雲亭日本古典図書室収録作品の一覧

花

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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第五集 第14話 / 著作堂客編 京 青李庵 角鹿桃窠

京都で初正月の女児に贈る「花」が端午の薬玉の名残だと桃窠が考証し、馬琴が遠友桃窠の人柄と客編を披講した経緯を添える。

本文 現代語訳

花
花
文政八年乙酉五月随筆会 平安 角鹿桃窠
文政八年乙酉五月随筆会 京 角鹿桃窠
京師の俗に、小児生まれて初の正月、母かたの親里などより、男子に「ふりふりぎちょう」を贈る事は、今もまれまれにあり。女子に「花」を贈りしは、ようやく絶えたるに似たり。浪華あたりにては「はま弓」ちょうものを贈るとか聞きしが、その事はよくも知らず。花というは、もと端午のものにて、童の袖にかけたる薬玉の遺裂なるべし。「かざり花」というべきを、後にはただ「花」とのみ言いしよしは、『四民往来』『年中故事要覧』『枕草紙春曙抄』などに見えたり。享保の印本『女用花鳥文章』の「さつきまもり」の図は、かの紙に貼したる花によく似たれば、その比はさも言いしにや。「かざり花」を年始または産子の方へ贈りて祝儀とせしは、めでたきものゆえ、さはせしなるべし。薬玉を産子のかたへ贈りしも、よしなきにあらず。『赤染衛門家集』に、「いかの程なる児に薬玉をやるとて、おいたらんおともゆかしきあやめ草ふた葉よりこそたまと見えけれ」。これは五月の事ながら、産子に薬玉を贈りし事ありしといわば言うべし。「ふりふりぎちょう」の事は、醒斎老人の『骨董集』にくわしくしるし、余が考をも載せつれば、ここには言わず。
京都の風習で、子どもが生まれて初めての正月に、母方の実家などから男子に「ふりふりぎちょう」を贈ることは、今もまれにある。女子に「花」を贈ることはもうほとんど絶えたようだ。大坂あたりでは「はま弓」というものを贈るとか聞いたが、そのことはよく知らない。花というのはもともと端午のもので、子どもの袖にかけた薬玉の名残だろう。「かざり花」と言うべきところを後にはただ「花」とだけ言ったことは、『四民往来』『年中故事要覧』『枕草子春曙抄』などに見える。享保の版本『女用花鳥文章』の「さつきまもり」の図は、あの紙に貼った花によく似ているから、その頃はそう言ったのだろうか。「かざり花」を年始や産子のもとへ贈って祝儀としたのは、めでたいものだからそうしたのだろう。薬玉を産子のもとへ贈ったのも根拠がないわけではない。『赤染衛門家集』に「いくつほどの子に薬玉をやるとて」として「おいたらんおともゆかしきあやめ草ふた葉よりこそたまと見えけれ」の歌がある。これは五月のことだが、産子に薬玉を贈ったことがあったと言えば言える。「ふりふりぎちょう」のことは醒斎老人の『骨董集』に詳しく記され、私の考えも載せてあるので、ここでは言わない。
右、客篇二通
以上、客編二通
桃窠は京師の人、角鹿清蔵という。名は比豆流、桃窠はその号、また号青李庵。家は一条通千本東に入る町にあり。持明院家の書法を学びて、筆学の蒙師たり。その性好事にして、尚古の癖あり。予二十年来文通の遠友にして、老実温順の人なるを知れり。よりてこの春つかわしし状に、「予は神田に移住ののち、折々閉居の窓を推し開きて、月ごとに五六名家と円居するを楽しみとすなり。その遊びはしかじかなり」とて、「耽奇」「兎園」の事どもを、いささかほのめかして聞こえ知らせしに、きのうその回報東着したり。披き見るに、「あわれ、近きわたりならば、さる香ばしき筵の末にも、押して連なるべかめるに、東西山河のはるかなるをいかがはせん。せめてもの心やりに、恥じかがやかしき筆すさびを、ふたひら三ひら参らする。これ厭わしく思われずは、さ月の会に押し出だして、披露してたびねかし。さても貴所のわたりには、輪池翁など聞こえ給う名家のおわしますよしは、年ごろ耳なれて侍り。かの翁は持明院家の筆法を伝えさせ給うとなん。おのれもかの御門人を汚し奉れば、仰山景慕の心地す」と、ねもごろに示し来したり。その志のいと浅からぬを、押し包みて居らんには、朋友の道にあらじと思うばかりを縁にて、かれが稿本の余紙になも、ことの趣をしるしつけて、愚稿とともにこれをしも披講せんことを願うのみ。
桃窠は京都の人で、角鹿清蔵という。名は比豆流、桃窠はその号、また青李庵とも号する。家は一条通千本東に入る町にある。持明院家の書法を学んで、手習いの師匠をしている。その性質は好事で、古を尊ぶ癖がある。私とは二十年来の文通の遠友で、老実温順の人であることを知っている。そこでこの春送った手紙に「私は神田に移住してから、折々閉じこもった家の窓を押し開いて、月ごとに五六人の名家と集まるのを楽しみにしている。その遊びはこれこれだ」と、耽奇会や兎園会のことを少しほのめかして知らせたところ、昨日その返事が江戸に着いた。開いて見ると、「ああ、近くであれば、そのような香ばしい席の末席にも押しかけて連なるところなのに、東西山河のはるかに隔たっているのをどうしようもない。せめてもの気晴らしに、恥ずかしい筆すさびを二つ三つ差し上げる。これを厭わしく思われなければ、五月の会に押し出して披露してくださいますよう。さてそちらには輪池翁などと聞こえる名家がおられることは、年来聞き慣れております。あの翁は持明院家の筆法を伝えておられるとか。私もその門人の端を汚しておりますので、たいへん敬慕の念を覚えます」と、ねんごろに書いてよこした。その志のたいへん浅くないのを包み隠しておいたのでは朋友の道に外れると思うばかりを縁として、彼の稿本の余白にことの次第を書きつけ、拙稿とともにこれを披講することを願うだけである。
乙酉仲夏朔 江戸 著作堂識
乙酉五月朔日 江戸 著作堂識
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す

花

文政八年乙酉五月隨筆會 平安 角鹿桃窠

京師の俗に、小兒生れて初の正月、母かたの親里などより、男子にふりふりぎてうを贈る事は、今もまれまれにあり。女子に花をおくりしは、漸くたえたるに似たり。浪華あたりにては、はま弓てふものを贈るとか聞きしが、其事はよくもしらず。花といふは、もと端午のものにて、童の袖にかけたる藥玉の遺裂なるべし。かざり花といふべきを、後には只花とのみ言ひしよしは、四民往來、年中故事要覽、枕草紙春曙抄などに見えたり。享保の印本女用花鳥文章のさつきまもりの圖は、かの紙に貼したる花によく似たれば、其比はさも言ひしにや。かざり花を年始またはうぶ子の方へ贈りて祝儀とせしは、めで度もの故さはせしなるべし。藥玉をうぶ子のかたへおくりしも、よしなきにあらず。赤染衞門家集に、いかの程なる兒に藥玉をやるとて、おひたらんおともゆかしきあやめ草ふた葉よりこそたまと見えけれ。是は五月の事ながら、うぶ子に藥玉をおくりし事ありしといはゞいふべし。ふりふりぎてうの事は、醒齋老人の骨董集にくはしくしるし、餘が考をものせつれば、爰にはいはず。

右客篇二通

桃窠は京師の人、角鹿淸藏といふ。名は比豆流、桃窠はその號、又號靑李庵。家は一條通千本東に入る町にあり。持明院家の書法を學びて、筆學の蒙師たり。その性好事にして、尙古の癖あり。予二十年來文通の遠友にして、老實溫順の人なるをしれり。よりてこの春つかはしゝ狀に、予は神田に移住のゝち、をりをり閉居の窓を推ひらきて、月每に五六名家とまとゐするをたのしみとすなり。そのあそびはしかじかなりとて、耽奇兎園の事どもを、いさゝかほのめかして聞えしらせしに、きのふその囘報東着したり。披き見るに、あはれちかきわたりならば、さるかぐはしきむしろの末にも、おしてつらなるべかめるに、東西山河のはるかなるをいかゞはせん。せめてものこゝろやりに、恥かゞやかしき筆すさびを、ふたひら三ひらまゐらする。これいとはしく思はれずは、さ月の會におしいだして、披露してたびねかし。さても貴所のわたりには、輪池翁など聞え給ふ名家のおはしますよしは、年ごろ耳なれて侍り。かの翁は持明院家の筆法を傳へさせ給ふとなん。おのれもかの御門人をけがし奉れば、仰山景慕のこゝちすと、ねもごろにしめしこしたり。その志のいと淺からぬを、おしつゝみてをらんには、朋友のみちにあらじと思ふばかりをよすがにて、かれが稿本の餘紙になも、ことの趣をしるしつけて、愚稿とゝもにこれをしも披講せんことをねがふのみ。

乙酉仲夏朔 江戸 著作堂識

注

写本の位置
写本は3169の49カット目左ページから51カット目左ページまで。冒頭に「文政八年乙酉五月隨筆會 平安 角鹿桃窠」の肩書きがあり、次の行に「花」の題がある。「右客篇二通」以下は馬琴の後記で、51カット目左ページの「乙酉仲夏朔 江戸 著作堂識」で終わる。
判読保留
「ふりふりぎてう」は写本では繰り返し記号を使って書く。活字本系テキストは末尾の方を「ふりくぎてう」とするが、写本の記号は前後とも同じ形に見えるので「ふりふりぎてう」に揃えた。判読保留。
判読保留
活字本系テキストの「閉居の慮を推しひらきて」は写本では「閉居の窓」と読める。字形からの推定で判読保留。
注記
ふりふりぎちょうは正月の飾りの毬打の一種、はま弓は破魔弓。醒斎老人は山東京伝で『骨董集』はその考証随筆。輪池翁は屋代弘賢。いずれも雲亭の推定で未確認。

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