雲亭日本古典図書室収録作品の一覧

奥州平泉毛越寺路舞歌唐拍子

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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第五集 第16話 / 琴嶺舎 滝沢興継

平泉毛越寺の廃墟の阿弥陀堂で子院の法師が毎年舞う「唐拍子」の歌詞を、松崎慊堂が写してきた手紙から興継が書き写す。

本文 現代語訳

奥州平泉毛越廃寺路舞歌唐拍子
奥州平泉毛越廃寺路舞歌唐拍子
ちなみに言う、みちのくの田植え歌は古風なるものなればこそ、芭蕉の発句にも「風流のはじめや奥の田植え歌」と言えれ。この田植え歌の事は、本居氏の『玉勝間』に載せたれば、世の人の知る所なり。しかるに奥州平泉に中尊寺、毛越寺という寺ありて、各十八箇の子院あり。今、毛越寺は廃して、ただ子院十八箇をのみ残したり。この毛越寺にむかしより伝えて「唐拍子」という歌あり。「路舞歌」とも言えるよし。今も毎年毛越寺廃墟の阿弥陀堂に、子院の法師集まりてこの舞楽を行うとぞ。その歌、左のごとし。
ついでに言えば、陸奥の田植え歌は古風なものだからこそ、芭蕉の発句にも「風流のはじめや奥の田植え歌」と詠まれている。この田植え歌のことは本居宣長の『玉勝間』に載っているので、世の人の知るところである。ところで奥州平泉に中尊寺と毛越寺という寺があり、それぞれ十八の子院がある。今、毛越寺は廃れて、ただ子院十八だけが残っている。この毛越寺に昔から伝わって「唐拍子」という歌がある。「路舞歌」とも言うそうだ。今も毎年、毛越寺の廃墟の阿弥陀堂に子院の法師が集まってこの舞楽を行うという。その歌は次のとおり。
唐拍子歌
唐拍子歌
○ソヨヤミイユ。ソヨヤミユ。ゼイゼレゼイガ。サンザラ。クンズルロヲヤ。
○ソヨヤミイユ。ソヨヤミユ。ゼイゼレゼイガ。サンザラ。クンズルロヲヤ。
○シモゾロヤア。ヤラズハ。ソンゾロロニ。ソンゾロメニ。コウコロナンズリシニ。ソヨヤミイユ。
○シモゾロヤア。ヤラズハ。ソンゾロロニ。ソンゾロメニ。コウコロナンズリシニ。ソヨヤミイユ。
○ヲウゾラユク。ヲウゾラユク。カリノハネヲトヲヤ。
○ヲウゾラユク。ヲウゾラユク。カリノハネヲトヲヤ。
○シツライ。デイガ。サイドノトノ。サアラサラメニ。ユクヨナ。ザレヲ。ノウトメノ。コソノ。タマメハ。ミヤノウマイ。
○シツライ。デイガ。サイドノトノ。サアラサラメニ。ユクヨナ。ザレヲ。ノウトメノ。コソノ。タマメハ。ミヤノウマイ。
○ハアチジウ。ヨヨノ。ミヤツカアイ。ハチジウヨヨノ。ミヤワカイ。チヨノタマメハ。ミヤノマイ。
○ハアチジウ。ヨヨノ。ミヤツカアイ。ハチジウヨヨノ。ミヤワカイ。チヨノタマメハ。ミヤノマイ。
○ワラワロニ。タマワロウト。サユワイ。クサヲハ。アユノ。チヨインニ。サワケタマイ。
○ワラワロニ。タマワロウト。サユワイ。クサヲハ。アユノ。チヨインニ。サワケタマイ。
○トウリノ。ミヤコニハ。トウリノミヤコニハ。ホトケノ。ミナヲバ。シラヌナリ。リリヤ。リリヤ。リリヤ。リツ。
○トウリノ。ミヤコニハ。トウリノミヤコニハ。ホトケノ。ミナヲバ。シラヌナリ。リリヤ。リリヤ。リリヤ。リツ。
○ゴダイ。サンニハ。モンジユコソ。ロクジニ。ハナヲバ。チラスナリ。リリヤ。リリヤ。リリヤ。リツ。
○ゴダイ。サンニハ。モンジユコソ。ロクジニ。ハナヲバ。チラスナリ。リリヤ。リリヤ。リリヤ。リツ。
この一条は、掛川侯の儒生松崎慊堂、文化中ある夏東遊の日、件の舞踏を目撃し、かつその幾曲を写し来つるよし。同藩の留守居役長塩氏〔平六〕は、家厳といささか由縁あり。予も相識れるものなり。文化の末、長塩氏家厳に消息の奥に、この事を告げおこせたり。さきの日、反故をえりわくるとて、これをもたずね出だしたるを、「ここにしるせ」と言われしによりてなむ。
この一条は、掛川侯の儒者松崎慊堂が文化年間のある夏、東国へ遊んだ日にこの舞踏を目撃し、そのうち何曲かを写してきたものだそうだ。同藩の留守居役の長塩氏(平六)は父と少し縁があり、私も知っている人である。文化の末に長塩氏が父への手紙の奥にこのことを書いてよこした。先日、反故を選り分けるときにこれも探し出したので、「ここに記せ」と言われたのでこう記す。
文政八年五月朔、神田若壺庵に書す 琴嶺滝沢興継
文政八年五月朔日、神田の若壺庵で書す 琴嶺滝沢興継
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す

奧州平泉毛越廢寺路舞歌唐拍子

ちなみにいふ、みちのくの田うゑ歌は古風なるものなればこそ、芭蕉の發句にも、風流のはじめや奧の田うゑ歌といへれ。この田うゑ歌の事は、本居氏の玉勝間に載たれば、世の人のしる所なり。しかるに奧州平泉に中尊寺毛越寺といふ寺ありて、各十八箇の子院あり。今毛越寺は廢して、唯子院十八箇をのみ殘したり。この毛越寺にむかしより傳へて唐拍子といふ歌あり。路舞歌ともいへるよし。今も每年毛越寺廢墟の阿彌陀堂に、子院の法師集りてこの舞樂を行ふとぞ。そのうた左のごとし。

唐拍子歌

○ソヨヤミイユ。ソヨヤミユ。ゼイゼレゼイガ。サンザラ。クンズルロヲヤ。

○シモゾロヤア。ヤラズハ。ソンゾロロニ。ソンゾロメニ。コウコロナンズリシニ。ソヨヤミイユ。

○ヲウゾラユク。ヲウゾラユク。カリノハネヲトヲヤ。

○シツライ。デイガ。サイドノトノ。サアラサラメニ。ユクヨナ。ザレヲ。ノウトメノ。コソノ。タマメハ。ミヤノウマイ。

○ハアチジウ。ヨヨノ。ミヤツカアイ。ハチジウヨヨノ。ミヤワカイ。チヨノタマメハ。ミヤノマイ。

○ワラワロニ。タマワロウト。サユワイ。クサヲハ。アユノ。チヨインニ。サワケタマイ。

○トウリノ。ミヤコニハ。トウリノミヤコニハ。ホトケノ。ミナヲバ。シラヌナリ。リリヤ。リリヤ。リリヤ。リツ。

○ゴダイ。サンニハ。モンジユコソ。ロクジニ。ハナヲバ。チラスナリ。リリヤ。リリヤ。リリヤ。リツ。

この一條は、懸川侯の儒生松崎慊堂、文化中ある夏東遊の日、件の舞踏を目擊し、且その幾曲を寫し來つるよし。同藩の留守居役長鹽氏〔平六〕は、家嚴といさゝか由緣あり。予も相識るものなり。文化の末、長鹽氏家嚴に消息のおくに、この事を告おこせたり。さきの日、反故をえりわくるとて、これをもたづね出たるを、こゝにしるせといはれしによりてなむ。

文政八年五月朔書於神田若壺庵 琴嶺瀧澤興繼

注

写本の位置
写本は3169の59カット目右ページの7行目から60カット目左ページまで。60カット目左ページの署名「文政八年五月朔書於神田若壺庵 琴嶺瀧澤興繼」で第五集が終わる。第六集は61カット目から。
判読保留
題の「路舞歌」は、活字本系テキストでは「路錄歌」とする。写本は本文の題と目録の両方で「舞」と読める字を書き、本文中でも「路舞歌」「この舞樂を行ふ」と書くので「舞」を採った。原寸で切り出して確かめたが、崩し字の推定にとどまり判読保留。
注記
歌の第三句の「ラウゾラユク」は写本では「ヲウゾラユク」で、原寸で切り出して確かめた。第五句の「ミヤワカアイ」の最初は写本では「ミヤツカアイ」と読める。第二句の「コウコロ」の上に白い修正の跡がある。第二句末の「ワヨヤミイユ」は写本では「ソヨヤミイユ」。
注記
歌は写本では○を付けて一句ごとに改行し、句読点の「。」を打つ。原文欄でも一句を一段落にした。
注記
「由緒あり」は写本では「由緣あり」と読める。
注記
松崎慊堂は掛川藩の儒者。毛越寺の唐拍子は現在の延年の舞の「唐拍子」に当たると解した。いずれも雲亭の推定で未確認。

AI試訳 / 専門家未校閲