雲亭日本古典図書室収録作品の一覧

蛇化為蛸

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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第六集 第3話 / 琴嶺舎 瀧澤興継

越後石地の海で子どもらに追われた蛇が岩に身を打ちつけ、尾が裂けて七本足の蛸に変じた。

本文 現代語訳

蛇化して蛸となる
蛇が化けて蛸になる
越後の刈羽郡なる海浜は、古歌にも「八百日ゆく越の長浜」とよみたる当国一の荒磯なり。この所、出雲崎にあひつづきて、東南は嵯峨たる海巌のつらなりたる、さながら刀もて削れるがごとく、西北は渺茫たる大洋にて、見るめもはるかに限り知られず。うち寄するしら波の砕けてかへる、すさまじかるべし。かねて聞く、この辺すべて砂浜にて、石地といふ漁村あり。そもそもこの町は海を面にし、山を背にす。ここには松多しといふ。この山にあひつづきてまた松山あり。この山の根がたには石の六地蔵建たせ給へり。よりて里俗この辺を「賽の河原」と唱へたり。これより松林あり。この林のうしろよりして、柏谷、宮川と唱ふるかたは、みなこれ峨々たる岩山なり。この岩山の前にあたりて閻王堂あり。そのうしろの岩を穿ちて閻王の木像を安置せり。これより海辺また数町にして、岩山の半腹に弁天堂あり。この天女堂の前なる磯の波打際に男根石あり。土俗はこれを「裸石」といふ。三四尺なる天然石にして飴色なり。遠近の石女ら、この石に祷りて子を求むることありといふ。されば石地町なる童子らは、年々の夏ごとにこの浜に出でて水に戯れ、終日遊びくらすこと絶えて虚日なしとなん。
越後の刈羽郡の海辺は、古歌にも「八百日ゆく越の長浜」と詠まれた、この国一番の荒磯である。ここは出雲崎に続いていて、東南は険しい海の岩が連なり、まるで刀で削ったかのようで、西北は果てしない大海原で、見渡してもはるかに限りが分からない。打ち寄せる白波が砕けて返る様子は、さぞ凄まじいだろう。かねて聞くところでは、このあたりは一面の砂浜で、石地という漁村がある。この町は海を前にし、山を背にしている。ここには松が多いという。この山に続いてまた松山があり、その山のふもとには石の六地蔵が建っている。それで土地の人はこのあたりを「賽の河原」と呼んでいる。ここから松林があり、その林の後ろから柏谷、宮川と呼ぶあたりは、みな険しい岩山である。この岩山の前に閻魔堂があり、その後ろの岩を穿って閻魔王の木像を安置している。ここから海辺をさらに数町行くと、岩山の中腹に弁天堂がある。この弁天堂の前の磯の波打ち際に男根石があり、土地の人はこれを「裸石」と呼ぶ。三四尺ほどの天然石で飴色をしている。近在の子のない女たちがこの石に祈って子を授かることがあるという。それで石地町の子どもたちは毎年夏になるとこの浜に出て水と戯れ、一日中遊び暮らして、まったく休みの日がないという。
しかるに、いぬる文化九年夏六月十六日、石地町なる民の子文四郎といふもの〔時に十五歳〕、その友だち両三人とともに賽の河原の海辺に出でて、水を浴みんとしたる折、石の六地蔵のほとりより長さ四五尺なる蛇走り出でけり。文四郎らこれを見て、「あれ打ち殺してん」といひもあへず、手に手に棒をとりて打たんとせしに、蛇はただちに海に入りつつ、波を凌ぎて泳ぐほどに、文四郎らは衣脱ぎ捨てて逃ぐるを追うて、水中のところどころにあらはれ出でたる岩角づたひに飛び越え飛び越え、「飛石」「老曾」など呼びなしたる海岩をつたひゆきしかば、おいそ岩のほとりに到りぬ。そのとき蛇は岩角にしばしばその身をうちつけしを、「いとあやし」と見る程に、蛇の尾はたちまちにいくすぢにか裂けたるが、そのほとりの海水はたちまち黄色になりしとぞ。さりけれども驚きおそれず、なほしも「取り逃がすな」とて、つひにうち殺してけり。さて引き上げてよく見るに、その蛇すでに蛸に変じ、裂けたる処は足になりて、いぼさへはやくいで来たるに、頭もはじめの蛇に似ず、にはかにまろまろふくだみて、さながら蛸に異ならず。ただその色は白はげていささかも赤みなし。日を経ればあかみさすといふ。ただそのかたちの異なるよしは、八足ならで七足なるのみ。さればにや、およそこの地の漁父ども七足の蛸を獲ることあれば、「こは蛇の化したるなり」とてうち捨てて、これを食らはず。しかれども、「まのあたりに蛇の蛸になりぬるを見つるは、いともめづらし」とて、事をちこちに聞こえたり。
ところが去る文化九年の夏六月十六日、石地町の民の子で文四郎という者〔このとき十五歳〕が、友だち二三人といっしょに賽の河原の海辺に出て水浴びをしようとしたとき、石の六地蔵のあたりから長さ四五尺の蛇が走り出た。文四郎たちはこれを見て、「あいつを打ち殺してやろう」と言うが早いか、めいめい棒を手にして打とうとしたところ、蛇はすぐさま海に入り、波を切って泳ぐので、文四郎たちは着物を脱ぎ捨てて逃げる蛇を追い、水中のあちこちに顔を出している岩角伝いに飛び越え飛び越え、「飛石」「老曾」などと名づけられた海の岩を伝って行き、おいそ岩のそばまで来た。そのとき蛇は岩角に何度も体を打ちつけたので、「なんとも妙だ」と見ているうちに、蛇の尾はたちまち何筋にか裂け、そのあたりの海水はたちまち黄色になったという。それでも子どもたちは驚き恐れず、なおも「取り逃がすな」と、とうとう打ち殺してしまった。さて引き上げてよく見ると、その蛇はすでに蛸に変わっていて、裂けたところは足になり、吸盤まで早くも出てきており、頭も元の蛇には似ず、急にまるまると膨らんで、まるで蛸と変わらない。ただ色は白くはげていて、少しも赤みがない。日が経てば赤みがさすという。ただ形が違うのは、八本足ではなく七本足という点だけである。だからだろうか、この土地の漁師たちは七本足の蛸を獲ると、「これは蛇が化けたものだ」と言って捨ててしまい、食べない。けれども「目の前で蛇が蛸になるのを見たのは、たいへん珍しい」というので、この話はあちこちに知れ渡った。
ここをもて当年かの地の一友人ゆきてその蛸を見つ。かつ文四郎にその折のありさまをよく聞きて、地理さへ図して家厳におくれり。よりて今その地図を乞ひ得て、ちなみにここに載するのみ。予かつて越後の総地図によりて知りぬ。この老曾岩のほとりには「蛇崩」と唱ふる処あり。その辺に深き淵あり。「この淵のぬしは大なる蛸なり」、また「大なる亀なり」などもいへり。近ごろ漁者のむすめ、海苔をとるとてここに来て、そのぬしなるものに引き込まれたり。死骸はつひに出でざりしといふ。按ずるに、亀もその性、蛇と近し。いづれにまれ、蛸の八足ならぬものをば食らふまじきことぞかし。
そこで今年、あの土地の一人の友人が出かけてその蛸を見てきた。そのうえ文四郎にそのときの様子をよく聞き、地理まで図に描いて父に送ってくれた。そこで今その地図をもらい受け、ついでにここに載せるだけのことである。私は以前、越後の総地図で知ったのだが、この老曾岩のあたりには「蛇崩」と呼ぶ場所があり、そのあたりに深い淵がある。「この淵の主は大きな蛸だ」とも、また「大きな亀だ」とも言われている。近ごろ漁師の娘が海苔を採ろうとしてここに来て、その主に引き込まれた。死体はとうとう上がらなかったという。考えてみると、亀もその性質は蛇に近い。いずれにせよ、八本足でない蛸は食べないほうがよいということだ。
〔図一 西/北/沖の石/おいそ岩/このとび石よりおいそ岩へ行く/飛石/岩山なり/弁天/裸石/飴色/長さ三尺ほど/自然石あり/閻魔堂/うしろの岩をうがち閻魔これあり/松林/松/この六地蔵/この所さいの河原/観音/砂地往還/蛇の道、海上をおったる所/石地町/海道砂浜/前後波高く、すべてこの辺越の荒海〕
〔図一 西/北/沖の石/おいそ岩/この飛び石からおいそ岩へ行く/飛石/岩山である/弁天/裸石/飴色/長さ三尺ほど/自然石がある/閻魔堂/後ろの岩を穿って閻魔がある/松林/松/この六地蔵/この場所が賽の河原/観音/砂地の街道/蛇の道、海上を渡った所/石地町/街道の砂浜/前後とも波が高く、このあたりはすべて越の荒海〕
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す

蛇化爲蛸

越後の苅羽郡なる海濱は、古歌にも八百日ゆく越の長濱とよみたる當國一の荒磯なり。この所出雲崎にあひつゞきて、東南は嵯峨たる海巖のつらなりたる、さながら刀もて削れるがごとく、西北は渺茫たる大洋にて、見るめもはるかに限りしられず。うち寄するしら波の摧けてかへる、すさましかるべし。かねて聞く、この邊すべて沙濱にて、石地といふ漁村あり。抑この町は海を面にし、山を背にす。こゝには松多しといふ。この山にあひつゞきて又松山あり。この山の根がたには石の六地藏建せ給へり。よりて里俗この邊を賽の河原と唱へたり。これより松林あり。この林のうしろよりして、柏谷宮川と唱ふるかたは、みなこれ峨々たる岩山なり。この岩山の前にあたりて閻王堂あり。そのうしろの岩を穿ちて閻王の木像を安置せり。これより海邊又數町にして、岩山の半腹に辨天堂あり。この天女堂の前なる磯の浪打際に男根石あり。土俗はこれを裸石といふ。三四尺なる天然石にして飴色なり。遠近の石女らこの石に禱りて子を求ることありといふ。されば石地町なる童子らは、年々の夏毎にこの濱に出て水に戲れ、終日遊びくらすこと絶て虚日なしとなん。

しかるにいぬる文化九年夏六月十六日、石地町なる民の子文四郞といふもの〔時に十五歳〕、その友たち兩三人とゝもに賽の河原の海邊に出て、水をあみんとしたる折、石の六地藏のほとりより長さ四五尺なる蛇はしり出けり。文四郞らこれを見て、彼打ころしてんといひもあへず、手に手に棒をとりて打んとせしに、蛇はたゞちに海に入りつゝ、波を凌ぎて泳ぐほどに、文四郞らは衣脱捨て逃るを追ふて、水中のところどころにあらはれ出たる岩角づたひに飛越飛越、飛石老曾など呼びなしたる海岩をつたひゆきしかば、おいそ岩のほとりに到りぬ。そのとき蛇は岩角にしばしばその身をうちつけしを、いとあやしと見る程に、蛇の尾は忽にいくすぢにか裂けたるが、そのほとりの海水はたちまち黄色になりしとぞ。さりけれども驚おそれず、猶しも取な逃しそとて、終にうち殺してけり。扨引あげてよく見るに、その蛇既に蛸に變じ、裂たる處は足になりて、肬さへはやくいで來たるに、頭もはじめの蛇に似ず、俄にまろまろふくだみて、さながら蛸に異ならず。只その色は白はげて聊も赤みなし。日を經ればあかみさすといふ。只そのかたちの異なるよしは、八足ならで七足なるのみ。さればにや、凡この地の漁父共七足の蛸を獲ることあれば、こは蛇の化したるなりとてうち捨て、是をくらはず。しかれども、まのあたりに蛇の蛸になりぬるを見つるはいともめづらしとて、事をちこちに聞えたり。

こゝをもて當年かの地の一友人ゆきてその蛸を見つ。且文四郞にその折のありさまをよく聞て、地理さへ圖して家嚴におくれり。よりて今その地圖を乞ひ得て、ちなみにこゝに載するのみ。予甞て越後の總地圖によりてしりぬ。この老曾岩のほとりには蛇崩と唱ふる處あり。その邊にふかき淵あり。この淵のぬしは大なる蛸なり、又大なる龜なりなどもいへり。近ごろ漁者のむすめ海苔をとるとてこゝに來て、そのぬしなるものに引込まれたり。死骸は終に出ざりしといふ。按ずるに、龜もその性蛇と近し。いづれにまれ、蛸の八足ならぬものをばくらふまじきことぞかし。

〔図一 西/北/沖ノ石/ヲイソ岩/此トビ石ヨリヲイソ岩エ行/飛石/岩山也/弁天/裸石/飴色/長三尺ホド/自然石有り/エンマ堂/ウシロノ岩ヲウガチヱンマ有之/松林/松/此ノ六地藏/此所サイノ河原/クハン音/砂地往還/蛇ノ道海上ヲヲツタル所/石地町/海道砂ハマ/前後浪高ク惣て此辺越ノ荒海〕

注

写本の位置
写本は3169の67カット目左ページから69カット目右ページまで本文が続き、69カット目左ページに折り込みの地図が貼られ、70カット目にその地図を開いた画像がある。本文の続きは71カット目右ページの2行で終わる。地図は本文の「そのぬしなるものに」と「引込まれたり」の間に物理的に挟まるが、原文では話の末尾に図の書き込みとして置いた。
注記
披講者は目録で琴嶺舎。本文に「家嚴におくれり」とあり、馬琴の子興継が父に代わって書いた話。署名は次話「雙頭蛇」の末尾にまとめてある。
校合
「閻王堂」は写本の読み。活字本系テキストは「閻魔堂」。写本は次の「閻王の木像」と同じ字を使う。原寸では確かめていない。
校合
「あひつゞきて」は写本の仮名書き。活字本系テキストは「相つゞきて」。「驚おそれず」「求ること」は写本の送り仮名のまま。
校合
「しばしば」は写本では「志ば」に繰り返し記号で書く。活字本系テキストが「しはじば」と読む箇所。
判読保留
地図の書き込みは写本の図を180度回して読んだ。図は方位を上辺に「西」「北」と記し、右下の沖から順に岩礁と浜の名を書く。斜めに書かれた「ウシロノ岩ヲウガチヱンマ有之」「前後浪高ク惣て此辺越ノ荒海」「自然石有り」は字が小さく判読保留。「此ノ六地藏」は六つの丸印を添えた書き込み。
注記
石地は今の新潟県柏崎市西山町石地。八百日ゆく越の長浜は万葉集の笠女郎の歌の句。柏谷と宮川の地名は未確認。
注記
ページ全体の画像での読みが中心で、原寸で確かめたのは冒頭の「嵯峨たる海巖」の一行だけ。

AI試訳 / 専門家未校閲