突くといふ風聞
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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第六集 第11話 / 文宝堂 西村寿卜
文化三年の江戸で夜道の盲人や乞食を槍で突き殺す事件が続き、文政八年五月には清元延寿斎が刺されて死んだ。
本文 現代語訳
文化三丙寅年正月の末より、夜分往来の盲人あるいは乞食、ゐざりの類を槍にて突き殺す事はやりて、二月の中ごろよりこの事甚だしく、三月のはじめごろより少しこの沙汰やみたるに、同四日、芝車町より出火して浅草たんぼまで焼ける。この大火の後またまた槍の沙汰ありて、日暮れ過ぎよりは人々用心して他出する者稀なり。夜分はいよいよ往来淋しければ、悪者は時を得たるにや、なほ所々にて突く事多かりけり。されども大方は盲人あるいは至極下賤の者ばかりにて、よき人突かれしといふことなし。
文化三年丙寅の正月末から、夜間に通りかかる盲人や乞食、いざりの類を槍で突き殺す事件が流行し、二月の半ばからひどくなり、三月の初めごろに少し収まったところ、三月四日に芝の車町から出火して浅草の田んぼまで焼けた。この大火の後にまたまた槍の事件があり、日暮れを過ぎると人々は用心して外出する者がまれになった。夜はいよいよ人通りが少なくなるので、悪者は好機を得たのか、なお方々で突く事件が多かった。とはいえ、たいていは盲人か、ごく身分の低い者ばかりで、ちゃんとした人が突かれたという話はない。
盗賊の所為かと思へば、さのみ金銀を目がくるにもあらず、いかにもあやしき事にて、おほやけよりもいと厳しく仰せ渡され、町中にても火事後なほさら夜番をなして、たゆみなく心をつくすといへども、さらにその悪者知れざりけるが、四谷天王の社内地形の普請場へ、いとあやしき侍来たりて、別当所の座敷にありし頭巾と衣二品を盗みて去らんとす。折しも石工あるいは鳶のものなどあまた居合はせたれば、たちまち捕らへられ、盗みたる品を取り返され、からき目にあひて逃げ失せたりしに、そののち鮫が橋の「おか」てふものに訴へられて、遂に召し捕られ、きびしく御吟味ありけるに、この者も夜分人を突く悪者なりければ、すみやかにその罪きはまり、江戸中引き回しの上、品川鈴が森にて獄門にぞ行はれける。これ四月十八日に召し捕られ、同二十三日にかく行はれたれば、「この後はさる事あらじ」と世上安堵の思ひをなしたるに、はやその二十三日の夜、浅草西福寺門前にてまたぞろ突かれたるものあり。
盗賊のしわざかと思えば、別に金銀を狙うわけでもなく、まことに怪しい事件で、お上からも大変厳しくお達しがあり、町中でも火事の後はなおさら夜番を立てて怠りなく気を配ったが、いっこうにその悪者は分からなかった。ところが四谷天王社の境内の地ならしの普請場へ、ひどく怪しい侍が来て、別当所の座敷にあった頭巾と衣の二品を盗んで立ち去ろうとした。ちょうど石工や鳶の者などが大勢居合わせたので、たちまち捕らえられ、盗んだ品を取り返され、ひどい目にあって逃げ失せたが、その後、鮫が橋の岡っ引きに訴えられて、ついに召し捕られ、厳しく吟味されたところ、この者も夜間に人を突く悪者だったので、すみやかに罪が決まり、江戸中を引き回しのうえ、品川の鈴が森で獄門に処せられた。四月十八日に捕らえられ、二十三日にこのように処刑されたので、「もうこんな事はあるまい」と世間は安堵していたのに、早くもその二十三日の夜、浅草西福寺の門前でまたしても突かれた者があった。
牛込改代町麁朶橋にて、十八歳になる盲人、出刃包丁にて突き殺されたり。これは五月二日の夜の事なり。同夜同所神楽坂上寺町にても突かれたるものあり。いかなる事にて何者のなすわざにや。なほなほおほやけよりもさまざま触れ出だされし事どもあれど、とにかくに知れがたし。その後自然とこの沙汰やみたるに、また八月の末より春中のごとく、夜分非人あるいは盲人を突く事所々にあり。かへすがへすもいぶかしき事なり。
牛込改代町の麁朶橋で、十八歳になる盲人が出刃包丁で突き殺された。これは五月二日の夜のことである。同じ夜、同じあたりの神楽坂上寺町でも突かれた者がある。どういうわけで、誰のしわざなのか。なおもお上からいろいろお触れが出たが、どうにも分からない。その後、自然とこの事件は収まったが、また八月の末から春の間と同じように、夜間に非人や盲人を突く事件が方々であった。かえすがえすも不審なことである。
このころ甲州にてあやしき法を行ひて、婦女子の胆を取りて薬に用ゐるよし風説あり。
このころ甲州で怪しい術を行い、婦女子の胆を取って薬にするといううわさがあった。
「水銀蝋、当春以来売買いたし候や、有無の返答書差し出し候やう」名主より申し渡され、飯田町にても町内の薬種屋一同「売買いたさざる旨」連印いたし、返答書を差し出しし事あり。後に聞くに、水銀蝋を妖術に用ひ、または槍にて突く事にも用ふるよし、これにより右のお尋ねありなんど、種々の説々あり。
「水銀蝋をこの春以来売買したか、有無の返答書を差し出せ」と名主から申し渡され、飯田町でも町内の薬種屋一同が「売買していない」旨に連判し、返答書を提出したことがあった。後で聞くと、水銀蝋を妖術に使い、または槍で突くことにも使うそうで、それでこのお尋ねがあったのだなど、いろいろな説があった。
同年十月の中ごろより少しこの沙汰やむ。一体春中より月の夜は静かにて、暗夜にこの事多くありけるゆゑ、そのころの落頌に
同年十月の半ばから、少しこの事件は収まった。だいたい春の間から月夜は静かで、闇夜にこの事件が多かったので、そのころの落首に
春の夜の闇はあぶなし槍梅の脇こそ見えね人は突かるる
春の夜の闇は危ない。槍梅模様の脇こそ見えないが、人は突かれる。
月よしといへど月には突かぬなり闇とはいへどやまぬ槍沙汰
月がよいと言っても月夜には突かないし、闇だと言っても槍の沙汰はやまない。
闇に突き月夜に突きの出でざるは槍は無しなる浮き世なりけり
闇に突き、月夜に月が出ないのは、槍は無いという浮き世だ。
これはさておき、当酉五月二十六日の夜、豊後節浄瑠璃太夫清元延寿斎、芝居より帰るさ、乗物町にて、何者とも知らず延寿斎の脇腹を一突き突きて、いづくともなく逃げ失せたり。延寿は「あっ」といひたるに、提灯を持ちし男驚き、「こはいかに」と立ち寄りたれば、「はやく駕籠を雇ひくれよ」といひて、二町ほど歩みて駕籠に乗り、本石町鐘撞堂新道なるわが家へ来たりしと聞きて、そのまま息絶えたりしとなん。惜しむべし、惜しむべし。〔このとき葺屋町市村座狂言「曾我祭」、浄瑠璃名題「嬲三人色地走」。「地走」は「血走り」に通ひ当てて見るといふも名詮自性なりと、後に人のいひしとぞ。延寿が菩提所は日蓮宗深川浄心寺なり。戒名「妙声院誓音日延信士」。○これより先、延寿斎剃髪改名の刷り物に、剃髪の「剃」を「刺」と書きたり。これも前兆なるべし〕
それはさておき、今年酉年の五月二十六日の夜、豊後節浄瑠璃太夫の清元延寿斎が芝居からの帰り道、乗物町で何者とも知れぬ者に脇腹を一突きされ、相手はどこへともなく逃げ失せた。延寿が「あっ」と言うと、提灯を持っていた男が驚いて「どうしました」と近寄ったところ、「早く駕籠を雇ってくれ」と言って、二町ほど歩いて駕籠に乗り、本石町鐘撞堂新道の自宅に着いたと聞いて、そのまま息絶えたということだ。惜しいことだ、惜しいことだ。〔このとき葺屋町の市村座の狂言は「曾我祭」、浄瑠璃の外題は「嬲三人色地走」。「地走」を「血走り」に通わせて見るというのも、名がそのものを表すというものだと、後に人が言ったそうだ。延寿の菩提寺は日蓮宗の深川浄心寺である。戒名は「妙声院誓音日延信士」。○これより前、延寿斎が剃髪改名の刷り物に、剃髪の「剃」を「刺」と書いていた。これも前兆だったのだろう〕
この延寿斎の一条は前編のちなみに記し出だせり。何もののよめるにか、
この延寿斎の一件は前の集のついでに書き出しておいた。誰が詠んだのか、
いつきならつかるることもあるべきにこは前生の因えん寿斎
斎宮なら突かれることもあろうが、これは前世の因縁の延寿斎。
五月闇あといふ声や聞きをさめ
五月闇、「あっ」という声が聞き納め。
文政八乙酉夏六朔 文宝亭記す
文政八年乙酉夏六月一日 文宝亭記す
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す
突くといふ沙汰
文化三丙寅年正月の末より、夜分往來の盲人或は乞食ゐざりの類を鎗にて突殺す事はやりて、二月の中比より此事甚しく、三月のはじめ比より少し此沙汰やみたるに、同四日芝車町より出火して淺草たんぼまでやける。此大火の後又々鎗の沙汰有て、日暮過よりは人々用心して他出する者稀なり。夜分はいよ〳〵往來淋しければ、わる者は時を得たるにや、猶所々にて突く事多かりけり。されども大かたは盲人或は至極下賤の者ばかりにて、よき人つかれしといふことなし。
盜賊の所爲かと思へば、さのみ金銀を目がくるにもあらず、いかにもあやしき事にて、おほやけよりもいと嚴しく仰渡され、町中にても火事後猶更夜番をなして、たゆみなく心をつくすといへども、さらに其わる者しれざりけるが、四谷天王の社内地形の普請場へ、いとあやしき侍來りて、別當所の座敷に有し頭巾と衣二品をぬすみて去らんとす。折しも石工或は鳶のものなどあまた居合せたれば、忽とらへられ、盜みたる品を取かへされ、からきめにあひて逃うせたりしに、そのゝち鮫が橋のおかてふものに訴へられて、遂に召捕れ、きびしく御吟味ありけるに、此者も夜分人を突くわるものなりければ、すみやかに其罪きはまり、江戸中引廻しの上、品川鈴が森にて獄門にぞ行はれける。是四月十八日に召とられ、同廿三日にかく行はれたれば、この後はさる事あらじと世上安堵の思ひをなしたるに、はや其廿三日の夜、淺草西福寺門前にて又候つかれたるものあり。
牛込改代町麁朶橋にて、十八歲になる盲人出刄庖丁にて突殺されたり。これは五月二日の夜の事なり。同夜同所神樂坂上寺町にてもつかれたるものあり。いかなる事にて何者のなすわざにや。猶々おほやけよりもさま〴〵觸出されし事共あれど、とにかくにしれがたし。其後自然と此沙汰やみたるに、又八月の末より春中のごとく、夜分非人或は盲人を突く事所々にあり。かへす〴〵もいぶかしき事なり。
此頃甲州にてあやしき法を行ひて、婦女子の膽を取て藥に用るよし風說あり。
水銀蠟當春以來賣買いたし候哉、有無之返答書差出候樣、名主より申渡され、飯田町にても町内の藥種や一同賣買不致旨連印いたし、返答書を差出しゝ事あり。後に聞に、水銀蠟を妖術に用ひ、又は鎗にて突く事にも用ふるよし、依之右の御尋ありなんど、種々の說々あり。
同年十月の中比より少し此沙汰やむ。一體春中より月の夜はしづかにて、暗夜に此事多くありける故、其比の落頌に
春の夜のやみはあぶなし鎗梅のわきこそみえね人はつかるゝ
月よしといへど月にはつかぬなり闇とはいへどやまぬ鎗沙汰
やみにつき月夜につきの出ざるはやりはなしなるうき世なりけり
これは扨おき、當酉五月廿六日の夜、豐後節淨瑠璃太夫淸元延壽齋、芝居よりかへるさ乘物町にて、何者ともしらず延壽齋の脇腹を一突つきて、いづくともなく逃うせたり。延壽は叶といひたるに、挑燈をもちし男驚き、こはいかにと立よりたれば、はやく駕籠を雇ひくれよといひて、二町程あゆみて駕籠に乘り、本石町鐘撞堂新道なる我家へ來りしと聞て、其まゝ息たえたりしとなん。をしむべし〳〵。〔このとき葺屋町市村座狂言曾我祭、淨瑠璃名題嬲三人色地走。地走は血走りにかよひあてゝ見るといふも名詮自性なりと、後に人のいひしとぞ。延壽が菩提所は日蓮宗深川淨心寺なり。戒名妙聲院誓音日延信士。○是より先、延壽齋剃髮改名のすり物に、剃髮の剃を刺と書たり。是も前兆なるべし〕
此延壽齋の一條は前編の因にしるし出せり。何ものゝよめるにか、
いつきならつかるゝこともあるべきにこは前生の因えん壽齋
又發句に
五月やみあといふ聲や聞をさめ
文政八乙酉夏六朔 文寶亭記
注
- 写本の位置
- 写本は3169の92カット目左ページの後半から95カット目右ページまで。95カット目右ページの上部に小字の頭書があり、その末尾は95カット目左ページの右上に続く。頭書は割注として本文の該当箇所の後に〔 〕で入れた。
- 注記
- 目録の題は「突くといふ風聞」で、本文の題は「突くといふ沙汰」。title は目録に従った。
- 校合
- 「二月の中比より」は写本の読み。活字本系テキストは「月の中比より」と二を欠く。
- 校合
- 延寿の叫び声は写本で「叶」の形にアの振り仮名をつける。活字本系テキストは口偏に亞の字を使う。原寸で切り出して確かめ、写本の字形を採った。
- 校合
- 「突殺す」「有て」「取かへされ」「逃うせ」「召捕れ」「召とられ」「取て」「用る」「聞に」「出ざる」「聞て」「書たり」は写本の送り仮名のとおりで、活字本系テキストは送り仮名を補う。
- 注記
- 鎗梅は槍を並べたように見える梅の文様。落頌は落首と同じ。「おか」は岡っ引き。斎宮は延寿斎の前名の斎宮太夫を掛ける。
- 注記
- 清元延寿斎は清元節の創始者で、文政八年五月二十六日に乗物町で刺されて死んだ初代清元延寿太夫。「前編の因にしるし出せり」は前の集に記したことを指す。
- 注記
- 叫び声の一字を除き、ページ全体の画像での読み。
AI試訳 / 専門家未校閲