夢の朝顔
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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第四集 第12話 / 文宝亭 亀屋久右衛門
湯島の岡田弥八郎のひとり娘が十四歳で朝顔の歌を詠んで亡くなり、翌年、遺した種を母が蒔くと夢の中の娘の声とともに一輪が咲いた話を文宝堂が記す。
本文 現代語訳
湯島手代町に岡田弥八郎といひて、御普請方の出方をつとむる人あり。この人のひとり娘、名を「せい」とよびて、容儀もよく、ことに発明なれば、両親のいつくしみ深く、しかも和歌に心をよせ、下谷辺に白蓉斎といふ歌よみの弟子となりて、去年十四歳にて朝顔の歌をよみしが、「よくととのひたり」と師もよろこびける。その歌、
湯島手代町に岡田弥八郎といって、御普請方の出方を務める人がいる。この人のひとり娘は名を「せい」といい、器量もよく、ことに賢かったので、両親はたいそう可愛がっていた。そのうえ和歌に心を寄せ、下谷あたりに住む白蓉斎という歌人の弟子になって、去年十四歳で朝顔の歌を詠んだが、「よく整っている」と師も喜んだ。その歌、
いかならん色にさくかとあくる夜をまつのとぼその朝顔の花
どんな色に咲くのだろうかと、夜の明けるのを待つ、松の戸口の朝顔の花。
その冬、この娘、風の心地にわづらひしが、つひにはかなく成りにけり。両親のなげき、いふべくもあらず。朝夕ただこの娘の事のみいひ暮らししが、月日はかなくたちて、ことし亥の秋、かの娘の日頃よなれし文庫の中より、朝顔の種出でたり。一色づつに、「これはしぼり」、あるは「るり」など、娘の手して書き付け置きたる包みを見て、母親なほさら思ひ出で、「かくまでしるし置きたる事なれば、庭にまきて娘の志をもはらさん」とて、小さなる鉢に種を蒔きて、朝夕水そそぎなどしたるほどに、いつしか葉も出で、蔓も出でたれど、花は一輪もさかざりければ、「すこし時刻おくれにまきたるゆゑ、花のさかぬなるべし。されども秋に秋草の花さかぬ事やは」とて、さまざまにやしなひしが、さらに花の莟だになし。ある日、父弥八郎は東叡山の御普請場へ出でたるあと、母は娘が事のみ忘れかね、朝顔を思ひながら、うつらうつらと眠りたるが、娘の声にて「おかかさま、花がさきました」といふに、驚きさめぬ。あまりいぶかしく思ひければ、朝顔のそばへゆき見れば、一輪さき出でたり。いよいよあやしと思ひて、夫弥八郎が帰るを待ちかねて、このよしをも語り、花をも見せしよし。この花、昼夜にさきて、翌朝までしぼまずしてありとなん。
その冬、この娘は風邪を患って、とうとうはかなく亡くなった。両親の嘆きは言うまでもない。朝も夕もただこの娘のことばかり言って暮らしていたが、月日はむなしく過ぎて、今年亥の年の秋、娘がふだん使い慣れていた文庫の中から朝顔の種が出てきた。一色ずつ「これはしぼり」「るり」などと娘の手で書きつけた包みを見て、母親はなおさら思い出し、「ここまで書き残していたのだから、庭に蒔いて娘の志を晴らしてやろう」と、小さな鉢に種を蒔き、朝夕水をやるなどしているうちに、いつしか葉も出て蔓も伸びたが、花は一輪も咲かなかった。「少し時期に遅れて蒔いたから花が咲かないのだろう。けれども秋に秋草の花が咲かないはずがあろうか」と、いろいろ手をかけたが、いっこうに蕾すらつかない。ある日、父の弥八郎が東叡山の普請場へ出かけたあと、母は娘のことばかり忘れられず、朝顔を思いながらうつらうつらと眠っていたところ、娘の声で「おかかさま、花が咲きました」と言うのに驚いて目を覚ました。あまりに不思議に思って朝顔のそばへ行って見ると、一輪咲き出ていた。いよいよ不思議だと思い、夫の弥八郎が帰るのを待ちかねて、このことを語り、花も見せたという。この花は昼も夜も咲いて、翌朝までしぼまずにあったということだ。
右は文化十二乙亥年の事なり。花のさきしは翌子年なり。
右は文化十二年乙亥の事である。花が咲いたのは翌年の子の年である。
文政乙酉孟夏朔 文宝堂しるす
文政八年乙酉四月一日 文宝堂しるす
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す
湯嶋手代町に岡田彌八郞といひて、御普請方の出方をつとむる人あり。此人のひとり娘、名をせいとよびて、容儀もよく、殊に發明なれば、兩親のいつくしみふかく、しかも和歌に心をよせ、下谷邊に白蓉齋といふ歌よみの弟子となりて、去年十四歲にて朝がほのうたをよみしが、よくとゝのひたりと師もよろこびける。その歌、
いかならん色にさくかとあくる夜をまつのとぼその朝顏の花
其冬此むすめ、風のこゝちにわづらひしが、つひにはかなく成にけり。兩親のなげきいふべくもあらず。朝夕たゞ此娘の事のみいひくらしゝが、月日はかなくたちて、ことし亥の秋、かの娘の日頃よなれし文庫の中より、朝顏の種出たり。一色づゝに、これはしぼり、あるはるりなど、娘の手して書付置たるつゝみをみて、母親猶更思ひ出ゝ、かく迄しるし置たる事なれば、庭にまきて娘のこゝろざしをもはらさんとて、ちいさなる鉢に種を蒔て、朝夕水そゝぎなどしたるほどに、いつしか葉も出、蔓も出たれど、花は一りんもさかざりければ、すこし時刻おくれにまきたるゆゑ、花のさかぬ成べし。されども秋に秋草の花さかぬ事やはとて、さまざまにやしなひしが、さらに花の莟だになし。ある日父彌八郞は、東えい山の御普請場へ出たるあと、母は娘が事のみわすれかね、朝顏を思ひながら、うつらうつらとねむりたるが、娘の聲にて、おかゝさま花がさきましたといふに、驚きさめぬ。あまりいぶかしく思ひければ、朝顏のそばへゆきみれば、一りんさき出たり。いよいよあやしと思ひて、夫彌八郞が歸るを待かねて、此よしをもかたり、花をも見せしよし。此はな晝夜にさきて、翌朝までしぼまずしてありとなん。
右は文化十二乙亥年の事なり。花のさきしは翌子年なり。
文政乙酉孟夏朔 文寶堂しるす
注
- 写本の位置
- 写本は3168の70カット目左ページから72カット目右ページまで。70カット目左ページの1行目に「○」があって本文が始まり、72カット目右ページに識語だけが書かれている。
- 注記
- 写本に見出しはなく、目録の題「夢の朝顏」を採った。披講者は目録では文寶亭、識語の署名は文寶堂。文宝亭と文宝堂は同じ人物で、雲亭では亀屋久右衛門と推定するが未確認。
- 校合
- 「成にけり」「種出たり」「書付置たる」「蒔て」「葉も出」「出たるあと」「待かねて」は写本の送り仮名で、活字本系テキストは「成りにけり」「出でたり」「書き付け置きたる」「蒔きて」「出で」「出でたる」「待ちかねて」と送る。字句の異同はない。
- 校合
- 「東えい山」は写本の表記で、東叡山のこと。活字本系テキストも同じ。
- 注記
- 「時刻」は写本の表記で、時期の意で使う。
- 注記
- 「ことし亥の秋」は文化十二年乙亥の秋。識語は文政八年乙酉で、「ことし」は話の当時の言い方をそのまま写したもの。
- 校合
- 岡田弥八郎と白蓉斎は未詳。活字本系テキストの注は白蓉斎を西島姓とするが未確認。手代町は現在の文京区湯島三丁目付近と思われるが未確認。
- 注記
- 歌の現代語訳は雲亭の試訳で、「まつのとぼそ」を松の戸口と解し、「待つ」を掛けると見た。
- 注記
- 同じ話は石塚豊芥子の街談文々集要にも載るという。雲亭の推定で未確認。
AI試訳 / 専門家未校閲