町火消人足和睦の話
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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第五集 第10話 / 海棠庵 関思亮
文政元年の町火消を組とち組の喧嘩の和解式を、二十五番の式次第と千六百人の会合の席図とともに記す。
本文 現代語訳
いぬる文政元年の秋八月、町火消人足を組、ち組の喧嘩の和談のありさまを書けるものを見しに、いとおごそかなる事にて、いにしへ戦国の講和もかくやありけんと、自笑してしるす事、左のごとし。
去る文政元年の秋八月、町火消の「を組」と「ち組」の喧嘩の和解の様子を書いたものを見た。たいそう厳かなもので、昔の戦国時代の講和もこんなふうだったろうかと、我ながらおかしくなって書き写す。次のとおりである。
文政元寅八月二十二日、向両国三河屋喜右衛門貸座敷において、
文政元年寅の八月二十二日、向両国の三河屋喜右衛門の貸座敷において。
一、膳部相済み候後、座敷を掃除、
一、食事が済んだあと、座敷を掃除する。
一番、進物の札を張る。/二番、総中座に着く。/三番、座敷の襖をはづし、/四番、座敷の真中に花莞莚を敷く。/五番、熨斗三方を持ち出づ。/六番、瓶子を持ち出づ。/七番、三方喰摘を持ち出づ。/八番、三方土器を持ち出づ。/九番、銚子を持ち出づ。
一番、進物の札を貼る。/二番、一同が座に着く。/三番、座敷の襖をはずす。/四番、座敷の真ん中に花ござを敷く。/五番、熨斗をのせた三方を持ち出す。/六番、瓶子を持ち出す。/七番、食い摘みをのせた三方を持ち出す。/八番、土器をのせた三方を持ち出す。/九番、銚子を持ち出す。
十番、巳之助〔平次郎、清吉/長蔵、長次郎〕座に着く。/十一番、巳之助、上座に進み、和睦の口上を述ぶる。その等一統、一礼畢りて、巳之助、元の座に直る。/十二番、熨斗三方、上座に進み、/十三番、瓶子、喰摘、土器、上座に進み、
十番、巳之助が座に着く。右に平次郎と清吉、左に長蔵と長次郎。/十一番、巳之助が上座に進み、和睦の口上を述べる。一同が一礼を終えると、巳之助は元の座に戻る。/十二番、熨斗の三方を上座に進める。/十三番、瓶子、食い摘み、土器を上座に進める。
十四番、巳之助、上座に進み、一礼これあり、懐中より書付を出し、「を組の千松様、ち組の藤兵衛様」と呼び出し、座に着く。一礼これあり、巳之助、座に直る。/十五番、三方役の者、土器を持ち出し、を組の頭取平次郎、清吉方へ持ち出づ。三方役の者、土器を持ち出し、ち組の頭取長次郎、長蔵方へ持ち出づ。何れも一所なり。/十六番、銚子を持ち出し、を組の平次郎方へ参り、同人一献給び、ち組の纏持藤兵衛へ持ち出づ。同人一献給び候節、肴役の者、喰摘を持ち出で、肴を遣す。又、ち組の長次郎給び候盃は、を組の纏持千松へ遣す。同人給び候節、肴役の者、喰摘を持ち出し、肴を遣す。三献給び候て、銚子、土器、喰摘、何れも元の座に直る。それより藤兵衛、千松、元の座へ直る。
十四番、巳之助が上座に進んで一礼し、懐から書付を出して「を組の千松様、ち組の藤兵衛様」と呼び出し、二人が座に着く。一礼して巳之助は座に戻る。/十五番、三方役の者が土器を持ち出し、を組の頭取平次郎と清吉のところへ運ぶ。三方役の者が土器を持ち出し、ち組の頭取長次郎と長蔵のところへ運ぶ。どちらも同時である。/十六番、銚子を持ち出してを組の平次郎のところへ行き、平次郎が一献受け、その盃をち組の纏持藤兵衛へ運ぶ。藤兵衛が受けるとき、肴役の者が食い摘みを持ち出して肴を渡す。また、ち組の長次郎が受けた盃はを組の纏持千松へ渡す。千松が受けるとき、肴役の者が食い摘みを持ち出して肴を渡す。三献が済むと、銚子、土器、食い摘みをそれぞれ元の座に戻す。それから藤兵衛と千松が元の座に戻る。
十七番、巳之助、上座に出て、懐中より書付を出し、「を組の吉五郎様、ち組の幸次郎様」と呼び出し、両人、図の如く座に着き、一礼畢りて、巳之助、元の座に直る。/十八番、三方役の者、土器を持ち出し、を組の平次郎方へ持ち参り、同人一献給び候盃は、ち組の幸次方へ遣す。同人一献給び候節、肴役の者、喰摘を持ち出し、肴を遣す。又、ち組の長次郎給び候盃は、を組の吉五郎へ遣す。同人一献給び候節、肴役の者、喰摘を持ち出し、肴を遣す。三献給び候て、銚子、土器、喰摘、何れも元の座に直る。それより両人、一礼畢りて、元座に着く。
十七番、巳之助が上座に出て懐から書付を出し、「を組の吉五郎様、ち組の幸次郎様」と呼び出す。二人は図のとおりに座に着き、一礼が終わると巳之助は元の座に戻る。/十八番、三方役の者が土器を持ち出してを組の平次郎のところへ運び、平次郎が一献受けた盃をち組の幸次のところへ渡す。幸次が受けるとき、肴役の者が食い摘みを持ち出して肴を渡す。また、ち組の長次郎が受けた盃はを組の吉五郎へ渡す。吉五郎が受けるとき、肴役の者が食い摘みを持ち出して肴を渡す。三献が済むと、銚子、土器、食い摘みをそれぞれ元の座に戻す。それから二人は一礼して元の座に着く。
十九番、巳之助、上座に罷り出で、懐中より書付を出し、「を組の栄五郎様、ち組の長蔵様」と呼び出し、両人、図の如く座に着き、一礼畢りて、巳之助、元座に直る。/二十番、三方役の者、土器を持ち出し、を組の平次郎方へ持ち参り、同人一献給び候盃は、ち組の長蔵方へ遣す。同人一献給び候節、肴役の者、喰摘を持ち出し、肴遣す。又、ち組の長次郎一献給び候盃は、を組の栄五郎へ遣す。同人一献給び候節、喰摘致し候者、喰摘を持ち出し、肴を遣す。右三献相済み候て、銚子、土器、喰摘、引き取り、それより両人、一礼畢りて、元座に直る。
十九番、巳之助が上座に出て懐から書付を出し、「を組の栄五郎様、ち組の長蔵様」と呼び出す。二人は図のとおりに座に着き、一礼が終わると巳之助は元の座に戻る。/二十番、三方役の者が土器を持ち出してを組の平次郎のところへ運び、平次郎が一献受けた盃をち組の長蔵のところへ渡す。長蔵が受けるとき、肴役の者が食い摘みを持ち出して肴を渡す。また、ち組の長次郎が一献受けた盃はを組の栄五郎へ渡す。栄五郎が受けるとき、食い摘み係の者が食い摘みを持ち出して肴を渡す。以上三献が済むと、銚子、土器、食い摘みを引き取り、それから二人は一礼して元の座に戻る。
二十一番、巳之助、上座に進み、懐中より書付を出し、口上にて、「御銘々御盃事仕り候筈に御座候えども、御大勢の事ゆえ時刻も移り候間、余はいかが仕るべきや」と挨拶に及び候ところ、一統「思し召しに随い候」と返答に及び、それより一礼畢りて、巳之助、元座に直り、長次郎、平次郎と申し談じ候て、又候上座に進み、「何れも様、吉日に付き、御和談も盃も首尾よく相済み候に付き、御総中様へ御手打を願い候」と挨拶に及び候ところ、一統承知にて一礼致し、それより巳之助、元座に直り候て、三々九の手打、目出度く相済み申し候。
二十一番、巳之助が上座に進み、懐から書付を出し、口上で「銘々に盃事をなさるはずでございましたが、大勢のことで時刻も移りましたので、残りはいかがいたしましょうか」と挨拶したところ、一同「お考えに従います」と答えた。それから一礼して巳之助は元の座に戻り、長次郎、平次郎と相談してまた上座に進み、「皆様、吉日につき、和談も盃事も首尾よく済みましたので、ご一同に手締めをお願いします」と挨拶したところ、一同承知して一礼し、巳之助が元の座に戻って、三々九度の手締めがめでたく済んだ。
二十二番、巳之助、上座に罷り出で、「何れも様、遠路のところ御来駕成し下され、御苦労千万に存じ奉り候。これに依り御座も和らぎ、ゆるゆる御酒宴下さるべし」と挨拶に及び、巳之助、元座に直る。/二十三番、熨斗三方、瓶子、土器、銚子、喰摘、両方一所に引き取る。/二十四番、花莞莚を引き取り、「を組」「ち組」と書き候張札を取り、それより巳之助、清吉、平次郎、長次郎、長蔵、何れも下座へ引き取り候。/二十五番、これより又候座敷を掃除致し、肴、銚子、盃出でて、酒宴初まる。この節、巳之助、清吉、長蔵、長次郎、平次郎、その外仲人に罷り出で候人々の内より四五人も座敷へ罷り出で、「何れも様、今日は吉日に付き、御和談、手打も滞りなく相済み、これに依りゆるゆる御酒宴下さるべく候」と挨拶に及び候て、何れも下座敷へ引き取り候。
二十二番、巳之助が上座に出て「皆様、遠路お越しくださり、ご苦労千万に存じます。これで場も和みましたので、ゆるゆると酒宴をお楽しみください」と挨拶し、元の座に戻る。/二十三番、熨斗の三方、瓶子、土器、銚子、食い摘みを、両方いっしょに引き取る。/二十四番、花ござを引き取り、「を組」「ち組」と書いた貼り札を取り、巳之助、清吉、平次郎、長次郎、長蔵はみな下座へ引き取る。/二十五番、ここからまた座敷を掃除し、肴、銚子、盃が出て酒宴が始まる。このとき巳之助、清吉、長蔵、長次郎、平次郎のほか、仲人として出ていた人々のうちから四五人も座敷へ出て、「皆様、今日は吉日につき、和談も手締めも滞りなく済みました。どうぞゆるゆると酒宴をお楽しみください」と挨拶して、みな下の座敷へ引き取った。
この節、阿部川町文吉という者、「和談、手打にも首尾よく相済み候に付き、私ども十人ばかり南御番所へ罷り出で候間、この跡は酒宴ばかりにて別に相替る義これなきに付き、拙者ども帰り申すべし」旨、挨拶に及び候。
このとき阿部川町の文吉という者が、「和談も手締めも首尾よく済みましたので、私ども十人ばかりは南町奉行所へ出頭します。この後は酒宴ばかりで格別のことはありませんから、私どもは帰らせていただきます」と挨拶した。
一、その節、を組世話人与三郎、十番組頭取万五郎、仙之助、清五郎、八番組頭取孫市、九番組頭取吉五郎、右六人の者咄し申し候は、「この度の和談は近年覚えこれなき大場所にて、江戸中にもれ候所は深川八幡前、芝、麻布境ばかり相残り、その外江戸中、千住、品川、染井、巣鴨辺の組合にて、誠に心遣いなる和談に御座候。その訳は、今日三献盃の内に、盃の取り様、肴の請け様、あるいは肴役、銚子役の者の酌み取り様、肴の摘み様、何事に限らず前後これあるか、または世話人、仲人、巳之助、盃の口上に少しも前後間違い等これあり候節は、その場所にて和睦破談に相成る大変の基ゆえ、銘々まで三献の盃事相済み申さざる内は、誠に冷や汗を流し、心配この上もなき事に御座候。先年も和談の節、盃の取り遣りに少々粗略これあるに付き、その和談の場にて直様破談、喧嘩に相成る事もこれあり、その節は組合も不足の事ゆえ格別の事もこれなく候えども、この度は和談近年覚えこれなき大場所にて、誠に仲人初め頭取の銘々まで心配の段、申し尽くしがたく候。三献盃の内は敵味方列座の面々、目を皿の如く致し、粗略、間違い等ばかり気を付け居り候事に候。誠に恐ろしき事に御座候。今日の人数も、帳場に祝儀を差し出し帳面へ相記し候人数、千六百四十八人ほどこれあり。然れども雨天に付き、遠方の者は祝儀一通りにて仲間へ相頼み罷り帰り候者も五六百人これあり、手打相済み候まで相詰め居り候者は、二階座敷に六百人余、下座敷に二百人余、奥の間に老人ども七八十人詰め居り候。都合九百人余の人数に御座候。誠に近年承らざる和談に御座候。駕も四五十挺も三河屋の前にこれあり」。右の趣、具に十番組頭取万五郎に六人の者の話に御座候。
一、そのとき、を組世話人の与三郎、十番組頭取の万五郎、仙之助、清五郎、八番組頭取の孫市、九番組頭取の吉五郎、この六人が話したことには、「このたびの和談は近年に例のない大がかりなもので、江戸中で漏れた所は深川八幡前、芝、麻布境だけ。そのほかは江戸中、千住、品川、染井、巣鴨あたりまでの組合が加わり、まことに気を遣う和談でした。というのも、今日の三献の盃のあいだ、盃の取り方、肴の受け方、あるいは肴役や銚子役の酌の取り方、肴のつまみ方、何事によらず順序が狂ったり、世話人、仲人、巳之助の盃の口上に少しでも前後の間違いがあったりすれば、その場で和睦が破談になる大変のもとですから、銘々まで三献の盃事が済まないうちは、まことに冷や汗を流し、心配この上ないことでした。先年も和談のとき、盃のやりとりに少々粗略があって、その場で即座に破談、喧嘩になったことがあります。そのときは組合も少なかったので大したことにはなりませんでしたが、このたびは近年に例のない大がかりな和談で、仲人をはじめ頭取の銘々まで心配のほどは言い尽くせません。三献の盃のあいだは、敵も味方も列座の面々が目を皿のようにして、粗略や間違いばかりに気をつけているのです。まことに恐ろしいことです。今日の人数も、帳場に祝儀を出して帳面に記した人数が千六百四十八人ほど。しかし雨天のため、遠方の者は祝儀だけ出して仲間に頼んで帰った者も五六百人あり、手締めが済むまで詰めていた者は、二階座敷に六百人余り、下座敷に二百人余り、奥の間に老人たち七八十人。合わせて九百人余りでした。まことに近年聞いたことのない和談です。駕籠も四五十挺が三河屋の前に並びました」。以上の趣は、つぶさに十番組頭取の万五郎ほか六人の話である。
一、先達て右喧嘩の節、手負いの者これあるに付き、根津、音羽両所の遊所より金十三両、并びに堂前より金七両二分、あたけより金五両、右「見舞」として進上致したき趣、内々聞き合わせ申し入れ候に付き、こなた頭取、世話人どもより、存じ付きのところ至極もっともの段、忝き趣を申し遣わし候ところ、早速樽肴に金子差し添え、世話人方まで持参致し候に付き、受け取り申し候。すべて火消組の内に喧嘩に限らず混雑の事これあり候節は、江戸中の遊所より見舞として樽肴金子等差し越す事、今日の和談とても右同様こなたより頭取、世話人方へ内々申し入れ、江戸中の遊所より樽肴金子等祝儀差し越し候えども、これらの事は今日張札に相成らざる事に候。右の趣、八番組頭取孫市、九番同吉五郎、十番組同仙之助、阿部川町同与三郎、右四人の話に御座候。
一、先日、この喧嘩で手負いの者が出たので、根津と音羽の両遊所から金十三両、堂前から金七両二分、あたけから金五両を「見舞」として贈りたいと内々に打診があった。こちらの頭取と世話人から、そのお心遣いはまことにもっともで有難いと返事したところ、早速樽と肴に金子を添えて世話人のところまで持参したので受け取った。総じて火消組のうちで喧嘩に限らず騒動があったときは、江戸中の遊所から見舞として樽、肴、金子などを贈るもので、今日の和談についても同様にこちらから頭取と世話人へ内々に申し入れ、江戸中の遊所から樽、肴、金子などの祝儀が届いたが、これらは今日の貼り札には載せない決まりである。以上は八番組頭取の孫市、九番組の吉五郎、十番組の仙之助、阿部川町の与三郎、この四人の話である。
一、今日和談に打ち寄り候年寄、仲人、世話人、頭取どもの衣裳は、八丈のせいひつ縞などの袷、あるいは単物、または竜紋袷、羽織は絽の紋付など、ななこ、竜紋などにて、帯は縞博多、薩摩琥珀、厚板類に御座候。纏持は紫縮緬、黄ちりめんの単物、背中に「纏」という字を縫い付け、帯は何れも天鵞絨に御座候。その外紫ちりめん、黄縮緬、びろうどの帯を致し候もの二三百人も相見え候。その外所持の煙管、煙草粉入、紙入等は、何れも金五六両ともに相見え候品ばかりに御座候。もっとも側に居り候を見請け候人の咄に、阿部川町与三郎、り組の長治など所持の煙草入は、鎖ばかりにても五六両も致すべき品と相見え申し候。
一、今日の和談に集まった年寄、仲人、世話人、頭取たちの衣裳は、八丈の静謐縞などの袷、あるいは単物、または竜紋の袷で、羽織は絽の紋付など、ななこ織や竜紋など。帯は縞博多、薩摩琥珀、厚板の類であった。纏持は紫縮緬や黄縮緬の単物で、背中に「纏」の字を縫い付け、帯はみなビロードであった。そのほか紫縮緬、黄縮緬、ビロードの帯をした者が二三百人も見えた。そのほか所持の煙管、煙草入、紙入などは、どれも金五六両はしそうな品ばかりであった。もっとも、そばにいて見ていた人の話では、阿部川町の与三郎やり組の長治などが持っていた煙草入は、鎖だけでも五六両はしそうな品に見えたという。
一、十番組の頭取万五郎、仙之助、清五郎、八番組頭取孫市、九番組頭取吉五郎、右いづれも話し候は、「右喧嘩の相手方ち組の怪我人二十人、内二人は即死にも相成るべしと申すもの、纏持藤兵衛、幸次。を組の怪我人十三人、内、纏持卯之助、幸吉と申す。右幸吉、『ち組の藤兵衛快方これなく死去致し候節は、やむを得ざる事、こなた纏持幸吉解死人に相成るべき』段、幸吉これを申し居り候。然るところ怪我は少々疵もよろしく候えども、余病の発り候ところ、先役の卯之助、十人を組総中へ願い出で候は、『この度の解死人、幸吉儀は当たり前のところに御座候えども、同人義は御存知の通り若年者の事、殊にこの節余病差し発り候事ゆえ、ただいま解死人の取沙汰、格別の心労致させ候も、私先役にて外組へ対し相済み申さず候間、何分解死人には私に相究まり候様に』と、卯之助達て申し入れ候えども、解死人の事ゆえ容易ならず、組中一統卯之助へ申し聞かせ候は、『願いの趣もっともに候えども、この度の義は幸吉解死人と相極まり候間、この段左様相心得べく候』と申し候ところ、又候卯之助申し出で候は、『仰せられ候ところ御もっともには候えども、幸吉儀も余病もこれあり、万一病死等仕り候節は、跡にて解死人の取沙汰、江戸中へ対し外聞よろしからず候。名前にも相拘り候間、何分解死人は拙者に御極め下され候様』達ての願いに付き、又候一統仲間申し談じ、卯之助の心底に任せ、ち組の方へ卯之助解死人の趣相届け置き候。然るところ手負人も快方に相成り、今日和談の場所へ相詰め合い候えども、座敷の式へ列座に出し候ては、盃事何か手事も相懸り候間、その内には粗略、間違い等もこれある節は、又候破談、喧嘩の元と相成り候ゆえ、元の場所へ取り出し申さず候。総代として図の如く、を組より栄五郎、ち組より長蔵、両人差し出し手打相済み候。もっとも一番盃に相出でしち組の纏持藤兵衛と申す者は、喧嘩の節にを組の纏持幸吉に鳶口を左の鬢先へ刺し倒され、二間ほど引かれし由、誠に疵も大造にて、既に即死に成るべきほどの事に候ところ、快方いたし今日手打に相成り、誠に安心致し候」。右、万五郎、仙之助、清五郎、与三郎の咄に御座候。段々喧嘩の様子、手負いの者、左の咄承り候えば、身の毛も動き候様なる心地、恐ろしき事に御座候。
一、十番組頭取の万五郎、仙之助、清五郎、八番組頭取の孫市、九番組頭取の吉五郎がいずれも話したことには、「この喧嘩の相手方ち組の怪我人は二十人、うち二人は即死にもなりかねないというのが纏持の藤兵衛と幸次。を組の怪我人は十三人、うち纏持の卯之助と幸吉。この幸吉は『ち組の藤兵衛が快方に向かわず死んだときは、やむを得ず、こちらの纏持である自分が下手人として差し出されることになる』と言っていた。ところが傷は少しよくなったものの余病が起きたので、先役の卯之助が、十人を組の総中に願い出た。『このたびの下手人は幸吉が当然ですが、幸吉はご存知のとおり若年者で、ことにこのたび余病が出ていますから、いま下手人の取り沙汰で格別の心労をさせるのも、私が先役として他の組に対して申し訳が立ちません。どうか下手人は私に決めてください』と卯之助がたって申し入れたが、下手人のことは容易ではないので、組中一同が卯之助に『願いの趣はもっともだが、このたびは幸吉が下手人と決まったので、そう心得よ』と言った。すると卯之助がまた『おっしゃることはごもっともですが、幸吉にも余病があり、万一病死などしたときは、あとで下手人の取り沙汰が江戸中に対して外聞が悪い。名にも関わりますから、どうか下手人は私にお決めください』とたっての願いなので、また一同仲間で相談し、卯之助の心底にまかせて、ち組へは卯之助が下手人になる旨を届けておいた。ところが手負いの者も快方に向かい、今日の和談の場所へ詰めてはいたが、座敷の式に列座させると盃事に何かと手間がかかり、そのうちに粗略や間違いがあればまた破談、喧嘩のもとになるので、元の場所へは出さなかった。総代として図のとおり、を組から栄五郎、ち組から長蔵の二人を出して手締めが済んだ。もっとも一番の盃に出たち組の纏持藤兵衛という者は、喧嘩のときにを組の纏持幸吉に鳶口を左の鬢先に刺されて倒され、二間ほど引きずられたそうで、まことに傷も大きく、ほとんど即死になりかねないところを快方に向かい、今日の手締めに出たので、まことに安心した」。以上は万五郎、仙之助、清五郎、与三郎の話である。だんだんと喧嘩の様子や手負いの者の話を聞くと、身の毛もよだつような心地で、恐ろしいことである。
一、向両国三河屋喜右衛門二階座敷、和談の場所、長さ十二間、幅五間、片々一間の長通りこれあり、八畳敷十二間に仕切り、中仕切これあり、何れも襖なり。
一、向両国の三河屋喜右衛門の二階座敷、和談の場所は、長さ十二間、幅五間、両側に一間の廊下があり、八畳敷き十二間に仕切って中仕切りがあり、いずれも襖である。
一、八月二十二日朝五つ時より段々三河屋へ打ち寄り、手打相済み、刻限は夕七つ時頃に御座候。
一、八月二十二日の朝五つ時から順々に三河屋へ集まり、手締めが済んだ刻限は夕方の七つ時頃であった。
右座敷絵図面、左の如し。
右の座敷の絵図面は次のとおり。
〔図一 文政元年八月二十二日/向両国三河屋喜右衛門貸座敷にて/を組ち組/喧嘩和談席/上の図/会合人数/千六百四十八人/一の盃 藤兵衛 纏/二の盃 幸次/三の盃 長蔵 手負惣代/ち組 纏 藤兵衛 幸次 手負惣代 長蔵 世話人/一の盃 千松 纏/二の盃 吉五郎/三の盃 栄五郎 手負惣代/を組 千松 纏 吉五郎 世話人 手負惣代 栄五郎/進上 進上 進上(札の列、判読保留)/ち組 頭取 長次郎 長蔵/を組 頭取 平次郎 清吉/巳之助/ち組 敵同者 十六人/を組 敵同者 十六人/帳番 二十八人 内 を組頭取 平次郎 清吉 十番組頭取 万五郎 仙之助 清五郎 八番組頭取 孫市 九番組頭取 吉五郎 ち組頭取 長次郎 長蔵/詰所 大勢/詰所 大勢/海棠庵録〕
〔図一 文政元年八月二十二日、向両国三河屋喜右衛門貸座敷にての、を組とち組の喧嘩和談席上の図。会合人数千六百四十八人。上座に、ち組側は一の盃藤兵衛(纏持)、二の盃幸次、三の盃長蔵(手負惣代)、を組側は一の盃千松(纏持)、二の盃吉五郎、三の盃栄五郎(手負惣代)。進上の札の列。ち組頭取長次郎と長蔵、を組頭取平次郎と清吉、中央に巳之助。ち組とを組の敵同者各十六人。帳番二十八人、うちを組頭取平次郎と清吉、十番組頭取万五郎、仙之助、清五郎、八番組頭取孫市、九番組頭取吉五郎、ち組頭取長次郎と長蔵。詰所は大勢。海棠庵録〕
前条に載する所の、を組の纏持卯之助が、幸吉とかいうものに代りて解死人にならんと請いし事、匹夫の勇には似たれども、取るべきところなきにあらず。難にのぞみて死を惜しまざる勇気は、をさをさ武夫というとも及ばざるもの多かり。もしよくこの志をもて義を求め、道を聴き、君父の大事に出でしめば、名を竹帛に書すに足るべし。わづかの争闘に生命をあやまらんとす、豈惜しからずや。
前条に載せた、を組の纏持卯之助が幸吉とかいう者に代わって下手人になろうと願い出たことは、匹夫の勇に似てはいるが、取るべきところがないわけではない。危難に臨んで死を惜しまない勇気は、武士といえども及ばない者が多い。もしこの志をもって義を求め、道を聴き、君父の大事に用いさせたなら、名を歴史に書き残すに足りるだろう。わずかな争いで命を落とそうとするとは、なんとも惜しいことではないか。
文政乙酉五月朔 海棠庵再識
文政乙酉五月朔日 海棠庵再識
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町火消人足和睦の話
いぬる文政元年の秋八月、町火消人足を組ち組喧嘩の和談のありさまを書けるものを見しに、いとおごそかなる事にて、いにしへ戰國の講和もかくやありけんと、自笑してしるす事左のごとし。
文政元寅八月廿二日、向兩國三河屋喜右衞門貸座敷において、
一、膳部相濟候後、座敷を掃除、
壱番 進物の札を張/弐番 總中座に着/三番 座敷の襖をはづし/四番 座敷の眞中に花莞莚を敷/五番 熨斗三方を持出/六番 甁子を持出/七番 三方喰摘を持出/八番 三方土器を持出/九番 銚子を持出
十番 巳之助〔平次郞 淸吉/長藏 長次郞〕座に着/十一番 巳之助上座に進み、和睦之口上を述ぶる。その等一統一禮畢りて、巳之助元の座に直る/十二番 熨斗三方上座に進み/十三番 甁子喰摘土器上座に進み
十四番 巳之助上座に進み一禮有之、懐中より書付を出し、を組の千松樣、ち組の藤兵衞樣と呼出し座に着。一禮有之、巳之助座に直る/十五番 三方役の者土器を持出、を組の頭取平次郞淸吉方へ持出。三方役之者土器を持出、ち組の頭取長次郞長藏方へ持出。何れも一所なり/十六番 銚子を持出、を組の平次郞方へ參り、同人一獻給、ち組の纒持藤兵衞へ持出。同人一獻給候節、肴役の者喰摘を持出、肴を遣す。又ち組の長次郞給候盃は、を組の纏持千松へ遣す。同人給候節、肴役の者喰摘を持出、肴を遣す。三獻給候て、銚子土器喰摘何れも元の座に直る。夫より藤兵衞千松元の座へ直る
十七番 巳之助上座に出て、懷中より書付を出し、を組の吉五郞樣、ち組の幸次郞樣と呼出し、兩人圖の如く座に着、一禮畢りて巳之助元の座に直る/十八番 三方役之者土器を持出、を組の平次郞方へ持參り、同人一獻給候盃は、ち組の幸次方へ遣す。同人一獻給候節、肴役之者喰摘を持出、肴を遣す。又ち組の長次郞給候盃は、を組の吉五郞へ遣す。同人一獻給候節、肴役之者喰摘を持出、肴を遣す。三獻給候て、銚子土器喰摘何れも元の座に直る。夫より兩人一禮畢りて元座に着
十九番 巳之助上座に罷出、懷中より書付を出し、を組の榮五郞樣、ち組の長藏樣と呼出し、兩人圖の如く座に着、一禮畢りて巳之助元座に直る/二十番 三方役之者土器を持出、を組の平次郞方へ持參り、同人一獻給候盃は、ち組の長藏方へ遣す。同人一獻給候節、肴役之者喰摘を持出、肴遣す。又ち組の長次郞一獻給候盃は、を組の榮五郞へ遣す。同人一獻給候節、喰摘致候者喰摘を持出、肴を遣す。右三獻相濟候て、銚子土器喰摘引取、夫より兩人一禮畢りて元座に直る
廿一番 巳之助上座に進み、懷中より書付を出し、口上にて、御銘々御盃事仕候筈に御座候得共、御大勢之事故時刻も移り候間、餘はいかゞ仕哉と挨拶に及候處、一統思召に隨ひ候と返答に及び、夫より一禮畢りて巳之助元座に直り、長次郞平次郞と申談候て又候上座に進み、何れも樣吉日に付、御和談も盃も首尾能相濟候に付、御總中樣へ御手打を願候と及挨拶候所、一統承知にて一禮致し、夫より巳之助元座に直り候而、三々九之手打目出度相濟申候
廿二番 巳之助上座に罷出、何れも樣遠路之所御來駕被成下、御苦勞千萬に奉存候。依之御座も和き、ゆるゆる御酒宴可被下と及挨拶、巳之助元座に直る/廿三番 熨斗三方甁子土器銚子喰摘、兩方一所に引取/廿四番 花莞莚を引取、を組ち組と書候張札を取り、夫より巳之助淸吉平次郞長次郞長藏何れも下座へ引取候/廿五番 是より又候座敷を掃除致し、肴銚子盃出て酒宴初まる。此節巳之助淸吉長藏長次郞平次郞其外仲人に罷出候人々の内より四五人も座敷へ罷出、何れも樣今日は吉日に付、御和談手打も無滯相濟、依之ゆるゆる御酒宴可被下候と及挨拶候而、何れも下座敷へ引取候
此節阿部川町文吉といふ者、和談手打にも首尾能相濟候に付、私共拾人計南御番所へ罷出候間、此跡は酒宴計にて別に相替義無之に付、拙者共歸り可申旨及挨拶候。
一、其節を組世話人與三郞、十番組頭取萬五郞、仙之助、淸五郞、八番組頭取孫市、九番組頭取吉五郞、右六人之者咄申候は、此度之和談は近年覺無之大場所にて、江戸中にもれ候所は深川八幡前、芝、麻布堺ばかり相殘り、其外江戸中千住品川染井巢鴨邊之組合にて、誠に心遣成る和談に御座候。其譯は、今日三獻盃之内に、盃之取樣、肴の請樣、亦は肴役銚子役之者酌取樣、肴之摘樣、不限何事前後有之歟、又は世話人中人巳之助盃之口上に少しも前後間違等有之候節は、其場所にて和睦破談に相成大變之基故、銘々迄三獻之盃事相濟不申内は、誠にひや汗を流し、心配此上もなき事に御座候。先年も和談之節、盃取遣りに少々麁略有之に付、其和談之場にて直樣破談喧嘩に相成事も有之、其節は組合も不足之事故格別之事も無之候へ共、此度は和談近年覺無之大場所にて、誠に仲人初頭取之銘々迄心配之段申盡しがたく候。三獻盃之内は敵味方列座の面々目を皿の如く致し、麁略間違等計氣を付居候事に候。誠に恐しき事に御座候。今日の人數も、帳場に祝儀を差出し帳面へ相記候人數千六百四十八人程有之。然共雨天に付、遠方之者は祝儀一通りにて仲間へ相賴罷歸候者も五六百人有之、手打相濟候迄相詰居候者は、二階座敷に六百人餘、下座敷に弐百人餘、奧の間に老人共七八十人詰居候。都合九百人餘之人數に御座候。誠に近年不承和談に御座候。駕も四五十挺も三河屋之前に有之。右之趣具に十番組頭取萬五郞に六人之者はなしに御座候。
一、先達右喧嘩の節手負之者有之に付、根津音羽兩所之遊所より金拾三兩、幷堂前より金七兩貳分、あたけより金五兩、右見舞として進上致度趣、内々聞合申入候に付、此方頭取世話人共より存つき之處至極尤之段忝趣を申遣候之處、早速樽肴に金子差添世話人方迄致持參候に付受取申候。都て火消組之内に喧嘩に不限混雜之事有之候節は、江戸中之遊所より見舞として樽肴金子等差越事、今日之和談とても右同樣此方より頭取世話人方へ内々申入、江戸中之遊所より樽肴金子等祝儀差越候へ共、是等之事は今日張札に不相成候事に候。右之趣八番組頭取孫市、九番同吉五郞、十番組同仙之助、阿部川町同與三郞、右四人のはなしに御座候。
一、今日和談に打寄候年寄仲人世話人頭取共之衣裳は、八丈之せいひつ縞などの袷、或は單物、又は龍紋袷、羽織は絽の紋付など、なゝこ龍紋抔にて、帶は縞はかた薩摩琥珀厚板類に御座候。纒持は紫縮緬黃ちりめんの單物、せなかに纒と云ふ字をぬひ付け、帶は何れも天鵞絨に御座候。其外紫ちりめん黃縮緬びろうどの帶を致候もの弐三百人も相見え候。其外所持之きせる烟草粉入紙入等は、何れも金五六兩共相見え候品計に御座候。尤側に居候を見請候人の咄に、阿部川町與三郞、り組の長治など所持之多葉粉入は、くさり計にても五六兩も可致品と相見え申候。
一、十番組の頭取萬五郞、仙之助、淸五郞、八番組頭取孫市、九番組頭取吉五郞、右いづれもはなし候は、右喧嘩之相手方ち組の怪我人廿人、内二人は卽死にも可相成と申もの纏持藤兵衞幸次、を組の怪我人十三人、内纏持卯之助幸吉と申。右幸吉、ち組の藤兵衞快方無之死去致候節者、不得已事此方纏持幸吉解死人に可相成段、幸吉是を申居候。然處怪我は少々疵も宜候得共、餘病之發り候處、先役之卯之助十人を組總中へ願出候は、此度之解死人幸吉儀は當り前之處に御座候得共、同人義は御存知之通り若年者之事、殊に此節餘病差發り候事故、只今解死人之取沙汰格別之心勞致させ候も、私先役にて外組へ對し相濟不申候間、何分解死人には私に相究り候樣にと、卯之助達而申入候得共、解死人之事故容易ならず、組中一統卯之助へ申聞候は、願之趣尤に候得共、此度之義は幸吉解死人と相極り候間、此段左樣可相心得候と申候處、又候卯之助申出候者、被仰候處御尤には候得共、幸吉儀も餘病も有之、萬一病死等仕候節は、跡にて解死人之取沙汰江戸中へ對し外聞不宜候。名前にも相拘り候間、何分解死人は拙者に御極め被下候樣達て之願に付、又候一統仲間申談、卯之助心底に任せ、ち組之方へ卯之助解死人之趣相屆置候。然處手負人も快方に相成、今日和談之場所へ相詰合候得共、座敷之式へ列座に出し候ては、盃事何か手事も相懸候間、其内には麁略間違等も有之節は、又候破談喧嘩之元と相成候故、元之場所へ取出し不申候。總代として圖の如く、を組より榮五郞、ち組より長藏、兩人差出し手打相濟候。尤壱番盃に相出でしち組の纏持藤兵衞と申者は、喧嘩の節にを組之纏持幸吉に鳶口を左之鬢先へ刺し倒され、弐間程引かれし由、誠に疵も大造にて、既に卽死に可成程之事に候處、快方いたし今日手打に相成り、誠に安心致し候。右萬五郞仙之助淸五郞與三郞咄に御座候。段々喧嘩の樣子手負之者左之咄承り候へば、身の毛も動き候樣なるこゝち恐ろしき事に御座候。
一、向兩國三河屋喜右衞門二階座敷和談之場所、長さ十二間、幅五間、片々壱間之長通り有之、八疊敷十二間に仕切、中仕切有之、何れも襖なり。
一、八月二十二日朝五時より段々三河屋へ打寄、手打相濟、刻限者夕七時頃に御座候。
右座敷繪圖面左の如し。
〔圖一 文政元年八月廿二日/向兩國三河屋喜右衞門貸座敷にて/を組ち組/喧嘩和談席/上の圖/會合人數/千六百四十八人/一ノ盃 藤兵衞 纏/二ノ盃 幸次/三ノ盃 長藏 手負惣代/ち組 纏 藤兵衞 幸次 手負惣代 長藏 世話人/一ノ盃 千松 纏/二ノ盃 吉五郞/三ノ盃 榮五郞 手負惣代/を組 千松 纏 吉五郞 世話人 手負惣代 榮五郞/進上 進上 進上(札の列、判讀保留)/ち組 頭取 長次郞 長藏/を組 頭取 平次郞 淸吉/巳之助/ち組 敵同者 十六人/を組 敵同者 十六人/帳番 廿八人 内 を組頭取 平次郞 淸吉 十番組頭取 萬五郞 仙之助 淸五郞 八番組頭取 孫市 九番組頭取 吉五郞 ち組頭取 長次郞 長藏/詰所 大勢/詰所 大勢/海棠庵錄〕
前條に載する所の、を組の纏持卯之助が、幸吉とかいふものに代りて解死人にならんと請ひし事、匹夫の勇には似たれども、取るべきところなきにあらず。難にのぞみて死を惜まざる勇氣は、をさをさ武夫といふとも及ばざるもの多かり。もしよくこの志をもて義を求め、道を聽き、君父の大事に出でしめば、名を竹帛に書すに足るべし。わづかの爭鬪に生命をあやまらんとす、豈をしからずや。
文政乙酉五月朔 海棠庵再識
注
- 写本の位置
- 写本は3169の29カット目右ページの2行目から40カット目右ページまで。29カット目右ページの冒頭は第9話の署名。36カット目左ページで本文が終わり、37カット目右ページは白紙、37カット目左ページに折り込みの座敷絵図面が畳んだまま写り、38カット目にその全体を開いた画像がある(原画は横長で11249×5241)。39カット目は白紙で、40カット目右ページに海棠庵の後記と署名がある。
- 校合
- 活字本系テキストの「相替殼無之」は写本では「相替義無之」。二十番と其節の条の「看役」は写本では「肴役」。「大揚所」は写本では「大場所」で、原寸で切り出して確かめた。「仙之前」「古五郞」「千之助」は写本では「仙之助」「吉五郞」「仙之助」。「什候」は写本では「仕候」。末尾の「獄をしからずや」は写本では「豈をしからずや」で、脇に朱で「豈」と書き入れがある。
- 注記
- 十八番の「を組の平次方へ」は写本では「平次郞方へ」で、原寸で切り出して確かめた。同じ行の「幸次方へ」は写本も「幸次」と読めるが、十七番では「幸次郞樣」と書く。
- 注記
- 十番は写本では「巳之助 座に着」の右に「平次郞 淸吉」、左に「長藏 長次郞」を小さく添える。原文欄では〔 〕に入れて巳之助の後に置いた。番ごとの式次第は写本では番号を行頭に置いて改行するが、原文欄では内容のまとまりで数番ずつ一段落にし、番の間を「/」で区切った。
- 判読保留
- 座敷絵図面は上下二段の座席図で、上半分の文字は上下逆さに書かれている。図中の書き込みは右上の題辞から順に「/」で区切って写した。進上の札の列は小さな枠に「進上」と金額や品目を並べたものだが、細字で判読できず、判読保留とした。「敵同者」「帳番廿八人」「詰所大勢」の語も原寸に拡大して読んだが字形の推定にとどまり、判読保留とする。図中の人名は本文と一致する。
- 注記
- 「靜謐縞」は八丈の縞織の名、「なゝこ」は魚子織、「厚板」は厚地の絹織物と解した。「解死人」は下手人として相手方に差し出される者を指す。「あたけ」は深川の安宅の遊所と解した。いずれも雲亭の推定で未確認。
- 注記
- 海棠庵は関思亮。文政乙酉五月朔は第五集の兎園会の当日。
AI試訳 / 専門家未校閲