稲荷の正一位
稲荷に正一位を授ける根拠を、梅宮の神主と平田篤胤の説で問い直す。
本文 現代語訳
稲荷正一位
稲荷の正一位
定吉稲荷、正一位を願ひ、吉田家の許状、五月中には下るべしといへり。それにつきて思ひ出でしことあり。京師梅宮神主橋本肥後守橘経亮曰く、「稲荷に正一位といふ事、さらに跡なき事なり。桜町院御宇、吉田家へ御尋ねありけるは、『稲荷山にだに正一位授け給ひし事はあらず。いかなればその他の小社に正一位を許すや』と。この御答へに詰まりて、『その故よし、俄に知れがたし。捜索の間、日延べを願ふ所なり』と申して、今に御答へ申さず」といへり。
定吉稲荷は正一位を願い出て、吉田家の許状が五月中には下りるはずだという。それについて思い出したことがある。京の梅宮神社の神主橋本肥後守橘経亮が言うには、「稲荷に正一位ということは、まったく根拠のないことである。桜町院の御代に吉田家へお尋ねがあり、『稲荷山にさえ正一位を授けられたことはない。どうしてその他の小社に正一位を許すのか』と問われた。この御下問に詰まって、『その理由はすぐには判明しません。調べる間、日延べをお願いします』と申し上げたまま、今に至るまでお答えしていない」ということだ。
安永、天明の頃にてありし。吉田家参向ありて伝奏屋敷にあられし時、伝奏留守居羽田氏の人、夜ごとに昵近せしが、ある時問ひ申ししは、「稲荷の正一位、本社になき事を、人の言にまかせてここら授け給ふはいかなることにや」と申ししかば、「さやうのことを問はれては迷惑せしむる事なり。何事も『てての種』じや」によつて、平田大角曰く、「『稲荷山に正一位を授けさせ給ふ事なし』といふは心得ぬことなり。その故は、いにしへ三位を授け給ひし後、日本国中の神社おしなべて一階を昇せ給ひし事、宇多天皇御時よりすべて四か度あり。さればとくに正一位にておはすことなり。さる故をばいかで御答へ申されざりけん」。
安永か天明の頃のことだった。吉田家が江戸へ下って伝奏屋敷におられたとき、伝奏留守居の羽田氏の人が毎晩親しく出入りしていたが、あるとき「稲荷の正一位は本社にもないのに、人の言うままにあちこちに授けられるのはどういうわけか」と尋ねたところ、「そういうことを問われては困る。何事も『父の種』だ」ということだった。これについて平田大角が言うには、「『稲荷山に正一位を授けられたことはない』というのは納得できない。というのは、昔三位を授けられた後、日本国中の神社に一律に一階ずつ位を上げられたことが、宇多天皇の御代から合わせて四度ある。だからとうに正一位でおられるのだ。その理由をどうしてお答えにならなかったのだろう」。
輪池
輪池
文政八年五月四日、定吉稲荷の禿倉を破却せらる。この日、寺社奉行より役人来て、云々に計らはせしといふ。つまびらかなる事はなほよく聞きたらん日に記すべし。但しこの事、前条に追書せられたれど、なほ具はらず。風聞はさまざまなれども、みな確かならぬ事のみにこそ。
文政八年五月四日、定吉稲荷の祠が取り壊された。この日、寺社奉行から役人が来て、あれこれと処置させたという。詳しいことはさらによく聞いた日に記すことにする。ただしこのことは前条に追記されているが、まだ十分ではない。噂はさまざまだが、みな確かでないことばかりである。
著作堂識
著作堂 識
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す
稻荷正一位
定吉稻荷正一位を願ひ、吉田家の許狀五月中には下るべしといへり。それにつきて思ひ出しこと有り。京師梅宮神主橋本肥後守橘經亮曰、いなりに正一位といふ事更に跡なき事なり。櫻町院御宇吉田家へ御尋有りけるは、稻荷山にだに正一位授け給ひし事はあらず。いかなればその他の小社に正一位をゆるすやと。この御こたへにつまりて、其ゆゑよし俄にしれがたし。搜索の間日延をねがふ所なりと申して、今に御こたへ申さずといへり。
安永天明の頃にて有りし。吉田家參向ありて傳奏屋敷にあられし時、傳奏留守居羽田氏の人夜每に昵近せしが、ある時問申しゝは、稻荷の正一位本社になき事を、人の言にまかせてこゝら授け給ふはいかなることにやと申しゝかば、左やうのことをとはれては迷惑せしむる事なり。何事もてゝのたねじやによつて、平田大角曰、稻荷山に正一位を授けさせ給ふ事なしといふはこゝろえぬことなり。その故はいにしへ三位を授け給ひし後、日本國中の神社おしなべて一階を昇せ給ひし事、宇多天皇御時よりすべて四ケ度有り。さればとくに正一位にておはすことなり。さるゆゑをばいかで御答申されざりけん。
輪池
文政八年五月四日、定吉稻荷の禿倉を破却せらる。此日寺社奉行より役人來て云々にはからはせしといふ。つまびらかなる事は猶よく聞たらん日にしるすべし。但しこの事前條に追書せられたれど、なほ具はらず。風聞はさまざまなれども、みなたしかならぬ事のみにこそ。
著作堂識
注
- 写本の位置
- 写本は3169の22カット目左ページから24カット目右ページまで。23カット目左ページの末尾に「輪池」の署名があり、24カット目右ページに馬琴の識語「文政八年五月四日」以下と「著作堂識」の署名がある。24カット目左ページから第8話「神童石河為蔵詠歌の事」が始まる。
- 注記
- 題は写本の本文で「稻荷正一位」、目録では「稲荷の正一位」。原文欄は本文の表記に従った。
- 校合
- 活字本系テキストは第6話と一記事にまとめる。写本の目録に従って別の passage にした。
- 注記
- 馬琴の識語は写本では弘賢の署名の後に置かれ、第6話の追記「定吉稻荷尾」を前条と呼んで補う形になっている。原文欄でも第7話の末尾に置いた。
- 校合
- 「何事もてゝのたねじや」は写本と活字本系テキストで同じ読み。意味は取りにくく、吉田家の人の言い逃れの言葉と解した。「父の種」の訳は仮のもの。
- 注記
- 橋本経亮は梅宮大社の神職で有職故実家。桜町院は桜町天皇。平田大角は平田篤胤の号。吉田家は神道本所として全国の神職を支配し、位階の許状を出していた。人物の説明は雲亭の推定で未確認。
- 注記
- 禿倉は祠のこと。写本の字は「禿倉」と読める。
AI試訳 / 専門家未校閲