雲亭日本古典図書室収録作品の一覧

風神図説

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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第四集 第6話 / 好問堂 山崎美成

寛保のころ長い髷と長い羽織の紐に八尺の煙管を持つ怪しい男を見た人の図と話に、山崎美成が髪の風俗の考えを添える。

本文 現代語訳

〔図一 風神図/一名「片輪車」ともいふといへり〕
〔図一 風神図/またの名を「片輪車」とも言うという〕
寛保のころ、あやしきものを見たり。その形は人にして、年のころ二十あまりなるが、髪の結ひやう、首の際より髷の末まで一尺五、六寸、伊達模様の下着、袖口より五、六寸ばかり長く、羽織は地を引くばかりに五尺あまりの紐を付けたり。黒塗りの下駄を履きたりしが、羽織の紐ときどき足駄の歯にからみて、これをはづさんとすれば、髪の髷、木の枝にかかり、袴は下駄の歯の隠るるばかりなりければ、行き悩みたる風情なり。
寛保のころ、怪しいものを見た。その姿は人であって、年のころは二十歳余り、髪の結い方は首の際から髷の先まで一尺五、六寸もあり、伊達模様の下着は袖口から五、六寸ほど長く出て、羽織には地面を引きずるほど五尺余りの紐を付けている。黒塗りの下駄を履いていたが、羽織の紐がときどき足駄の歯にからみ、これをはずそうとすると髪の髷が木の枝に引っかかり、袴は下駄の歯が隠れるほど長いので、歩きにくそうな様子である。
脇指は二尺五、六寸もあらんと覚ゆるに、刀のやうなるものを脇ばさみたれども、立てざまに差したれば、柄は脇の下に隠れて見えず、棒やらん刀やらんおぼつかなし。
脇差は二尺五、六寸もあろうかと思われるが、刀のようなものを脇に挟んでいても、立てて差しているので柄は脇の下に隠れて見えず、棒なのか刀なのかはっきりしない。
手には八尺あまりの煙管を持ちたり。そのあやしさ、いはんかたなし。家に帰りてこれを図して、「これは何といふものぞ」と人に問へども、さらに知る人なし。
手には八尺余りの煙管を持っていた。その怪しさは言いようがない。家に帰ってこれを絵に描き、「これは何というものか」と人に尋ねたが、まったく知る人がいない。
異国の人か、化物か。鳥獣虫魚の類ならば『本草綱目』にやあらんと医師に問へども、「かかる者は知らず」と答ふ。『三才図会』にやあらんとあまねく尋ね求むれども、似たるもの更になし。
異国の人か、化け物か。鳥獣虫魚の類なら『本草綱目』にあるだろうかと医師に尋ねたが、「そんなものは知らない」と答える。『三才図会』にあるだろうかと広く探し求めたが、似たものはまったくない。
ある人、「これは世にいふ『風の神』ならん。その故は、近年『文金風』あるひは『豊後節風』などいふ。前々よりも『辰松風』『助六風』など、みな『風』の字を氏にして、『釆王』『大王の風』『庶人の風』といひし。庶人の中にも至りて悪き風なり。もしこれに逢ふもの、風を引き煩ふのみならず、心の臓に入りて狂気のやうになり、身を亡ぼし家を破る」となり。
ある人が言うには、「これは世にいう『風の神』だろう。その理由は、近年『文金風』あるいは『豊後節風』などと言う。以前からも『辰松風』『助六風』など、みな『風』の字を名字にして、『釆王』『大王の風』『庶人の風』と言った。庶人の中でもきわめて悪い風である。もしこれに出会った者は、風邪を引いて患うだけでなく、心臓に入って狂気のようになり、身を滅ぼし家を破る」ということだ。
さては道にて逢はんをさへ心憂きに、家の内へ来らんことはいと心憂かるべし。「かやうのあやしきものは和歌にて鎮む」といふこと、昔より聞き伝へ侍りければ、一首の歌を詠じてこれをまじなひける。
それなら道で出会うのさえ嫌なのに、家の中へ入って来るのはさらに嫌なことに違いない。「こういう怪しいものは和歌で鎮める」ということを昔から聞き伝えていたので、一首の歌を詠んでこれをまじなった。
道知らぬ友に引かるる小車のこれも片輪のたぐひなるらん
道を知らぬ友に引かれる小車の、これも片輪の仲間なのだろう
あはれぞと見るさへ憂しや小車のかたわとて世に引く人もなし
哀れだと見るのさえ憂鬱だ、小車を片輪だと言って世に引く人もいない
人ありて予に告げていはく、「近時、風塵先生なる者あり。その容、人に異なり。画工これを図してもつて世に示す。足下やや之に似たり。あに士たる者の風俗ならんや」と。予この言を聞きて、黙止するに忍びず、賦してもつて嘲りを解く。
ある人が私に告げて言った。「近ごろ風塵先生という者がいる。その容貌は人と違う。絵師がこれを描いて世に示した。あなたはやや彼に似ている。これが士たる者の風俗であろうか」と。私はこの言葉を聞いて黙っていられず、詩を作って嘲りを解く。
枯楊蕭寂として春を生ぜず 道ふなかれ娼家酒に対する人と たとひ秋来たりて侠名の士ありとも 清操あに風塵に混ずるを得んや
枯れた柳はもの寂しく春の芽を生じない。遊女屋で酒に向かう人などと言うな。たとえ秋になって侠客の名士がいるとしても、清らかな操がどうして俗塵に混じることがあろうか
無名氏
無名氏
この一条はよしなきことながら、当時の手ぶりをまのあたり見る心地にて写し出でぬ。その中「文金風」「辰松風」などいへるは、いづれもみな髪の結ひやうをいへるものなり。「文金風」といふは元文元年より上方浄瑠璃の太夫の髪の風を学び、油にて固め毛筋割れ目なく、元結少し巻き、入れ髪を入れ、「宮古路風」ともいへり。また「辰松風」といへるは、享保のころ辰松八郎兵衛といふ人形遣ひ、この風に結ふをもてなりとぞ。
この一条はつまらないことだが、当時の風俗を目のあたりに見る心地がして写し出した。その中の「文金風」「辰松風」などというのは、いずれもみな髪の結い方を言ったものである。「文金風」というのは元文元年から上方の浄瑠璃の太夫の髪型を学び、油で固めて毛筋に割れ目がなく、元結を少し巻き、入れ髪を入れたもので、「宮古路風」とも言った。また「辰松風」というのは、享保のころに辰松八郎兵衛という人形遣いがこの風に結ったことによるという。
いでや何ごとにまれ、今よりして古を見る時は、事足らはぬことのみなりけりと疑はるるもの多かり。昔、蝋燭の流れを油に解きゆるめ、文七元結もなくて紙縒りにて結びたりしことも、なほなき世の人は飛蓬のごとくにやありけん。この後「伽羅の油」といふもの出で来たりしより、髪結ふわざもおのがさまざまになり行くめり。婦人の髪はその結ひざまの異なれば、おのおのその名の分かるるもことわりなれど、男子の髪は唐土の「断髪束之」といひけんごとく、いかにもせんやうなかるべきに、「蝉折」「なましめ」「をし鳥」「本田」「いてう」「引出し」「二つ折り」「丸髷」など、くさぐさの名目ありと聞けり。あな、ことわざしげき世にてぞある。
さて何事であれ、今から昔を見ると、不足なことばかりだったのだろうと疑われるものが多い。昔は蝋燭の流れを油で溶いてゆるめ、文七元結もなくて紙縒りで結んでいたことも、まして何もない時代の人は乱れ髪のようだったのだろうか。その後「伽羅の油」というものが出て来てから、髪を結う技もそれぞれさまざまになっていったようだ。婦人の髪はその結い方が違うので、それぞれ名が分かれるのももっともだが、男子の髪は中国の「髪を断ちてこれを束ぬ」と言ったように、どうにもしようがないはずなのに、「蝉折」「なましめ」「をし鳥」「本田」「いてう」「引出し」「二つ折り」「丸髷」など、さまざまな名目があると聞いた。ああ、まことにやかましい世の中である。
文政八年四月朔 好問主人謾書
文政八年四月一日 好問主人がとりとめもなく書く
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す

〔圖一 風神圖/一名片輪車ともいふといへり〕

寬保のころあやしきものを見たり。その形は人にして、年の頃廿あまりなるが、髮の結ひやう首の際よりまげの末まで壹尺五六寸、伊達もやうの下着袖口より五六寸計長く、羽織は地を引くばかりに五尺あまりの紐を附けたり。黑塗の下駄をはきたりしが、羽織の紐ときどき足駄の齒にからみて、是をはづさんとすれば、髮のまげ木の枝にかゝり、袴は下駄の齒のかくるゝばかりなりければ、行きなやみたる風情なり。

脇指は二尺五六寸もあらんと覺ゆるに、刀のやうなるものをわきばさみたれども、立てざまに差したれば、柄は脇の下にかくれて見えず、棒やらん刀やらんおぼつかなし。

手には八尺あまりの煙管を持ちたり。そのあやしさいはんかたなし。家にかへりてこれを圖して、是は何といふものぞと人にとへども、さらにしる人なし。

異國の人か化物か。鳥獸蟲魚の類ならば本草綱目にやあらんと醫師にとへども、斯る者は知らずと答ふ。三才圖繪にやあらんと普く尋ねもとむれども、似たるもの更になし。

或人、是は世に云風の神ならん。その故は近年文金風あるひは豐後節風などいふ。前々よりも辰松風助六風など、みな風の字を氏にして、釆王大王の風庶人の風といひし。庶人の中にも至りて惡き風なり。若しこれに逢ふもの、風を引き煩ふのみならず、心の臟に入りて狂氣のやうになり、身を亡し家を破るとなり。

偖は道にてあはんをさへ心うきに、家の内へ來らんことはいと心うかるべし。かやうのあやしきものは和歌にて鎭むと云こと、むかしより聞き傳へ侍りければ、一首の歌を詠じてこれをまじなひける。

道しらぬ友にひかるゝ小車のこれも片輪のたぐひなるらん

あはれぞと見るさへうしや小車のかたわとて世に引く人もなし

有人告予曰。近時有風塵先生者。其容異人矣。畫工圖之以示於世。足下稍似之。豈爲士者之風俗乎。予聞此言。不忍默止。賦以解嘲。

枯楊蕭寂不生春 莫道娼家對酒人 縱有秋來俠名士 淸操豈得混風塵

無名氏

この一條はよしなきことながら、當時の手ぶりをまのあたり見る心地にてうつし出ぬ。その中文金風辰松風などいへるは、いづれもみな髮の結ひやうをいへるものなり。文金風といふは元文元年より上方上るりの大夫の髮の風を學び、油にてかため毛筋われめなく、元結少し卷き入れ髮をいれ、宮古路風ともいへり。又辰松風といへるは、享保のころ辰松八郞兵衞と云人形遣この風にゆふをもてなりとぞ。

いでや何ごとにまれ、今よりして古を見る時は、ことたらはぬことのみなりけりと疑はるゝもの多かり。むかし蠟燭のながれを油にときゆるめ、文七元結もなくてこよりにて結びたりしことも、なほなき世の人は飛蓬の如くにやありけん。此後伽羅の油といふものいできたりしより、髮結わざもおのがさまざまになり行くめり。婦人の髮はそのゆひざまの異なれば、おのおの其名のわかるゝもことわりなれど、男子の髮はもろこしの斷髮束之といひけんごとく、いかにもせんやうなかるべきに、蟬折なましめをし鳥本田いてう引出し二つをりまるまげなど、くさぐさの名目ありときけり。あなことわざしげき世にてぞある。

文政八年四月朔 好問主人謾書

注

写本の位置
写本は3168の58カット目左ページから61カット目左ページの冒頭まで。58カット目左ページが図で、61カット目左ページの1行目に末尾の一句と日付と署名があり、同じページに第7話以下の見出し「虹霓 伊勢踊 琵琶笛 奇疾」が続く。
注記
写本にはこの話の見出しがなく、図の書き込み「風神圖」が題の役をする。目録の題「風神圖説」を passage の題にした。
注記
図は58カット目左ページの全面で、梅の枝の下に立つ若い男を描く。髪は首の際から長く伸びた髷で、羽織の長い紐が下駄の歯にからみ、左手に梅の枝、右手に長い煙管を持つ。図中の書き込みは右上の「風神圖」と「一名片輪車ともいふといへり」で、原文の第1段落に「/」で区切って収めた。
校合
「其容異人矣」は写本の読み。活字本系テキストは「其容見人矣」とする。
校合
「無名氏」は写本の読み。活字本系テキストは「無名人」とする。写本では漢詩の後に置くので、その位置に従った。
判読保留
「釆王大王の風庶人の風」は活字本系テキストに従った。写本の字形は原寸で確かめていない。判読保留。大王の風と庶人の風は宋玉の風賦にある語。
校合
「うつし出ぬ」は写本の表記。活字本系テキストは「うつし出でぬ」とする。
注記
漢詩は写本では四句を一行ずつ書く。原文では全角空白で区切って一段落にした。詩の前の序も一段落とした。
注記
和歌二首は片輪車の名に小車を掛けて詠む。poem は最初の歌の段落の位置を示す。
注記
文金風は文金高島田のもとになった男の髪型。辰松八郎兵衛は享保期の人形遣い。宮古路風は宮古路豊後掾の髪型。人物の同定は雲亭の推定で未確認。

AI試訳 / 専門家未校閲