琵琶笛
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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第四集 第10話 / 乾斎 中井豊民
江戸で流行した口琴の玩具「琵琶笛」について石厓の漢詩と序を乾斎が記し、馬琴が流行と禁止の経緯を書き添える。
本文 現代語訳
かつて民間に「琵琶笛」流行し、その弊、都下にまた流布せり。石厓といふ人、詩あり、また序あり。戯れにこれを記す。
かつて民間に「琵琶笛」が流行し、その弊害は江戸にもまた広まった。石厓という人に詩があり、序もある。戯れにこれを記す。
笛はもと津軽の民間の玩器なり。あるいは呼びて「津軽笛」となす。近日、都下の童穉盛んにこれを玩ぶ。その制は鉄片三寸ばかり、拗じて環となし、環の両端の余る所おのおの寸余り、展べて双股となし、削り鋭くすること錐のごとし。環の内に舌を植ゑ、精鋼の薄片をこれが舌となす。股より長きこと三、四分、少し鉤ありて上に向く。口に横に銜へてこれを吹き、指の肚にて連ね鼓す。舌鼓と吹桐と音を成す。その音錚々として琵琶に似たるあり。けだしよりてもつて名を得といふ。『文献通考』にいはく、「民間に鉄葉簧あり」と。あに簧の変体か。余よりて謂ふ、琵琶笛は鉄葉簧のまた変ぜる者か。戯れに詩を作りてこれを詠ず。昔、武伯蒼、汴州に角を聞く。詩にいはく、「単于城上関山の曲、今日中原総べて吹くを解す」と。余はすなはち必ずしもこの感ありて作るにはあらざるなり。
この笛はもともと津軽の民間の玩具である。「津軽笛」と呼ぶこともある。近ごろ江戸の子どもたちが盛んにこれで遊ぶ。その作りは、三寸ほどの鉄片をひねって輪にし、輪の両端に一寸余りずつ余らせた部分を広げて二股にし、錐のように削って尖らせる。輪の中に舌を植え、精錬した鋼の薄片をその舌にする。舌は股より三、四分長く、少し鉤になって上を向く。口に横にくわえてこれを吹き、指の腹で続けて弾く。舌の弾きと吹く息とが合わさって音になる。その音は錚々として琵琶に似たところがある。おそらくそれで名を得たのだろう。『文献通考』に「民間に鉄葉簧がある」とあるが、これは簧の変わり種だろうか。そこで私は思う、琵琶笛は鉄葉簧のさらに変わったものだろうかと。戯れに詩を作ってこれを詠んだ。昔、武伯蒼が汴州で角笛を聞き、詩に「単于の城上に関山の曲、今日は中原の誰もが吹き方を知る」と詠んだ。私は必ずしもそういう感慨があって作ったわけではない。
裂石の余声なほ尋ぬべし 誰か寸鉄を銜へて龍吟を学ぶ 尖形半ば噤む金鴉の觜 巧舌全く磨す玉女の針 風珮鏗鏘として急調を成し 綿弓嘈囋として繁音を送る 抹挑すべて児童の口にあり 解すや否や潯陽曲裏の心
石を裂くような余韻はなお尋ねられる。誰が一寸の鉄をくわえて龍の吟を学ぶのか。尖った形は半ば閉じた金烏のくちばし、巧みな舌はすっかり磨かれた玉女の針。風に鳴る佩玉のように鏗鏘と急調をなし、綿打ちの弓のように騒がしく繁い音を送る。はじき方はすべて子どもの口の中にある。潯陽の曲の心を解しているのかどうか。
乾斎これを評していはく、当今天下の害、夷狄に如くはなし。当に夷狄海浜に寇するに、幾を知る君子、あに歎きなからんや。それ琵琶笛は軍中の用ふる所なり。今自然とこれを吹く。厳命ありてこれを禁ず。むべなるかな。
乾斎がこれを評して言う。当今の天下の害は外敵に及ぶものがない。外敵が海辺を侵すこのときに、機微を知る君子がどうして嘆かずにいられよう。そもそも琵琶笛は軍中で用いるものである。今それが自然に吹かれている。厳命があってこれを禁じたのは、もっともなことだ。
文政八年乙酉孟夏朔 乾斎中井豊民識
文政八年乙酉四月一日 乾斎中井豊民記す
琵琶笛、童穉訛りて「ビヤボン」といふ
琵琶笛は子どもが訛って「ビヤボン」と言う
文政七年甲申の冬十月上旬より江戸中流行す。春に至りていよいよ甚し。その製作、鉄をもてす。一笛の価、銭百文より銀五匁に至るものありといふ。大小の摺物など多くこれを擬したり。そのほか新作の落とし咄も駱駝とともにこの事多し。また小唄にも作りて歌へり。つひに「風俗のためよろしからざる」よしにて、八年乙酉の春二月禁止せらる。いまだいくばくもあらずして「松風こま」流行し、同年夏四月に至りてまた「雲雀こま」といふものを作り出だせり。「ひばりこま」は真鍮をもてこれを作る。その価六十四文。「松風こま」ははじめは竹あるいは鯨の鰭にて作り、後には縮緬の裂にても作れり。その図は『耽奇漫録』中にあり。
文政七年甲申の冬十月上旬から江戸中で流行した。春になっていよいよ甚だしい。その作りは鉄でできている。一本の値段は銭百文から銀五匁に至るものもあるという。大小の摺物などの多くがこれを題材にした。そのほか新作の落とし咄でも駱駝とともにこの事を扱うものが多い。また小唄にも作って歌った。とうとう「風俗のためによろしくない」ということで、文政八年乙酉の春二月に禁止された。それからいくらも経たずに「松風こま」が流行し、同年夏四月になってまた「雲雀こま」というものが作り出された。「ひばりこま」は真鍮で作る。値段は六十四文。「松風こま」は初めは竹あるいは鯨の鰭で作り、後には縮緬の布でも作った。その図は『耽奇漫録』の中にある。
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す
甞テ民間ニ琵琶笛流行シ、其弊都下ニ亦流布セリ。石厓ト云人有詩、又有序。戲ニ記之。
笛本津輕民間玩器。或呼爲津輕笛。近日都下童穉盛玩之。其制鐵片三寸許。拗成環。環之兩端所餘各寸餘。展成雙股。削鋭如錐。環内植舌。精鋼薄片爲之舌。長於股三四分。少鉤上向。口橫銜吹之。指肚連鼓。舌鼓與吹桐成音。其音錚々有似琵琶。葢因以得名云。文獻通考云。民間有鐵葉簧。豈簧之變體歟。余因謂。琵琶笛鐵葉簧之又變者歟。戲作詩詠之。在昔武伯蒼汴州聞角。詩曰。單于城上關山曲。今日中原總解吹。余則非必有此感而作也。
裂石餘聲尚可尋 誰銜寸鐵學龍吟 尖形半噤金鴉觜 巧舌全磨玉女針 風珮鏗鏘成急調 綿弓嘈囋送繁音 抹挑都在兒童口 解否潯陽曲理心
乾齋評之曰。當今天下之害。莫如於夷狄。當夷狄寇於海濱。知幾君子豈無歎乎。夫琵琶笛者。軍中之所用。今自然吹之。有嚴命禁之。宜哉。
文政八年乙酉孟夏朔 乾齋中井豐民識
琵琶笛童穉訛リテビヤボンといふ
文政七年甲申の冬十月上旬より江戶中流行す。春に至りて彌甚し。その製作鐵をもてす。一笛の價錢百文より銀五匁に至るものありといふ。大小の搨物等多くこれを擬したり。その他新作のおとし咄も駝駱とゝもにこの事多し。又小うたにも作りてうたへり。遂に風俗の爲よろしからざるよしにて、八年乙酉の春二月禁止せらる。いまだいくばくもあらずして松風こま流行し、同年夏四月に至りて又雲雀こまといふものを作り出せり。ひばりこまは眞ちうをもてこれを作る。その價六十四文。松風こまははじめは竹或は鯨の鰭にて作り、後にはちりめんの裂にてもつくれり。その圖は耽奇漫錄中にあり。
著作堂附記
〔圖 琵琶笛〕
注
- 写本の位置
- 写本は3168の62カット目左ページの末尾から64カット目左ページの冒頭まで。64カット目右ページの下半分に琵琶笛の図があり、64カット目左ページの2行目まで馬琴の附記が続く。同じページに第11話「虛無僧定法」の見出しがある。
- 注記
- 写本に見出しはなく、第7話の見出し「虹霓 伊勢踊 琵琶笛 奇疾」に含まれる。目録の題は「琵琶笛」で披講者は乾齋。
- 校合
- 「拗成環」は写本の読み。活字本系テキストは「拗成成環」と字を重ねる。
- 校合
- 「指肚連鼓」の「肚」は写本の字形で、活字本系テキストは月偏に主の字として注する。指の腹の意。
- 校合
- 「豈簧之變體歟」は写本の読み。活字本系テキストは「變伴歟」とする。
- 校合
- 「當夷狄寇於海濱」「知幾君子豈無歎乎」は写本の読み。活字本系テキストは「嘗夷狄」「畏無歎乎」とする。
- 校合
- 「文政八年乙酉孟夏朔」は写本の読み。活字本系テキストは「孟春朔」とするが、四月朔の会に合う孟夏を採った。
- 校合
- 「童穉」は写本の字形。活字本系テキストは「童稺」とする。
- 注記
- 漢文の序と評は写本に句点があり、原文でも句点で区切った。漢詩は写本では二句ずつ書き、原文では全角空白で区切って一段落にした。
- 注記
- 図は64カット目右ページの下半分に横向きに描かれ、輪から二股に伸びた琵琶笛の形を示す。図中に書き込みはなく、原文には〔圖 琵琶笛〕として位置だけを示した。
- 注記
- 著作堂附記の署名は写本では図の右上に置かれ、附記本文の後に来る。原文はその順に従った。
- 注記
- 石厓は未詳。武伯蒼は唐の武元衡。文献通考は元の馬端臨の政書。耽奇漫録は同年の耽奇会の記録。人物の同定は雲亭の推定で未確認。
AI試訳 / 専門家未校閲