雲亭日本古典図書室収録作品の一覧

伊勢踊

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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第四集 第9話 / 乾斎 中井豊民

寛永元年に諸国で流行した伊勢踊を、幕府が吉田家に問い合わせたうえで不吉の兆しとして野外に送り捨てた話。

本文 現代語訳

寛永元甲子の歳二月上旬より、諸国に自然と「伊勢踊」大いに流行す。「泊舟」「伝馬」「人夫」と号し、大神宮を送り来る。耕作を妨げ、生業を措き、精力を費やす。この事、上聞に達しければ、「則ち吉田家に相尋ぬべし」とて、子細を板倉勝重、同重家方へ厳命あり、則ち板倉より吉田家へ申し遣す。吉田某、諸伝を按じていはく、「伊勢国度会郡、内外の神を鎮めしより、四時の祭礼怠らず。しかるに内外の神、何をもつて飛び給はん。これらの事、諸民の児戯、生者のものの数とする所にあらず」といふ。将軍家、なほ御僉議あり。去る慶長十九甲子年、「神踊」京より始めて駿州に至りぬ。東照大権現厳禁せられし所、程なくして大坂兵乱。また元和二丙辰歳春のころ「伊勢踊」流行す。後、果たして東照大権現御他界あり。「先幾を考ふるに皆これ不吉の兆なり」とて、御評定一決して、かの邪神を野外に送り捨つ。ここにおいて人馬の労弊止むといふ。
寛永元年甲子の二月上旬から、諸国で自然と「伊勢踊」が大流行した。「泊舟」「伝馬」「人夫」と称して大神宮を送って来る。耕作を妨げ、生業を捨て、精力を費やす。この事が将軍の耳に達すると、「それでは吉田家に問い合わせよ」と、板倉勝重と板倉重家に詳しく調べるよう厳命があり、板倉から吉田家へ問い合わせた。吉田某は諸伝を調べて言った。「伊勢国度会郡に内宮外宮の神を鎮めてから、四季の祭礼を怠ったことはない。それなのに内宮外宮の神がどうして飛んで行かれようか。こういう事は民衆の子どもの遊びで、生きた人間が問題にするようなものではない」。将軍家ではなお審議があった。先の慶長十九年甲子に「神踊」が京から始まって駿河に及んだ。東照大権現が厳禁されたところ、ほどなく大坂の兵乱があった。また元和二年丙辰の春のころ「伊勢踊」が流行した。後に果たして東照大権現が亡くなった。「先例を考えるとみな不吉の兆しである」と評定が一決して、その邪神を野外に送り捨てた。これによって人馬の疲弊は止んだという。
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す

寬永元甲子ノ歲二月上旬ヨリ、諸國ニ自然ト伊勢踊大ニ流行ス。泊舟傳馬人夫ト號シ、大神宮ヲ送リ來ル。耕作ヲ妨ケ、措生業、費精力。此事達上聞ケレハ、則吉田家ニ可相尋トテ、子細ヲ板倉勝重同重家方ヘ嚴命有リ、則板倉ヨリ吉田家ヘ申シ遣ス。吉田某按諸傳曰、伊勢國度會郡内外ノ神ヲ鎭シヨリ、四時ノ祭禮不怠。然ルニ内外ノ神何以飛タマハン。是等ノ事諸民ノ兒戲、生者ノモノヽカストスル所ニ非ストニ云。將軍家尚御僉議アリ。去ル慶長十九甲子年、神踊京ヨリ始テ駿州ニ至リヌ。東照大權現嚴禁セラレシ所、程無クシテ大坂兵亂。又元和二丙辰歲春ノ頃伊勢踊流行ス。後果シテ東照大權現御他界アリ。先幾ヲ考ルニ皆是不吉ノ兆ナリトテ、御評定一決シテ彼邪神ヲ野外ニ送リ捨ツ。於是人馬ノ勞弊止ムトイフ。

注

写本の位置
写本は3168の62カット目右ページの後半から62カット目左ページまで。62カット目左ページの末尾から第10話「琵琶笛」が始まる。
注記
写本に見出しはなく、第7話の見出し「虹霓 伊勢踊 琵琶笛 奇疾」に含まれる。目録の題は「伊勢踊」。
校合
「生者ノモノヽカストスル所」の「カス」は写本の片仮名で、数の意と解した。活字本系テキストは「かず」とする。
注記
「先幾ヲ考ルニ」は写本の読み。先例と兆しの意と解した。
写本の位置
写本は片仮名交じりの漢文訓読体で、原文は写本の片仮名をそのまま保った。
校合
慶長十九年の干支は甲寅で、写本と活字本系テキストがともに「甲子」とするのは原本からの誤りと考えられる。原文はそのままにした。
注記
板倉勝重は京都所司代、吉田家は神道の吉田家。人物の同定は雲亭の推定で未確認。

AI試訳 / 専門家未校閲