由利郡神霊
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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第七集 第3話 / 海棠菴 関思亮
夫婦が同じ霊夢を見て裏山に社を建てると、日に数百人が参詣する霊場になる。
本文 現代語訳
羽州秋田〔佐竹侯封内〕に大平山といふあり。鎮座の神を三吉大明神、三助大明神と号す。また土俗、三助お村、あるは福の神など唱へ、月の八日、二十一日を縁日とす。しかるに同州由利郡矢島領〔生駒家封邑〕下村づつ大琴村の農民惣十郎といふものあり。その性、質朴なるが、年ごろかの秋田なる三吉明神を信仰しけるに、いぬる文政七年四月七日の夜、あやしき夢を見たり。たとへば一つの山上に神人ゐまし、その側に人ありて神人に向ひて、「日ごろ信仰なし奉るものはこれにて候」と申す。その時、神人のいはく、「われ汝にさいはひを与へん。いよいよ怠ることなかれ」と告げ給ふと見て、驚き覚めぬ。惣十郎奇異の思ひをなし、朝とく起きて、その妻にかく物語り、「みやしろを建てて祭りなん」といへば、妻答へて、「さることは世間の聞こえもいかがあらん。心にて仰ぎ尊み給へ」といふ。その夜また妻が見し夢、夫につゆ違はざりければ、始めてその霊夢なるを悟り、相共に謀りて神祠を営まんとするに、「夢中に見し処、惣十郎が本家なる大琴村〔本庄、亀田、矢島の界〕の農民某が家の後ろの山に彷彿たり」とて、まづ試みに餅をつきて供へしけるに、しるしありて、牙のあとめきたるもの付きてあり。されば「ここにこそ神慮に叶ひつれ」とて、いちはやくみやしろを作りはじめしに、不思議なるは、その日よりはや詣で来る人あり。まつたく秋田なる大平山より神の移り給ふなるべし。
出羽国秋田〔佐竹侯の領内〕に大平山という山がある。鎮座する神を三吉大明神、三助大明神と呼ぶ。また土地の人は三助お村、あるいは福の神などとも唱え、毎月八日と二十一日を縁日にしている。ところで同じ国の由利郡矢島領〔生駒家の領地〕下村づつ大琴村に惣十郎という農民がいた。性格は素朴で、長年この秋田の三吉明神を信仰していたが、去る文政七年四月七日の夜、不思議な夢を見た。ある山の上に神人がおられ、その脇に人がいて神人に向かい、「日ごろ信仰している者はこの者です」と申し上げる。すると神人が「私はおまえに幸いを与えよう。ますます怠るな」とお告げになった、と見たところで驚いて目が覚めた。惣十郎は不思議に思い、朝早く起きて妻にこのことを語り、「社を建てて祭ろう」と言うと、妻は「そんなことをすれば世間の聞こえもどうだろう。心の中で仰ぎ尊びなさい」と答えた。ところがその夜、今度は妻が見た夢が夫のものと少しも違わなかったので、初めてそれが霊夢だと悟り、二人で相談して社を営もうとした。「夢で見た場所は、惣十郎の本家がある大琴村〔本庄、亀田、矢島の境〕の農民某の家の裏山にそっくりだ」というので、まず試しに餅をついて供えると、しるしがあって、牙の跡のようなものが付いていた。そこで「ここが神のお心に叶う場所だ」と、すぐに社を作りはじめたところ、不思議なことに、その日からもう参詣に来る人があった。まったく、秋田の大平山から神が移っておいでになったのだろう。
かくて霊験日々にいちじるく、響きの物に応ずるごとし。矢島にて女を携へ走りしものを立願せしに、おのれと帰り来つ。あるいは腰の立たざるもの、人に扶けられて詣でけるに、帰りには独り歩き行くやうになり、また某といふもの、「立願の事ありて成就せば餅を備へまゐらせん」といひながら、その事成就したれども得備へざりければ、たちまちそれが苗代を一夜に流されて跡なくなりし。その祟りもまた速やかなれば、一人として恐れ尊まぬものもなし。近辺はさらなり、諸国より日ごとに三四百人づつ参詣群集して、さしもの辺鄙、市をなし、かの惣十郎は別当して自ら富を得ること大方ならずなん。
こうして霊験は日ごとにいちじるしく、まるで響きが物に応えるようだった。矢島で女を連れて駆け落ちした者のことを祈願すると、その男は自分から帰ってきた。腰の立たない者が人に助けられて参詣すると、帰りには一人で歩けるようになった。また某という者が「願い事があり、成就したら餅をお供えします」と言いながら、成就したのに供えなかったところ、たちまちその苗代が一夜で流されて跡形もなくなった。祟りもまた速やかなので、恐れ尊ばない者は一人もいない。近辺はもちろん、諸国から日ごとに三、四百人ずつ参詣に押し寄せ、あれほどの辺鄙な土地に市が立つほどで、あの惣十郎は別当となって自然と得た富は並大抵ではないという。
右一条の話は、当六月中旬、生駒家〔矢島領主〕の臣小助川龍造に見も聞きもしつるなり。「浮きたることにはあらず」とて、同人の語りしままをしるすにこそ。
右の一条の話は、この六月中旬に生駒家〔矢島の領主〕の家臣小助川龍造から見たことも聞いたことも聞き取ったものである。「根拠のない話ではない」というので、本人が語ったままを記しておく。
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す
由利郡神靈
羽州秋田〔佐竹侯封内〕に大平山といふあり。鎮座の神を三吉大明神三助大明神と号す。又土俗三助お村あるは福の神など唱へ、月の八日廿一日を縁日とす。しかるに同州由利郡矢嶋領〔生駒家封邑〕下村づゝ大琴村の農民惣十郎といふものあり。その性質朴なるが、年ごろかの秋田なる三吉明神を信仰しけるに、いぬる文政七年四月七日の夜、あやしき夢を見たり。たとへば一つの山上に神人ゐまし、その側に人ありて神人に向ひて、日比信仰なし奉るものは是にて候とまうす。その時神人のいはく、われ汝にさいはひを与へん、いよいよ怠ることなかれと告げ給ふと見て驚きさめぬ。惣十郎奇異の思をなし、朝とく起きて、その妻にかくものがたり、みやしろを建てゝ祭りなんといへば、妻答へて、さることは世間の聞えもいかゞあらん、心にて仰き尊み給へといふ。その夜又妻が見し夢、夫につゆ違はざりければ、始めてその靈夢なるを悟り、相共に謀りて神祠を営まんとするに、夢中に見し処、惣十郎が本家なる大琴村〔本庄亀田矢嶋の界〕の農民某が家の後の山に彷彿たりとて、先づ試に餅をつきて供しけるに、しるしありて、牙のあとめきたるもの付てあり。されば此処こそ神慮に叶ひつれとて、いちはやくみやしろを作りはじめしに、不思議なるは、その日よりはや詣来る人あり。全く秋田なる大平山より神の移り給ふなるべし。
かくて靈験日々にいちじるく、響の物に応ずる如し。矢嶋にて女を携へ走りしものを立願せしに、おのれとかへり来つ。或ハ腰の立ざるもの、人に扶けられて詣けるに、帰りには獨歩行やうになり、又某といふもの、立願の事ありて成就せば餅を備へまゐらせんといひながら、その事成就したれども得備へざりければ、忽それが苗代を一夜に流されて跡なくなりし。その祟も亦速なれば、一人としておそれ尊まぬものもなし。近辺はさらなり、諸国より日毎に三四百人づゝ参詣群集して、さしもの辺鄙市をなし、彼惣十郎ハ別當して自ら富を得ること大かたならずなん。
右一條の話ハ當六月中旬生駒家〔矢嶋領主〕の臣小助川龍造に見も聞もしつるなり。浮きたることにはあらずとて、同人のかたりしまゝをしるすにこそ。
注
- 写本の位置
- 写本は3170の7カット目左ページから9カット目右ページの3行目まで。9カット目右ページの4行目から次の話「土中出現黃金佛」が始まる。
- 校合
- 領名は写本で「矢嶋領」、活字本系テキストは「知島領」とする。写本の後半に「生駒家〔矢嶋領主〕」とあり、矢島が正しい。写本を採った。
- 校合
- 「その靈夢なるを悟り」の悟は写本の読みで、活字本系テキストは「語り」とする。文脈は妻の夢と一致して初めて霊夢と分かった、なので悟りが合う。
- 校合
- 家臣の名は写本で「小助川龍造」、活字本系テキストは「助川龍造」。小助川は由利地方の姓として今もある。写本を採った。
- 注記
- 「三助お村」は写本の表記のまま。意味は未確認。写本の「号す」の脇に赤い小字の書き入れがあるが、判読できず本文には入れていない。
- 注記
- 「下村づゝ」は写本の表記のまま。地名としては未確認で、大琴は今の由利本荘市東由利の大琴にあたると思われる。
- 注記
- 大平山は太平山で、今の秋田市の太平山三吉神社。矢島領は生駒氏八千石の交代寄合の領地で、今の由利本荘市矢島町。
AI試訳 / 専門家未校閲