雲亭日本古典図書室収録作品の一覧

虚無僧定法

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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第四集 第11話 / 文宝亭 亀屋久右衛門

慶長十九年に幕府が虚無僧に与えたという十七か条の掟書と、一月寺が授ける本則の印形と文面、尺八曲名二十一曲を文宝堂が写す。

本文 現代語訳

虚無僧御定
虚無僧の御定め
一 日本国中、虚無僧の儀は、勇士浪人一時のため、隠れ家の不入守護の宗つつ、これによりて、下々家臣諸士の席に定むべきの条、その意を得べき事。
一 日本国中の虚無僧というものは、勇士や浪人が一時の身の隠れ家とし、役人が立ち入らない守護のもとにある宗派である。それゆえ、下々にあっても家臣や諸士の席次に定めるべきことを、よく心得ておくこと。
一 本寺へ宗法出し置きたるその段、油断なく相守らせ申すべく候。もし相背く者これあるにおいては、末寺は本寺も、虚無僧はその寺より、きっと宗罪に行ふべき事。
一 本寺へ出しておいた宗法は、油断なく守らせること。もし背く者がいれば、末寺は本寺から、虚無僧はその寺から、必ず宗門の罪として処分すること。
一 虚無僧のほか尺八吹き申す者これあるにおいては、きっと差し留め申すべき事。もっとも懇望の小寺は、本寺より免し出だし吹かせ申すべく候。勿論諸士のほか下賤の者へ、一切尺八吹かせ申すまじく候。もっとも虚無僧の姿いたさせ申すまじく候事。
一 虚無僧のほかに尺八を吹く者がいれば、必ず差し止めること。ただし強く望む小寺には、本寺から許可を出して吹かせてよい。もちろん武士以外の身分の低い者には、一切尺八を吹かせてはならない。ましてや虚無僧の姿をさせてはならない。
一 虚無僧多勢集まり、逆意申し合はす者これあるにおいては、きっと吟味を遂げ、本寺ならびに番僧に至るまで重罪たるべき事。
一 虚無僧が大勢集まり、謀反を申し合わせる者があれば、必ず吟味をとげ、本寺と番僧に至るまで重罪とすること。
一 虚無僧托鉢修行の者、同行二人のほか許し申さず候事。
一 虚無僧の托鉢修行は、同行二人までしか許さない。
一 虚無僧渡世の義、所々もっぱらとこれを仕り候。その段差し免し申し候。一遍修行のうち、諸国においてこれこれの法などと申す虚無僧、粗末慮外の体、または托鉢などに障り、むつかしき義出来候はば、子細改め本寺へ申し達すべく候。本寺において相済まざるの義は、江戸奉行所へ告げ来たるべき事。
一 虚無僧の生業は各地でこれを専らとしており、その点は許可する。一遍修行の途中で、諸国において「これこれの法だ」などと称する虚無僧が、粗末で無礼な振る舞いをし、または托鉢の妨げになるなど、面倒な事態が起きたなら、子細を調べて本寺へ申し達すること。本寺で済まない件は、江戸奉行所へ届け出ること。
一 虚無僧托鉢に罷り出で、あるいは道中宿往来所々いづ方にても、天蓋を取り人に面を合はせ申すまじき事。
一 虚無僧が托鉢に出たとき、あるいは道中や宿場、往来のどこであっても、天蓋を取って人と顔を合わせてはならない。
一 虚無僧托鉢の節、刀脇差ならびに武具の類、一切持たせ申すまじく候。総じていかつがましきなり形いたすまじく候。もっとも一尺下の刃物、懐刀として差し免し申すべき事。
一 虚無僧が托鉢するときは、刀や脇差、武具の類は一切持たせてはならない。総じて、いかめしい姿をしてはならない。ただし一尺以下の刃物は懐刀として許可する。
一 虚無僧勇士の道、敵体尋ね廻国などの義もこれあり、よって芝居渡舟などに至るまで、往来自由に差し免すの事。
一 虚無僧には勇士の道として敵を尋ねて諸国を廻るという事情もあるので、芝居や渡し舟などに至るまで、往来は自由に許可する。
一 似虚無僧これあるにおいては、きっと宗法に行ふべく候。もしまた賄賂を見遁しなどいたし候はば、番僧に至るまで重罪たるべし。総じて猥りにこれなきほか申し付くべき事。
一 偽の虚無僧がいれば、必ず宗法によって処分する。もし賄賂を受けて見逃すなどしたら、番僧に至るまで重罪とする。総じて、みだりなことのないように申し付けること。
一 托鉢に罷り出で、下賤の者の痛みを顧みず托鉢いたすべからず。勿論弁舌をもって遊興賄賂預かり饗応の事、堅く停止。総じて正道一己の情これなき者、本則を取り上げ申すべき事。
一 托鉢に出て、身分の低い者の苦しみを顧みずに托鉢してはならない。もちろん弁舌によって遊興や賄賂の預かり、饗応を受けることは固く禁ずる。総じて正道を守る一己の心がけのない者は、本則を取り上げること。
一 虚無僧、自然互ひに敵に候はば、還俗申し付け、寺内において勝負いたさすべく候。勿論諸士のほか一切差し免さず。これの贔屓をもって片落ちなる取り扱ひ、堅く停止の事。
一 虚無僧同士がたまたま敵であった場合は、還俗を申し付け、寺内で勝負させること。もちろん武士以外には一切許可しない。どちらかに肩入れして片寄った取り扱いをすることは固く禁ずる。
一 諸士、人を切り、血刀提げ寺内へ逃げ込み候とも、留め置き子細を改め、何事によらず、武士の道に候はば宗法に仕るべく候。科ある人は一切隠し置き申すまじく候。もし隠し置き後日に顕はれ候は、遁れがたき義につき、早速縄を掛け差し出だし申すべく候事。
一 武士が人を切り、血刀を提げて寺内へ逃げ込んできても、留め置いて子細を調べ、どんな事情であれ武士の道にかなうものなら、宗法によって取り扱うこと。罪のある者は決して匿ってはならない。もし匿って後日露見したなら、逃れがたい事態となるので、すぐに縄を掛けて差し出すこと。
一 虚無僧に罷り出で敵討ち仕りたき者これあり候は、その段子細相改め差し免し申すべく候。しかしながら多勢相集まり申すまじく候。同行一人は免し申すべく候。諸士のほか一切差し免さざる事。
一 虚無僧となって敵討ちをしたい者がいれば、その事情を調べたうえで許可する。ただし大勢が集まってはならない。同行一人は許す。武士以外には一切許可しない。
一 往来の節、馬駕籠一切無用。所の関所番所にては、無沙汰これなきやう、本寺よりの本則往来出だし相改めさせ通り申すべき事。
一 往来の際は、馬や駕籠は一切無用である。その土地の関所や番所では、無断通行にならないよう、本寺から出された本則の往来手形を出して改めを受け、通行すること。
一 住所に離れ他国所々城下ならびに町、托鉢修行、滞留一日のほか堅く無用。もし鳴物停止など告げ来たり候は、宗門伝学の虚無僧のほか吹き申すまじき事。
一 住所を離れて他国の各地、城下や町で托鉢修行をするとき、滞在は一日を超えて固く禁ずる。もし鳴物停止などの触れがあれば、宗門の伝学の虚無僧以外は吹いてはならない。
一 虚無僧の義は、天下の家巨諸士の席に相定め候上は、常に武門の正道を失はず、何時にても還俗申し付け候あひだ、表には僧の形を学び、内心には武者修行の宗法と心得べき者なり。そのため日本国のうち往来自由に差し免し置き候やう、決定くだんのごとし。
一 虚無僧というものは、天下の家臣や諸士の席次に定めた以上は、常に武門の正道を失わず、いつでも還俗を申し付けるものであるから、表向きは僧の姿をまねながら、内心は武者修行の宗法であると心得るべきである。そのために日本国内の往来を自由に許可しておくよう、ここに決定する。
慶長十九年戊寅正月 本多上野介 在判 板倉伊賀守 在判 本多佐渡守 在判
慶長十九年戊寅正月 本多上野介 在判 板倉伊賀守 在判 本多佐渡守 在判
右上意の趣、相渡し申し候あひだ拝見したてまつり、会合の節よくよく申し聞かせ守らすべき者なり。
右の上意の趣旨を相渡すので、拝見したうえ、会合の折によくよく言い聞かせて守らせるように。
〔図一 白字/一寸三分/四分/白字/二寸五分四方〕
〔図一 白字の印、縦一寸三分、横四分。白字の印、二寸五分四方〕
普化、常に街市において鈴を揺らして曰く、「明頭来たらば明頭打、暗頭来たらば暗頭打、四方八面来たらば旋風打、虚空来たらば連架打」と。臨済、侍者をして去らしむ。わづかにかくのごとく道ふを見て、すなはち把住して曰く、「総に与麼に来たらざる時はいかん」と。普化、托開して曰く、「来日、大悲院裡に斎あり」と。侍者回りて済に挙似す。済曰く、「我従来この漢を疑著す」と。
普化はいつも町中で鈴を振って言った。「明るい頭で来れば明るい頭で打つ。暗い頭で来れば暗い頭で打つ。四方八面から来れば旋風のように打つ。虚空から来れば連架で打つ」と。臨済は侍者を行かせた。侍者はこう言うのを見るやいなや、普化をつかまえて言った。「どれでもない仕方で来たときはどうする」と。普化は押しのけて言った。「明日、大悲院で斎の食事がある」と。侍者は戻って臨済にこの話を伝えた。臨済は言った。「私は前からこの男を怪しんでいたのだ」と。
〔図二 朱字/一寸六分〕
〔図二 朱字の印、一寸六分〕
尺八
尺八
それ尺八は法器の一なり。尺八と謂ふは大数なり。三節の中を取りて上下の長短を定む。おのおの表す所あり。三節は三才なり。上下の二竅は日月なり。表裏の五竅は五行なり。これはこれ万物の深源なり。これを吹けばすなはち万物と我と融冥して心境一如なり。
そもそも尺八は法器の一つである。尺八というのはおおよその数である。三つの節のうちから上下の長短を定める。それぞれに表すものがある。三つの節は天地人の三才である。上下二つの穴は日と月である。表裏の五つの穴は五行である。これはすなわち万物の深い源である。これを吹けば万物と我とが溶け合って、心と境が一つになる。
〔図三 朱字/一寸五分/ヨコ五分/朱字/八分〕
〔図三 朱字の印、縦一寸五分、横五分。朱字の印、八分〕
天蓋
天蓋
それ天蓋は仏身を荘厳するの具なり。ゆゑに我が門これに準擬するなり。
そもそも天蓋は仏身を荘厳する道具である。ゆえに我が門はこれになぞらえるのである。
霊山一月の影 万派に輝く 普化孤風の徳 三州に馥し
霊山の一つの月の影は、あらゆる流派を照らし、普化の孤高の風の徳は、三州に香る。
下総国葛飾郡風早荘小金 金竜山梅林院 一月寺
下総国葛飾郡風早荘小金 金竜山梅林院 一月寺
〔図四 白字/八分/朱字/七分五厘〕
〔図四 白字の印、八分。朱字の印、七分五厘〕
院代 傑秀看我
院代 傑秀看我
文化八辛未年五月 授与何某
文化八年辛未五月 何某に授与する
〔図五 朱字一寸四分/金竜山/ヨコ五分/白字/一寸二分四方/普化禅林/本則/授与何某/本則の紙は鳥の子半切、丈六寸七分。表包紙は粘入紙、立に二つ折りにて〕
〔図五 朱字の印、縦一寸四分、横五分、「金竜山」。白字の印、一寸二分四方。包み紙の表書き「普化禅林 本則 授与何某」。本則の紙は鳥の子の半切で丈六寸七分。表の包み紙は粘入紙を縦に二つ折りにしたもの〕
尺八曲名
尺八の曲名
無磚篭(ムカヒジ)、虚空(コクウ)、静攬(スガガキ)、瀑布音(タキオトシ)、休愁(キウシウ)、厭足(アキタ)、座草(ヲクサ)、善哉(ヨシヤ)、賤子(シヅ)、意子(イス)、雲井(クモヰ)、興(キヨウ)、夕暮(ユフグレ)、波間(ナミマ)、獅子吼(シシクルヒ)、盤渉(バンシキ)、虚空(コクウ)、巣鶴(スゴモリ)。右十八曲。
無磚篭(ムカヒジ)、虚空(コクウ)、静攬(スガガキ)、瀑布音(タキオトシ)、休愁(キウシウ)、厭足(アキタ)、座草(ヲクサ)、善哉(ヨシヤ)、賤子(シヅ)、意子(イス)、雲井(クモヰ)、興(キヨウ)、夕暮(ユフグレ)、波間(ナミマ)、獅子吼(シシクルヒ)、盤渉(バンシキ)、虚空(コクウ)、巣鶴(スゴモリ)。以上十八曲。
倫絶(リンゼツ)、櫓骨(ウチアヘ)、鈴誉桃(レイボナガシ)。およそ二十一曲、これを「表組」といふとぞ。
倫絶(リンゼツ)、櫓骨(ウチアヘ)、鈴誉桃(レイボナガシ)。あわせて二十一曲、これを「表組」というそうだ。
このほかになほ「裏組」もあるよしなれど、いまだ許しなければ知らざるよし。右十八曲の中に「こくう」といへる名二つあり。はじめにあるは普化禅師相伝の曲にて、あとのは後人の作りし曲なりといへり。
このほかにまだ「裏組」もあるそうだが、まだ許しを受けていないので知らないとのこと。右の十八曲の中に「こくう」という名が二つある。はじめの方は普化禅師から伝わる曲で、あとの方は後の人が作った曲だという。
文政八年四月朔 文宝堂しるす
文政八年四月一日 文宝堂しるす
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す

虛無僧御定

一 日本國中虛無僧之儀は、勇士浪人一時之爲隱家之不入守護之宗つゝ、依之て下々家臣諸士之席に可定之條、可得其意事。

一 本寺へ宗法出置たる其段、無油斷爲相守可申候。若相背者於有之は、末寺は本寺も、虛無僧は其寺より急度宗罪に可行事。

一 虛無僧之外尺八吹申者於有之は、急度差留可申事。尤懇望之小寺は、本寺より免し出爲吹可申候。勿論諸士之外下賤之者へ、一切尺八爲吹申間敷候。尤虛無僧之姿爲致申間敷候事。

一 虛無僧多勢集り、逆意申合者於有之者、急度遂吟味、本寺幷番僧に至迄可爲重罪事。

一 虛無僧托鉢修行之者、同行二人之外許不申候事。

一 虛無僧渡世之義、所々專と仕之候。其段差免申候。一編修行之内、於諸國々法抔と申虛無僧、麁末慮外之體、又は托鉢等に障、六ケ敷義出來候はゞ、子細改本寺へ可申達候。於本寺不相濟之義は、江戶奉行所へ可告來事。

一 虛無僧托鉢に罷出、或は道中宿往來所々何方にても、天蓋を取り人に面を合せ申間敷事。

一 虛無僧托鉢之節、刀脇差幷武具之類、一切爲持申間敷候。總而いかつかましきなり形致間敷候。尤一尺下之刄物爲懷刀と差免可申事。

一 虛無僧勇士之道、敵體尋𢌞國抔之義も有之、依而芝居渡舟等に至迄、往來自由に差免之事。

一 似虛無僧於有之は、急度宗法に可行候。若又賄賂を見遁し抔致候はゞ、番僧に至迄可爲重罪。總而猥に無之外可申付事。

一 托鉢に罷出、下賤之者之痛を不顧托鉢不可致。勿論辯舌を以遊興賄賂預饗應事、堅停止。總而正道一己之情無之者、本則を取上可則申事。

一 虛無僧自然互に敵に候はゞ、還俗申付、於寺内勝負可爲致候。勿論諸士之外一切不差免。之贔屓を以片落なる取扱、堅停止之事。

一 諸士人を切、血刀提寺内へ逃込候共、留置子細を改、不寄何事、武士之道に候はゞ宗法に可仕候。科有る人は一切隱置申間敷候。若隱置後日に顯候は、難遁義に付、早速繩を掛差出可申候事。

一 虛無僧に罷出敵討仕度者於有之候は、其段子細相改差免可申候。乍倂多勢相集申間敷候。同行一人は免可申候。諸士之外一切不差免事。

一 往來之節馬駕籠一切無用。所之關所番所に而は、無沙汰無之樣、本寺より之本則往來出爲相改通り可申事。

一 住所に離れ他國所々城下幷町托鉢修行、滯留一日之外堅無用。若鳴物停止等告來候は、宗門傳學之虛無僧之外吹申間敷事。

一 虛無僧之義は、天下之家巨諸士之席に相定候上は、常に武門之正道を不失、何時にても還俗申付候間、表には僧之形を學、内心には武者修行之宗法と可心得者也。爲其日本國之内往來自由に差免置候樣、決定如件。

慶長十九年戊寅正月 本多上野介 在判 板倉伊賀守 在判 本多佐渡守 在判

右上意之趣相渡申候間奉拜見、會合之節能々爲申聞可爲守者也。

〔圖一 白字/一寸三分/四分/白字/二寸五分四方〕

普化常於街市搖鈴曰。明頭來明頭打。暗頭來暗頭打。四方八面來旋風打。虛空來連架打。臨濟今侍者去。纔見如是道。便把住曰。總不與麽來時如何。普化托開曰。來日大悲院裡有齋。侍者回舉似濟。濟曰。我從來疑著這漢。

〔圖二 朱字/一寸六分〕

尺八

夫尺八者法器之一也。謂尺八大數也。取三節之中定上下之長短。各有所表。三節者三才也。上下之二竅者日月也。表裏之五竅者五行也。此是萬物之深源也。吹之則萬物與我融冥而心境一如也。

〔圖三 朱字/一寸五分/ヨコ五分/朱字/八分〕

天蓋

夫天蓋者莊嚴佛身之具也。故我門準擬之也。

靈山一月影 輝萬派 普化孤風德 馥三州

下總國葛飾郡風早莊小金 金龍山梅林院 一月寺

〔圖四 白字/八分/朱字/七分五厘〕

院代 傑秀看我

文化八辛未年五月 授與何某

〔圖五 朱字一寸四分/金龍山/ヨコ五分/白字/一寸二分四方/普化禪林/本則/授與何某/本則の紙は鳥の子半切丈六寸七分表包帋は粘入紙立ニ二ツ折ニテ〕

尺八曲名

無磚篭〔ムカヒジ〕 虛空〔コクウ〕 靜攬〔スガヽキ〕 瀑布音〔タキヲトシ〕 休愁〔キウシウ〕 厭足〔アキタ〕 座草〔ヲクサ〕 善哉〔ヨシヤ〕 賤子〔シヅ〕 意子〔イス〕 雲井〔クモヰ〕 興〔キヨウ〕 夕暮〔ユフグレ〕 波間〔ナミマ〕 獅子吼〔シヽクルヒ〕 盤涉〔バンシキ〕 虛空〔コクウ〕 巢鶴〔スゴモリ〕 右十八曲

倫絕〔リンゼツ〕 櫓骨〔ウチアヘ〕 鈴誉桃〔レイボナガシ〕 凡二十一曲、是を表組といふとぞ。

此外に猶裏組もあるよしなれど、いまだゆるしなければしらざるよし。右十八曲の中にこくうといへる名二つあり。はじめにあるは普化禪師相傳の曲にて、あとのは後人の作りし曲なりといへり。

文政八年四月朔 文寶堂しるす

注

写本の位置
写本は3168の64カット目左ページから70カット目右ページまで。64カット目左ページの3行目に見出し「虛無僧御定」があり、掟書は67カット目右ページの署名まで続く。67カット目左ページから69カット目右ページまでが本則の写しで、印形の図を含む。69カット目左ページが尺八曲名、70カット目右ページが文宝堂の識語。
注記
目録の題は「虛無僧定法」で披講者は文寶亭。本文の見出しは「虛無僧御定」、識語の署名は文寶堂。文宝亭と文宝堂は同じ人物で、雲亭では亀屋久右衛門と推定するが未確認。
校合
「本多上野介 在判」は写本の読み。活字本系テキストは「本田上野介」とする。
校合
「臨濟今侍者去」は写本の読み。活字本系テキストは「臨 今侍者去」と一字を欠く。臨済録の通行本は「令侍者去」で、写本の「今」は「令」の誤写と思われるが写本のままとした。
校合
「我從來疑著這漢」は写本の読み。活字本系テキストは「疑者這漠」とする。
校合
「鈴誉桃〔レイボナガシ〕」は写本の読み。活字本系テキストは「鈴蒼挑(レイボウガシ)」とする。曲名は尺八古典本曲の「鈴慕流し」にあたると思われるが未確認。
判読保留
「無磚篭」の第三字は写本では竹冠の字に見える。活字本系テキストは「無磚箇」とし、判読保留。
判読保留
「盤涉〔バンシキ〕」の第二字は写本では「沙」にも見える。活字本系テキストの「盤涉」に従い、判読保留。
校合
曲名に付く片仮名の読みは写本では振り仮名だが、曲名の読みそのものが内容なので〔 〕に入れて残した。瀑布音の読みは写本では「タキヲトシ」で、活字本系テキストは「タキオトシ」とする。
校合
識語の日付「文政八年四月朔」は写本の読み。活字本系テキストは「正月朔」とするが、四月朔の会に合う。「四」は草書で「罒」の形に見え、原寸で確かめた。
校合
「一寸六分」は68カット目右ページの朱印の寸法で、写本の読み。活字本系テキストは「二寸六分」とする。
校合
「傑秀看我」は写本の読み。活字本系テキストは印形の注で「桀秀」とする。
判読保留
図一は67カット目左ページで、本則の冒頭に押す縦長の白字印と、本文に重ねて押す菱形の白字大印を示す。縦長印の印文は篆書で「普化正宗諸沙本則」と読めるが判読保留。菱形印の印文は読めない。写本は本文の上に菱形の輪郭を重ねて印の位置を示す。
注記
図二は68カット目右ページの朱印で、印文は篆書で「金龍山之印」を含むが全文は読めない。写本は本文の上に方形の輪郭を重ねて位置を示す。
注記
図三は68カット目左ページの二印で、上は縦長の朱印「金龍山」、下は「一月寺」の下に押す小さい朱印。図四は69カット目右ページの院代の名の下に押す丸い白字印「傑秀」と方形の朱印「看我」。図五は同ページの包み紙の図で、表書きの「普化禪林」は囲み字、「本則」は菱形で囲む。菱形の白字印の寸法「一寸二分四方」は69カット目左ページの右端に書かれている。
注記
印形の印文で読めた語は notes に書き、原文の図の書き込みには写本の余白の注記だけを写した。
校合
「守護之宗つゝ」「家巨」「可則申事」は写本も活字本系テキストも同じで、意味が通りにくいが写本のままとした。現代語訳は文意を補って訳した。
注記
本則の漢文は臨済録に見える普化の話で、雲亭の試訳は臨済録の通行の解釈に従った。
注記
一月寺は下総小金の普化宗総本山。慶長十九年の掟書は普化宗が幕府の公認を主張するために掲げた文書で、偽文書とする説がある。雲亭の推定で未確認。
注記
掟書の十七か条は写本では各条の頭の「一」が行頭にあり、原文では一条ずつ段落に分けた。

AI試訳 / 専門家未校閲