乞児の賢 附羅城門の札
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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第六集 第9話 / 乾斎 中井乾斎
五十両を拾って返した大坂の非人と豊後の行き倒れの尼が残した漢詩、それに安井門跡の羅生門禁札の写しを記す。
本文 現代語訳
延享五年戊辰〔この年、寛延と改元〕春正月十三日の夜の明けがたに、大坂四つ橋にて、そのほとりなる非人、金五十両拾ひしに、その包み紙に「字津屋氏」と書きつけてありしかば、隈なく尋ねて、終にその主に返しけり。金の主歓びて、謝物として金子少々とらせしかども、つやつや受けず。よりてまた酒代として鳥目三貫文つかはししに、左の詩を相添へて、その鳥目を返しつつ、非人は行方知れずとぞ。
延享五年戊辰〔この年に寛延と改元〕春正月十三日の夜明け方、大坂の四つ橋で、そのあたりの非人が金五十両を拾ったところ、包み紙に「字津屋氏」と書いてあったので、くまなく尋ね歩いて、ついに持ち主に返した。金の持ち主は喜んで、礼として金子を少々与えようとしたが、まったく受け取らない。そこでまた酒代として銭三貫文を遣わしたところ、次の詩を添えてその銭を返し、非人は行方知れずになったという。
橋上路辺一二銭 往来終日幾千人 死生富貴任天命 昨日錦今日草菰
橋の上、道のほとりで一銭二銭。行き交う人は一日に幾千人。生き死にも富貴も天命にまかせ、昨日の錦は今日の草むしろ。
たからぞとおもへば袖につつみけり ひろへばおもき障りなりけり
宝だと思えば袖に包んだが、拾ってみれば重い障りになるものだ。
またいづれの年にかありけん、豊後国〔郡、尋ぬべし〕地蔵寺門前に行き倒れの尼あり。その住所を尋ねしに、乞食のよしなれば知れず。その傍らに辞世あり。
またいつの年だったか、豊後国〔郡は調べるべき〕の地蔵寺門前に行き倒れの尼がいた。住所を尋ねたが、乞食だというので分からない。そのそばに辞世があった。
漸出人間界 忽今上昊天 即捨敞蓑笠 夢醒寺門前
ようやく人間の世界を出て、たちまち今、大空に上る。すぐに破れた蓑と笠を捨て、夢は寺の門前で醒めた。
予、これらの人の塵埃に埋もるるを哀しみ、録して、もて人に示して、後に伝へんと欲するのみ。
私はこうした人々が塵の中に埋もれてしまうのを哀れに思い、書き留めて人に示し、後世に伝えたいと思うだけである。
京都安井御門跡諸宝物くさぐさの中、うす緑の太刀、羅生門へ渡辺綱がもてゆきしといふ禁札は、わきてめづらし。番の侍某を頼みて模写せし図。
京都の安井門跡の数々の宝物の中で、うす緑の太刀と、渡辺綱が羅生門へ持って行ったという禁札は、とりわけ珍しい。番の侍の某に頼んで写し取った図。
〔図一 この所、朽ち、一尺程/羅生門変/為退治蒙/天延二年二月/摂津守源頼/この所、朽ち〕
〔図一 ここは朽ちて一尺ほど欠ける/羅生門変/為退治蒙/天延二年二月/摂津守源頼/ここは朽ちている〕
幅二尺二寸 長さ一尺二寸 厚さ三寸
幅二尺二寸 長さ一尺二寸 厚さ三寸
人王六十四代 円融院御宇 寛延二巳年まで七百七十三年
人王六十四代 円融院の御代 寛延二年巳年まで七百七十三年
右の板は榎木にて、文字消えて多く読めず。「変」の字の下にも文字見ゆれど読みがたし。撫づれば手に障るのみ。また「蒙」の字の下にも文字あれども、これまた読めず。「蒙」の下は「者也」とあるやうに見ゆ。手にて撫づれば少し障るのみ。〔右、古記録の中より獲たり〕
この板は榎の木で、文字が消えて多くは読めない。「変」の字の下にも文字が見えるが読みにくい。撫でると手に引っかかるだけである。また「蒙」の字の下にも文字があるが、これも読めない。「蒙」の下は「者也」とあるように見える。手で撫でると少し引っかかるだけである。〔以上は古い記録の中から得たものである〕
文政八年乙酉六月朔 乾斎主人識す
文政八年乙酉六月一日 乾斎主人記す
著作堂云ふ、この禁札といふものは、ある人の模刻せしを予、蔵弆せり。友人美成にも所蔵にありといふ。「羅城門」を「羅生門」と書きたるなど、すべて疑はしく信じがたき者なり。
著作堂が言う。この禁札というものは、ある人が模刻したものを私も所蔵している。友人の美成も持っているという。「羅城門」を「羅生門」と書いているなど、すべて疑わしく、信じがたいものである。
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す
乞兒の賢 羅城門の札
延享五年戊辰〔この年寛延と改元〕春正月十三日の夜の明がたに、大坂四ツ橋にて、そのほとりなる非人金五拾両拾ひしに、その包がみに字津屋氏と書つけてありしかば、隈なくたづねて、終にそのぬしに返しけり。金のぬし歡びて、謝物として金子少々とらせしかども、つや〳〵うけず。よりて又酒代として鳥目三貫文つかはしゝに、左の詩を相添て、その鳥目を返しつゝ、非人はゆくへしれずとぞ。
橋上路邊一二錢 往來終日幾千人 死生冨貴任天命 昨日錦今日草菰
たからぞとおもへば袖につゝみけりひろへばおもき障りなりけり
又いづれのとしにかありけん、豐後國〔郡たづぬべし〕地藏寺門前に行倒れの尼あり。その住所をたづねしに、乞食のよしなればしれず。その傍に辭世あり。
漸出人間界 忽今上昊天 卽捨敞蓑笠 夢醒寺門前
予これらの人の塵埃に埋るゝを哀み、錄してもて人に示して、後に傳へんと欲するのみ。
京都安井御門跡諸寶物くさ〳〵の中、うす緑の大刀、羅生門へ渡邊綱がもてゆきしといふ禁札は、わきてめづらし。番の侍某を賴みて摹寫せし圖。
〔図一 此所朽一尺程/羅生門変/爲退治蒙/天延二年二月/攝津守源頼/此所朽〕
幅弐尺二寸 長壱尺弐寸 厚三寸
人王六十四代 圓融院御宇 寛延二巳年迄七百七十三年
右の板は榎木にて、文字消えて多くよめず。變の字の下にも文字見ゆれど讀がたし。撫れば手に障るのみ。又蒙の字の下にも文字あれども、是又よめず。蒙の下は者也とあるやうに見ゆ。手にて撫れば少し障るのみ。〔右獲自古記錄中〕
文政八年乙酉六月朔 乾齋主人識
著作堂云、この禁札といふものは、ある人の摹刻せしを予藏弃せり。友人美成にも所藏にありといふ。羅城門を羅生門と書たるなど、すべて疑はしく信じがたき者なり。
注
- 写本の位置
- 写本は3169の88カット目左ページの後半から90カット目右ページまで。目録の「乞児の賢 附羅城門の札」に従い、非人と尼の話と禁札の記事を一つの passage にした。活字本系テキストはなら茸と合わせて一記事にする。
- 注記
- 禁札の図は89カット目左ページの中ほどに、上辺が屋根形の札の輪郭を描き、中に羅生門変、爲退治蒙の二行、左下に天延二年二月、攝津守源頼、右上と左下の欠けた部分に此所朽一尺程、此所朽と書き込む。図の書き込みは右上から順に/で区切った。
- 校合
- 図の年号は写本で「天延」と読める。活字本系テキストは「天近」とする。原寸で切り出して確かめた。
- 校合
- 「摹寫」「摹刻」は写本の字で、活字本系テキストが字を欠くとして注記する箇所。摹は模と同じ。
- 注記
- 「予藏弃せり」は写本の字のまま。藏弆と書くのが普通で、弃は弆の誤りとみられるが写本を採った。
- 注記
- 漢詩の「敞」は敝の意と解した。「昊天」は大空。「鳥目」は銭。「四ツ橋」は大坂西横堀川と長堀川の交わる所。「安井御門跡」は京都東山の蓮華光院。
- 校合
- 漢詩の現代語訳は雲亭の試訳で、活字本系テキストの訓読には従っていない。禁札は謡曲「羅生門」の伝説にもとづく後世の作と著作堂が疑う。
- 注記
- 図と年号を除き、ページ全体の画像での読み。
AI試訳 / 専門家未校閲