新吉原若松屋の掟
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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第六集 第10話 / 文宝堂 西村寿卜
吉原京町の若松屋で新造や子供が毎朝毎晩唱えさせられる掟の文句と、女房の訓戒のことばを写す。
本文 現代語訳
新吉原京町一丁目娼家若松屋の掟〔いはゆる「めでた若松」これなり〕
新吉原京町一丁目の女郎屋若松屋の掟〔世にいう「めでた若松」がこれである〕
右若松屋の掟は、毎朝神棚の前へ新造をはじめ子供残らず居並び、神棚に向かひ、みな同音に、
この若松屋の掟は、毎朝神棚の前に新造をはじめ子供が残らず居並び、神棚に向かって皆いっせいに、
「おヲ、めエ、でエ、たう」引く 三べん
「おー、めー、でー、とう」と声を引く 三べん
「おありがたう存じ奉ります」 これも三べん
「ありがとう存じ奉ります」 これも三べん
この事言ひ終はりて、見世のわき座敷にてまた三べんづついひて、それより仏壇に向かひ居ならびてまた三べん。これをしまひて内証女房の前に出でて、
これを言い終えると、店のわきの座敷でまた三べんずつ言い、それから仏壇に向かって居並んでまた三べん。これを済ませて内証の女房の前に出て、
「おめでたう」引く こればかり、はじめのごとく三べん
「おめでとう」と声を引く これだけ、はじめと同じく三べん
女房これを聞きていへらく、
女房はこれを聞いて言う。
「めでたいとおつしやつた。御供いただけとおつしやつた」と、これを三べんいふと、それより新造、子供同音に、
「めでたいとおっしゃった。お供えをいただけとおっしゃった」。これを三べん言うと、それから新造と子供がいっせいに、
「廊下でさわぎますまい。つまみ食ひいたしますまい。寝小便いたしますまい。お客人を大切にいたしませう。悪いことをいたしますまい」
「廊下で騒ぎません。つまみ食いをしません。寝小便をしません。お客様を大切にします。悪いことをしません」
など、そのほかこの類の箇条をならべ立ていふ。これを聞きて女房、
など、そのほかこの類の箇条を並べ立てて言う。これを聞いて女房が、
「一々申しつかつた通り、まちがへるな。旦那さまがお湯からお上がんなさつたら御祝儀に出よ。悪い事をしたらば友吟味をして申し上げうぞ。一々申しつかつた通り、まちがへるな」
「一つ一つ言いつけられた通り、間違えるな。旦那様がお風呂から上がられたらご祝儀に出ろ。悪いことをしたら仲間同士で吟味して申し上げるぞ。一つ一つ言いつけられた通り、間違えるな」
子供、新造また同音に、
子供と新造がまたいっせいに、
「火の用心を大切にいたします」 三べん
「火の用心を大切にいたします」 三べん
「お客様を大切に仕ります」 同
「お客様を大切にいたします」 同じく
「火の用心、大切は、大切は。上々様方へ御奉公、御奉公。お客人様、大切は、大切は。わいらが親を孝行にしてやつたかはりの奉公だぞ。よろしい、いつて御供をいただけ」
「火の用心、大切に、大切に。お上のお歴々へご奉公、ご奉公。お客様、大切に、大切に。おまえたちの親に孝行させてやったかわりの奉公だぞ。よろしい、行ってお供えをいただけ」
「おありがたう存じ奉ります」
「ありがとう存じ奉ります」
「まちがひると棒だぞ、○たて」
「間違えると棒だぞ、○たて」
これよりみなみな次へ立ちて朝飯を食ふなり。
それから皆が次の間へ立って朝飯を食べるのである。
毎夜引け過ぎ、女房の前へまた新造、子供残らず居並ぶ。女房云ふ、
毎晩、引け過ぎには女房の前にまた新造と子供が残らず居並ぶ。女房が言う。
「火の用心、大切は、大切は。上々様方へ御奉公、御奉公。お客人さま、大切、大切。わいらが親を孝行にしてやつたかはりの奉公だぞ。諸神様、諸仏様、諸神様、諸仏様、上々様、上々様、お慈悲、お慈悲、お慈悲ぞ。よろしい、いつて休息、休息、休息」
「火の用心、大切に、大切に。お上のお歴々へご奉公、ご奉公。お客様、大切、大切。おまえたちの親に孝行させてやったかわりの奉公だぞ。諸神様、諸仏様、諸神様、諸仏様、上々様、上々様、お慈悲、お慈悲、お慈悲だぞ。よろしい、行って休め、休め、休め」
「おありがたう存じ奉ります。おやすみなされませ」といふて、皆々臥所に入るといへり。
「ありがとう存じ奉ります。おやすみなさいませ」と言って、皆寝床に入るという。
この毎日の唱へ事、正月元日はお職女郎をはじめ、新造、禿、男女出入りの者に至るまで残らずならび居て、かくのごとくいふとぞ。
この毎日の唱えごとは、正月元日にはお職女郎をはじめ、新造、禿、男女の出入りの者に至るまで残らず並んで、このように言うそうだ。
右女房のことばの中に、「親を孝行にしてやつたかはりの奉公」といふ事解しがたきゆゑ、かの家のものに問ひしに、「それは銘々親のために身を沈めし上、折々その親ども来たりて、暮らし方難渋のよしにて金子借用の願ひを出だし、少しにても借り受けて、まづ当時当時の困窮をも凌ぐは、これ奉公をして居るゆゑに、親の貧苦をも救へば、自然と孝行にあたるべし。その孝行をさせてやるは誰がかげぞ。これ親方のかげならずや。そのかはりの奉公なれば、大切につとめずばなるまい」といふ、無理に理屈をつけたる戒めことばなりと語りき。
この女房のことばの中にある「親に孝行させてやったかわりの奉公」ということが分かりにくいので、あの家の者に尋ねたところ、「それはめいめいが親のために身を沈めたうえに、折々その親たちが来て、暮らし向きが苦しいからと金の借用を願い出て、少しでも借り受けて当座の困窮をしのぐのは、奉公をしているからこそ親の貧苦を救えるので、自然と孝行にあたる。その孝行をさせてやるのは誰のおかげか。親方のおかげではないか。そのかわりの奉公なのだから、大切に勤めなければならない」という、無理に理屈をつけた戒めのことばだ、と語った。
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す
新吉原京町壱丁目娼家若松屋の掟〔所謂めでた若松これなり〕
右若松屋の掟は、毎朝神棚の前へ新造をはじめ子供殘らず居並び、神棚に向ひみな同音に、
おヲめエでエたう引 三べん
おありがたう存じ奉ります これも三べん
此事言終りて、見世のわき座敷にて又三べんづゝいひて、夫より佛壇に向ひ居ならびて又三べん。是をしまひて内證女房の前に出て、
おめでたう引 こればかりはじめの如く三べん
女房これをきゝていへらく、
めでたいとおつしやつた、御供いたゞけとおつしやつたと、これを三べんいふと、それより新造子供同音に、
廊下でさわぎますまい。つまみぐひいたしますまい。ね小べんいたしますまい。お客人を大切にいたしませう。わるいことをいたしますまい。
などその外此類の箇條をならべ立ていふ。これを聞て女房、
一々申つかつた通りまちがへるな。旦那さまがおゆからおあがんなさつたら御祝儀に出よ。わるい事をしたらば友ぎん味をして申上うぞ。一々申つかつた通りまちがへるな。
子供新造又同音に、
火の用心を大切にいたします 三べん
お客樣を大切に仕ります 同
これを聞て女房、
火の用心大切は大切は、上々樣方へ御奉公御奉公。お客人樣大切は大切は。わいらが親を孝行にしてやつたかはりの奉公だぞ。よろしい、いつて御供をいたゞけ。
新造子供同音に、
おありがたうぞんじ奉ります。
女房云、
まちがひると棒だぞ、○たて。
是よりみな〳〵次へたちて朝飯をくふなり。
毎夜引過、女房の前へ又新造子供殘らず居並ぶ。女房云、
火の用心大切は大切は、上々樣方へ御奉公御奉公。お客人さま大切大切。わいらが親を孝行にしてやつたかはりの奉公だぞ。諸神樣諸佛樣、諸神樣諸佛樣、上々樣上々樣、お慈悲お慈悲お慈悲ぞ。よろしい、いつて休息休息休息。
子供新造一同に、
おありがたう存じ奉ります。おやすみなされませといふて、皆々臥所に入るといへり。
此毎日の唱事、正月元日はおしよく女郎をはじめ、新造禿男女出入の者に至るまで殘らずならび居て、かくの如くいふとぞ。
右女房のことばの中に、親を孝行にしてやつたかはりの奉公といふ事解しがたき故、かの家のものに問ひしに、それは銘々おやの爲に身をしづめし上、折々そのおやども來りて、くらし方難澁のよしにて金子借用の願ひを出し、少しにても借うけて、先當時々々の困窮をも凌ぐは、是奉公をして居る故に、親の貧苦をも救へば、自然と孝行にあたるべし。その孝行をさせてやるは誰がかげぞ。是おやかたのかげならずや。そのかはりの奉公なれば、大切につとめずばなるまいといふ、無理に理窟をつけたるいましめことばなりとかたりき。
注
- 写本の位置
- 写本は3169の90カット目左ページから92カット目左ページの前半まで。題は90カット目右ページの左端に書かれ、割注「所謂めでた若松これなり」が続く。
- 注記
- 目録の題は「新吉原若松屋の掟」で、本文の題は「新吉原京町壱丁目娼家若松屋の掟」。title は目録に従った。
- 注記
- 唱えことばの一行ごとに写本は改行するので、段落を分けた。「引」は声を引き延ばす指示と解した。「御供」の振り仮名は写本でゴクウ。
- 校合
- 「此事言終りて」「聞て」「申つかつた」「引過」「願ひを出し」「借うけて」は写本の送り仮名のとおりで、活字本系テキストは「言ひ終りて」「聞きて」「申しつかつた」「引け過ぎ」「願を出だし」「借りうけて」と補う。
- 校合
- 「ならべ立ていふ」は写本の読み。活字本系テキストは「ならべ立てゝいふ」。
- 校合
- 「○たて」は写本にも丸印で書かれ、意味は不明。活字本系テキストも意味不明とする。「友ぎん味」は同輩どうしで吟味すること。
- 判読保留
- 92カット目左ページの「先當時々々」の脇に小字の書き入れがあるが、読めないので判読保留とした。
- 注記
- 新造は年若い見習いの女郎、禿はそれに仕える少女、お職は店で最上位の女郎、内証は楼主の居所、引けは夜の営業終了の時刻。
- 注記
- ページ全体の画像での読みで、原寸で確かめた箇所はない。
AI試訳 / 専門家未校閲