北里の烈女
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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第六集 第13話 / 輪池堂 屋代弘賢
吉原の遊女琴柱が若い僧に出世の資金を与えて自害し、幽霊となって遊びを戒めた僧はのちに知恩院の大僧正になった。
本文 現代語訳
天明のころ、三縁山の所化に霊瞬といふ僧あり。親しき友に誘はれて吉原にゆき、玉屋の琴柱といふたはれめに会ひぬ。この僧容顔美麗なりしかば、琴柱それにめでしにや、「しばしば訪はせ給へ」といふ。僧、もとより「あるまじきこと」とは思ひつれど、愛欲の情おさへがたく、「濡れぬ先こそ」とうつつなくなりて通ふほどに、琴柱に身の上を問はれて、ありのままに語り聞かせたり。「さらば末々は高き位にのぼり、よき寺をも持たせ給ふべきや」と問ふ。「およそわがともがら学文をはげみぬれば、ここかしこに移り進みて、幸ひあれば大僧正にも至らるるなり。しかしながら黄金乏しくては、すみやかに進みがたし」といひしを、こまかに聞きゐたりしが、そののち訪ひし時、琴柱いふやう、「えにしあればこそ君が親しみを受けまゐらせたり。これも宿世のことなるべし」とて、一包みの黄金を出だして与へ、「これをもととして、かならず成りのぼらせ給へ。今宵を限りとして、ここにも来たり給ふな。あだし女にも近づき給ふな。みづからは近きうちに身まかり侍りて、君が身を守り侍るべし。必ず忘れ給ふな」といふ。僧も初めは「思ひよらざること」とて否みけれども、その志のまめなるにめでて受けひきぬ。
天明のころ、増上寺の修行僧に霊瞬という僧がいた。親しい友に誘われて吉原へ行き、玉屋の琴柱という遊女に会った。この僧は顔立ちが美しかったので、琴柱はそれに惹かれたのか、「たびたび訪ねてください」と言う。僧はもとより「あってはならないこと」とは思ったが、愛欲の情を抑えがたく、「濡れる前こそ気にするもの」とわれを忘れて通ううちに、琴柱に身の上を尋ねられて、ありのままに語って聞かせた。「それでは行く行くは高い位にのぼって、よい寺をお持ちになれるのですか」と問う。「だいたい私たちは学問に励めば、あちこちの寺を移り進んで、運がよければ大僧正にもなれる。しかし金がなくては早くは進めない」と言ったのを、琴柱はこまかに聞いていたが、その後に訪ねたとき、琴柱が言うには、「縁があればこそあなたの親しみを受けたのです。これも前世からの定めでしょう」と、一包みの金を出して与え、「これを元手にして、必ず出世してください。今夜を限りにここへも来ないでください。ほかの女にも近づかないでください。私は近いうちに死んで、あなたの身をお守りします。決して忘れないでください」と言う。僧も初めは「思いもよらないこと」と断ったが、その志の真剣さに心を打たれて承知した。
かくて日あらずして、琴柱みづから身に傷つけてぞまかりぬ。「心の乱れしにや」と聞きて、かつは驚き、かつは悲しみ、法号をつけて日々に回向してありけるが、一年ばかり過ぎにしかば、「去るものは疎き」習ひにて、また友にすすめられて品川の遊びのもとにゆき、とかくして雲雨の契りをもよほすころ、琴柱がありし姿あらはれて、「いかで誓ひしことを忘れ給ひしか」と諫むる顔ばせ、恨み骨に通りし面差しなりければ、恐ろしく覚えて逃げ帰りぬ。日ごとに回向する事は怠らざれど、年月を経てまた遊びのもとにゆくことありしが、かの幽霊出でて諫むる事前のごとくなりしかば、それよりまたまた不犯の身となり、勇猛精進なりしかば、年を追ひて進みて、京の知恩院になりて、聖誉大僧正とぞ聞こえける。
こうして幾日もたたないうちに、琴柱は自分で体を傷つけて死んだ。「心が乱れたのだろうか」と聞いて、僧は驚きもし悲しみもし、法号をつけて毎日回向していたが、一年ほど過ぎると、「去る者は日々に疎し」のならいで、また友に勧められて品川の遊女のもとへ行き、あれこれして枕を交わそうとするころ、琴柱の生前の姿が現れて、「どうして誓ったことをお忘れになったのですか」と諫める顔つきは、恨みが骨まで通ったような面差しだったので、恐ろしくなって逃げ帰った。毎日の回向は怠らなかったが、年月がたってまた遊女のもとへ行くことがあり、あの幽霊が出て諫めることが前と同じだったので、それからは再び女犯を断つ身となり、猛々しく修行に励んだので、年とともに昇進して、京の知恩院の住持となり、聖誉大僧正と呼ばれたということだ。
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す
北里烈女
天明の比、三緣山の所化に靈瞬といふ僧あり。したしき友にいざなはれてよし原にゆき、玉屋の琴柱といふたはれめにあひぬ。此僧容顏美麗なりしかば、琴柱それにめでしにや、しば〳〵とはせ給へといふ。僧もとよりあるまじきこととは思ひつれど、愛慾の情おさへがたく、ぬれぬさきこそとうつゝなくなりてかよふほどに、琴柱に身の上をとはれて、ありのまゝにかたりきかせたり。さらば末々はたかき位にのぼり、よき寺をももたせ給ふべきやととふ。凡わがともがら學文をはげみぬれば、こゝかしこにうつりすゝみて、幸あれば大僧正にもいたらるゝなり。しかしながらこがね乏しくては、すみやかにすゝみがたしといひしを、こまかに聞ゐたりしが、そのゝちとひし時、琴柱いふやう、えにしあればこそ君がしたしみをうけまゐらせたり。これもすぐせのことなるべしとて、一包のこがねを出してあたへ、これをもとゝして、かならずなりのぼらせ給へ。こよひをかぎりとして、こゝにも來り給ふな。あだし女にも近づき給ふな。みづからはちかきうちに身まかり侍りて、君が身をまもり侍るべし。必わすれ給ふなといふ。僧も初はおもひよらざることとていなみけれども、そのこゝろざしのまめなるにめでゝうけひきぬ。
かくて日あらずして、琴柱みづから身にきずつけてぞまかりぬ。心のみだれしにやと聞て、かつはおどろき、かつはかなしみ、法號をつけて日々に囘向して有けるが、一とせばかり過にしかば、去ものはうときならひにて、又友にすゝめられて品川のあそびのもとにゆき、とかくして雲雨のちぎりをもよほす比、琴柱が在し姿あらはれて、いかでちかひしことを忘れ玉ひしかといさむるかほばせ、恨骨にとほりしおもざしなりければ、おそろしく覺えてにげかへりぬ。日ごとにゑかうする事はをこたらざれど、年月をへて又あそびのもとにゆくこと有しが、かの幽靈いでゝいさむる事前のごとくなりしかば、それより又々不犯の身となり、勇猛精進なりしかば、年をおひてすゝみて、京の智恩院になりて、聖譽大僧正とぞ聞えける。
注
- 写本の位置
- 写本は3169の97カット目右ページの中ほどから99カット目左ページまで。99カット目左ページは一行だけで、この行で第六集が終わる。100カット目は表紙の画像。
- 校合
- 「愛慾」は写本の字。活字本系テキストは「愛欲」。「學文」は写本のまま。
- 校合
- 「聞て」「有けるが」「過にしかば」「在し姿」「有しが」は写本の送り仮名のとおりで、活字本系テキストは「聞きて」「有りけるが」「過ぎにしかば」「在りし姿」「有りしが」と補う。
- 校合
- 「去ものはうときならひにて」は写本の読み。活字本系テキストは「去ものはうとき習にて」と漢字に開く。
- 注記
- 三縁山は芝増上寺の山号。所化は修行中の僧。玉屋は吉原の妓楼。聖誉大僧正は知恩院六十二世の聖誉霊麟と推定されるが未確認。
- 注記
- 北里は吉原の異称。「ぬれぬさきこそ」は濡れぬ先こそ露をも厭への諺を踏む。
- 注記
- ページ全体の画像での読みで、原寸で確かめた箇所はない。
AI試訳 / 専門家未校閲