雲亭日本古典図書室収録作品の一覧

勝敗不由多少之談

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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第七集 第6話 / 乾斎 山崎美成か未詳

少数が多数を破った古今の例を並べ、勝敗は兵の数でなく人心の誠にあると説く。

本文 現代語訳

勝敗多少に由らざるの談
勝敗は数の多少によらないという話
昔、晋の智伯、韓、魏の三家と志を合はせ、趙襄子の軍を晋陽にて水攻めになしし時、趙城の侵さるるもの、わづかに三版なりしに、襄子つひに降る意なく、返りて水を智伯が陣に灌ぎしかば、智伯大いに敗北せり。また西楚の項籍は精兵若干にて漢高祖の五十六万人を敗り、漢の韓信は一万余人の兵を率ゐ、しかも水を背にして陣をとり、趙の陳余が二万人を暫時に打ち敗りぬ。我が朝にても判官為義、十八歳の時、つひに十七騎にて南都法師二千余人を栗栖山にて追ひ散らし、楠正成は百六十人にて千剣屋に籠城し、関東の二十万余騎と二年の合戦あり。かつ落城はせざりしなり。大神君、姉川の御戦、御勢五千にて朝倉の勢一万五千の兵を敗り給ふ。信長は三万五千にて浅井が三千の敵に突き立てられ、長篠の役は奥平九八郎は至りて小勢をもつて長篠城に籠城し、勝頼二万を率ゐて攻めたれども、つひに抜けざりき。これをもつてこれを観れば、軍の勝敗は兵の多少にあらずして、人心の誠と不誠とにあるなり。ただ軍の勝敗のみにあらず、物みな然り。
昔、晋の智伯は韓と魏の三家で心を合わせ、趙襄子の軍を晋陽で水攻めにした。趙の城は残りわずか三版の高さまで水に浸されたが、襄子はついに降伏する気がなく、逆に水を智伯の陣に注ぎ込んだので、智伯は大敗した。また西楚の項羽はわずかな精兵で漢の高祖の五十六万人を破り、漢の韓信は一万あまりの兵を率い、しかも川を背にして陣を取り、趙の陳余の二万人をたちまち打ち破った。わが国でも判官為義は十八歳のとき、たった十七騎で南都の僧兵二千余人を栗栖山で追い散らし、楠正成は百六十人で千剣屋に籠城して、関東の二十万余騎と二年にわたって合戦した。しかも落城しなかった。大神君は姉川の御合戦で御手勢五千をもって朝倉勢一万五千の兵を破られた。信長は三万五千で浅井の三千の敵に突き崩され、長篠の戦いでは奥平九八郎がごく小勢で長篠城に籠城し、勝頼が二万を率いて攻めたが、ついに落とせなかった。これらを見れば、戦の勝敗は兵の多い少ないではなく、人の心が誠であるか誠でないかにある。戦の勝敗だけではなく、物事はみなそうである。
大神君、竹千代君と申し奉りし時、五月菖蒲撃ちを御覧ありしに、その打ち合ひ双方東西にわかれ、いまだ戦始めざりしとき、竹千代君仰せられけるは、「大敵と小敵と戦ふ。小数の方勝つべし」と宣ひしに、果たして小数のかた勝たれけり。近ごろ、わが主君下荘の門前に甚だしき闘諍あり。大数の方は長竿を持ち出で、かつ石瓦を頻りに礫にうちけり。小数のかたは徐々と並び居たりしが、その中一人剛勇の男、短刀を抜きて大敵の中に飛び入り、大いに働きければ、大数の者ども大いに驚き、右往左往に馳せ散りけり。これ、わが親しく観る所なり。
大神君がまだ竹千代君と申し上げていたころ、五月の菖蒲打ちを御覧になったとき、打ち合う双方が東西に分かれてまだ戦いが始まらないうちに、竹千代君は「大勢と小勢とが戦うのだ。少ない方が勝つだろう」と仰せになり、果たして少ない方が勝った。近ごろ、私の主君の下屋敷の門前でひどい喧嘩があった。多い方は長い竿を持ち出し、石や瓦をしきりに投げつけた。少ない方は静かに並んでいたが、その中の一人の剛勇な男が短刀を抜いて大勢の中に飛び込み、大いに暴れたので、多い方の者たちはひどく驚いて右往左往に逃げ散った。これは私がじかに見たところである。
しかれば、すなはち物の勝敗は人心の誠と不誠にありて、人数の多少にあらざるなり。
だからつまり、物事の勝敗は人の心の誠と不誠にあって、人数の多少にはよらないのである。
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す

勝敗不由多少之談

昔晋の智伯韓魏の三家と志を合せ、趙襄子の軍を晋陽にて水攻になしゝ時、趙城の侵さるゝもの纔に三版なりしに、襄子終に降る意なく、返りて水を智伯が陣に灌ぎしかば、智伯大に敗北せり。又西楚の項籍ハ精兵若干にて漢高祖の五十六万人を敗り、漢の韓信ハ壱万余人の兵を帥ゐ、しかも水を背にして陣をとり、趙の陳余が二万人を暫時に打敗りぬ。我朝にても判官為義十八歳の時、終に十七騎にて南都法師二千余人を栗栖山にて追散し、楠正成ハ百六十人にて千劔屋に籠城し、関東の廿万余騎と二年の合戦あり。且落城ハせざりしなり。大神君姉川の御戦、御勢五千にて朝倉の勢壱万五千の兵を敗り給ふ。信長ハ三万五千にて浅井が三千の敵に突立てられ、長篠の役ハ奥平九八郎ハ至りて小勢を以長篠城に籠城し、勝頼弐万を帥ゐて攻たれ共、終に抜ざりき。これをもてこれを観れば、軍の勝敗ハ兵の多少にあらずして、人心の誠と不誠とにあるなり。唯軍の勝敗のみにあらず、物皆然り。

大神君竹千代君と申奉りし時、五月菖蒲撃を御覧ありしに、その打合双方東西にわかれ、いまだ戦始めざりしとき、竹千代君仰られけるハ、大敵と小敵と戦ふ、小数の方勝べしと宣ひしに、果して小数のかた勝れけり。近比わが主君下荘の門前に甚しき闘諍あり。大数の方ハ長竿を持出、且石瓦を頻に礫にうちけり。小数のかたハ徐々と並居たりしが、その中一人剛勇の男、短刀を抜て大敵の中に飛入、大に働きけれバ、大数の者共大に驚き、右往左往に馳散りけり。是わが親く観る所なり。

しかれバ則物の勝敗ハ人心の誠と不誠にありて、人数の多少にあらざるなり。

注

写本の位置
写本は3170の13カット目左ページから14カット目左ページの6行目まで。14カット目左ページの7行目から次の話「腐儒唐樣を好みし事」が始まる。
校合
韓信が破った相手は写本で「趙の陳余」、活字本系テキストは「逋の陳除」とする。史記にいう趙の陳余のことで、写本を採った。陳余の余の字形は原寸で確かめていない。
校合
為義の合戦地は写本で「栗栖山」、活字本系テキストは「栗柄山」。楠正成の城は写本で「千劔屋」で、千早の別名の千剣破のこと。
校合
菖蒲打ちは写本で「五月菖蒲撃」、活字本系テキストは「五日菖蒲擊」。端午の菖蒲打ちの遊びなので五月が合う。
校合
「唯軍の勝敗のみにあらず」の唯は写本の読みで、活字本系テキストは「帝軍」とする。
注記
長篠の一句は写本で「奥平九八郎」の下に赤字で「ハ」が補われている。本文に取り込んだ。
注記
乾斎は目録の号で、本名は未確認。第七集の目録では腐儒唐様の話も乾斎の披講で、末尾に「乾齋識」とある。
注記
三版は城壁の高さを版築の版で数えた語。智伯と趙襄子の話は史記趙世家、項羽の話は彭城の戦い、韓信の話は井陘の戦いの背水の陣。為義の栗栖山の話は保元物語などに見える。奥平九八郎は奥平信昌の通称。

AI試訳 / 専門家未校閲