雲亭日本古典図書室収録作品の一覧

葺屋町歌舞伎座の梁折れし事

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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第五集 第9話 / 文宝堂 西村寿卜

神木で作った芝居小屋の梁が祈祷の最中に折れる。同じ日に吉原が焼け、腰元に憑いた神の恨み言が思い当たる。

本文 現代語訳

葺屋町なる歌舞伎座の梁の折れし事
葺屋町の歌舞伎座の梁が折れたこと
文化十三丙子年五月三日、葺屋町桐長桐座、梁折れ候に付き、御役所言上帳のうち書き抜き。
文化十三年丙子五月三日、葺屋町の桐長桐座の梁が折れた件について、御役所の言上帳から書き抜く。
一、去る酉年、葺屋町類焼の砌、元羽左衛門芝居普請の節、東海道程ヶ谷宿裏通り古町と申す所、日蓮宗寺院〔焉馬云ふ、星川村法性寺といふ〕杉山大明神と申す社これある際にて松伐り出だし、芝居梁に致し置き候ところ、神木のよし、右たたりゆゑ不繁昌の趣、風説に付き、町家別に百文宛取り集め、当時桐長芝居より下谷竜泉寺地中本浄院へ祈祷を頼み、出家五六人舞台にて祈祷致しかかり候ところ、梁表、方三側内にこれあり、中が折れ候。怪我者これなく候。
一、先年酉の年に葺屋町が類焼した折、もとの羽左衛門の芝居小屋を普請したとき、東海道程ヶ谷宿の裏通り古町という所の日蓮宗の寺〔焉馬が言うには星川村の法性寺だという〕にある杉山大明神という社のそばで松を伐り出し、芝居の梁にしておいたところ、神木だとのことで、その祟りで芝居が繁昌しないという噂が立ったので、町家ごとに百文ずつ集め、当時の桐長の芝居から下谷竜泉寺の塔頭本浄院に祈祷を頼み、僧五六人が舞台で祈祷にかかったところ、梁は表の側に三本並んでいるうちの真ん中が折れた。怪我人はなかった。
同日七つ時過ぎ頃、新吉原町京町一丁目より出火、遊女屋ども残らず焼失、竜泉寺町まで焼け抜けて鎮まる。この竜泉寺は右葺屋町芝居祈祷に来たりし竜泉寺なり。その竜泉寺町まで焼け出でて火の鎮まりしも、奇といふべし。
同じ日の七つ時過ぎ、新吉原の京町一丁目から出火して遊女屋は残らず焼け、竜泉寺町まで焼け抜けて鎮まった。この竜泉寺は葺屋町の芝居の祈祷に来たあの竜泉寺である。その竜泉寺町まで焼けて火が鎮まったのも奇妙というべきである。
この日、所々にさまざまの珍事あり。
この日はあちこちでさまざまな珍事があった。
永代橋辺にて伊豆船、帆柱折れし事。/赤坂にて鳶の者、登天せしといふ事。/両国広小路のかるわざ、綱より落ちて怪我ありし事。/有馬殿の火の見櫓の屋根紛失の事。/新し橋にて車力、釜を落とし、釜数四つ割れし事。/四谷にて掘り抜き井戸を掘りかかり、錐の抜けざりし事。
永代橋のあたりで伊豆の船の帆柱が折れたこと。/赤坂で鳶の者が空へ舞い上がったということ。/両国広小路の軽業師が綱から落ちて怪我をしたこと。/有馬家の火の見櫓の屋根がなくなったこと。/新シ橋で車力が釜を落として四つ割れたこと。/四谷で掘り抜き井戸を掘りかけて錐が抜けなくなったこと。
この外にも種々聞きたれど、忘れたりけるは、あやしき悪日なるべし。
このほかにもいろいろ聞いたが忘れてしまった。不思議な悪日というべきだろう。
芝居の梁折れより三四年前〔文化酉年比〕、駿河台伊藤金之丞殿〔御両番〕の屋敷に、十四五歳の比より勤め居りし腰元〔名はきは〕、俄に発熱し狂乱、狐の憑きたるごとくにて口走りける中に、「我が住居した宮を損じさせ、跡にて修覆せんと偽りて、今にその沙汰もなく打ち捨て置きたる事、甚だ腹立たしく、芝居繁昌を守ることはさておき、この恨みには不繁昌させ、永く芝居に祟るべし」といひつつ狂ひ回りける故、屋敷にて請人方へ引き渡し、「宿にてよく療治すべし」とて遣はしける。五日目にこの女は身まかりしとぞ。
芝居の梁が折れる三四年前〔文化の酉の年頃〕、駿河台の伊藤金之丞殿〔両番〕の屋敷で、十四五歳の頃から勤めていた腰元〔名はきは〕が急に発熱して狂乱し、狐が憑いたようになって口走った中に、「私の住んでいた宮を壊させ、後で修復すると偽って、今もその沙汰もなく打ち捨てておくのはたいへん腹立たしい。芝居の繁昌を守るどころか、この恨みで不繁昌にさせ、末永く芝居に祟ってやる」と言いながら狂い回ったので、屋敷では請人に引き渡し、「実家でよく治療せよ」と帰した。五日目にこの女は死んだという。
伝に云ふ、この女の父母ともに早う亡くなりけるゆゑ、祖父母方へ引き取りて親類方へ頼み、右伊藤氏へ奉公に出だしけるよし。この祖父といふ者は葺屋町羽左衛門の座がかりの者にて、その三四年以前、程ヶ谷の法性寺にて芝居の梁の木を買ひ出だしに行きたるものなり。当時、宮居大破に及びたれば、住僧、修覆の事を頼みける故、芝居懸かりの者、「茶屋一同にて一日に一銭づつの日掛けをして、その積み金をもつて宮破損の修覆致すべし。貴僧にはなほも芝居繁昌の祈祷を頼み入る」と約諾いたしたるままにて、その後修覆の事にも及ばず打ち捨て置きたるよし。さるゆゑにこの度、神の祟りにて梁も折れたることなるべし。三四年以前、女の死したるころは親類方へ任せ置きたる故、さのみ気もつくまじけれど、今かかる変事の出来たるにより、「さは思ひ当たるべし」とかの屋敷にても語られしと、牧村氏〔御両番五百石〕隠居一甫君の語り給ひしなり。
伝えによると、この女は父母がともに早く亡くなったので祖父母のもとに引き取られ、親類に頼んで伊藤家へ奉公に出したという。この祖父という者は葺屋町の羽左衛門の芝居に関わる者で、その三四年前、程ヶ谷の法性寺へ芝居の梁の木を買い出しに行った者である。当時、社殿がひどく傷んでいたので住職が修復を頼み、芝居関係の者は「茶屋一同で一日一銭ずつの日掛けをして、その積み立てで社殿の破損を修復しよう。ご住職にはなおも芝居繁昌の祈祷をお願いする」と約束したままで、その後修復もせずに打ち捨てておいたという。だから今度、神の祟りで梁も折れたのだろう。三四年前に女が死んだ頃は親類に任せてあったのでさして気づかなかったが、今こういう変事が起きたので「それで思い当たる」とあの屋敷でも語られたと、牧村氏〔両番五百石〕の隠居一甫君が語ってくださった。
この梁の落ちたる後、取り替へたる梁は、出所、上州新田郡岩松村鎮守八幡宮の境内にありし松を伐り出だしたり。この代金十六両、岩松村より堀口村といふ川岸まで八町の間、この入用金二十五両なり。子五月五日の朝、右の川岸を出だして、同七月に葺屋町へ引き付けたりといへり。この時の金主は上州太田宿ふぢや新五兵衛といふ者なり。
この梁が落ちた後に取り替えた梁は、上州新田郡岩松村の鎮守八幡宮の境内にあった松を伐り出したものである。代金は十六両で、岩松村から堀口村という川岸まで八町の間の運搬費が二十五両かかった。子の年五月五日の朝にその川岸を出て、同じ七月に葺屋町へ引き入れたという。このときの出資者は上州太田宿のふぢや新五兵衛という者である。
この上州の一条は、太田宿左衛門といふ人よりの文通を記し出だす。
この上州の一件は、太田宿の左衛門という人からの手紙を書き写した。
文政乙酉中夏朔 文宝堂しるす
文政乙酉五月朔日 文宝堂しるす
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す

葺屋町なる歌舞伎座の梁の折れし事

文化十三丙子年五月三日、葺屋町桐長桐座梁折候に付、御役所言上帳之内書拔。

一、去酉年葺屋町類燒之砌、元羽左衞門芝居普請之節、東海道程ヶ谷宿裏通り古町と申所、日蓮宗寺院〔焉馬云、星川村法性寺といふ〕杉山大明神と申社有之際にて松伐出し、芝居梁に致置候處、神木のよし、右たゝり故不繁昌之趣風說に付、町家別に百文宛取集、當時桐長芝居より下谷龍泉寺地中本淨院へ祈禱を賴、出家五六人舞臺にて祈禱致かゝり候處、梁表方三側内に有之、中が折候。怪我者無之候。

同日七時過頃、新吉原町京町壱丁目より出火、遊女屋共不殘燒失、龍泉寺町まで燒拔て鎭る。此龍泉寺は右ふきや町芝居祈禱に來りし龍泉寺なり。その龍泉寺町まで燒出て、火のしづまりしも竒といふべし。

この日所々にさまざまの珍事あり。

永代橋邊にて伊豆船帆柱折れし事。/赤坂にて鳶のもの登天せしといふ事。/兩國廣小路のかるわざ、綱より落て怪我ありし事。/有馬殿の火の見櫓の屋根紛失の事。/新し橋にて車力釜を落し、釜數四つ割れし事。/四谷にて掘ぬき井戸を掘かゝり、錐のぬけざりし事。

この外にも種々聞たれど、忘れたりけるは、あやしき惡日なるべし。

芝居の梁をれより三四年前〔文化酉年比〕、するが臺伊藤金之丞殿〔御兩番〕のやしきに、十四五歲の比よりつとめ居りしこし元〔名はきは〕、俄に發熱し狂亂、狐のつきたるごとくにて口ばしりける中に、我住居した宮を損じさせ、跡にて修覆せんと僞りて、今に其沙汰もなく打捨置たる事甚腹だゝしく、芝居繁昌を守ることは扨おき、このうらみには不繁昌させ、永く芝居に祟るべしといひつゝ狂ひまはりける故、やしきにて請人方へ引渡し、宿にて能く療治すべしとて遣しける。五日目に此女は身まかりしとぞ。

傳に云、此女の父母ともにはやうなくなりけるゆゑ、祖父母方へ引取て親類方へ賴み、右伊藤氏へ奉公に出しけるよし。此祖父といふ者は、ふきや町羽左衞門の座がゝりの者にて、その三四年以前程ヶ谷の法性寺にて芝居の梁の木を買出しにゆきたるものなり。當時宮居大破に及びたれば、住僧修覆の事を賴みける故、芝居懸りの者、茶や一同にて一日に一錢づゝの日掛をして、其積金を以て宮破損の修覆致すべし。貴僧には猶も芝居繁昌の祈禱を賴入と約諾いたしたるまゝにて、其後修覆の事にも及ばず打捨置たるよし。さるゆゑに此度神のたゝりにて梁もをれたることなるべし。三四年以前女の死したるころは、親類がたへ任せ置たる故さのみ氣もつくまじけれど、今かゝる變事の出來たるにより、さはおもひあたるべしと、かの屋敷にても語られしと、牧村氏〔御兩番五百石〕隱居一甫君のかたり給ひしなり。

此梁の落たる後取かへたる梁は、出所上州新田郡岩松村鎭守八幡宮の境内にありし松を伐出したり。此代金拾六兩、岩松村より堀口村といふ川岸迄八町の間、此入用金廿五兩なり。子五月五日の朝右之川岸を出して、同七月にふき屋町へ引付たりといへり。此時の金主は上州太田宿ふぢや新五兵衞といふ者なり。

此上州の一條は、太田宿左衞門といふ人よりの文通をしるし出す。

文政乙酉中夏朔 文寶堂しるす

注

写本の位置
写本は3169の26カット目左ページの4行目から28カット目左ページまで。署名「文政乙酉中夏朔 文寶堂しるす」は29カット目右ページの冒頭にあり、続けて第10話「町火消人足和睦の話」が始まる。
注記
題は写本の本文で「葺屋町なる歌舞伎座の梁の折れし事」、目録では「葺屋町歌舞伎座の梁折れし事」。原文欄は本文の表記に従った。
校合
「右伊藤氏へ奉公に出しけるよし」は写本の読み。活字本系テキストは「奉行」とするが、写本の字は「奉公」で文脈にも合う。
注記
珍事の六か条は写本では一条ごとに改行して書く。原文欄では「/」で区切って一段落に収めた。
注記
「焉馬云」の割注は写本でも小字の割注。焉馬は鳥亭焉馬で、文政五年に没しているので、この注は生前の話を引いたもの。
注記
桐長桐座は市村座の控櫓で、文化十三年に葺屋町で興行した。羽左衛門は市村座の座元市村羽左衛門。竜泉寺は下谷の真言宗の寺で、新吉原の北に接する。有馬殿は久留米藩有馬家の屋敷と解した。人物と場所の特定は雲亭の推定で未確認。
注記
御両番は書院番と小姓組番の総称。一甫君は牧村氏の隠居で、第1話の狸の手紙に見える「有甫」と同じ人物かどうかは未確認。
注記
末尾の日付「中夏朔」は五月一日で、第五集の兎園会の当日。

AI試訳 / 専門家未校閲