身代り観音
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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第四集 第4話 / 輪池堂 屋代弘賢
浅草で酒狂人の刃に倒れた田舎人が無傷で、懐の観音の御影だけが切れていた話。
本文 現代語訳
善光寺如来の、百姓幸助が身代はりに立たせ給ひし事は、あまねく知る所なり。享和年中、浅草観音の影像、身代はりの事を聞けり。そのさま、幸助が事にさも似たり。
善光寺如来が百姓幸助の身代わりに立ってくださった事は、広く知られている。享和年中に、浅草観音の御影が身代わりになった事を聞いた。その様子は幸助の事によく似ている。
ある田舎人〔名所はよく糺すべし〕、霊巌寺の塔頭に逗留して、日ごとに江戸見物に出でけるが、七月中、浅草観世音に詣で、還向して新吉原の燈籠を見、帰り、二更過ぐるころ帰路に趣きし所、土手にて酒狂人あり。白刃を振り、群集の人々あわて騒ぎけるに、かの田舎人あやまちて刃にあたり、倒れ伏したり。かたへの人は「まさしく殺害」と見たり。当人も「切られたり」と覚えつつ、倒れて気絶しけり。そのひまに酒狂人は行方知れず。人々寄りてこれを見るに、刃傷の様子にもなし。「いづ方の人にか。息絶えたれば尋ね問はんやうもなく、とやせん、かくや」といひあへる折から、一人がいふ、「この者、昼のほど、観音境内の何屋といふ茶店にて見しものなり」といひければ、「いでや」とて駕籠に乗せてその家に連れ行き、「いづ方の人にか」と問ひけるに、茶店のあるじも、「あからさまに立ち寄りし人なれば住所も知らず」といふ。「こはいかがせん」と当惑しける折から、ふと息出でたり。よつてその住所を尋ねければ、「そこそこ」と答ふ。すなはち深川の旅宿に連れ行きたり。
ある田舎の人〔名前と住所はよく確かめるべきである〕が霊巌寺の塔頭に逗留して、毎日江戸見物に出ていたが、七月中に浅草観世音に参り、帰りに新吉原の燈籠を見て、夜の十時過ぎに帰路についたところ、土手に酒に狂った人がいた。白刃を振り回し、群集がうろたえ騒いでいるうちに、その田舎の人は誤って刃に当たり、倒れ伏した。そばの人は「確かに殺された」と見た。本人も「切られた」と思いながら倒れて気絶した。その間に酒狂人は行方知れずになった。人々が寄ってきて見ると、刃で切られた様子はない。「どこの人だろう。息が絶えているので尋ねようもなく、どうしたものか」と言い合っていると、一人が「この者は昼間、観音の境内の何屋という茶店で見た者だ」と言うので、「それでは」と駕籠に乗せてその店へ連れて行き、「どこの人か」と尋ねたが、茶店の主人も「ちょっと立ち寄っただけの人なので住所は知らない」と言う。「これはどうしたものか」と当惑していたところ、ふと息を吹き返した。そこで住所を尋ねると「どこそこ」と答える。それで深川の旅宿に連れて行った。
宿坊にては深更に及びても帰らねば、「いづこにか宿りつらん」とて、戸鍵を締めて寝たり。さるに暁に及びて音づるるにより、さしつる戸を開けて、「誰ぞ」と問へば、「某、帰りたり」といふ。「いかにして遅かりし」といへば、「しかじか」と答ふ。「まさしく切られたりと思ひしかども、身の内に傷付きし痕もなし」。「さらば尊き守りにてもかけたりや」と問へば、「さる物も持たず。懐中にある者とては浅草観世音の御影のみなり」とて、取り出でて開き見れば、不思議なるかな、紙に摺りし御影、切れてあり。「さては我が身代はりに立たせ給ひしならん」とて、渇仰の涙おきあへず、やがて上のくだり描かせ、ゆゑよしをしるして観音堂の内に掲げてありしを、享和年中、檜山坦斎まのあたり見たりといへり。今はなしとぞ。
宿坊では夜更けになっても帰らないので、「どこかに泊まったのだろう」と戸に鍵をかけて寝た。ところが明け方になって訪ねる音がするので、閉めた戸を開けて「誰か」と問うと、「私が帰りました」と言う。「どうして遅くなった」と言うと、「これこれで」と答える。「確かに切られたと思ったのに、体に傷の痕もない」。「それなら尊いお守りでも身に着けていたのか」と問うと、「そんな物は持っていない。懐にある物といえば浅草観世音の御影だけだ」と言って取り出して開いて見ると、不思議なことに、紙に摺った御影が切れていた。「それでは私の身代わりに立ってくださったのだろう」と、ありがたさの涙を抑えきれず、やがて右の一部始終を絵に描かせ、いわれを記して観音堂の中に掲げてあったのを、享和年中に檜山坦斎が目のあたりに見たという。今はないとのことである。
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す
身代觀音
善光寺如來の百姓幸助が身代にたゝせ給ひし事は、あまねくしる所なり。享和年中淺草觀音の影像身代の事をきけり。そのさま幸助が事にさもにたり。
ある田舍人〔名所はよく糺すべし〕靈巖寺の塔頭に逗留して、日每に江戶見物にいでけるが、七月中淺草觀世音にまうで、還向して新吉原の燈籠を見、かへり二更過る頃歸路に趣きし所、土手にて酒狂人有り。白刃を振り、群集の人々あわてさわぎけるに、かの田舍人あやまちて刃にあたり、たふれふしたり。かたへの人はまさしく殺害と見たり。當人もきられたりと覺えつゝ、倒れて氣絕しけり。そのひまに酒狂人は行方しれず。人々寄りて是を見るに、刄傷の樣子にもなし。いづ方の人にか、息たえたれば尋ねとはんやうもなく、とやせんかくやといひあへる折から、一人がいふ、この者晝のほど觀音境内の何屋といふ茶店にて見しものなりといひければ、いでやとて駕籠にのせて其家につれ行き、いづ方の人にかと問ひけるに、茶店のあるじも、あからさまに立ちよりし人なれば住所もしらずといふ。こはいかゞせんと當惑しける折から、ふといき出たり。よつて其住所をたづねければ、そこそことこたふ。すなはち深川の旅宿につれ行きたり。
宿坊にては深更に及びてもかへらねば、いづこにかやどりつらんとて、戶かぎをしめてねたり。さるに曉に及びて音づるゝにより、さしつる戶をあけて、たぞとゝへば、某歸りたりと云。いかにしておそかりしといへば、しかじかと答ふ。まさしく切られたりとおもひしかども、身の内にきず付し痕もなし。さらば尊き守りにてもかけたりやとゝへば、さる物もゝたず。懷中に有る者とては淺草觀世音の御影のみなりとて、取出てひらき見れば、不思議なるかな、紙にすりし御影きれて有。さては我身がはりにたゝせ給ひしならんとて、渴仰の淚おきあへず、頓て上のくだりゑがゝせ、ゆゑよしをしるして觀音堂の内に揭げて有しを、享和年中檜山坦齋まのあたり見たりといへり。今はなしとぞ。
注
- 写本の位置
- 写本は3168の53カット目左ページから55カット目左ページの冒頭まで。55カット目左ページの1行目「今はなしとぞ」で終わり、同じページに第5話「耳の垢取」の見出しがある。
- 注記
- 写本の見出しは「身代觀音」で披講者の名はない。目録では「身代り觀音」で披講者は輪池堂。題は目録の表記に従った。
- 校合
- 「二更過る頃」「ふといき出たり」「取出て」「きず付し痕」は写本の表記。活字本系テキストは「過ぐる」「いき出でたり」「取り出でゝ」「きず付きし」とする。
- 校合
- 「有る者とては」は写本の字形どおりで、活字本系テキストも同じ。「者」は「物」の意と解した。
- 注記
- 「上のくだりゑがゝせ」の「上」は写本の読み。話の一部始終を絵に描かせたと解した。
- 注記
- 幸助の身代わり如来は第一集第7話「百姓幸助身代り如来の記」を指す。
- 注記
- 檜山坦斎は国学者の檜山義慎。霊巌寺は深川の浄土宗の寺。二更は午後九時から十一時ごろ。人物の同定は雲亭の推定で未確認。
AI試訳 / 専門家未校閲