建治の古碑
武州戸ヶ崎村の農家が山を掘って古井戸と建治二年の阿弥陀供養碑を見つけた話。
本文 現代語訳
建治の古碑 武市兄弟 海棠庵記
建治の古碑 武市兄弟 海棠庵記
武州埼玉郡戸ヶ崎村の農家、道祖土三郎右衛門といふ人あり。こは余が相知れる友なり。三郎右衛門、過ぎし文化十年癸酉の正月、その住居の西なる山を掘るとて、大なる杉の丈余ばかりとも思はるべき根に掘り当てたり。とかくして掘り起こすこと六尺あまりにして、たちまち古井あり。水いと清冷なりけるが、石塔婆めくものをもて覆ひありける。取り上げて清めみれば、阿弥陀仏供養の碑にして、すなはち「建治二年丙子十一月日。願主敬白」となん刻みたる。今を距ること五百四十年、古木の下に埋もれしも、いく星霜をか経にけん。そのゆゑよしを知らねばとて、井をばそがままにまた埋め、碑は蔵弃なせしとて、摺りて贈りぬ。案ずるに建治は後宇多帝の御宇、鎌倉惟康親王〔北条七代時宗執権たり〕の時に当たる。三郎右衛門いはく、「余が祖先は道祖土下総守長之とて、惟康親王に属して一方の大将たりき。もしくは供養せられしものにや。そはその館の跡さへ詳らかならねば、いかにとも定めがたし」となり。二月の会に北峯子の出だされし多摩郡なる古碑と、年号もはるかに四、五年の違ひにて、また掘り出だせるも十年を隔つるのみ。かくて同じ武州の内にして、あまりによく似たることのありしも奇といふべし。
武州埼玉郡戸ヶ崎村の農家に道祖土三郎右衛門という人がいる。これは私の知り合いの友人である。三郎右衛門は先年の文化十年癸酉の正月、住まいの西にある山を掘ろうとして、丈余りもあろうかと思われる大きな杉の根に掘り当てた。あれこれして六尺余り掘り起こしたところ、たちまち古い井戸が現れた。水はたいそう清らかで冷たかったが、石の塔婆らしいもので覆ってあった。取り上げて清めて見ると、阿弥陀仏供養の碑であって、「建治二年丙子十一月日。願主敬白」と刻んである。今から五百四十年前のもので、古木の下に埋もれてどれほどの年月を経たことだろう。そのいわれが分からないからと、井戸はそのままにまた埋め、碑は蔵にしまい込んだといって、拓本を取って贈ってくれた。考えてみると建治は後宇多天皇の御代で、鎌倉の惟康親王〔北条七代時宗が執権であった〕の時にあたる。三郎右衛門が言うには、「私の祖先は道祖土下総守長之といって、惟康親王に属して一方の大将であった。もしかするとその供養のものだろうか。ただ、その館の跡さえはっきりしないので、何とも定めがたい」ということである。二月の会で北峯子が出された多摩郡の古碑とは、年号もわずか四、五年の違いで、掘り出されたのも十年を隔てるだけである。こうして同じ武州の内で、あまりによく似たことがあったのも不思議というべきである。
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す
建治の古碑 武市兄弟 海棠菴記
武州埼玉郡戶ヶ崎村の農家道祖土三郞右衞門といふ人あり。こは余が相知れる友なり。三郞右衞門過し文化十年癸酉の正月、その住居の西なる山をほるとて、大なる杉の丈餘ばかりとも思はるべき根に掘り當てたり。とかくしてほり起すこと六尺あまりにして、忽古井あり。水いと淸冷なりけるが、石塔婆めくものをもておほひありける。取上げてきよめみれば、阿彌陀佛供養の碑にして、則建治二年丙子十一月日願主敬白となん刻みたる。今を距ること五百四十年、古木の下に埋もれしも、いく星霜をか經にけん。そのゆゑよしをしらねばとて、井をばそがまゝ又埋め、碑は藏弃なせしとて、摺りて贈りぬ。案ずるに建治は後宇多帝の御宇、鎌倉惟康親王〔北條七代時宗執權たり〕の時に當る。三郞右衞門云、余が祖先は道祖土下總守長之とて、惟康親王に屬して一方の大將たりき。もしくは供養せられしものにや。そはその舘の跡さへ詳ならねば、いかにともさだめがたしとなり。二月の會に北峯子の出されし多摩郡なる古碑と、年號もはるかに四五年の違にて、又掘出せるも十年を隔つるのみ。かくて同じ武州の内にして、あまりによく似たることのありしも奇といふべし。
注
- 写本の位置
- 写本は3168の48カット目左ページから49カット目左ページの前半まで。48カット目左ページの見出しは「建治の古碑 武市兄弟 海棠菴記」で二つの題を並べ、目録では「建治の古碑」と「武市兄弟」を別の項に立てる。目録に従って passage を分け、見出しはこの passage の冒頭に置いた。
- 校合
- 活字本系テキスト(Blog鬼火)はこの話と次の「武市兄弟」を一つの記事にまとめる。写本の目録に従って二つに分けた。
- 校合
- 「過し文化十年」「北峯子の出されし」は写本の表記。活字本系テキストは「過ぎし」「出だされし」とする。
- 校合
- 「余が祖先」は写本の字形。活字本系テキストは「餘が」とする。
- 注記
- 写本の振り仮名は外した。「道祖土」に「サイト」の振り仮名がある。
- 注記
- 北峯子は山崎美成の号。二月の会に出した多摩郡の古碑は第二集の「武州多摩郡貝取村にて古牌を掘出せし話」を指すと解した。雲亭の推定で未確認。
- 注記
- 戸ヶ崎村は今の埼玉県三郷市戸ヶ崎。道祖土下総守長之は未確認。
AI試訳 / 専門家未校閲