雲亭日本古典図書室収録作品の一覧

狐孫右衛門が事

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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第六集 第7話 / 海棠庵 関思亮

下総赤法華村の孫右衛門が原で拾った女を妻にしたが、子の一言で狐と知れて穴へ帰った。

本文 現代語訳

狐孫右衛門が事
狐の孫右衛門のこと
過ぎし兎園のまとゐに、きつね、たぬきの事など諸君のしめし給ふものから、予もまた聞きつる一条のものがたりあり。こは予が家に年ごろ出入りなせるもの、元は下谷の長者町に住みし万屋義兵衛が母みねのはなしなり。みねが生国は下総相馬郡宮和田村のほとりにて、みねが父は同国赤法華村の農民孫右衛門といふものなり。
先日の兎園会で、狐や狸のことを諸君が披露されたのにちなんで、私もまた一つ聞いた話がある。これは私の家に長年出入りしている者で、もとは下谷の長者町に住んでいた万屋義兵衛の母みねの話である。みねの生まれは下総相馬郡宮和田村のあたりで、みねの父は同じ国の赤法華村の農民孫右衛門という者である。
この孫右衛門より六世ばかりの祖孫右衛門〔代々孫右衛門をもて称す〕とかいひしもの、江戸に出でて帰るさ、何がしとかいふ原〔原の名を詳らかにせず〕をよぎりし時、傍らに若き女のひとりたたずみしが、呼びかけていへらく、「われは下総なる云々の村にゆくものなるが、行き暮れていと悩みぬ。願ふは、和君もそのほとりにしおはさば、伴ひ給はれかし」と、他事もなく頼まれければ、孫右衛門やむ事を得ず、うけがひて、その夜はおのが家にとどめ、とかくして一両日を経る程に、かの女のふるまひのまめまめしければ、孫右衛門が母なるもの、女に問ひていふ、「わが子いまだ妻あらず。わが嫁となりなんや」といひしに、女答へて、「われに実は親兄弟もなく、頼るべき方なし。云々の村はいささかのゆかりあれば、尋ねゆかんと思ひしのみ。ともかくも御心にしたがひなん」といひければ、母悦びてつひにめあはしぬ。
この孫右衛門から六代ほど前の先祖の孫右衛門〔代々孫右衛門を名乗る〕とかいう者が、江戸に出た帰り道、何とかいう原〔原の名は分からない〕を通ったとき、道ばたに若い女がひとり立っていて、声をかけて言うには、「私は下総の何々村へ行く者ですが、日が暮れてしまってとても困っています。お願いです、あなたもそのあたりにお住まいなら、連れて行ってください」と、ひたすら頼むので、孫右衛門はやむを得ず承知して、その夜は自分の家に泊め、なんだかんだで一日二日過ごすうちに、その女の立ち居ふるまいがまめまめしいので、孫右衛門の母が女に尋ねた。「息子にはまだ妻がいない。うちの嫁になってくれないか」。女は答えて、「私には実は親も兄弟もなく、頼れる所もありません。何々村は少しゆかりがあるので訪ねて行こうと思っただけです。なんにせよお心に従います」と言ったので、母は喜んで、とうとう二人を夫婦にした。
いく程もなく男子をまうけ、そが五歳といふとき、またをのこを生めり。冬の事にて稚子に添乳して、しばし炉辺にまどろみしに、五歳なりける男子があわただしく、「ててごよ、見給へ。かかさまの顔が『おとうか』〔狐の方言なり〕によく似たり」といふにおどろき、かの女はたちまち身を翻して駆け出でぬ。みなみな打ち驚き、あわてまどひて、そがあたりを落ちもなく探し求めしに、向かひの小高き山に狐の穴ありて、その穴の口に小児のもて遊びの茶釜と、焼き物のきせると、書き置きやうのもの一通あり。「さては、いよいよ狐にてありけり」とはじめて悟るものから、なほ哀慕に堪へざりけり。
ほどなく男の子をもうけ、その子が五歳のとき、また男の子を産んだ。冬のこと、赤ん坊に添い乳をしてしばらく炉端でうとうとしていると、五歳になる男の子があわてて、「父ちゃん、見て。母ちゃんの顔が『おとうか』〔狐の方言である〕によく似ているよ」と言うので驚くと、女はたちまち身を翻して駆け出した。みなびっくりして、あわてふためき、そのあたりをくまなく探し回ると、向かいの小高い山に狐の穴があり、その穴の口に子どものおもちゃの茶釜と、焼き物のきせると、書き置きらしいものが一通あった。「そうか、やはり狐だったのか」と初めて悟ったものの、それでも恋しさ悲しさに堪えられなかった。
かくて、その生まれし男子成長して、また孫右衛門と称し、老いて「廻国の望みあり」とて家を出でしが、いづち行きけん、遂に帰らずなりし。そのあたりのもの、後々までも「狐のおぢい」と呼びしとぞ。かのみねは、右「きつねのおぢい」がためには曾孫にや当たりぬべしといふ。みね媼が話に、「幼きころ赤法華村にゆきて、かの茶がま、きせるなど見し事あり。わなみも狐の血すぢにて侍り」と、こまやかに語りしを諳記して、ここにしるしぬ。老媼がむかしがたりなれば、郡村の名さへ詳らかならぬもあれば、遺漏なほ多かるべし。もし委しきことをしも得ば、後のまとゐに補ふべし。
こうしてその生まれた男の子は成長してまた孫右衛門と名乗り、年をとってから「諸国を回りたい」と家を出たが、どこへ行ったのか、とうとう帰ってこなかった。そのあたりの者は後々まで「狐のじいさん」と呼んだそうだ。あのみねは、この「狐のじいさん」の曾孫にあたるはずだという。みね婆さんの話では、「幼いころ赤法華村に行って、あの茶釜やきせるなどを見たことがあります。私も狐の血筋なのです」と、こまごまと語ったのを覚えていて、ここに記した。老婆の昔語りなので、郡や村の名さえはっきりしないものもあり、抜け落ちはなお多いだろう。もし詳しいことが分かれば、後の会で補うつもりである。
乙酉六月朔 海棠庵主人識す
乙酉六月一日 海棠庵主人記す
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す

狐孫右衞門が事

過し兎園のまとゐに、きつねたぬきの事など諸君のしめし給ふ物から、予も亦聞つる一條のものがたりあり。こは予が家に年ごろ出入なせるもの、元は下谷の長者町に住し萬屋義兵衞が母みねのはなしなり。みねが生國は下總相馬郡宮和田村のほとりにて、みねが父は同國赤法華村の農民孫右衞門といふものなり。

此孫右衞門より六世ばかりの祖孫右衞門〔代々孫右衞門をもて稱す〕とかいひしもの、江戸に出て歸るさ、何がしとかいふ原〔原の名を詳にせず〕をよぎりし時、傍に若き女のひとりたゝずみしが、呼かけていへらく、われは下總なる云々の村にゆくものなるが、ゆき暮ていとなやみぬ。願ふは和君もそのほとりにしおはさば、伴ひ給はれかしと、他事もなく賴まれければ、孫右衞門止む事を得ず、うけがひて、その夜はおのが家にとゞめ、とかくして一兩日をふる程に、彼女のふるまひのまめ〳〵しければ、孫右衞門が母なるもの女に問ていふ、我子いまだ妻あらず、わがよめとなりなんやといひしに、女答て、われに實は親兄弟もなく、たよるべき方なし。云々の村は些のゆかりあれば、尋ねゆかんと思ひしのみ。兎もかくも御心にしたがひなんといひければ、母悅びてつひにめあはしぬ。

いく程もなく男子をまうけ、そが五歲といふとき又をのこをうめり。冬の事にて稚子に添乳して、しばし爐邊にまどろみしに、五歲なりける男子があはたゞしく、てゝごよ見給へ、かゝさまのかほがおとうか〔狐の方言なり〕によく似たりといふにおどろき、彼女は忽身を翻してかけ出ぬ。みな〳〵打驚き⿰目條まどひて、そがあたりをおちもなくさがし求めしに、向の小高き山に狐の穴ありて、その穴の口に小兒のもて遊びの茶釜と、燒ものゝきせると、書おきやうのもの一通あり。さては彌狐にてありけりとはじめてさとる物から、なほ哀慕に堪ざりけり。

かくてその生れし男子成長して、また孫右衞門と稱し、老て廻國の望ありとて家を出しが、何地ゆきけん遂に歸らずなりし。そのあたりのもの後々までも狐のおぢいと呼びしとぞ。かのみねは右きつねのおぢいが爲にはひまごにや當りぬべしといふ。みね媼が話に、をさなきころ赤法華村にゆきて、彼茶がまきせるなど見し事あり。わなみも狐の血すぢにて侍りと、こまやかにかたりしを諳記してこゝにしるしぬ。老媼がむかしがたりなれば、郡村の名さへ詳ならぬもあれば、遺漏なほ多かるべし。もし委しきことをしも得ば、後のまとゐに補ふべし。

乙酉六月朔 海棠庵主人識

注

写本の位置
写本は3169の85カット目左ページから87カット目右ページまで。87カット目右ページの署名の後、同じページの左半分から次話「なら茸」が始まる。
注記
披講者は海棠庵 関思亮。冒頭の「過し兎園のまとゐ」は狐狸の話が出た前回の会を指す。
校合
「みな〳〵打驚き」に続く語は写本で目偏に條の字にアハテと振り仮名をつける。Unicodeに該当字がないため原文では⿰目條と表記し、readableではあわてと読んだ。活字本系テキストも同じ字を注記する。原寸で確かめた。
校合
「過し」「聞つる」「住し」「問て」「答て」「老て」「出しが」は写本の送り仮名のとおりで、活字本系テキストは「過ぎし」「聞きつる」「住みし」「問ひて」「答へて」「老いて」「出でしが」と補う。ページ全体の画像での読みで、原寸では確かめていない。
校合
「遺漏」は写本の読み。活字本系テキストは「遣漏」とする。
注記
宮和田村は今の茨城県取手市宮和田、赤法華村は同守谷市赤法花と解した。未確認。
注記
「おとうか」は狐を指す下総の方言で、写本の割注のとおり。「わなみ」は自分を指す一人称。

AI試訳 / 専門家未校閲