雲亭日本古典図書室収録作品の一覧

古狸の筆蹟

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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第五集 第1話 / 好問堂 山崎美成

書をよくする古狸の筆跡を国分寺村と川崎宿と下総大貫村に追う。

本文 現代語訳

古狸の筆蹟
古狸の筆跡
世に奇事怪談をいひもて伝ふること、多くは狐狸のみ。貒、狢、猫の属ありといへども、これに及ばず。思ふに、狐の人を魅す事、甚だ害あり。狸の怪はしからず。かくて古狸のたまたま書画をよくすること、世人のあまねく知るところにして、すでに白雲子の蘆雁の図は写山楼の蔵にあり。良恕のかける寒山の画は蘐園主人示されき。その縮本、今載せて『耽奇漫録』中に収めたり。これまさしく老狸の画けるものにして、諸君と共に目撃したる所なり。しかるに、その書をかけることを予かつて聞けるは、武州多摩郡国分寺村名主儀兵衛といふ者の家に、狸のかきたりし筆跡あり。三社の託宣にて、篆字、真字、行字をまじへ、文章も違へる所ありて、いかにも狸などの書きたらんと見ゆるものなるよし。これは狸の僧のかたちに化けて、この家に止宿し、「京都紫野大徳寺の勧化僧にて無言の行者」と称し、用事はすべて書をもて通じたり。辺鄙の事ゆゑ、ありがたき聖のやうに思ひて、馳走して留めたりといふ。その後、武蔵の内にて犬に見咎められて食ひ殺され、狸の形をあらはししとの事なりしとぞ。その頃、この事を人々にも語りしに、友人鹿山の「同日の談あり」といへらく、「予、往年鎌倉に遊びしとき、川崎の駅に止宿し、問屋某の家に蔵する所の狸の書といふものを見たり。『不騫不崩南山之寿』と書けり。その書体、八分にもあらず、真行にもあらず。奇怪言ふべからず。いかにも狸の書といふべし。問屋の話に、鎌倉の辺の僧のよしにて、そのあたりを勧化せし事、五六年の間なり。果ては鶴見、生麦の辺にて犬に食はれしよし。この事はさのみ久しき事にあらず。予が遊びし十年も前の事なり」といふ。この二条、その年月を詳らかにせずといへども、今その墨跡の現にその家に存したれば、疑ふべからず。
世間で奇事や怪談として語り伝えられるものは、たいてい狐と狸の話である。アナグマやムジナや猫の類もあるが、狐狸には及ばない。思うに、狐が人を化かすのはひどく害があるが、狸の怪はそうではない。そして古狸がときどき書画をよくすることは世間の誰もが知るところで、すでに白雲子の蘆雁の図は写山楼こと谷文晁の蔵にあり、良恕が描いた寒山の画は蘐園主人が見せてくださった。その縮図はいま『耽奇漫録』に収めてある。これはまさしく老狸の描いたもので、諸君とともに目撃したものである。ところで狸が書をよくするという件について、私が以前に聞いたのはこうである。武州多摩郡国分寺村の名主儀兵衛という者の家に、狸が書いた筆跡がある。三社託宣で、篆書と楷書と行書を混ぜ、文章も間違っているところがあって、いかにも狸などが書いたものだと見えるという。これは狸が僧の姿に化けてこの家に泊まり、「京都紫野大徳寺の勧化僧で無言の行者」と名乗り、用事はすべて筆談で通じた。田舎のことなので、ありがたい聖のように思って、もてなして引き留めたという。その後、武蔵の国内で犬に見咎められて食い殺され、狸の正体を現したとのことだそうだ。その頃この話を人々にも話したところ、友人の鹿山が「同じような話がある」と言って語った。「私は先年鎌倉に遊んだとき、川崎の宿に泊まり、問屋の某の家に蔵する狸の書というものを見た。『不騫不崩南山之寿』と書いてある。その書体は八分でもなく、楷書や行書でもない。奇怪というほかなく、いかにも狸の書というべきものだ。問屋の話では、鎌倉あたりの僧だということで、そのあたりを勧化して回ること五六年に及んだ。最後は鶴見、生麦のあたりで犬に食われたそうだ。この話はそれほど昔のことではない。私が遊びに行った十年ほど前のことだ」という。この二件は年月をはっきりさせてはいないが、いまその墨跡が現にその家に残っているのだから、疑う余地はない。
因みに云ふ、『五雑組』に曰く、「狐は陰類なり。陽を得てすなはち成る。故に牡狐といへども、必ずこれを女に托して、もつて男子を惑はすなり」といへり。わが邦にも昔より、とかくに狐は婦人に化けたるためし多かり。しかるに狸はいかなる因縁やありけん、茂林寺の守鶴を始めとして、いつもいつも法師の姿になれるも、をかしからずや。
ついでに言うと、『五雑組』に「狐は陰の類である。陽を得てはじめて成る。だから牡狐であっても、必ず女に化けて男を惑わすのだ」とある。わが国でも昔からとかく狐は女に化けた例が多い。ところが狸はどういう因縁があるのか、茂林寺の守鶴をはじめとして、いつもいつも法師の姿になるのは、おかしなことではないか。
また、いと近き年に一奇事あり。ある人の筆記に、文化四年丁卯、ある人のもとにて狸のかける書といふものを見たり。
また、ごく近年にも一つ奇事があった。ある人の筆記に、文化四年丁卯、ある人のところで狸が書いた書というものを見た、とある。
〔図 竹の一字を大書す/百十才 田ぬき〕
〔図 竹の一字を大書する/百十才 田ぬき〕
この書をもらひし書通あり。
この書をもらったときの手紙がある。
この間お話申し上げ候たぬきの事、仰せ下され、承知致し候。すなはち書付、御覧に入れ候。しかしながら、これはこの方にて願掛け致し候間、願ひの叶ひ候と申す事にもこれなく、あの方へ参り、直にたぬきへ願ひ申し候と申す事に御座候間、この段、とくと御相談成され候て、御願掛け成さるべく候。委細は左の通り御座候。
先日お話し申し上げた狸の件、お申し越しの趣は承知いたしました。そこで書付をお目にかけます。ただしこれは当方で願掛けをしたところで願いが叶うというものではなく、あちらへ出向いて直接狸に願うということですので、この点をよくご相談のうえ願掛けをなさってください。詳細は左の通りです。
下総国香取郡大貫村藤堂和泉守様御陣屋/陣屋奉行 猿山源兵衛/忰 要介/代官 増田武四郎
下総国香取郡大貫村 藤堂和泉守様御陣屋/陣屋奉行 猿山源兵衛/せがれ 要介/代官 増田武四郎
右の所に御座候。成田へ御参り候道より、よほど寄り候由。江戸より二十二三里御座候由、成田の道にて承り候へども、人々存じ罷り在り候よし。
右の場所です。成田へ参る道からかなり寄り道になるそうで、江戸から二十二三里あるとのこと。成田の道中で聞きましたが、人々はよく知っているそうです。
先方へ参り候ても、みだりにはたぬきに逢ひ候事、出来申さず候。
先方へ行っても、むやみに狸に会うことはできません。
江戸薬研堀にて みの田吉右衛門当時隠居 有甫
江戸薬研堀にて みの田吉右衛門、当時隠居 有甫
右の仁、いかがの訳やら、たぬきと懇意の由。下谷のさる御屋敷方より先日人遣はされ候節、右有甫より手紙もらひて参り候と申す事御座候。これはただ一通り見物に参るにて、願掛けには御座なく候。咄の通り、至つて奇怪の咄御座候。近所の者などは「病気」と申し、「願ひ参り候ものも見かけ候」と申す事ゆゑ、御人にても遣はされ候はば、右の有甫より手紙もらひ申さず候ては、陣屋の事に御座候間、内へは入れ申すまじく存ぜられ候。外にあまり知れ申さざるやう致し候よしに付き、「江戸より参り候」と申し候ては、なかなかたぬき殿へ逢はせ候事出来まじく候間、この段、わざわざ御考へ、御願掛け成さるべく候。やがて神に祭り候と申す事にて、「実見大明神」と申す名を付け候て祭り申すべしと申す事の由、咄承り申し候。
右の人はどういうわけか狸と懇意だそうです。下谷のさるお屋敷から先日人を遣わした折には、右の有甫から手紙をもらって行ったということです。これはただ一通り見物に行くだけで、願掛けではありません。話の通り、実に奇怪な話です。近所の者などは「病気だ」と言い、「願掛けに来る者も見かける」と言うことですから、お人を遣わすにしても、右の有甫から手紙をもらわなければ、陣屋のことですから中へは入れてもらえないでしょう。外にあまり知られないようにしているそうなので、「江戸から来た」と言ったのでは、なかなか狸殿に会わせてはもらえないでしょうから、この点をよくよくお考えのうえ願掛けをなさってください。いずれ神として祭るということで、「実見大明神」という名をつけて祭るつもりだそうだと、話に聞きました。
真に右の通り御座候。右の名にて願掛け成さるべく候。
本当に右の通りです。右の名で願掛けをなさってください。
三月朔日当賀 中久喜/宇兵衛様
三月朔日当賀 中久喜/宇兵衛様
右一条、いと近き事ながら、世上に知らるるを嫌ひて深く秘め隠ししにや、噂をだに聞かざりし。
右の一件は、ごく最近のことながら、世間に知られるのを嫌って深く秘め隠したのだろうか、噂さえ聞かなかった。
付けて云ふ、中橋に住める医生の、いとも狸を好める癖ありて、みづから名を「狸庵」としも名乗れる人ありて、書に画に何くれのものにても「狸」とだにいへば求め得て、蔵め持たるよし聞けり。かつ、そのこと記したる随筆めくものありといへど、予はいまだ見るに及ばず。これらの事も載せたりや知らず。
付け加えて言う。中橋に住む医者で、たいそう狸を好む癖があり、みずから「狸庵」と名乗る人がいて、書でも画でも何であれ「狸」とさえ言えば求めて蔵しているということを聞いた。また、そのことを記した随筆めいたものがあるというが、私はまだ見ていない。これらの話も載っているかどうかは知らない。
文政乙酉五月朔 山崎美成記
文政乙酉五月朔日 山崎美成 記
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す

古狸の筆蹟

世に竒事怪談をいひもて傳ふること多くは狐狸のみ。貒狢猫の屬ありといへどもこれに及ばず。思ふに狐の人を魅す事甚害あり。狸の怪はしからず。かくて古狸のたまたま書畫をよくすること世人の普くしるところにして、已に白雲子の蘆雁の圖は寫山樓の藏にあり。良恕のかける寒山の畫は蘐園主人示されき。その縮本今載て耽竒漫錄中に收めたり。これまさしく老狸の畫けるものにして諸君と共に目撃したる所なり。しかるにその書をかけることを予甞て聞けるは、武州多摩郡國分寺村名主儀兵衞といふ者の家に狸のかきたりし筆跡あり。三社の託宣にて篆字眞字行字をまじへ、文章も違へる所ありて、いかにも狸などの書たらんと見ゆるものなるよし。これは狸の僧のかたちに化けて此家に止宿し、京都紫野大德寺の勸化僧にて無言の行者と稱し、用事はすべて書をもて通じたり。邊鄙の事故有難き聖のやうにおもひて馳走して留めたりといふ。その後武藏の内にて犬に見咎められてくひ殺され、狸の形をあらはしゝとの事なりしとぞ。その頃此事を人々にも語りしに、友人鹿山の同日の談ありといへらく、予往年鎌倉に遊びしとき川崎の驛に止宿し、問屋某の家に藏する所の狸の書といふものを見たり。不騫不崩南山之壽と書けり。その書體八分にもあらず眞行にもあらず。竒怪言ふべからず。いかにも狸の書といふべし。問屋の話に鎌倉の邊の僧のよしにて其あたりを勸化せし事五六年の間なり。果は鶴見生麥の邊にて犬に食はれしよし。此事はさのみ久しき事にあらず。予が遊びし十年も前の事なりといふ。此二條その年月を詳にせずといへども、今その墨跡の現にその家に存したれば疑ふべからず。

因に云、五雜組曰、狐陰類也。得陽乃成。故雖牡狐必托之女以惑男子也といへり。吾邦にもむかしよりとかくに狐は婦人に化けたるためし多かり。しかるに狸はいかなる因縁やありけん、茂林寺の守鶴を始めとして、いつもいつも法師の姿になれるもをかしからずや。

又いとちかき年に一竒事あり。或人の筆記に、文化四年丁卯ある人のもとにて狸のかける書といふものを見たり。

〔圖 竹の一字を大書す/百十才 田ぬき〕

此書をもらひし書通あり。

此間御話申上候たぬきの事被仰下致承知候。則書付入御覽候。乍然是は此方にて願掛致候間、願之叶候と申事にも無之、あの方へ參り直にたぬきへ願申候と申事に御座候間、此段篤と御相談被成候て御願かけ可被成候。委細は左之通御座候。

下總國香取郡大貫村藤堂和泉守樣御陣屋/陣屋奉行 猿山源兵衞/忰 要介/代官 增田武四郞

右之所に御座候。成田へ御參り候道より餘ほどより候由、江戸より廿二三里御座候由、成田之道にて承り候得共、人々存罷在候よし。

先方へ參り候ても、みだりにはたぬきに逢候事出來不申候。

江戸藥硏ぼりにて みの田吉右衞門當時隱居 有甫

右之仁如何の譯やらたぬきと懇意之由。下谷之去る御屋敷方より先日人被遣候節、右有甫より手紙もらひて參り候と申事御座候。是は只一通り見物に參るにて、願かけには無御座候。咄之通至て竒怪之咄御座候。近所之者抔は病氣と申、願ひ參候ものも見かけ候と申事故、御人にても被遣候はゞ、右之有甫より手紙もらひ不申候而は、陣屋之事に御座候間、内へは入申間敷被存候。外に餘り知れ不申樣致し候よしに付、江戸より參候と申候而は、中々たぬき殿へ逢せ候事出來間敷候間、此段態々御考御願かけ可被成候。やがて神に祭り候と申事にて、實見大明神と申名を付候て祭り可申と申事之由、咄承り申候。

眞に右之通御座候。右之名にて願掛可被成候。

三月朔日當賀 中久喜/宇兵衞樣

右一條いと近き事ながら、世上に知らるゝを嫌ひて深く祕めかくしゝにや、噂をだに聞かざりし。

附て云、中橋にすめる醫生のいとも狸を好める癖ありて、みづから名を狸庵としも號のれる人ありて、書に畫に何くれのものにても狸とだにいへば求め得て藏めもたるよし聞けり。且そのこと志るしたる隨筆めくものありといへど、予はいまだ見るに及ばず。これらの事も載たりや志らず。

文政乙酉五月朔 山崎美成記

注

写本の位置
写本は3169の3カット目左ページから7カット目右ページまで。5カット目右ページは狸の筆跡を写した図で、手紙の途中ではなく、4カット目左ページの末尾「見たり」の直後に置かれている。原文もその位置に図の段落を置いた。7カット目左ページから第2話「老狸の書画譚餘」が始まる。
校合
「目撃したる所なり」は写本の読み。活字本系テキストは「目擊する所なり」とする。原寸で切り出して三字と数えたが、くずし字からの推定で判読を保留する。
校合
「老狸の畫けるもの」は写本の読み。活字本系テキストは「囮ける」とするが、写本の字は「畫」で、文脈にも合う。
校合
「名主儀兵衞」は写本の読み。活字本系テキストは「義兵衞」とする。原寸で人偏を確かめた。
校合
「京都紫野大德寺」は写本の読み。活字本系テキストは「京郡」とする。
校合
「五雜組」は写本の表記。活字本系テキストは「五雜俎」とする。
校合
「因縁やありけん」は写本の読み。活字本系テキストは「因緣かありけん」とする。写本では「けん」の「ん」が朱で補われている。
注記
写本の手紙の部分は助詞の「は」を片仮名の「ハ」で書く箇所が多い。原文欄では平仮名に統一した。
注記
図は「竹」の一字を太い輪郭線で大書し、左下に「百十才 田ぬき」と記す。年齢の字は「百」と読んだが、「万」とも読め、判読を保留する。
注記
白雲子は未詳。写山楼は谷文晁の号。良恕は良恕法親王で、狸が化けて描いたという寒山図の伝えがある。蘐園は荻生徂徠の号だが、ここでは徂徠の家の主を指すと解した。耽奇漫録は山崎美成と馬琴らの耽奇会の記録。人物の特定は雲亭の推定で未確認。
注記
茂林寺の守鶴は分福茶釜の伝説で知られる上州館林の茂林寺の狸僧。
注記
大貫村は今の千葉県香取郡神崎町大貫で、伊賀津藩藤堂家の飛び地の陣屋があった。薬研堀は今の東京都中央区東日本橋あたり。中橋は日本橋と京橋の間にあった橋の名で、その付近の町。
注記
「當賀」は「当日」の意の書き癖と解したが未確認。

AI試訳 / 専門家未校閲