に千鳥」といへり。これに似て非なるものあり。忌詞といひ、謎語といひ、方言といひ、記号といふ、これなり。今その一、二をいはば、忌詞は『延喜式』に神言の内外の七言を載せられたれば、いと古し。今も雨を「おさぐり」〔『滑稽雑談』〕、寝るを「いねつむ」〔『世事談綺』〕といふは正月の忌詞なり。謎語は鑷子を「南方」といへば「不毛」の意なり〔『毛吹草』〕。豆腐に紅葉を付くるは、「買うように」との心なり〔『堺鑑』〕。方言は出羽にて「アヰベチヤ」「コイチヤ」「ゴサモセチヤ」といひ、大和にて「テイテイゴザレ」「ソウハツチヤカタツカ」「ケンズイ」「ヱソマツリ」といへる類にて、なほ詳しくは越谷吾山の『物類称呼』に諸国にいへるを載せたり。このついでにいはば、都下にて無頼の徒の常言を目して「センホウ」と云ひ、愚なるを「はね」と云ひ、銭なきを「ひつてん」といへるなど、挙ぐるに遑あらず。これ一種の方言ともいひつべし。
中国には市語がある。『委巷叢談』に見えている〔なお中国には隠語や謎語もあるが、私の『猜彙』に載せたので、ここには記さない〕。わが国の職人や商人にも、それぞれの職業によって隠語がある。屋根屋では熱い飯と冷や飯を混ぜたものを「ふる板まぜ」といい、縫箔屋ではから汁にむき身を入れたものを「雪に千鳥」という。これに似て非なるものがある。忌詞、謎語、方言、記号がそれである。今その一つ二つを言えば、忌詞は『延喜式』に斎宮の内外の七言が載せられているから、たいへん古い。今も雨を「おさぐり」〔『滑稽雑談』〕、寝ることを「いねつむ」〔『世事談綺』〕というのは正月の忌詞である。謎語は、毛抜きを「南方」というのは「不毛」の意味である〔『毛吹草』〕。豆腐に紅葉の印を付けるのは、「買うように」という心である〔『堺鑑』〕。方言は、出羽で「アヰベチヤ」「コイチヤ」「ゴサモセチヤ」といい、大和で「テイテイゴザレ」「ソウハツチヤカタツカ」「ケンズイ」「ヱソマツリ」というような類で、さらに詳しくは越谷吾山の『物類称呼』に諸国の言い方が載っている。ついでに言えば、江戸で無頼の徒の決まり文句を「センホウ」といい、愚かなことを「はね」といい、銭のないことを「ひつてん」というなど、挙げればきりがない。これも一種の方言といってよいだろう。
記号は荒物屋に〔図 記号九つ ダイ/ヤマ/ウロコ/ツゲ/カタリ/リウ/シヤリ/ヌケ/キツ〕、茶および煙草店に〔図 記号七つ ノ/ワレ/マル/ホウ/キチ/メ/マウス〕、これらの記号をもて数目を記す。この類、薬種屋、紙屋にても異なり。俗にこれを「通り符牒」と云ふ。商家おのおの別に記号あるをもてなり。大路を魚あるいは野菜など荷ひ鬻ぐ者の云ふもの、一を「ソク」〔「ヨロヅ」ともいへり〕、二を「ブリ」、三を「キリ」、四を「ダリ」、五を「ガレン」〔また「め」ともいへり〕、六を「ロンジ」、七を「サイナン」、八を「バンドウ」、九を「ガケ」といひ〔頭書 この中、「ヤミ」を漏らせり〕、一緡を「一万石」、二緡五十銭を「奴」ともいへり。商賈はもと利をもて世渡る業とするものなれば、さる隠語も出で来るはおのづからの勢ひにて、和漢ともに人情の常なりけり。
記号は、荒物屋に〔図 記号九つ ダイ/ヤマ/ウロコ/ツゲ/カタリ/リウ/シヤリ/ヌケ/キツ〕、茶と煙草の店に〔図 記号七つ ノ/ワレ/マル/ホウ/キチ/メ/マウス〕があり、これらの記号で数を記す。この類は薬種屋や紙屋でもまた違う。俗にこれを「通り符牒」という。商家がそれぞれ別の記号を持っているからである。大通りで魚や野菜などを担いで売り歩く者の言うものでは、一を「ソク」〔「ヨロヅ」ともいう〕、二を「ブリ」、三を「キリ」、四を「ダリ」、五を「ガレン」〔また「め」ともいう〕、六を「ロンジ」、七を「サイナン」、八を「バンドウ」、九を「ガケ」といい〔頭書 この中で「ヤミ」を漏らしている〕、銭一さしを「一万石」、二さし五十銭を「奴」ともいう。商人はもともと利益で世渡りをする稼業であるから、そうした隠語が生まれるのは自然の勢いで、日本でも中国でも人情の常なのである。
僧徒に隠語あるはまた古し。『東坡志林』に「僧、酒を謂ひて般若湯と為し、魚を水梭花と為し、鶏を鑽籬菜と為す」といへり。また『一休はなし』に、一休和尚の蛸を求められて、「千手観音蛸手多」と云ふ頌を作られしも、その頃の隠語なるべし。今も酒を「唐茶」といひ、蛸を「天蓋」といひ、妓童を「善男子」、衣服のなきものを「誕生仏」ともいへり。去りし頃、山岡明阿の話とて聞けるは、甲斐の身延山の僧徒の隠語に、女の事を「花」といへり。ある時、一寺の門前を女の通りけるを、僧の見て、「よき花の通るは」といへば、一人の僧、「立てぬか」といふ。答へて、「花瓶がない」といひけるとかや。「花瓶」とは金のことなりとぞ。金なくては心に任せぬといへることなるべし。
僧侶に隠語があるのもまた古い。『東坡志林』に「僧は酒を般若湯と呼び、魚を水梭花と呼び、鶏を鑽籬菜と呼ぶ」とある。また『一休はなし』に、一休和尚が蛸を求められて「千手観音蛸手多」という頌を作ったというのも、その頃の隠語であろう。今も酒を「唐茶」といい、蛸を「天蓋」といい、稚児を「善男子」、着物のない者を「誕生仏」ともいう。先ごろ山岡明阿の話として聞いたのは、甲斐の身延山の僧侶の隠語で、女のことを「花」というそうだ。ある時、寺の門前を女が通るのを見て僧が「よい花が通るな」と言うと、もう一人の僧が「立てないか」と言う。答えて「花瓶がない」と言ったとか。「花瓶」とは金のことだという。金がなければ思うにまかせない、ということであろう。
また盗賊の隠語とて、ある人の語れるは、土蔵を「娘」といひ、犬を「姑」といへり〔頭書 盗賊の隠語ある事までは載せずともあれかし〕。たとへば、「某の処によき娘あり。見ずや」といへば、一人の賊いへらく、「しかなり。おのれ、さいつ頃ゆきてあたり見んと思ふに、姑のいとやかましういひければ、折わろしと思ひてやみぬ」などいへるとぞ。これらは作りまうけしものにもやあらんかし。されどこれらの事、あへてなき事ともいひがたし。物に見えたるは、『臥雲日件録』に、「盗賊の中に隠語あり。止湯といひ、合沐といひ、銭湯といふ。銭湯とは貴賤を論ぜず、おのおの盗む所を領す。合沐といふは、諸賊その財を等分す。止湯といふは、多少を論ぜず、盗む所を賊中の首に帰すなり」とあるを見れば、その来たれることもまた久しと云ふべし。
また盗賊の隠語として、ある人が語ったのは、土蔵を「娘」といい、犬を「姑」というというものだ〔頭書 盗賊の隠語があることまでは載せなくてもよかろうに〕。たとえば「どこそこによい娘がいる。見ないか」と言うと、もう一人の賊が「そうだ。おれは先日行って様子を見ようと思ったが、姑がひどくやかましく言うので、折が悪いと思ってやめた」などと言うのだそうだ。これらは作りごとかもしれない。しかしこうしたことがまったくないとも言いがたい。書物に見えるものでは、『臥雲日件録』に「盗賊の中に隠語がある。止湯といい、合沐といい、銭湯という。銭湯とは身分を問わず各自が盗んだものを自分のものにすること。合沐というのは賊たちがその財を等分すること。止湯というのは多い少ないにかかわらず盗んだものを賊の頭に納めることである」とあるのを見れば、その由来もまた古いといえる。
また劇場にては趣向を「世界」といひ、意地わろきを「皮肉」といふ。茶屋にては物を小買ひにするを「久松」といひ、塩を「行徳」といへり。また遊女の隠語あり。「ぬし」とは客人を始め敬する人をいふ。「さとゝ」は「やぼ」と同意。「さはり」とは月の不浄を云ふ。今は大かた「行水」といふ。「げびさう」とはさもしき事。「おかん」とは正月中の節の食物なり。「まがき」とは店と落間のあひだに立つ格子戸の所をいふと、写本『洞房語園』に見えたり。『武野俗談後篇』に、傾城遊女はその家々にて「かくし詞」「相詞」または「ふてう辞」などありて、昔より客の聞き知らぬことを、女郎同士はいひさやぐことにて、外へは何といふこと知れわからぬやうにすることなり。松葉屋にてはいささかも鄙しき「ふてう辞」を使はずして、瀬川が作意にて「源氏六十帖」なりといふ。風流の事なり。今に変はらずその通りなり。その一、二をだに記す。「帚木」とは間夫を云ふ符牒なり。「ありとは見えてあはぬ君かな」といふ歌の心なり。「篝火」とは「やりて」といふ事なり。心の火を焼きたり消したりもの思ふと云ふ心なるべし。「蓬生」とは煙草の事なり。「夕顔」とは裏に来る客の事、「よりてこそそれかとも見めたそがれにほのぼの見ゆる花の夕顔」といふ心なるべし。「朝顔」とは後朝のこと、「雲隠れ」とは切れた客の事、「唐衣」とは「きのしや」の事、「葵」とは銭のことなりとあり。
また芝居では趣向を「世界」といい、意地の悪いことを「皮肉」という。茶屋では物を小分けに買うことを「久松」といい、塩を「行徳」という。また遊女の隠語がある。「ぬし」とは客をはじめ敬うべき人をいう。「さとゝ」は「やぼ」と同じ意味。「さはり」とは月経のことをいう。今は大かた「行水」という。「げびさう」とはさもしいこと。「おかん」とは正月中の節句の食べ物のこと。「まがき」とは店と落間の間に立てた格子戸の所をいうと、写本の『洞房語園』に見えている。『武野俗談後篇』には、傾城遊女はその家ごとに「かくし詞」「相詞」または「ふてう辞」などがあって、昔から客の聞き知らないことを女郎同士で言い交わすもので、外の者には何のことか分からないようにするのだとある。松葉屋では少しも卑しい符牒を使わず、瀬川の発案で「源氏六十帖」を使うという。風流なことである。今も変わらずその通りである。その一つ二つだけでも記す。「帚木」とは間夫をいう符牒である。「ありとは見えてあはぬ君かな」という歌の心である。「篝火」とは「やりて」のことである。心の火を燃やしたり消したりして物思いをする、という心であろう。「蓬生」とは煙草のこと。「夕顔」とは裏口から来る客のことで、「よりてこそそれかとも見めたそがれにほのぼの見ゆる花の夕顔」という心であろう。「朝顔」とは別れの朝のこと、「雲隠れ」とは縁の切れた客のこと、「唐衣」とは「きのしや」のこと、「葵」とは銭のことである、とある。
柳里恭の『独寝』といふ随筆に、女郎仲間にて「今宵はよい客じや、悪しき客じや」などいひて物語るに、「唐音にて云ひたきものなり」といひしなり。長崎にては、「内になしや、此ごろはこちのおもはくは何してやら、すつきりおとづれさへなく、さりとは権平ごんにやく、しんとがりじや、やらひやうあどないはなしにてすまして置けり」とぞ。その次に、「皆さまがた客の前にて用ひ給うてよき唐音のかたはし、記してここにおく」。「嫖子」、けいせいのこと。「面的不好」、これはきつう顔ばせのわるいとなり。「看々」、あれと見よといふこと。「弇茶来」、茶を持てこいと云ふこと。「酒児」、酒のこと。「老臉皮」、面の皮の厚いこと。「未曾去」、まだ帰らぬといふこと、など記されし。
柳里恭の『独寝』という随筆には、女郎仲間で「今夜はよい客だ、悪い客だ」などと言って話すのに、「中国語で言いたいものだ」と言ったとある。長崎では「内になしや、此ごろはこちのおもはくは何してやら、すつきりおとづれさへなく、さりとは権平ごんにやく、しんとがりじや、やらひやうあどないはなしにてすまして置けり」とのことだ。その次に「皆さまが客の前でお使いになるとよい中国語の片端を記してここに置く」とある。「嫖子」は遊女のこと。「面的不好」は、ひどく顔つきが悪い、ということ。「看々」は、あれを見よ、ということ。「弇茶来」は、茶を持ってこい、ということ。「酒児」は酒のこと。「老臉皮」は面の皮が厚いこと。「未曾去」はまだ帰らない、ということなどが記されている。
また閨中の隠語に、「をしのふすま」「羽をならぶる鶴のあさり」「帆引ぶね」「つながぬ舟」「月ごもり」「さやの中山」「甲斐がね」「碓氷の山越」「よろぎの磯ぶり」などいへることのありとしも聞きたれど、そのよし弁ふべからず。詳しなる事は有職者に就きて問ふべし。このくだりは戯れに同じ類ひを記しつけて、けふのまとゐに諸君の笑具に充つと云ふ〔頭書 今俗の隠語に遺漏あまたあり。歌舞伎者の「ハネル」「ヒヤメシ」「クニヲキル」、人形つかひの「左平次」「トン兵衛」「ボツトセイ」、幇間は「とがり」と云ふ、「カミ」「セメ」「シハラ」、鳶の者の「テンボウ」「オモタカ」「鼠根ツキ」、大工の「ヒヤカス」など、なほいくらもあり。閨中の隠語のわきまへがたきにはあらず。さればとて人前にて披露すべき折は、これらはここに載せずもあれかし〕。
また閨中の隠語に「をしのふすま」「羽をならぶる鶴のあさり」「帆引ぶね」「つながぬ舟」「月ごもり」「さやの中山」「甲斐がね」「碓氷の山越」「よろぎの磯ぶり」などということがあるとは聞いたが、その意味は説明できない。詳しいことは通じている人に聞くとよい。このくだりは戯れに同じ類のものを書きつけて、今日の集まりで諸君の笑い草に充てるというわけである〔頭書 今の世俗の隠語には抜けが多い。歌舞伎役者の「ハネル」「ヒヤメシ」「クニヲキル」、人形遣いの「左平次」「トン兵衛」「ボツトセイ」、幇間は「とがり」といい、「カミ」「セメ」「シハラ」、鳶の者の「テンボウ」「オモタカ」「鼠根ツキ」、大工の「ヒヤカス」など、まだいくらでもある。閨中の隠語はわきまえがたいというものではない。そうはいっても人前で披露する折には、これらはここに載せない方がよかろうに〕。
文政八年乙酉春二月八日 好問堂記
文政八年乙酉春二月八日 好問堂記
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隱語

唐土に市語あり。委巷叢談に見えたり〔なほ彼邦に隱語謎語あれど、予が猜彙に載せたれば、こゝにしるさず〕。吾邦の工商おのおのその職業によりて隱語あり。屋根屋にて熱き飯と冷飯とをまじへしをふる板まぜといひ、縫はく屋にてから汁にむきみを入たるを雪に千鳥といへり。これに似て非なるものあり。忌詞といひ、謎語といひ、方言といひ、記號といふ是なり。今その一二をいはゞ、忌詞は延喜式に神言の内外の七言を載せられたれば、いとふるし。今も雨をおさぐり〔滑稽雜談〕、寢るをいねつむ〔世事談綺〕といふは正月の忌詞なり。謎語は鑷子を南方といへば不毛の意なり〔毛吹草〕。豆腐に紅葉を付るは、かうえうにとのこゝろなり〔堺鑑〕。方言は出羽にてアヰベチヤ、コイチヤ、ゴサモセチヤといひ、大和にてテイテイゴザレ、ソウハツチヤカタツカ、ケンズイ、ヱソマツリといへる類にて、なほ詳には越谷吾山の物類稱呼に諸國にいへるを載せたり。この因にいはゞ、都下にて無賴の徒の常言を目してセンホウと云、愚なるをはねと云、錢なきをひつてんといへるなど、擧るに遑あらず。これ一種の方言ともいひつべし。

記號は荒ものに〔圖 記號九つ ダイ/ヤマ/ウロコ/ツゲ/カタリ/リウ/シヤリ/ヌケ/キツ〕、茶及び烟草店に〔圖 記號七つ ノ/ワレ/マル/ホウ/キチ/メ/マウス〕、これらの記號をもて數目をしるす。此類藥種屋紙屋にても異なり。俗に是を通りふてうと云。商家各々別に記號あるをもてなり。大路を魚或は野菜など荷ひ鬻るものゝ云ふもの、一をソク〔ヨロヅともいへり〕、二をブリ、三をキリ、四をダリ、五をガレン〔又めともいへり〕、六をロンジ、七をサイナン、八をバンドウ、九をガケといひ〔頭書 この中ヤミを漏せり〕、一緡を一万石、二緡五十錢を奴ともいへり。商賈はもと利をもて世わたる業とするものなれば、さる隱語もいで來るは自らの勢ひにて、和漢ともに人情の常なりけり。

僧徒に隱語あるは又ふるし。東坡志林に僧謂酒爲般若湯、魚爲水梭花、雞爲鑽籬菜といへり。また一休はなしに、一休和尚の蛸をもとめられて、千手觀音蛸手多と云頌を作られしも、その比の隱語なるべし。今も酒を唐茶といひ、蛸を天蓋といひ、妓童を善男子、衣服のなきものを誕生佛ともいへり。去し比山岡明阿の話とてきけるは、甲斐の身延山の僧徒の隱語に、女の事を花といへり。ある時一寺の門前を女の通りけるを、僧の見て、よき花のとほるはといへば、一人の僧、たてぬかといふ。答へて、花瓶がないといひけるとかや。花瓶とは金のことなりとぞ。かねなくては心にまかせぬといへることなるべし。

又盜賊の隱語とて、ある人のかたれるは、土藏を娘といひ、犬を姑といへり〔頭書 盜賊の隱語ある事までは載せずともあれかし〕。たとへば、某の處によき娘あり、見ずやといへば、一人の賊いへらく、しかなり、おのれさいつ頃ゆきてあたり見んとおもふに、しうとめのいとやかましういひければ、折わろしとおもひてやみぬなどいへるとぞ。これらは作りまうけしものにもやあらんかし。されどこれらの事、あへてなき事ともいひがたし。物に見えたるは、臥雲日件錄に、盜賊中有隱語、曰止湯、曰合沐、曰錢湯。錢湯者不論貴賤各領所盜。曰合沐者、諸賊等分其財。曰止湯者、不論多少所盜歸賊中首也とあるを見れば、その來れることも亦久しと云べし。

また劇場にては趣向を世界といひ、意地わろきを皮肉といふ。茶屋にては物を小がひにするを久松といひ、鹽を行德といへり。また遊女の隱語あり。ぬしとは客人を始め敬する人をいふ。さとゝはやぼと同意。さはりとは月の不淨を云。今は大かた行水といふ。げびさうとはさもしき事。おかんとは正月中の節の食ものなり。まがきとは廛と落間のあひだに立格子戸の所をいふと、寫本洞房語園に見えたり。武野俗談後篇に、契情遊女はその家々にてかくし詞、相詞、又はふてう辭などありて、昔より客のきゝしらぬことを、女郞同士はいひさやぐことにて、外へは何といふことしれわからぬやうにすることなり。松葉屋にては聊も鄙しきふてう辭をつかはずして、瀨川が作意にて源氏六十帖なりといふ。風流の事なり。今にかはらずその通りなり。その一二をだにしるす。はゝき木とは間夫を云ふてうなり。ありとは見えてあはぬ君かなといふ歌の心なり。かゞり火とはやりてといふ事なり。心の火を燒たり消たりものおもふと云心なるべし。蓬生とはたばこの事なり。夕顏とはうらに來る客の事、よりてこそそれかとも見めたそがれにほのぼの見ゆる花の夕顏といふこゝろなるべし。朝顏とは後の朝のこと、雲隱れとはきれた客の事、唐衣とはきのしやの事、葵とは錢のことなりとあり。

柳里恭の獨寢といふ隨筆に、女郞仲間にてこよひはよい客じや、あしき客じやなどいひて物がたるに、唐音にて云ひたきものなりといひしなり。長崎にては、内になしや、此ごろはこちのおもはくは何してやら、すつきりおとづれさへなく、さりとは權平ごんにやく、しんとがりじや、やらひやうあどないはなしにてすまして置けりとぞ。その次に、皆さまがた客の前にて用ひ給うてよき唐音のかたはし、記してこゝにおく。嫖子、けいせいのこと。面的不好、これはきつう顏ばせのわるいとなり。看々、あれと見よといふこと。弇茶來、茶をもてこいと云こと。酒兒、酒のこと。老臉皮、つらのかはの厚いこと。未曾去、まだかへらぬといふことなど、しるされし。

また閨中の隱語に、をしのふすま、羽をならぶる鶴のあさり、帆引ぶね、つながぬ舟、月ごもり、さやの中山、甲斐がね、碓氷の山越、よろぎの磯ぶりなどいへることのありとしもきゝたれど、そのよし辨ふべからず。詳なる事は有職者に就て問ふべし。此くだりは戲れに同じ類ひを記しつけて、けふのまとゐに諸君の笑具に充と云〔頭書 今俗の隱語に遺漏あまたあり。かぶ伎ものゝハネル、ヒヤメシ、クニヲキル、人形つかひの左平次、トン兵衞、ボツトセイ、幇間はとがりと云、カミ、セメ、シハラ、鳶のものゝテンボウ、オモタカ、鼠根ツキ、大工のヒヤカスなど、猶いくらもあり。閨中の隱語のわきまへがたきにはあらず。さればとて人前にて披露すべきをりは、是等はこゝにのせずもあれかし〕。

文政八年乙酉春二月八日 好問堂記

注

写本の位置
写本は3167の40カット目左ページの後半から44カット目右ページまで。44カット目右ページの末尾に「文政八年乙酉春二月八日 好問堂記」の署名があり、44カット目左ページに第5話「蚘蟲圖」の図がある。
注記
題の「隱語」には写本で「かくしことば」の振り仮名があり、原文では外した。「猜彙」にも「サイイ」の振り仮名がある。
校合
「載せられたれば」「おさぐり」「世わたる業」「アヰベチヤ」「遺漏」は写本の読み。活字本系テキストは「載せたれば」「おさくり」「問わたる業」「アヰペチヤ」「遣漏」とする。
校合
荒物屋の記号は写本では九つで、傍訓はダイ、ヤマ、ウロコ、ツゲ、カタリ、リウ、シヤリ、ヌケ、キツ。活字本系テキストは八つで、ウシヤクとキウの傍訓を持つ。茶と煙草店の記号の二つ目は写本ではワレ、活字本系ではツレ。記号の図形そのものは文字に置き換えられないので、原文では傍訓だけを図として残した。
校合
「羽をならぶる鶴のあさり」は写本の読み。活字本系テキストは「羽をならぶる鳥」「鶴のあさり」と二つの語に分ける。写本の字面に従ったが、「鳥」を落とした写し誤りの可能性がある。
校合
頭書は三つあり、原文では該当箇所に〔頭書 …〕として置いた。「この中ヤミを漏せり」は九のガケの上、「盜賊の隱語ある事までは載せずともあれかし」は盗賊の隠語の上、「今俗の隱語に遺漏あまたあり」以下は末尾の上にある。二つ目の頭書は字が小さく崩れており、「ある事までは」の部分は判読を保留する。活字本系テキストはこの頭書を載せない。
注記
『臥雲日件録』と『東坡志林』の漢文は写本の訓点を外して原文に置き、読みやすい本文では書き下した。
注記
山岡明阿は江戸の国学者山岡浚明の号。柳里恭は柳沢淇園の中国風の名。越谷吾山は俳人で『物類称呼』は方言辞書。瀬川は吉原松葉屋の遊女の名跡。「かうえうに」は紅葉と買うようにを掛けた洒落と解した。「きのしや」は未詳。人名と書名の解釈は雲亭の推定で未確認。
注記
「唐音」の語には写本で振り仮名がなく、長崎の遊女が使った中国語の片言と解した。閨中の隠語の意味は本文どおり解釈しない。

AI試訳 / 専門家未校閲