雲亭日本古典図書室収録作品の一覧

両頭蛇 幷図

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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第二集 第13話 / 海棠庵 関思亮

文政七年十一月に本所竪川の川浚えで両頭の蛇が引き上げられ、名主が奉行所へ届けた記録を図とともに写す。

本文 現代語訳

両頭蛇
両頭の蛇
深川六間堀町清兵衛店 源兵衛召仕 卯之助
深川六間堀町清兵衛店 源兵衛の召使い 卯之助
当申〔文政七年〕十一月二十四日夕七時頃、本所竪川通り町方掛かり浚ひ場所より右卯之助、土船乗り人足に罷り出で候ところ、一の橋より二十間ほど東の方、川内にて土浚ひ上げ候節、鋤簾に掛かり長さ三尺ほどこれあり候両頭の蛇を引き掛け申し候。名主、町役人立ち合ひ見分の上、筒井伊賀守殿へ申し立て差し出だし申し候。
当申年、文政七年十一月二十四日の夕七つ時頃、本所竪川通りの町方担当の川浚え場所へ右の卯之助が土船に乗る人足として出たところ、一の橋から二十間ほど東の川の中で土を浚い上げた際、鋤簾に掛かって長さ三尺ほどある両頭の蛇を引っ掛けました。名主と町役人が立ち会って検分したうえで、筒井伊賀守殿へ申し立てて差し出しました。
〔図 両頭の蛇の全身/背通り黒き嶋に筋あり/一つの頭は余程小ぶりにござ候/この所穴これあり、便道と相見え申し候〕
〔図 両頭の蛇の全身。背筋に沿って黒い縞の筋がある。一つの頭はよほど小ぶりである。この所に穴があり、排泄の穴と見える〕
〔図 鱗の拡大/鱗合はせ目かくのごとし/腹の筋目はこの所図のごとし〕
〔図 鱗の拡大。鱗の合わせ目はこの通り。腹の筋目はこの所の図の通り〕
右は数原清庵、病用にて本所竪川肝煎名主関岡長兵衛方へ見舞ひ、蛇一覧、書き写す。
右は数原清庵が病人の用事で本所竪川の肝煎名主関岡長兵衛の家を見舞い、蛇を一覧して書き写したものである。
右二ケ条 乙酉仲春端八 海棠庵
右の二か条 乙酉仲春八日 海棠庵
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す

兩頭蛇

深川六間堀町淸兵衞店 源兵衞召仕 卯之助

當申〔文政七年〕十一月廿四日夕七時頃、本所竪川通り町方掛り浚場所より右卯之助土船乘人足に罷出候處、一ノ橋より弐拾間程東之方川内にて土浚上ケ候節、鋤簾に掛り長サ三尺程有之候兩頭之蛇を引掛申候。名主町役人立合見分之上、筒井伊賀守殿へ申立差出申候。

〔圖 兩頭の蛇の全身/背通り黒キ嶋に筋あり/一ツの頭は餘程小ぶりに御座候/此所穴有之便道と相見申候〕

〔圖 鱗の拡大/鱗合め如此/腹の筋目は此所如圖〕

右は數原淸庵病用にて本所竪川肝煎名主關岡長兵衞方へ見舞、蛇一覽書寫。

右二ケ條 乙酉仲春端八 海棠庵

注

写本の位置
写本は3167の63カット目右ページの中ほどから64カット目左ページまで。63カット目左ページに蛇の全身の図、64カット目右ページに鱗と腹の筋目の拡大図があり、書き込みは図の周囲にある。64カット目左ページに数原清庵の書写の由来と「右二ケ條」の署名。65カット目右ページに天保四年の馬琴の跋があり、目録外として別の passage にした。
校合
全身の図は蛇が弧を描いて曲がり、左下に大きい頭、右下に小さい頭を描く。二つの胴が合流する所に鉤を引いて「此所穴有之」と示す。拡大図は背の黒い筋を太線で、両側の鱗を半円の連なりで描く。活字本系テキストも底本の図を掲げる。
校合
「弐拾間程」は写本の読み。活字本系テキストは「二十町程」とする。原寸で確かめた。「當申」の下の「文政七年」は写本の割注。
校合
「夕七時頃」の「頃」は活字本系に従った。写本の字は崩れて確かめられず、判読を保留する。
注記
「海棠庵」の「庵」は写本では「菴」の字形。「端八」は八日のことで、仲春端八は文政八年二月八日、この日の兎園会で披講された。「右二ケ條」は第12話とこの話の二条。
注記
候文の助詞は写本でカタカナや「ゟ」で書かれる箇所があるが、原文では仮名に開いた。「長サ」「上ケ」など送り仮名のカタカナは写本のまま残した。
注記
筒井伊賀守は当時の南町奉行筒井政憲。数原清庵は幕府医官数原家の人物。「便道」は排泄の穴、「土船」は浚渫の土砂を運ぶ舟、「鋤簾」は土砂をさらう道具。一の橋は竪川が隅田川に注ぐ河口に近い橋。同定は雲亭の推定で未確認。

AI試訳 / 専門家未校閲