狢狸の弁 并 熊の月の輪
むじなとたぬきは雌雄という俗説を元猟師に質し、熊の月の輪の由来を聞く。
本文 現代語訳
むじなたぬき 海棠庵記す
むじなとたぬき 海棠庵が記す
ある人のいふ、「むじなたぬきは雌雄にて、雌をむじなといひ、雄をたぬきといふ」とかたりき。されどさだかならぬことにて、いと心得がたく思ひしに、このごろ羽州由利郡の農民与兵衛といふもの来にけり。この与兵衛はむかし猟人にて、南部より出づるといふ免状てふものまで所持して、をさをさ巨魁なりしと聞えければ、まねきよせて、むじなたぬきまみなど問ひしに、答へていふ、「むじなたぬきまみ、皆よく似たるものなれど、各々別種にて、みな雌雄あり。まみとむじなとは、毛いろも肉の肥えたるも、わきがたきまでよく似たり。ただその別なるところは、まみは四足ともに人の指の如く、方言に熊のあらし子〔落胤といふが如し〕といふ。むじなは四足犬に類す。狸はあくまで痩せて、胴のわたり長し。やつがれ十七歳より山がつの業になれて、はや六十余歳に及び、獣の事はよく知り侍る」などかたりぬ。和名抄にも狢、狸、猯おのおのわかちあれば、むじなたぬき雌雄なりといふ俗説は、固よりとるには足らねど、さきに曲亭ぬしのまみ考の因もあれば、そぞろに聞きしままにしるすのみ。
ある人が、むじなとたぬきは雌雄で、雌をむじなといい、雄をたぬきというのだと語った。しかしはっきりしない話でどうにも納得しがたく思っていたところ、このごろ出羽国由利郡の農民で与兵衛という者が来た。この与兵衛は昔は猟師で、南部から出るという免状などというものまで持っていて、なかなかの親分格だったと聞いたので、招き寄せてむじな、たぬき、まみなどのことを尋ねた。すると答えて言うには、「むじな、たぬき、まみは皆よく似ていますが、それぞれ別の種類で、どれにも雌雄がいます。まみとむじなは毛の色も肉の肥え方も見分けがつかないほどよく似ています。ただ違うところは、まみは四本の足がどれも人の指のようで、方言では熊のあらし子〔落胤というようなもの〕と呼びます。むじなの四足は犬に似ています。たぬきはひどく痩せていて胴が長い。私は十七歳から山で暮らす仕事に慣れて、もう六十余歳になりますから、獣のことはよく知っています」などと語った。和名抄にも狢、狸、猯がそれぞれ分けて載っているから、むじなとたぬきが雌雄だという俗説はもとより取るに足りないが、先に曲亭主人のまみ考の縁もあるので、なんとなく聞いたままを記すだけである。
かの与兵衛いふ、「熊につきのわとて、咽喉の下に白き毛あり。形月の輪の如くなれば、しかいふとなん。さるにそのつきの輪に不同あり。円なるあり、半輪あり、繊月のごときあり。またつきのわのなきあり。こはその熊の生るる日、十五日なれば輪円なり。晦日なれば輪なし。余は月の盈欠によりて准知すべし」といふ。一奇事なり。
あの与兵衛が言う。「熊には月の輪といって喉の下に白い毛があります。形が月の輪のようなのでそう呼びます。ところがその月の輪には違いがあって、丸いのもあり、半月のもあり、細い三日月のようなのもあり、また月の輪のないのもいます。これはその熊が生まれた日が十五日なら輪が丸く、晦日なら輪がない。あとは月の満ち欠けによって推し量ることができます」と言う。一つの奇談である。
仏庵老人のいふ、「日光鉢石町の人の話に、黒猫にも月の輪めきたるものありて、月の盈闕によりてあるとなきとありとかたりしが、今熊の事につきて思ひ出しぬ」とかたられき。
仏庵老人が言うには、「日光鉢石町の人の話に、黒猫にも月の輪のようなものがあって、月の満ち欠けによってある猫とない猫があると語っていたが、今熊のことについて思い出した」と語られた。
乙酉三月 海棠庵
乙酉三月 海棠庵
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す
むじなたぬき 海棠菴記
ある人のいふ、むじなたぬきは雌雄にて、雌をむじなといひ、雄をたぬきといふとかたりき。されどさだかならぬことにて、いと心得がたく思ひしに、このごろ羽州由利郡の農民與兵衞といふもの來にけり。この與兵衞はむかし獵人にて、南部より出るといふ免狀てふものまで所持して、をさをさ巨魁なりしと聞えければ、まねきよせて、むじなたぬきまみなど問ひしに、答へていふ、むじなたぬきまみ、皆よく似たるものなれど、各別種にて、みな雌雄あり。まみとむじなとは、毛いろも肉の肥たるも、わきがたきまでよく似たり。只その別なるところは、まみは四足ともに人の指の如く、方言に熊のあらし子〔落胤といふが如し〕といふ。むじなは四足犬に類す。狸はあくまで瘦て、胴のわたり長し。やつがれ十七歲より山がつの業になれて、はや六十餘歲に及び、獸の事はよく知り侍るなどかたりぬ。和名鈔にも狢狸猯おのおのわかちあれば、むじなたぬき雌雄なりといふ俗說は、固よりとるには足らねど、嚮に曲亭ぬしのまみ考の因もあれば、そゞろに聞しまゝにしるすのみ。
彼與兵衞いふ、熊につきのわとて、咽喉の下に白き毛あり。形月の輪の如くなれば、しかいふとなん。さるにそのつきの輪に不同あり。圓なるあり、半輪あり、纖月のごときあり。またつきのわのなきあり。こはその熊の生るゝ日、十五日なれば輪圓なり。晦日なれば輪なし。餘は月の盈缺によりて准知すべしといふ。一奇事なり。
佛庵老人の云、日光鉢石町の人の話に、黑猫にも月の輪めきたるものありて、月の盈闕によりてあるとなきとありとかたりしが、今熊の事につきて思ひ出しぬとかたられき。
乙酉三月 海棠庵
注
- 写本の位置
- 写本は3168の35カット目右ページの5行目から36カット目左ページの4行目まで。目録の題は「狢狸の弁 并 熊の月の輪」で、本文の題は「むじなたぬき」と書き、むじなの右に狢、たぬきの右に狸の小字を添える。原文では振り仮名の扱いに準じてこの小字を外した。36カット目左ページの5行目から第9話「猫虎相似附録」が始まる。
- 注記
- 本文中の「むじな」「たぬき」「まみ」には写本で傍線が引かれている。原文では傍線を再現していない。
- 校合
- 「南部より出るといふ免狀」「肉の肥たるも」「瘦て」「聞しまゝに」「思ひ出しぬ」は写本の送り仮名。活字本系は「出づる」「肥えたる」「瘦せて」「聞きしまゝ」「思ひ出だしぬ」とする。
- 注記
- 割注〔落胤といふが如し〕は35カット目左ページの6行目に小字二行で書かれている。
- 注記
- 末尾の署名は写本で「海棠庵」、題の署名は「海棠菴記」で字体が異なる。写本のまま採った。
- 注記
- 海棠庵は関思亮。曲亭主人のまみ考は第二集のまみ穴とまみの和名考を指す。仏庵老人は書家の中村仏庵、鉢石町は日光の門前町。和名抄は源順の和名類聚抄で、狢、狸、猯を毛群部に分けて載せる。まみは今日のアナグマと解した。人名の特定は雲亭の推定で未確認。
AI試訳 / 専門家未校閲