奥州南部癸卯の荒饑
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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第六集 第5話 / 好問堂 山崎美成
天明三年の大飢饉のさなかに八戸の商人が江戸の本店へ送った手紙を、山崎美成が後世への戒めとして写す。
本文 現代語訳
いにしへにいへらく、「食は天下の本なり。黄金万貫、飢ゑを療すべからず。白玉千箱、何ぞよく命を救はん」。いでや今のおほ御代はしも、何事も足らぬことなく、凶年、飢饉などいふことはかつてあらず。いにしへより凶年のためし少なからねど、近き年の飢ゑたるは人々もよく知りてあれば、常に昔語りにのみ聞きなしたる、この大江戸のことにこそあれ、遠郷僻地はいかばかりなりけん。ただ推しはからるるばかりなるを、このころ友人のもとより、陸奥よりことのさまつばらかにいひおこしたる書状一通を示されき。かのあたりはことに甚だしきよし、ほの聞こえたれど、思ふにましたることのみにて、今のおほ御代に思ひくらべては、いとおそろしく魂も消ゆる心地す。されば、かけまくもかしこきことながら、国家盛徳のおほんめぐみのありがたきをも、さらに思ひ知らるるわざなりけり。かつは時ならぬ気候もあらば、この後もその意得べきことならんかしと思ふからに、録して後葉に伝へまほしくこそ。
昔の人はこう言った。「食は天下の根本である。黄金が万貫あっても飢えは癒せない。白玉が千箱あっても命は救えない」。さて今の御代はどんなことでも不足がなく、凶年や飢饉などということはまるでない。昔から凶年の例は少なくないが、近い年の飢えは人々もよく知っているので、いつも昔話としてしか聞かないのはこの大江戸のことであって、遠い辺地ではどれほどだったか。ただ推し量るばかりだったところ、このごろ友人のもとから、陸奥からその様子を細かく書き送ってきた手紙一通を見せられた。あのあたりはとくにひどかったと少しは聞いていたが、思っていた以上のことばかりで、今の御代と思い比べると、たいへん恐ろしく魂も消えるような気がする。だから、口にするのも畏れ多いことながら、国家の盛んな徳のお恵みのありがたさを、あらためて思い知らされるのである。また、季節はずれの気候があるようなら、今後もこのことを心得ておくべきだろうと思うので、記録して後の世に伝えたいと思う。
文政乙酉六月朔 山崎美成識
文政乙酉六月一日 山崎美成しるす
天明三年癸卯十一月十一日、奥州三戸郡南部内蔵頭殿領分八戸の恵比須屋善六より、本店江戸田所町かどの井筒屋三郎兵衛へ遣はしし書状、左のごとし。
天明三年癸卯十一月十一日、奥州三戸郡の南部内蔵頭殿の領分、八戸の恵比須屋善六から、本店の江戸田所町角の井筒屋三郎兵衛へ送った手紙は、次のとおりである。
一筆啓上つかまつり候。甚寒に御座候得ども、まづもってその御地御揃ひ、ますます御勇健に御座なさるべく、珍重に存じたてまつり候。拙者ども異なく罷りあり候。慰みながら、ほか御安意くださるべく候。
一筆申し上げます。厳しい寒さですが、まずそちらの皆様おそろいで、ますますお元気のことと、おめでたく存じます。私どもも変わりなく過ごしております。どうかご安心ください。
一、追々御承知あそばさるべく、当地凶作、前代未聞に御座候。全体、去冬寒中はなはだ暖にて夏のごとく、霜月ごろより氷り候へども、寒に入り、ことごとく解け、平生三四月ごろの季候に等しく、それより年明け正月になり、少々寒く候得ども、例年よりは格別暖に御座候。二月三日まで寒からず、四月ごろより卯辰の風、北風ばかりにて、寒中極寒のごとく雨降り、四月中に雨降らざる日、やうやう七日に御座候。それも薄曇り東風にて霧多く、晴天は一日も御座なく候。五月も同断にて朔日より降り初め、五月中降らざる日やうやう六日、六月中も五日ほども右のごとく快晴はこれなく、七月には四日、八月には六日、右の通り不天気に候得ども、当春より麦作の景気いたって宜しく、近年に覚えざる作合ひに相見え候あひだ、諸人はなはだ大悦に罷りあり候ところ、刈りごろになり右の雨続き候ゆゑ熟しかね、存じのほか日数おくれ刈り取り候ところ、一円実成り御座なく、諸民大困窮つかまつり候。しかれども稲作、大豆、小豆、稗などは例年に勝り候作合ひ宜しく相見え申し候あひだ、「秋作は十分にこれあるべし」と素人の拙者どもは申すに及ばず、老農老圃、年来の功者ども「当秋は豊作相違なし」よし申し居り候ゆゑ、右の季候もさのみ驚き申さず罷りあり候ところ、次第に不順に相成り、春一度花咲き候藤、山吹の類など六七月ごろ山々春のごとく花咲き、九輪草、唐葵などは春より霜月まで四度も五度も花咲き、夏菊十一月下旬まで盛り、九月、十月中旬に竹の子生じ、九月下旬に蝉鳴きやまず、種々の季候違ひに御座候。稲作は七月下旬に至り候ても出穂これなく、たまさか穂出で候ても葉の内へかくれ花もかかり申さず、穂出づるは百分の一、その外一円に穂出で申さず候。右の次第に御座候あひだ、一粒も実入り御座なく候。大豆、小豆、粟、稗、蕎麦などは八月十三日の夜大いに霜降り、これに当たり種なしに罷りなり、まことに古今未曾有の大凶作、元来三四年以来打ち続き半作に満たず、飢饉に御座候ところ、当夏麦不作、その上秋作皆無に御座候あひだ、諸穀物一向これなく、相場は市ごとに引き上げ、当時相場左の通り。
一、追々ご承知になるでしょうが、当地の凶作は前代未聞です。そもそも去年の冬は寒中がたいへん暖かく夏のようで、十一月ごろから氷が張りましたが、寒に入るとすっかり解けて、ふだんの三四月ごろの気候と同じでした。それから年が明けて正月になり、少し寒くなりましたが、例年よりは格別に暖かでした。二月三日まで寒くならず、四月ごろからは東南東の風と北風ばかりで、寒中の極寒のように雨が降り、四月中に雨の降らない日はやっと七日でした。それも薄曇りの東風で霧が多く、晴天は一日もありませんでした。五月も同様で一日から降り始め、五月中に降らない日はやっと六日、六月中も五日ほどしか快晴はなく、七月には四日、八月には六日、このとおり天気が悪かったのですが、この春から麦作の景気はたいへんよく、近年にない出来ばえに見えたので、みな大いに喜んでいたところ、刈り取りの時期になってこの雨が続いたため熟しきれず、思いのほか日数が遅れて刈り取ったところ、まったく実が入っておらず、民はみな大いに困窮しました。それでも稲作や大豆、小豆、稗などは例年に勝る出来ばえに見えたので、「秋の作物は十分にあるだろう」と素人の私どもは言うまでもなく、老農や長年の熟練者たちも「今年の秋は豊作に間違いない」と言っていたので、こういう気候もさほど気にせずにいたところ、次第に不順になり、春に一度花の咲いた藤や山吹の類が六七月ごろ山々で春のように咲き、九輪草や立葵などは春から十一月まで四度も五度も咲き、夏菊は十一月下旬まで盛りで、九月と十月中旬に筍が生え、九月下旬に蝉が鳴きやまず、さまざまに季節が狂いました。稲は七月下旬になっても穂が出ず、たまに穂が出ても葉の中に隠れて花もつかず、穂の出るのは百に一つ、そのほかはまったく穂が出ませんでした。そういう次第で、一粒も実が入りませんでした。大豆、小豆、粟、稗、蕎麦などは八月十三日の夜に大霜が降り、これにやられて種もなくなり、まことに古今未曾有の大凶作です。もともと三四年来続けて半作にも満たない飢饉であったところへ、この夏は麦が不作、その上秋の作物は皆無なので、穀物はまったくなく、相場は市が立つたびに上がり、現在の相場は次のとおりです。
一、玄米 一升につき 二百五十文/一、こぬか 同 五十文/一、大豆 同 百五十文/一、搗粟 同 二百三十文/一、蕎麦 同 百二十文/一、豆腐粕 同 二十五文/一、片舂麦 同 二百文/一、ふすま 同 六十文/一、粗稗 同 百文/一、両替六貫三百文
一、玄米 一升につき 二百五十文/一、米ぬか 同 五十文/一、大豆 同 百五十文/一、搗いた粟 同 二百三十文/一、蕎麦 同 百二十文/一、豆腐粕 同 二十五文/一、片搗き麦 同 二百文/一、ふすま 同 六十文/一、粗い稗 同 百文/一、両替は一両が六貫三百文
右の通り何品によらず食物に相成り候類、過分の値段に御座候あひだ、食物在々に御座なく、蕨、野老、葛などを掘り食事つかまつり候。それも幾千万人と申す限りなき事に御座候あひだ、さしもの大山もたちまちに掘り尽くし申し候あひだ、葛、蕨の粕、あもそそめなど申すものばかり食事につかまつり候につき、右の毒に中り五体腫れ、大小便出でずしてたちまちに相果て候者、数知れ申さず候。当九月ごろ乞食ども犬、猫、猿などを食事につかまつり候事承り候あひだ、肝を潰し候ところ、去月ごろより犬、猫は申すに及ばず、牛馬を打ち殺し食事につかまつり候。非人、乞食などは眼前犬、猫をとらへ、塩も付けず食らひ候体、まことに鬼とも申すべきや、おそろしとも何とも申すべき様御座なく候。それにつき在々は押し込み強盗おびただしく起こり、家内残らず縛り置き、穀物は申すに及ばず家財奪ひ取り、その上家を焼き立ち退き候事数多く、かくのごとくの事、なかなか書き尽くしがたく候。これにより毎日捕手見分の役人衆、隙なく相回り候へども、なかなか手に合ひ申さず候。
このとおり何であれ食べ物になる類はとんでもない値段なので、村々に食べ物はなく、蕨や野老や葛などを掘って食べています。それも何千万人という限りのないことなので、さすがの大きな山もたちまち掘り尽くしてしまい、葛や蕨の粕、「あもそそめ」などというものばかり食べているため、その毒に当たって五体が腫れ、大小便が出なくなってたちまち死ぬ者は数知れません。この九月ごろ乞食たちが犬や猫や猿を食べていると聞いて肝をつぶしていたところ、先月ごろからは犬猫はもちろん、牛馬を打ち殺して食べています。非人や乞食などは目の前で犬猫を捕まえ、塩もつけずに食う様子で、まったく鬼と言うべきか、恐ろしいとも何とも言いようがありません。それにともなって村々では押し込み強盗がおびただしく起こり、家中の者を残らず縛り上げ、穀物はもちろん家財を奪い取り、その上家に火をつけて逃げることが数多く、こういうことはとても書き尽くせません。そのため毎日捕り方や見回りの役人衆が隙なく回っていますが、なかなか手に負えません。
一、ただ今難渋の者ども食事には
一、いま困窮している者たちの食べ物は
一、あも香煎〔これはわらびの屑をたたきさらし、粉を取り申し候かすをササメといふ。細かなるをアモといふよし〕/一、松皮香煎/一、同餅/一、藁しべ香煎/一、豆がら香煎/一、犬たで香煎/一、あざみの葉
一、あも香煎〔これは蕨の屑を叩いてさらし、粉を取ったあとの粕を「ササメ」といい、細かいものを「アモ」というそうです〕/一、松の皮の香煎/一、同じく餅/一、藁しべの香煎/一、豆がらの香煎/一、犬たでの香煎/一、あざみの葉
右の類、専ら食物につかまつり候。さて餓死の者ただ今国中半分余りと相見え申し候あひだ、来正月より三四月までの内、いかやうに成り申すべきや計りがたく存じたてまつり候。乞食、非人往来市のごとく、そのありさま、元来世並み宜しき砌、伊勢、熊野などへ参詣つかまつり候に路用沢山所持つかまつり候ても、「南部案山子」と出で立ちに御座候。ましていはんやこの節の体、譬へ申すべき者御座なく候。顔色かじけ、髪乱れ、眼星のごとく、色青く、つかれ衰へ、頬骨高く、口尖り、手足〓のごとく、からだ赤裸に菰をまとひし有様、何と申し候ても更に人間とは見え申さず候。右ゆゑに店々も相締め、戸、蔀など差し堅め居り候。戸口開け置き候へば非人ども無体に押し入り、食事をあたへ申さざる内は更に立ち退き申さず候ゆゑ、拠なく白昼に門戸を閉ぢ申す事御座候は、戸口より用事を達し、志にこれあり旅行など仕り候節は、家内中立ちわたり世話つかまつり候へども、我勝ちに前後を争ひ泣き叫び、老弱の者の貰ひ候食物を奪ひ取り、泣き叫びし声、身にしみ胸に答へ申し候。互ひに食を奪ひ合ひ、溝へ落ち入り、半死半生の者数多、叫喚、大叫喚、八寒、紅蓮の苦しみ、食を奪ひ合ひ打ち合ひつかみ合ひ、互ひに疵を得候体、修羅道の有様目前に御座候。火事は一夜に二か所三か所より出来、焼け死ぬる者数多、焦熱、大焦熱の炎に入り、煙にむせび、牛馬鶏犬の焼亡おびただしく御座候。世尊滅後二千八百年、弥勒の出世まではよほど間もこれある様に承り候ところ、今その期来たり候やと心細く、少しも安心御座なく候。よって御上様にも何卒飢渇の者御救ひあそばされたく思し召し候へども、近年打ち続き不熟損毛につき、御貯へもことごとく尽き候ゆゑ、思し召しに任されず、御心遣ひ痛ませられ候へども、更にその甲斐なく残念に思し召され、乞食、非人へ御施行あそばされ候ても大海の一滴、なかなか相届き申さず、気の毒千万に存じたてまつり候。
これらのものをもっぱら食べています。さて餓死者は現在、国中の半分あまりと見え、来年の正月から三四月までの間にどうなるか見当もつきません。乞食や非人の往来は市のようで、その姿ときたら、もともと世の中がよかったころ、伊勢や熊野などへ参詣するのに路銀をたっぷり持っていても「南部の案山子」といわれる出で立ちでしたから、まして今の様子は譬えようもありません。顔色はやつれ、髪は乱れ、目は星のように光り、顔色は青く、疲れ衰え、頬骨は高く、口は尖り、手足は〓のようで、体は裸に菰をまとった有様、何と言ってもとても人間には見えません。そのため店々も閉め、戸や蔀などを固く閉ざしています。戸口を開けておくと非人たちが無理やり押し入り、食べ物を与えないうちはけっして立ち退かないので、やむなく白昼に門戸を閉ざすことがあり、戸口から用事を済ませ、志があって旅などをするときには、家中総出で世話をしますが、我勝ちに先を争って泣き叫び、老人や子どもがもらった食べ物を奪い取り、その泣き叫ぶ声は身にしみて胸にこたえます。互いに食べ物を奪い合い、溝に落ち込んで半死半生の者が数多く、叫喚、大叫喚、八寒、紅蓮の地獄の苦しみで、食べ物を奪い合い殴り合いつかみ合い、互いに傷を負う様子は、修羅道の有様が目の前にあるようです。火事は一晩に二か所三か所から起こり、焼け死ぬ者が多く、焦熱、大焦熱の炎に入り、煙にむせび、牛馬や鶏や犬の焼死もおびただしいことです。釈迦入滅後二千八百年、弥勒の出現まではまだかなり間があるように聞いていましたが、今その時が来たのかと心細く、少しも安心できません。そこでお上も何とか飢えた者を救いたいとお考えですが、近年不作と損失が続いて蓄えもすっかり尽きたため、お考えのとおりにならず、お心を痛めておられますが、いっこうに効果がないのを残念に思われ、乞食や非人へお救いをなさっても大海の一滴で、なかなか行き届かず、気の毒千万に存じます。
一、捨て牛馬は御割札第一の御法度に御座候へども、この節ことごとく捨て申し候。右の牛馬を乞食ども引き参り皮をはぎ、鹿と申し候て売り候を、馬と存じながら価の下直に任せ馬肉を買ひ、「よき鹿」と申し候。値段、平生のおっとせいなどのごとく目方にて売買いたし、鹿に限らず何品にても食物に相成り候品、すべて魚などの値段に御座候。
一、牛馬を捨てることは御割札で第一の御法度ですが、この節はみな捨てています。その牛馬を乞食たちが引いていって皮をはぎ、鹿だと言って売るのを、馬だと知りながら値段の安さにまかせて馬肉を買い、「よい鹿だ」と言っています。値段はふだんのおっとせいなどのように目方で売買し、鹿に限らず何であれ食べ物になる品はすべて魚などと同じ値段です。
一、御城下端に近在遠在の子どもをことごとく海川へ投げ込み申し候者、数知れず。右の様子承り候に、哀れの品は数々御座候へども、みな凶作のなすわざに御座候。その内、死に様にも色々、いさぎよきも未練なるもあり、または名を惜しみ候者はなほまた深林の中へ行き候てくびれ、あるいは淵川へ行き石をいだき沈み申し候は数多、計りがたく存じたてまつり候。しかれども子、捨てられ候者は沢山御座候得ども、親を捨て候ものはいまだもって承らず候。もっとも殊勝の事に御座候。
一、御城下のはずれで近在遠在の子どもをみな海や川へ投げ込む者は数知れません。その様子を聞くと、哀れな話は数々ありますが、みな凶作のなせるわざです。その中には死に方にもいろいろあって、潔いものも未練なものもあり、また名を惜しむ者はさらに深い林の中へ行って首をくくり、あるいは淵や川へ行って石を抱いて沈む者が数多く、数えきれません。ただし子を捨てられた者はたくさんいますが、親を捨てた者はいまだに聞きません。まことに殊勝なことです。
一、去月末より別して火事多く、毎日毎夜五か所六か所より出来、焼き取りにつかまつり候。あるいは五十人七十人徒党を結び在々へ押し込み、理不尽に働きつかまつり、家財、穀物奪ひ取り候よし、所々より毎日承り候。さてさて一日片時も安心御座なく候。
一、先月末からとりわけ火事が多く、毎日毎晩五か所六か所から出火し、焼き取り、つまり火事場泥棒をしています。あるいは五十人七十人と徒党を組んで村々へ押し込み、理不尽に暴れて家財や穀物を奪い取ると、あちこちから毎日聞きます。まったく一日片時も安心できません。
一、この間も承り候得ば、定家卿の御短冊、古筆目利所にて極め相添へ、米五升に取り替へ申し候よし。大坂御陣に高名つかまつり候正宗の刀を稗一斗と取り替へ申し候よし。かやうの時節なり。余は御推量くださるべく候。
一、この間も聞いたところでは、定家卿の御短冊を古筆の目利き所の鑑定書つきで米五升と取り替えたそうです。大坂の陣で名を上げた正宗の刀を稗一斗と取り替えたそうです。こういう時節なのです。あとはお察しください。
一、仙台領、津軽領、盛岡御領、ともに皆無にて候内、もっとも盛岡御領には少々も実入りこれあり候やこれあり候よし、これとても種分も御座なく候よし、たとひ種の分御座候ても種に相成り候様に実入り御座なく候。しからば生き残り明年仕付け申し候節、右種物も御座なく候て何をもって仕付け申すべきや、千万心もとなく候。
一、仙台領、津軽領、盛岡御領ともに皆無の中で、もっとも盛岡御領には少しは実入りがあるとかあったとかいうことですが、それとても種の分もないそうで、たとえ種の分があっても種になるほどの実入りはありません。ですから生き残って来年作付けをするとき、種も何もなくて何で作付けをすればよいのか、まったく心もとないことです。
一、古来稀なる義は、非人ども犬、猫、牛、馬を食らひ候は世に不思議に存じ候ところ、死にかかり候人の肉を切りはなし、格別うまき味なるよし申し候。言語道断、かかる時節にあひ申し候事、いかなる事に御座候やと存じたてまつり候。しかしながら、かやうの儀存ぜず候はば、生涯仏も御経もうはの空にて、至敬の信心もあるまじく存じたてまつり候ところ、六道四生の有様、凡俗の身にて目前に見申し候事こそありがたく存じたてまつり候。さりながら「知りぬる仏、見ぬる花」とも申し候。何卒無難に明年をむかへ、豊作を祈り申し候ほか他事御座なく候。総体当地の事、なかなか筆紙に尽くしがたく、実に九牛が一毛に御座候。なほ追便万々申し上ぐべく候。恐惶謹言。
一、古来まれなことといえば、非人たちが犬猫牛馬を食うのを世にも不思議と思っていたところ、死にかけた人の肉を切り取って、格別うまい味だと言うそうです。言語道断で、こんな時節に出会ったのはどういうことかと思います。しかしながら、こういうことを知らなかったら、生涯仏もお経も上の空で、至敬の信心も持てなかったでしょうから、六道四生の有様を凡俗の身で目の当たりにできることこそありがたく存じます。とはいえ「知ってしまった仏、見てしまった花」とも申します。何とか無事に来年を迎え、豊作を祈るほかありません。総じて当地のことはとても筆紙に尽くしがたく、実に九牛の一毛です。なお後便で万々申し上げます。恐惶謹言。
卯十一月十一日 恵比須屋善六
卯の年十一月十一日 恵比須屋善六
井筒屋三郎兵衛様 平兵衛様 伝兵衛様
井筒屋三郎兵衛様 平兵衛様 伝兵衛様
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す
奧州南部癸卯の荒饑
古にいへらく、食者天下之本也、黄金萬貫不可療飢、白玉千箱何能救命。いでや今のおほ御代はしも、何事も足らぬことなく、凶年餓饉などいふことは嘗てあらず。いにしへより凶年のためし少からねど、近き年のうゑたるは人々もよくしりてあれば、常に昔語にのみ聞なしたる此大江戸のことにこそあれ、遠鄕僻地はいかばかりなりけん。只推しはからるゝばかりなるを、この比友人のもとより、陸奥よりことのさまつばらかにいひおこしたる書状壱通を示されき。彼あたりはことに甚しきよしほの聞えたれど、思ふにましたることのみにて、今のおほ御代に思ひくらべては、いとおそろしく魂も消ゆるこゝちす。さればかけまくもかしこきことながら、國家盛徳のおほんめぐみの有りがたきをも、更に思ひしらるゝわざなりけり。かつは時ならぬ氣候もあらば、此後もその意得べきことならんかしと思ふからに、錄して後葉に傳へまほしくこそ。
文政乙酉六月朔 山崎美成識
天明三年癸卯十一月十一日、奧州三戸郡南部内藏頭殿領分八戸の惠比須屋善六より、本店江戸田所町かど井筒屋三郎兵衞へ遣しゝ書状、左の如し。
一筆啓上仕候。甚寒御座候得共、先以其御地御揃益御勇健可被成御座、珍重奉存候。拙者共無異罷在候。乍慰外御安意可被下候。
一追々御承知可被遊、當地凶作前代未聞御座候。全體去冬寒中甚暖に而如夏、霜月比より氷候へ共、寒に入悉く解、平生三四月頃之季候に等しく、夫より年明正月に成、少々寒く候得共、例年よりは格別暖に御座候。二月三日迄不寒、四月頃より卯辰風北風計に而、寒中如極寒雨降、四月中に雨不降日漸々七日御座候。夫も薄曇東風に而霧多、晴天は一日も無御座候。五月も同斷に而朔日より降初、五月中不降日漸々六日、六月中も五日程も右之如く快晴は無之、七月には四日、八月には六日、右之通不天氣に候得共、當春より麥作之景氣至而宜、近年に不覺作合に相見え候間、諸人甚大悦罷在候處、苅頃に成右之雨續候故熟し兼、存之外日數おくれ苅取候處、一圓實成無御座、諸民大困窮仕候。然共稻作大豆小豆稗等は例年に勝候作合宜相見え申候間、秋作者十分に可有之と素人の拙者共は不申及、老農老圃年來の功者共、當秋は豐作無相違由申居候故、右之季候も左而已驚不申罷在候處、次第に不順に相成、春一度花咲候藤山吹之類など六七月頃山々春のごとく花咲、九輪草唐葵抔は春より霜月まで四度も五度も花咲、夏菊十一月下旬まで盛り、九月十月中旬に竹の子生じ、九月下旬に蟬なきやまず、種々の季候違に御座候。稻作は七月下旬に至り候而も出穗無之、たまさか穗出候而も葉の内へかくれ花もかゝり不申、穗出るは百分一、其外一圓に穗出不申候。右之次第に御座候間、一粒も實入無御座候。大豆小豆粟稗蕎麥等は八月十三日之夜大に霜降り、是に當り種なしに罷成、誠に古今未曾有之大凶作、元來三四年以來打續半作に不滿、飢饉に御座候處、當夏麥不作、其上秋作皆無に御座候間、諸穀物一向無之、相場は市毎に引上ケ、當時相場左之通り。
一玄米 壱升ニ付 弐百五拾文/一こぬか 同 五拾文/一大豆 同 百五拾文/一搗粟 同 弐百三拾文/一蕎麥 同 百廿文/一豆腐粕 同 廿五文/一片舂麥 同 二百文/一フスマ 同 六拾文/一粗稗 同 百文/一兩替六貫三百文
右之通何品によらず食物に相成候類過分之直段に御座候間、食物在々に無御座、蕨野花葛等を掘り食事仕候。夫も幾千萬人と申限りなき事に御座候間、さしもの大山も忽に堀盡し申候間、葛蕨の粕あもそゝめなど申もの計食事に仕候に付、右之毒に中り五體腫れ、大小便不出して忽に相果候者數知れ不申候。當九月頃乞食共犬猫猿等を食事に仕候事承り候間肝を潰し候處、去月頃より犬猫は不及申、牛馬を打殺食事に仕候。非人乞食等は眼前犬猫をとらへ、鹽も付ず喰候體、誠に鬼共可申哉、おそろしとも何とも可申樣無御座候。夫に付在々は押込強盜夥敷起り、家内不殘しばり置、穀物は不及申家財奪取、其上家を燒立退候事數多く、如此之事中々書盡しがたく候。依之毎日捕手見分之役人衆隙なく相𢌞り候へども、中々手に合不申候。
一只今難澁の者共食事には
一あも香煎〔是ハわらびの屑をたゝきさらし粉を取申候かすをササメといふ、細成るをアモといふよし〕/一松皮香煎/一同餅/一藁採香煎/一豆から香煎/一犬たで香煎/一あざみの葉
右之類專食物に仕候。扨餓死之者唯今國中半分餘と相見え申候間、來正月より三四月迄之内如何樣に成可申哉難計奉存候。乞食非人往來如市、そのありさま元來世並宜敷砌、伊勢熊野抔へ參詣仕候に路用澤山所持仕候而も、南部案山子と出立に御座候。まして況此節の體、譬可申者無御座候。顔色憔悴、髮亂れ、眼星のごとく、色青く、つかれ衰へ、頬骨高く、口尖り、手足〓の如く、からだ赤裸に菰をまとひし有樣、何と申候而も更に人間とは見え不申候。右故に店々も相しめ、戸蔀など指堅め居候。戸口開置候へば非人共無體に押入、食事をあたへ不申内は更に立退不申候故、無據白晝に門戸を閉申事御座候者、戸口より用事を達し、志に有之旅行抔仕候節は、家内中立わたり世話仕候へ共、我勝に前後を爭ひ泣さけび、老弱の者の貰候食物を奪ひ取、なきさけびし聲身にしみ胸に答申候。互に食を奪合溝へ落入、半死半生之者數多、叫喚大叫喚八寒紅蓮のくるしみ、食を奪合打合つかみ合、互に疵を得候體、修羅道の有樣目前に御座候。火事は一夜に二ケ處三ケ處より出來、燒死する者數多、焦熱大焦熱の炎に入、煙にむせび、牛馬鷄犬之燒亡夥敷御座候。世尊滅後二千八百年、彌勒の出世まては餘程間も有之樣に承り候處、今その期來候哉と心細く、少も安心無御座候。依て御上樣にも何卒飢渇之者御救ひ被遊度思召候へ共、近年打續不熟損毛に付、御貯も悉く盡候故、不被任思召御心遣被爲痛候へども、更に其無甲斐殘念に被思召、乞食非人へ御施行被遊候ても大海之一滴、中々相屆不申、氣之毒千萬に奉存候。
一捨牛馬は御割札第一之御法度に御座候へ共、此節悉捨申候。右之牛馬を乞食共引參り皮をはぎ、鹿と申候而賣候を、馬と存ながら價の下直に任せ馬肉を買ひ、能鹿と申候。直段平生のおつとせい抔の如く目方にて賣買致し、鹿に不限何品にても食物に相成候品、總て魚等の直段に御座候。
一御城下端に近在遠在之子共を悉く海川へ投込申候者數不知、右之樣子承り候に哀之品は數々御座候へ共、皆凶作之なすわざに御座候。其内しに樣にも色々いさぎよきも未練なるも有、又は名を惜み候者は猶又深林の中へゆき候てくびれ、或は淵川へ行き石をいだき沈み申候は數多難計奉存候。然共子被捨候者は澤山御座候得共、親を捨候ものは于今不承候。尤殊勝之事に御座候。
一去月末より別て火事多く、毎日毎夜五ケ所六ケ所より出來、燒取に仕候。或は五十人七十人徒黨を結び在々へ押込、理不盡に働仕、家財穀物奪取候由、所々より毎日承り候。扨々一日片時も安心無御座候。
一此間も承り候得者、定家卿の御短尺古筆目利所にて極め相添、米五升に取替申候由。大坂御陣に高名仕候正宗の刀を稗壱斗と取替申候よし。箇樣之時節なり。餘は御推量可被下候。
一仙臺領津輕領盛岡御領共に皆無にて候内、尤盛岡御領には少々も實入有之候哉有之候由、是迚も種分も無御座候由、譬種之分御座候ても種に相成候樣に實入無御座候。然者生殘り明年仕付申候節、右種物も無御座候て何を以仕付可申哉、千萬無心元候。
一古來稀成義は、非人共犬猫牛馬を喰候は世に不思議に存候處、死掛り候人之肉を切はなし格別うまき味なるよし申候。言語道斷かゝる時節にあひ申候事、いか成事に御座候哉と奉存候。乍然箇樣之儀不存候はゝ、生涯佛も御經もうはの空にて、至敬の信心も有間敷奉存候處、六道四生之有樣凡俗之身にて目前に見申候事こそ難有奉存候。乍去知りぬる佛見ぬる花とも申候。何卒無難に明年をむかへ、豐作を祈り申候外他事無御座候。總體當地之事中々難盡筆紙、實に九牛が一毛に御座候。猶追使萬々可申上候。恐惶謹言。
卯十一月十一日 惠比須屋善六
井筒屋三郎兵衞様 平兵衞様 傳兵衞様
注
- 写本の位置
- 写本は3169の75カット目左ページから82カット目左ページまで。75カット目左ページの冒頭に再び「兎園小説第六集」の見出しがあり、この話から別の冊を合綴したとみられる。手紙の本文は候文で、写本の字形がくずれた箇所が多い。
- 校合
- 冒頭「この比友人のもとより陸奥より」は写本の読み。活字本系テキストは「友人のもとより、その比、陸奥より」と「その比」を補う。
- 判読保留
- 「乍慰外御安意可被下候」は活字本系テキストの読みに従い、判読保留。書状の常套句は「乍憚御安意可被下候」で、写本の字形はどちらとも決めがたい。
- 校合
- 「稻作大豆小豆稗等」は写本の読み。活字本系テキストは「稻作・大豆・小豆・豆・稗等」と「豆」を重ねる。「幾千萬人」は写本の読みで、活字本系テキストは「幾千百人」。「家内不殘しばり置」は写本の読みで、活字本系テキストは「家出不殘」。「彌勒の出世」は写本の読みで、活字本系テキストは「出生」。
- 判読保留
- 「手足〓の如く」の〓は写本でも活字本系テキストでも判読できない字で、判読保留。活字本系テキストは正の下にノを添えた偏に片の旁と説明し、原本の傍注に本ノマヽとある。
- 判読保留
- 「目利所にて極め相添」の「にて」は写本の行末で確かめられず、活字本系テキストに従い判読保留。「死掛り候人之肉」も同じ扱い。
- 注記
- 「あもそゝめ」は写本のまま。後の割注でササメと説明されるので、そゝめはさゝめの誤写かと思われるが、写本の字句を残した。「藁採香煎」は写本に振り仮名シベがある。
- 校合
- 相場と食物の箇条は写本では一行ずつ書かれ、原文では/で区切って一段落にした。手紙の宛名「井筒屋三郎兵衞様」は写本の読みで、活字本系テキストの「井隨鼠」は誤植とみられる。
- 注記
- 恵比須屋善六は八戸の商人で井筒屋の支店の者、井筒屋三郎兵衛は江戸田所町の商人。卯辰風は東南東の風。おっとせいの目方売りは八戸で膃肭臍が薬として売られたことを指すと解した。九牛が一毛は多数の中の一つ。
- 注記
- 原寸で確かめた箇所はなく、ページ全体の画像での読みにとどまる。候文の返り点と送り仮名は外し、読みやすい本文で読み下した。
AI試訳 / 専門家未校閲