なら茸
読書室で開く(原典画像・関連作品・自分の書架)
兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第六集 第8話 / 乾斎 中井乾斎
真壁郡の百姓が茸の吸物で酒を飲むところへ来た医師が、巾着の中の三つ角の銀杏が砕けたのを不審に思い、吸わずに帰って命拾いした。
本文 現代語訳
上州真壁郡野瓜村にての事なりし。寛延四年辛未〔この年、宝暦と改元〕四月中、百姓ども寄り合ひて、「なら茸」といふきのこ、大きさ三、四寸ばかりなる、いと見事なるを取り来て、四、五人より合ひ、吸物にこしらへ、酒を飲まんとせし折、同村なる不二沢幸伯といふ医師来にければ、五人のもの申しけるは、「さてさて、よき処へ御出で候ものかな。今日『ならたけ』といふきのこを採り候ゆゑ、吸物にして酒をたべ候なり。幸ひの折なれば、御酒ひとつ召し上がられよ」といふに、この医師も「そはよき処へ参りあはしし」などいふ程に、吸物膳をもて出でければ、蓋をとりて見るに、特に美なる「なら茸」を四つ割りにして出だしたり。
上州真壁郡野瓜村での出来事である。寛延四年辛未〔この年に宝暦と改元〕の四月中、百姓たちが寄り集まって、「なら茸」というきのこの、大きさ三、四寸ほどの実に見事なものを取ってきて、四、五人で寄り合い、吸物にこしらえて酒を飲もうとしていたとき、同じ村の不二沢幸伯という医師がやって来たので、五人の者が言うには、「いやいや、ちょうどよい所へおいでになった。今日は『ならたけ』というきのこを採ったので、吸物にして酒を飲んでいるところです。よい折ですから、お酒を一杯召し上がってください」。医師も「これはよい所へ来合わせた」などと言っているうちに、吸物の膳が出てきたので、蓋を取って見ると、とりわけ立派な「なら茸」を四つ割りにして出してあった。
幸伯これを吸はんと思ひしに、はじめ座につく時、腰にさげたる印籠巾着を膝の脇にや置きしきけん、たちまち「はつし」と音しにけり。幸伯ひそかに驚きて、「こは印籠をひしぎしならん」と思ひつつ、とりて見るに、させることもなし。「こはいかに」と疑ひまどひて、やがてその巾着の紐をときつつ内を見るに、いぬる年、兄道伯がくれたりし三つ角の銀杏くだけたり。そのとき幸伯思ふやう、「さきにわが兄のこの銀杏をくれしときにいへらく、『その理あるにあらねども、三つ角なる銀杏は毒消しなりとて、むかしより人のいひ伝へたり。よしや医師なればとて、かかる事は俗にしたがひて、文盲見義に用ふるぞよき。其方にも一つ懐中せよ』とくれたるを、この巾着に入れおきしに、今砕けしは不審の事なり。かつ、この吸物はわが好物といふにもあらず。いかにせまし」と思ふ心の、とかく心にかかりしかば、「吸はぬにますことあらじものを」と、やうやうに思ひとりて、もろ人にうちむかひ、「われら今日は大切なる精進日に候へば、御酒ばかりたまはらん」とて、盃をうけて少し飲みしが、遂に療用にかこつけて、酒宴なかばに辞し去りぬ。
幸伯がこれを吸おうと思ったとき、初めに座に着くときに腰に下げていた印籠と巾着を膝の脇に置いたのだろうか、ふいに「ぱちっ」と音がした。幸伯はひそかに驚いて、「印籠を押しつぶしたのだろう」と思いながら取って見ると、何ともない。「これはどうしたことか」と不審に思って、やがて巾着の紐を解いて中を見ると、去年、兄の道伯がくれた三つ角の銀杏が砕けていた。そのとき幸伯が思うには、「以前、兄がこの銀杏をくれたときに、『理屈があるわけではないが、三つ角の銀杏は毒消しだと昔から人が言い伝えている。たとえ医師であっても、こういうことは俗説に従って、無学な人への見せかけに使うのがよい。おまえも一つ懐に入れておけ』とくれたものを、この巾着に入れておいたのに、今砕けたのは不審なことだ。それにこの吸物は自分の好物というわけでもない。どうしたものか」。その思いがどうにも心に引っかかったので、「吸わないに越したことはない」とようやく思い定めて、皆に向かって「私は今日は大事な精進日ですので、お酒だけいただきます」と言って、盃を受けて少し飲んだが、結局は治療にかこつけて、酒宴の半ばで席を立って帰った。
しばらくして、かの吸物を食らひし百姓の家より幸伯がり人を走らして、「ただ今見舞ひ給はれかし」とて、急病用の使ひ推しつづきて来にければ、幸伯ふたたびゆきて、かの五人の中、亭主とほか一人の即死したれば、療治届かず。残る三人はその腹いづれも太鼓のごとく腫れたれども、命運や尽きざりけん、からくして順快しけり。そののち幸伯は江戸へ出府せし折、「かかる事にや、不思議に命を助かりし」とて、朋友某に物語りしなり。
しばらくして、あの吸物を食べた百姓の家から幸伯のもとへ人が走ってきて、「今すぐ診に来てください」と、急病の使いが次々に来たので、幸伯が再び行ってみると、五人のうち亭主ともう一人は即死していて手当てが間に合わない。残る三人はどれも腹が太鼓のように腫れていたが、まだ寿命が尽きていなかったのだろう、かろうじて回復した。その後、幸伯は江戸へ出てきたとき、「こういうことで不思議に命が助かった」と友人の某に語ったのである。
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す
なら茸
上州眞壁郡野瓜村にての事なりし。寛延四年辛未〔是年改元寶暦〕四月中、百姓ども寄合て、なら茸といふきのこ、大さ三四寸ばかりなる、いと美事なるを取來て、四五人より合、吸物にこしらへ、酒を飲んとせし折、同村なる不二澤幸伯といふ醫師來にければ、五人のもの申けるは、さて〳〵よき處へ御出候ものかな。今日ならたけといふきのこを採り候故、吸物にして酒をたべ候なり。幸ひの折なれば、御酒ひとつきこしめされよといふに、此醫師も、そはよき處へ參りあはしゝなどいふ程に、吸物膳をもて出ければ、葢をとりて見るに、特に美なるなら茸を四ツ割にして出したり。
幸伯これを吸んと思ひしに、はじめ座につく時、腰にさげたる印籠巾着を膝の脇にや居しきけん、忽はつしと音しにけり。幸伯ひそかに驚きて、こは印籠をひしぎしならんと思ひつゝ、とりて見るに、させることもなし。こはいかにと疑ひまどひて、やがてその巾着の紐をときつゝ内を見るに、いぬる年兄道伯がくれたりし三ツ角の銀杏くだけたり。そのとき幸伯思ふやう、曩にわが兄のこの銀杏をくれしときにいへらく、その理あるにあらねども、三ツ角なる銀杏は毒けしなりとて、むかしより人のいひ傳へたり。よしや醫師なればとて、かゝる事は俗にしたがひて、文盲見義に用ふるぞよき。其方にも一ツ懷中せよとくれたるを、この巾着に入れおきしに、今摧けしは不審の事なり。且この吸物はわが好物といふにもあらず。いかにせましと思ふ心の、とかく心にかゝりしかば、吸はぬにますことあらじものをと、やう〳〵に思ひとりて、もろ人にうちむかひ、われらけふは大切なる精進日に候へば、御酒ばかりたまはらんとて、盃をうけて少し飮みしが、遂に療用にかこつけて、酒宴なかばに辭し去りぬ。
しばらくして、彼吸物をくらひし百姓の家より幸伯がり人を走らして、只今見まひ給はれかしとて、急病用の使推つゞきて來にければ、幸伯ふたゝびゆきて、彼五人の中亭主と外一人の卽死したれば、療治屆かず。殘る三人はその腹いづれも大皷のごとくはれたれども、命運や竭きざりけん、からくして順快しけり。そのゝち幸伯は江戸へ出府せし折、かゝる事にや不思議に命を助かりしとて、朋友某に物がたりしなり。
注
- 写本の位置
- 写本は3169の87カット目右ページの左半分から88カット目左ページの前半まで。題は「なら茸 乞児の賢 羅城門の札」と一行に並べて書き、目録ではなら茸と乞児の賢を別の話にするので、目録に従って二つの passage に分けた。
- 判読保留
- 国名の一字目は写本の紙の穴で欠け、上州か常州か決めがたい。活字本系テキストの上州に従い、判読保留とする。真壁郡は常陸国の郡なので常州の可能性がある。原寸で切り出して確かめた。
- 校合
- 「寛延四年辛未」は写本の読み。活字本系テキストは「寬政四年」とするが、干支と割注の改元から寛延四年が正しい。
- 校合
- 「酒を飲んとせし折」は写本の読み。活字本系テキストは「酒を吞まんとせし折」。
- 注記
- 「野瓜村」の振り仮名は写本でノウリ。今の茨城県筑西市周辺と推定されるが未確認。
- 注記
- 「文盲見義」は無学の者へ道理を見せる程度の意と解した。三つ角の銀杏を毒消しとする俗説は本文に言うとおり。
- 注記
- ページ全体の画像で読み、原寸で確かめたのは国名の一字だけ。
AI試訳 / 専門家未校閲