雲亭日本古典図書室収録作品の一覧

土中出現の観音

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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第六集 第2話 / 著作堂 瀧澤馬琴

王子権現のほとりで光る黄金の観音像が掘り出され、町触の写しとともに馬琴が仏の幸不幸を論じる。

本文 現代語訳

土中出現の観音
土の中から現れた観音
右の前年、文化十三年戊子の春正月二十五日の夜、巣鴨の町医師大館微庵が弟松之助といふもの、王子権現の社のほとりにて、黄金仏なる観世音の小像を掘り出せしことありけり。かくて同年の秋閏八月中旬、肝煎名主ら、市の尹の旨を得て、事の由を書きしるしつつ町々へふれ伝へしかば、知りたる人も多かめれど、本文のまま抄録す。その書にいはく、
前の話の前年、文化十三年戊子の春、正月二十五日の夜、巣鴨の町医師大館微庵の弟で松之助という者が、王子権現の社のほとりで黄金仏の観世音の小像を掘り出したことがあった。そして同じ年の秋、閏八月の中旬に、肝煎と名主たちが町奉行の意向を受けて事の次第を書きしるし、町々へふれ伝えたので、知っている人も多いだろうが、原文のまま抜き書きする。その書面にいう。
拾四番組名主政右衛門支配 巣鴨町勘兵衛店 町医師 大館微庵弟 松之助 子二十六歳
十四番組名主政右衛門支配 巣鴨町勘兵衛店 町医師 大館微庵の弟 松之助 子年二十六歳
右松之助義、去る亥年中より王子村金輪寺雇にて罷り越し居り候処、当正月二十五日夜、主人用事にて罷り出で立ち帰り候節、夜四つ時余り、王子権現と稲荷社との間、十条村の方へ十二三間も参り候往還端にて光り候品見え候間、立ち寄り見候得ば、土中より光り出で候につき、少し土中を掘り候へば、小さき仏像出で、光り居り候間、持ち帰り洗ひ見候得ば、金仏の観音につき、よくよく改め見候処、黄金仏にて長け一寸八分程これあり候間、即刻兄微庵方へ持参り、同二月五日御用番永田備後守様御番所へ御訴へ申し上げ候処、御糺しの上、上げ置き候様仰せ渡され、当八月二十六日微庵、町役人、組合、肝煎、名主一同右御番所へ呼び出され、月数相立ち候につき、右の品は松之助へ下され旨、右につき不審なる異説等申し触れず候は勿論、猥りに人々に見せ候事相成らず候間、その旨存じ候様、御白洲において仰せ渡され、右仏像御渡し成され候。下略
右の松之助の件。去る亥の年から王子村の金輪寺に雇われて出向いていたところ、今年の正月二十五日の夜、主人の用事で出かけて帰る途中、夜四つ時過ぎ、王子権現と稲荷社の間で十条村のほうへ十二三間ほど行った街道の端に光る物が見えたので、立ち寄って見ると土の中から光が出ているため、少し土を掘ったところ小さな仏像が出てきて光っていた。持ち帰って洗って見ると金仏の観音だったので、よくよく調べたところ黄金仏で、丈は一寸八分ほどあったため、すぐに兄の微庵のところへ持参し、同二月五日、月番の永田備後守様の御番所へ届け出たところ、お取り調べの上、預け置くようにと仰せ渡された。今年八月二十六日、微庵と町役人、組合、肝煎、名主一同が右の御番所へ呼び出され、月日が経ったので右の品は松之助へ下される旨、またこの件について不審な異説などを言いふらさないのはもちろん、みだりに人々に見せてはならないので、そのように心得るよう御白洲で仰せ渡され、右の仏像をお渡しになった。以下略。
子閏八月十八日
子の年閏八月十八日
かかる事を江戸町々なる借屋店借のものまでにふれ継がれしは、いとめづらし。おもふに黄金仏なれば、後日にぬしの出づるとも異論あらせじとの為か。かつ霊験などをさへ唱へさせじとの為なるべし。
このような事を江戸の町々の借家人や店借りの者にまでふれ伝えたのは、たいへん珍しい。思うに黄金仏なので、後日持ち主が現れても異論を出させないためだろうか。また、霊験などを唱えさせないためでもあるのだろう。
按ずるに、『本草』に『地鏡図』を載せて云ふ、「黄金の気は赤し。夜、火光及び白気あり」。かかれば、くだんの仏像の、夜その光を放ちしは、黄金ゆゑか、霊ある故か。この事きはめていひ難し。かつ、その土中に入りしこと深からざりしは、雨後などに人の遺せしことありしを、知らで踏み込みたるものか。これもまた知るべからず。これより先にも夜な夜なに光を放ちしものならば、見出だす人もあるべかりしを、松之助が目にのみかかりて掘り出されしもまた奇なり。おもふに、むかし仏像の水中に光を放ちて、あるいは漁者の網にかけられ、あるいは木の杪、井の底より出現したまふ故といへば、霊験あらぬものもなく、堂塔伽藍、美を尽くして、今も衆生に拝まれたまふに、いかなればこの観音のみ、さるよしもなく、世の人に知られもえせず、拝まるることすら許されたまはぬは、仏にも幸不幸やある。もしなほ「時のはやし」とて、そこに智識をまたせたまふか、さらずは国の宝をもてその軀形としたまふを、恥ぢさせ給ふこともやあらん。これらの霊のある故に、凡夫のめづる霊験をあらはしたまはぬものならば、寵辱利害を解脱したまふ、それこそ真の霊仏ならんと申さんも、なほかしこかるべし。
考えてみると、『本草』は『地鏡図』を引いて「黄金の気は赤い。夜には火の光と白い気がある」という。とすれば、この仏像が夜に光を放ったのは、黄金だからか、霊があるからか。このことは何とも決めがたい。また、土の中に入っていたのが深くなかったのは、雨上がりなどに人が落としたのを、知らずに踏み込んでしまったものか。これもまた知りようがない。これより前にも夜ごとに光を放っていたのなら、見つける人があったはずなのに、松之助の目にだけとまって掘り出されたのもまた不思議だ。思うに、昔から仏像が水中で光を放ち、あるいは漁師の網にかかり、あるいは木のこずえや井戸の底から現れたという由来があれば、霊験のないものはなく、堂塔伽藍は美を尽くして、今も人々に拝まれている。それなのになぜこの観音だけは、そうした縁もなく、世の人に知られることもできず、拝まれることさえ許されないのか。仏にも幸不幸というものがあるらしい。もしかすると、まだ時が早いと言って、そこに知識のある人を待っておられるのか。さもなければ、国の宝である黄金を自分の体にされているのを、恥じておられることもあるのだろうか。こういう霊があるからこそ、凡夫が喜ぶ霊験を現さないのだとすれば、名誉も恥辱も利害も超越しておられる、それこそ本当の霊仏だろうと申し上げるのも、やはり畏れ多いことだ。
文政八年六月小暑後の朔、著作堂南窓合歓花蔭において識す
文政八年六月、小暑のあとの朔日、著作堂の南の窓、合歓の花の陰にて記す
簑笠漁隠
簑笠漁隠
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す

土中出現の觀音

右の前年文化十三年戊子の春正月廿五日の夜、巢鴨の町醫師大舘微庵が弟松之助といふもの、王子權現の社のほとりにて、黄金佛なる觀世音の小像を堀出せしことありけり。かくて同年の秋閏八月中旬、肝煎名主ら市の尹の旨を得て、事の由を書しるしつゝ町々へふれ傳へしかば、しりたる人も多かめれど、本文のまゝ抄錄す。其書にいはく、

拾四番組名主政右衞門支配 巢鴨町勘兵衞店 町醫師 大舘微庵弟 松之助 子廿六歳

右松之助義、去亥年中より王子村金輪寺雇ニ而罷越居候處、當正月廿五日夜、主人用事にて罷出立歸候節、夜四時餘、王子權現と稻荷社と之間、十條村之方へ拾弐三間も參り候往還端ニて光り候品見え候間、立寄見候得ば、土中より光り出候ニ付、少し土中を掘候ば、小サキ佛像出、光り居候間、持歸り洗ひ見候得ば、金佛之觀音ニ付、能々改見候處、黄金佛ニて長ケ壱寸八分程有之間、即刻兄微庵方へ持參り、同二月五日御用番永田備後守樣御番所へ御訴申上候處、御糺之上上ケ置候樣被仰渡、當八月廿六日微庵町役人組合肝煎名主一同右御番所へ被呼出、月數相立候ニ付、右之品ハ松之助へ被下旨、右ニ付不審成異説等不申觸候ハ勿論、猥りニ人々ニ爲見候事不相成候間、其旨存候樣、於御白洲被仰渡、右佛像御渡被成候。下略

子閏八月十八日

かゝる事を江戸町々なる借屋店借のものまでにふれ繼れしは、いとめづらし。おもふに黄金佛なれば、後日にぬしの出るとも異論あらせじとの爲歟。且靈驗などをさへ唱へさせじとの爲なるべし。

按ずるに、本草ニ載地鏡圖云、黄金之氣赤シ、夜有火光及白氣。かゝれば件の佛像の、夜その光をはなちしは、黄金ゆゑ歟、靈ある故歟。この事極めていひ難し。且その土中に入りしこと深からざりしは、雨後などに人の遺せしことありしを、知らで踏込たるもの歟。これも亦しるべからず。是より先にも夜な夜なに光をはなちしものならば、見出す人もあるべかりしを、松之助が目にのみかゝりて堀出されしも亦奇なり。おもふにむかし佛像の水中に光をはなちて、或は漁者の網にかけられ、或は木杪井の底より出現したまふ故ゝいへば、靈驗あらぬものもなく、堂塔伽藍美を盡して、今も衆生にをがまれたまふに、いかなればこの觀音のみ、さるよしもなく、世の人にしられも得せず、をがまるゝことすら許されたまはぬは、佛にも幸不幸やある。もし猶時のはやしとて、そこに智識をまたせたまふか、さらずは國の寶をもてその軀形としたまふを、耻させ給ふこともやあらん。これらの靈のある故に、凡夫のめづる靈驗をあらはしたまはぬものならば、寵辱利害を解脱したまふ、それこそ眞の靈佛ならんとまうさんも、猶かしこかるべし。

文政八年六月小暑後之朔識於著作堂南牕合歡花蔭

簑笠漁隱

注

写本の位置
写本は3169の64カット目左ページの10行目から67カット目右ページまで。67カット目右ページに日付と「簑笠漁隱」の署名があり、前話「土定の行者不死」と合わせた二話分の署名にあたる。
校合
冒頭「右の前年」は写本の読み。活字本系テキストは「文化十三年」から始まる。前話の文化十四年を受けた語なので写本を採った。「戊子」は写本のまま。文化十三年の干支は丙子で、写本の誤りか。
校合
町触の日付「當正月廿五日」は原寸で確かめた。活字本系テキストは「二十六日」。冒頭の「正月廿五日の夜」とも合う。
校合
「觀世音の小像」は原寸で確かめた。活字本系テキストは「觀音」。
注記
「大舘」は写本の字形どおり。読みやすい本文では大館とした。「異説等」の「等」は写本では略字で書く。「本草ニ載地鏡圖云」は写本の返り点と送り仮名を外した。
注記
「洗ひ見候得ば」「拾弐三間」「金佛之觀音」はページ全体の画像での読みで、原寸では確かめていない。
注記
市の尹は町奉行。永田備後守は北町奉行永田正道。金輪寺は王子権現の別当寺。木杪は木のこずえ。

AI試訳 / 専門家未校閲