雲亭日本古典図書室収録作品の一覧

家相の談

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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第五集 第3話 / 乾斎 中井乾斎

家相見の金蘭が病死を言い当てた家々と、子なし長屋を自ら相した話。

本文 現代語訳

家相の談
家相の話
近年わが邦もまた家相の学行はれて、病難を救ひ火難を免かれ、その術に心服する者少なからず。衆人の帰する所、その功、験なきにもあらず。余これをある人に聞けるに曰く、「かつて松永宗因、薬研堀にて家宅を買ひ求めて移らんとす。その日、浜町会田七郎宅にて金蘭に邂逅して家相の談に及び、その言に服し、その判断を請ふ。金蘭一見して、『家に死骨あり。ここに住む者、必ず病死』の由申す。宗因畏れ慎みてその家に移らず、直ちに人に譲りけり。女隠居、その家を買ひて移りたる者、一月余にして病死せり。その後、医生あり、その家を買ひてここに住みけり。程なくこれもまた病死せり。金蘭また久松町河岸へ行きて、その長屋の『病気長屋』の由を申し、『聞き直すべき』由申す。然るところ、その言にも従はずして、後、果たしてこれの如し」。
近年わが国でも家相の学問が行われ、病難を救い火難を免れるとして、その術に心服する者が少なくない。多くの人が信じているところで、その効き目がないわけでもない。私がこれをある人に聞いたところ、こう言った。「以前、松永宗因が薬研堀に家を買って移ろうとした。その日、浜町の会田七郎の家で金蘭に出会って家相の話になり、その言葉に感服して判断を頼んだ。金蘭は一目見て『家に死骨がある。ここに住む者は必ず病死する』と言った。宗因は恐れ慎んでその家に移らず、すぐに人に譲った。女の隠居がその家を買って移ったが、一月あまりで病死した。その後、医者がその家を買って住んだ。ほどなくこの人も病死した。金蘭はまた久松町河岸へ行って、その長屋を『病気長屋』だと言い、『聞き直したほうがよい』と言った。ところがその言葉にも従わず、後になって果たしてそのとおりになった」。
遠州屋久三郎、家内死に絶えて、奉公人を養子とす。今の久三郎これなり。妻、労咳にて、老母、中風に相成り、腰抜けなり。手代両人あり。一人は病死し、一人は脚気病に苦しむ。
遠州屋久三郎は家族が死に絶え、奉公人を養子にした。今の久三郎がそれである。妻は肺病で、老母は中風になって腰が立たない。手代が二人いて、一人は病死し、一人は脚気に苦しんでいる。
大黒屋弥右衛門老母、手足の指、抅屈して伸びず、二十年来腰抜けなり。俗に呼びて「達摩婆々」と云ふ。五年来のうち、妻二人不幸す。
大黒屋弥右衛門の老母は手足の指が曲がって伸びず、二十年来腰が立たない。俗に「達磨婆々」と呼ぶ。この五年のうちに妻を二人亡くした。
大黒屋次郎右衛門祖父、二三年前病死、その孫二人、傴疾なり。その父もまた脊むしなり。
大黒屋次郎右衛門の祖父は二三年前に病死し、その孫二人は背が曲がっている。その父もまたせむしである。
松坂屋某、その妻、向島にて変死し、手代一人、かたり刑囚と為りて死にけり。その余これを略す。
松坂屋某は、妻が向島で変死し、手代一人がかたりの罪人となって死んだ。その他は省略する。
余もまた米山の遺書を受け、数々その術を試むるに、数々しるしあり。近き頃、池の端仲町へ行き、南側書物屋某の家相を見、その家の子なきを弁じ、日々試みに家並みの子なきを相す。書物家某曰く、「誠に御教への如く、俗に呼びてこの長屋を『子なし長屋』と申し伝ふる由」。これまた奇中の奇、しばらく論じて後の君子を待つといふ。
私もまた米山の遺書を受け継いで、たびたびその術を試したところ、たびたび当たった。近頃、池の端仲町へ行き、南側の書物屋某の家相を見て、その家に子がないことを言い当て、日々試みに並びの家々にも子がないと判じた。書物屋某が言うには、「まことにお教えのとおり、俗にこの長屋を『子なし長屋』と言い伝えています」。これもまた奇中の奇であり、しばらく論じて後の君子を待つことにする。
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す

家相の談

近年我邦も亦家相の學行はれて、病難を救ひ火難を免かれ、其術に心服する者少からず。衆人の歸する所、其功驗なきにも非ず。余是をある人に聞けるに曰、甞て松永宗因藥硏堀にて家宅を買求めて移らんとす。其日濱町會田七郞宅にて金蘭に邂逅して家相の談に及び、其言に服し其判斷を請ふ。金蘭一見して、家に死骨有り、此に住む者必病死之由申す。宗因畏愼て其家に移らず、直に人に讓りけり。女隱居其家を買て移りたる者、一月餘にして病死せり。其後醫生有り、其家を買て此に住みけり。程なく是も亦病死せり。金蘭又久松町河岸へ行て、其長屋の病氣長屋之由を申し、聞直すべき由申す。然處其言にも從はずして、後果して如之。

遠州屋久三郞家内死絕して、奉公人を養子とす。今の久三郞是也。妻勞咳にて、老母中風に相成腰拔なり。手代兩人有り。一人は病死し、一人は脚氣病に苦しむ。

大黑屋彌右衞門老母手足之指抅屈して不伸、二十年來腰拔なり。俗呼達摩婆々と云。五年來之内妻二人不幸す。

大黑屋次郞右衞門祖父二三年前病死、其孫二人傴疾なり。其父亦脊むしなり。

松坂屋某其妻向嶋にて變死し、手代一人かたり刑囚と爲りて死にけり。其餘略之。

余亦米山の遺書を受、數々其術を試るに、數々しるしあり。近き頃池之端仲町へ行き、南側書物屋某の家相を見、其家の子なきを辯じ、日々試に家並子なきを相す。書物家某曰、誠に御敎の如く、俗呼此長屋を子なし長屋と申傳由。是亦奇中奇、暫く論じて後の君子を待つといふ。

注

写本の位置
写本は3169の11カット目左ページの2行目から12カット目左ページの前半まで。写本の本文には題がなく、第2話の末尾の署名に続けて「近年我邦も亦」と書き始める。原文欄の題は目録の「家相の談」を採った。12カット目左ページの後半から第4話「小野小町の辯」が続く。
校合
「松坂屋某其妻向嶋にて」は写本の表記。活字本系テキストは「松阪屋」「向島」とする。
校合
「余是をある人に聞けるに」の「是を」は字が詰まっており、判読を保留する。活字本系テキストも同じ語。
注記
「會田七郞宅」の「七郞」の下に一字あるようにも見えるが、原寸では確かめていない。
注記
「其功驗なきにも非ず」は原寸で切り出して確かめた。「薬」「家」「有り」などの字は写本に朱の書き入れがあり、後の読者の校正と見て原文には反映していない。
注記
金蘭と米山は家相見の名と解したが未詳。会田七郎、松永宗因も未詳。人物の特定は雲亭の推定で未確認。
注記
薬研堀と浜町と久松町はいずれも今の東京都中央区日本橋の東部。池の端仲町は今の台東区上野の不忍池のほとり。

AI試訳 / 専門家未校閲