土中出現黄金仏
読書室で開く(原典画像・関連作品・自分の書架)
兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第七集 第4話 / 海棠菴 関思亮
熊野本宮の川普請で烏が群がる土中から、保安二年銘の瓷と黄金の阿弥陀仏が現れる。
本文 現代語訳
今茲文政八年乙酉の春、熊野本宮社、川除けの堤を築かんとて、社境内の川上なる大黒島といふ岩山より大石を曳き出だす。ここにあやしき事あり。石を出だす雇夫ら、砂を穿ち磐石を割るのいとま、「しばらく労を休めん」と側によりて憩ひ居れば、巌上の土石おのづから崩れ落ちて止まず。工人おのおのその業をなす間は土石崩るることなし。憩へばまた崩る。かかること数日にして、その春弥生の二十日より、あまたの烏この処へ飛び来りて人を恐れず、たとへば腐肉に蠅の集ふがごとし。かくてこの日より次の日まで、銀器の欠けたりと見ゆるものを数片掘り出だしけり。さればまた二十二日にいたりては、烏の聚まることいよいよ多く、空中に飛び翔りて翅をたたき、背を鳴らし、ほとんど人の頭上を喙まんとするの勢ひなれば、心弱き雇夫らは逃げ走りてこれを避け、壮々なるものどもは怪しみ疑ひながら、そがままに土石を穿つに、その日もすでに亭午になりしころ、土中より一つの瓷、顕れ出でけり。そのさま今の世に見なれざる器なれば、人みなうちよりてこれを見るに、その瓷に彫りたる文字あり。左のごとし。
今年、文政八年乙酉の春、熊野本宮の社が川除けの堤を築こうと、社の境内の川上にある大黒島という岩山から大石を曳き出していた。ここで不思議なことが起こった。石を出す人夫たちが砂を掘り岩を割る合間に、「しばらく休もう」と脇に寄って休んでいると、岩の上の土や石がひとりでに崩れ落ちて止まらない。人夫がそれぞれ仕事をしている間は土石が崩れることはなく、休むとまた崩れる。こんなことが数日続き、その春の三月二十日から、たくさんの烏がこの場所に飛んできて人を恐れず、まるで腐った肉に蠅が集まるようだった。そしてこの日から翌日にかけて、銀の器の欠けたものらしいかけらを数片掘り出した。さらに二十二日になると烏の集まりはいよいよ多く、空中を飛び回って翼を打ち鳴らし、背を鳴らして、ほとんど人の頭をつつこうとする勢いだったので、気の弱い人夫たちは逃げ出してこれを避け、豪胆な者たちは怪しみ疑いながらもそのまま土石を掘っていった。その日ももう正午になったころ、土の中から一つの瓷が現れた。今の世では見慣れない器なので、みなが集まって見ると、その瓷に彫った文字があった。次のとおりである。
保安二年歳次辛丑十月日
保安二年、歳は辛丑、十月某日
この瓷中に黄金にて造れる円龕一箇あり。その図、左のごとし。
この瓷の中に黄金で造った円い龕が一つあった。その図は次のとおり。
〔図一 口の径り五寸余/蓋より下、高さ一尺/天女のごときものを彫りものとす/蓋ともに総金なり〕
〔図一 口の径は五寸あまり/蓋から下の高さは一尺/天女のようなものを彫り物にしてある/蓋ともに全部金である〕
この金龕の蓋をひらき見るに、内に閻浮檀金の阿弥陀仏の尊像一躯を蔵む。御長け七寸。愛愍接取の慈眼あざやかに、瑞厳殊勝の妙相尊く拝まれ、諸人奇異の思ひをなせり。先に得る所の白銀の器とおぼしきものは、破れ損じて形全からぬを取り集めて重さを量るに、八百目に余れり。今度、紀藩より修理の宰としてここに来たりし吏、石井伝左衛門といふ人、これを得て「藩主に奉り命を請はん」と秘蔵して、その月の二十四日に本宮を発して府に帰れり。
この金の龕の蓋を開けて見ると、中に閻浮檀金の阿弥陀仏の尊像一体が納められていた。御丈は七寸。慈しみ深く衆生を救い取る慈眼はあざやかで、めでたく尊いお姿は尊く拝まれ、人々は不思議の思いをした。先に得ていた銀の器らしきものは、破れ損じて形が全くないものを集めて重さを量ると八百目あまりあった。このたび紀州藩から修理の長官としてここに来ていた役人の石井伝左衛門という人が、これを受け取って「藩主に奉って指示を仰ごう」と大切にしまい、その月の二十四日に本宮を発って和歌山に帰った。
右一説は藩にちなみある一友人に得たり。
右の一説は、藩に縁のある一人の友人から得た。
文政乙酉孟秋朔 海棠庵思亮記
文政乙酉七月朔日 海棠庵思亮記す
解、按ずるに、保安二年は鳥羽院の御宇にて、藤原忠通公関白の時の事なり。文政八年乙酉まで七百零七年を経たり。当時、秦氏の人に高位のもの聞こえず。散位の事はさまざまの説あれども、位の高卑に拘らず冠位ありて官職なきを散位といふと予は思ひをり。なほ職事家にたづぬべし。秦氏は忌寸の姓にて、秦始皇の後なるよし、姓氏録諸蕃の譜に見えたり。親任といふ名につきて思ふに、土佐の長曾我部などの上祖にはあらぬか。さばれ慥かなる証を得ざれば何ともいひがたし。当時、熊野別当は勢ひあるもののよし聞こゆ。熊野別当湛増が為義の婿になりしは、これより少し後の事なり。良勝はいづくの沙門ぞや。これも熊野の別当か。なほ考ふべし。
解が考えるに、保安二年は鳥羽院の御代で、藤原忠通公が関白であったときのことである。文政八年乙酉まで七百七年を経ている。当時、秦氏の人に高位の者があったとは聞かない。散位についてはさまざまな説があるが、位の高い低いにかかわらず、冠位があって官職のない者を散位というのだと私は思っている。なお有職の家に尋ねるべきである。秦氏は忌寸の姓で、秦の始皇帝の子孫だということが姓氏録の諸蕃の系譜に見える。親任という名から思うに、土佐の長宗我部などの遠い先祖ではないだろうか。とはいえ確かな証拠がないので何とも言いがたい。当時、熊野別当は勢力のある者だったと聞く。熊野別当湛増が源為義の婿になったのは、これより少し後のことである。良勝はどこの僧であろうか。これも熊野の別当か。なお考えるべきである。
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す
土中出現黄金佛
今茲文政八年乙酉の春、熊野本宮社川除の堤を築んとて、社境内の川上なる大黒嶋といふ岩山より大石を曳出す。爰にあやしき事あり。石を出す雇夫等、砂を穿ち磐石を割るのいとま、暫く労を休んと側によりて憩ひ居れば、巌上の土石おのづから崩れ落て止ず。工人各その業をなす間ハ土石崩るゝことなし。憩へば又崩る。かゝること数日にして、その春弥生の廿日より、あまたの烏この処へ飛来りて人をおそれず、たとへば腐肉に蠅の集ふが如し。かくてこの日より次の日まで、銀器の缺たりと見ゆるものを数片掘出しけり。されば又廿二日にいたりては、烏の聚まることいよいよ多く、空中に飛翔りて翅をたゝき、背を鳴らし、殆人の頭上を喙んとするの勢なれば、心よハき雇夫等ハ逃走りてこれを避け、壮々なるもの共ハ怪み疑ひながら、そがまゝに土石を穿つに、その日も既に亭午になりしころ、土中より一つの瓷顕れ出けり。そのさま今の世に見なれざる器なれば、人みなうちよりてこれを見るに、その瓷に彫たる文字あり。左の如し。
熊野山如法経銘文
大般若一部六百巻
白瓷箱十二合
箱別五十巻
保安二年歳次辛丑十月日
願主沙門良勝
檀越散位秦親任
この瓷中に黄金にて造れる圓龕一箇あり。その圖如左。
〔図一 口ノ徑リ五寸餘/蓋ヨリ下高サ一尺/天女ノ如キモノヲ彫リモノトス/蓋共ニ總金ナリ〕
此金龕の蓋をひらき見るに、内に閻浮檀金の阿弥陀仏の尊像一軀を蔵む。御長ケ七寸。愛愍接取の慈眼あざやかに、瑞厳殊勝の妙相尊くをがまれ、諸人奇異の思をなせり。先に得る所の白銀の器とおぼしきものハ、破損じて形全からぬを取集めて重サを量るに、八百目に餘れり。今度紀藩より修理の宰として爰に来りし吏石井傳左衞門といふ人、是を得て藩主に奉り命を請んと秘蔵して、その月の廿四日に本宮を発して府にかへれり。
右一説ハ藩にちなみある一友人に得たり。
文政乙酉孟秋朔 海棠菴思亮記
解按ずるに、保安二年ハ鳥羽院の御宇にて、藤原忠通公関白の時の事なり。文政八年乙酉まで七百零七年をへたり。當時秦氏の人に高位のもの聞えず。散位の事はさまざまの説あれども、位の高卑に拘らず冠位ありて官職なきを散位といふと予ハ思ひをり。猶職事家にたづぬべし。秦氏ハ忌寸の姓にて、秦始皇の後なるよし、姓氏録諸蕃の譜に見えたり。親任といふ名につきて思ふに、土佐の長曾我部などの上祖にはあらぬか。さばれ慥なる證を得ざれば何ともいひがたし。當時熊野別當ハいきほひあるものゝよし聞ゆ。熊野別當湛増が為義の婿になりしハ、これより少し後の事なり。良勝はいづくの沙門ぞや。これも熊野の別當か。なほ考ふべし。
著作堂主人追記
注
- 写本の位置
- 写本は3170の9カット目右ページの4行目から11カット目右ページまで。10カット目右ページに銘文と円龕の図があり、11カット目右ページが馬琴の追記で、11カット目左ページから次の話「附錄蛇祟」が始まる。
- 注記
- 図は蓋つきの円筒形の龕を描き、胴に書き込みがある。原文の〔図一〕には図の上に逆さに書かれた口の径の一行から順に、右上から左下へ「/」で区切って収めた。
- 校合
- 「妙相」は写本の読みで、活字本系テキストは「妖相」とする。原寸で確かめて写本を採った。
- 校合
- 「先に得る所の」は写本の読みで、活字本系テキストは「先に得たる所の」とする。
- 判読保留
- 年数は写本で「七百零」の下に小字があり、「七」とも読めるが判読保留。活字本系テキストの「七百零七年」に従った。保安二年から文政八年までは実際には七百四年で、原文の計算は合わない。
- 注記
- 銘文の白瓷は白い陶磁器の箱、圓龕は仏像を納める円い容器。閻浮檀金は仏典にいう最上の金。八百目は約三キログラム。
- 注記
- 熊野本宮の大黒島は熊野川対岸の石切り場と伝える岩山。保安二年は一一二一年。秦親任は松尾社一切経の願主として名が知られる人物と同名で、同一人かは未確認。
AI試訳 / 専門家未校閲