野狐魅人
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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第七集 第10話 / 輪池堂 屋代弘賢
浄瑠璃語りが道連れの男の家で一晩語り、夜明けに気づくと墓所に一人でいた。
本文 現代語訳
和泉国日根郡佐野村といふ所に〔世に知られたる食野佐太郎といふもの、この村に住す。岸和田にて食野を佐野と称す〕、浦太夫とて義太夫節の浄瑠璃をよくせる者あり。五畿内にて十人の語り手の一なり。常にこの佐野村より大坂の座へ通ひて業とせしが〔佐野村は岸和田城を去る事五十丁、道二里とぞ。大坂を去る事おなじ。道法九里ばかり〕、一日、浪華よりの帰途、夜に入りて、同国泉郡布野といふ所を通りしに〔布野は浪花より紀州への往還にして、高石といふ所の三昧寺のある所なり。三昧といふは火葬所をいふ。高石は古へ「たかし」といふ。すなはち高師の浜なり〕、ふと人と道づれになりしに、一人のいふ、「先刻より説話を承るに、音に聞きし浦太夫丈のよし。自分はこの布野の下在なる〔この辺にては山の在方を上といひ、浜の方を下といふ〕某の村の者なるが、この所にて行き逢ひしは幸ひのことなり。何卒今より我が方に来たりて、一曲を語り聞かせ給はるべし」といふ。浦太夫、何心なく請け合ひて、その家に伴ひ行きしに、大なる農家にて、座敷へ通し休足させ置き、そのうちに大勢あたりの者寄り来たりて座に満つ。主人、盛んに杯盤を持ちて酒肴を勧む。
和泉国日根郡の佐野村という所に〔世に知られた食野佐太郎という者がこの村に住む。岸和田では食野を佐野と呼ぶ〕、浦太夫という義太夫節の浄瑠璃の上手がいた。五畿内で十指に入る語り手の一人である。いつもこの佐野村から大坂の芝居小屋に通って仕事にしていたが〔佐野村は岸和田城から五十丁、道のりで二里という。大坂からも同じで、道のりは九里ほど〕、ある日、大坂からの帰り道、夜になって同じ国の泉郡布野という所を通ったとき〔布野は大坂から紀州への街道筋で、高石という所の三昧寺がある場所である。三昧というのは火葬場のことをいう。高石は昔は「たかし」といい、つまり高師の浜である〕、ふと人と道連れになった。その一人が言うには、「先ほどからお話を伺っていると、噂に聞く浦太夫さんだそうで。私はこの布野の下在の〔このあたりでは山側の在所を上といい、浜側を下という〕某村の者ですが、ここでお会いできたのは幸いです。どうか今から私の家に来て、一曲語って聞かせてください」。浦太夫は何の疑いもなく引き受けてその家について行くと、大きな農家で、座敷に通して休ませておくうちに、大勢の近所の者が集まってきて座敷がいっぱいになった。主人はさかんに杯や皿を運んで酒と肴を勧める。
浦太夫いへるは、「あまりに多く飲食をなせば、飽満して浄瑠璃を語るに迷惑なり。まづ語りて後に給はらん」とて、一二段語りければ、座中ひつそりとして感に堪へし有りさまなり。またしばらく飲食して大いに興に入りしに、座客また語らん事を望む。すなはちその乞ひに任せて数段を語りしが、席上まことに感服せしにや、息もせずひつそりとせしに、心をつけて見過ごせば、人ひとりも居ず。眸を定めて四方を見るに、夜少ししらみて東の方明けかかるに、今まで座敷なりと思ひし所は、あらぬ布野の三昧なりければ、仰天して帰らんとせしに、夜はほのぼのと明けはなれたり。草ぼうぼうたる墓所なりけるに、ぞつとして早々家に帰り、「狐に魅されし」と心付くに、「夢のごとくに飲食せしものは、さだめて世にいふ馬勃牛溲にこそ」と思はれて、何となく胸あしく、心も心ならず、恍惚として正しからず。数日わづらひて打ち臥したり。
浦太夫は「あまりたくさん飲み食いすると、腹がいっぱいで浄瑠璃を語るのに差し支える。まず語ってから後でいただこう」と言って一、二段語ると、座中はしんと静まりかえり、感じ入った様子だった。またしばらく飲み食いして大いに興が乗ってくると、客たちはまた語ってほしいと望む。そこで求めに応じて数段を語ったが、席の者はほんとうに感服したのか、息もせずしんとしている。気をつけて見回すと、人が一人もいない。目を凝らして四方を見ると、夜が少し白んで東の空が明けかかっており、今まで座敷だと思っていた場所は、あろうことか布野の三昧だった。仰天して帰ろうとするうちに、夜はほのぼのと明け放れた。草ぼうぼうの墓地だったので、ぞっとして急いで家に帰り、狐にたぶらかされたと気づくと、夢のように飲み食いしたものはきっと世に言う馬の糞や牛の小便だったのだろうと思われて、何となく胸が悪く、心も上の空で、ぼんやりして正気でない。数日患って寝込んだ。
その頃、和泉国中にて「佐野の浦太夫は狐に化かされしか、狐に浄瑠璃を望まれしか」と一国の評判となる折しも、ある人のいひけるは、「その夜、浦太夫に饗せしものは、あらぬ不潔の物にはあらず。その夜、近村に婚姻の礼ありしに、その用意の酒肴膳部残らず失せて跡形なし。さだめて狐狸などの所為ならん」とて、その家には別に飲食をととのへしと聞く。されば「布野の三昧に魚骨杯盤引き散らして、さながら人の飲食せしごとく狼藉たりし」とぞ。これを聞けば、「浦太夫が食せしは実の食品にて、野狐その芸を感じ、酒食をもてなし、浄瑠璃を聞きしならん」との取り沙汰にて、浦太夫、追日平癒せしが、その後は太夫をやめ、外のなりはひして世を送り、程経ては折にふれて人の望みに応じて語りしこともあれど、絶えて業とはせざりし。実に安永年中の事なりとぞ〔岸和田藩中、茂大夫談。同藩三宅定昭筆記〕。
そのころ和泉の国中で「佐野の浦太夫は狐に化かされたのか、狐に浄瑠璃をせがまれたのか」と評判になっていた折も折、ある人が言うには、「あの夜、浦太夫にふるまわれたものは、そんな不潔なものではない。あの夜、近くの村で婚礼があったが、用意していた酒と肴の膳が残らず消えて跡形もなかった。きっと狐や狸の仕業だろうと、その家では別に飲食を用意し直したと聞く」。そして「布野の三昧には魚の骨や杯や皿が散らばって、まるで人が飲み食いしたあとのように取り散らかっていた」という。これを聞くと、「浦太夫が食べたのは本物の食べ物で、野狐がその芸に感じて酒食をふるまい、浄瑠璃を聞いたのだろう」という取り沙汰になり、浦太夫は日を追って回復したが、その後は太夫をやめ、ほかの生業で暮らし、しばらくして折にふれて人に頼まれて語ったこともあったが、二度と仕事にはしなかった。実際に安永年間のことだという〔岸和田藩中の茂大夫の話。同藩の三宅定昭が筆記した〕。
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す
野狐魅人
和泉国日根郡佐野村といふ所に〔世にしられたる食野佐太郎といふもの、この村に住す。岸和田にて食野を佐野と称す〕、浦太夫とて義太夫節の浄瑠璃をよくせる者有り。五畿内にて十人のかたりての一なり。常に此佐野村より大坂の座へかよひて業とせしが〔佐野村ハ岸和田城をさる事五十丁道弐里とぞ。大坂をさる事おなじ。道法九里許〕、一日浪華よりの帰途、夜に入りて、同国泉郡布野といふ所を通りしに〔布野ハ浪花より紀州への往還にして、高石といふ所の三昧寺の有る所なり。三昧といふハ火葬所をいふ。高石ハ古たかしといふ。即高しの浜なり〕、ふと人と道づれに成りしに、一人のいふ、先刻より説話を承るに、音に聞きし浦太夫丈のよし。自分ハこの布野の下在なる〔此辺にてハ山の在方を上と云ひ、浜の方を下といふ〕某の村の者なるが、此所にて行逢ひしハ幸のことなり。何卒今より我方に来りて、一曲をかたり聞かせ給はるべし、といふ。浦太夫何ごゝろなくうけあひて、其家に伴ひ行しに、大なる農家にて、座しきへ通し休足させ置、その内に大勢あたりの者寄来りて座に満つ。主人盛に杯盤を持て酒肴を勧む。
浦太夫いへるハ、あまりに多く飲食をなせバ、飽満して浄瑠璃をかたるに迷惑なり。先語りて後に給はらんとて、一二段かたりければ、座中ひつそりとして感に堪へし有さまなり。又暫く飲食して大に興に入りしに、座客又かたらん事を望む。則其乞に任せて数段を語りしが、席上実に感服せしにや、息もせずひつそりとせしに、心をつけて見過せバ、人ひとりも居ず。眸を定めて四方を見るに、夜少しゝらみて東の方明けかゝるに、今迄座敷なりとおもひし所ハ、あらぬ布野の三昧なりければ、仰天して帰らんとせしに、夜ハほのぼのと明はなれたり。草ばうばうたる墓所なりけるに、ぞつとして早々家に帰り、狐に魅されしと心付に、夢のごとくに飲食せしものハ、さだめて世にいふ馬勃牛溲にこそとおもはれて、何となくむねあしく、心も心ならず、恍惚としてたゞしからず。数日わづらひて打臥したり。
其頃和泉国中にて、佐野の浦太夫ハ狐に化されしか、狐に浄瑠璃を望まれしかと、一国の評判となる折しも、或人のいひけるハ、其夜浦太夫に饗せしものハ、あらぬ不潔の物にハあらず。その夜近村に婚姻の礼有しに、其用意の酒肴膳部のこらずうせてあとかたなし。さだめて狐狸などの所為ならんとて、其家にハ別に飲食をとゝのへしと聞く。されバ布野の三昧に魚骨杯盤引散らして、さながら人の飲食せし如く狼藉たりしとぞ。これをきけバ、浦太夫が食せしハ実の食品にて、野狐其芸を感じ、酒食をもてなし、浄瑠璃を聞しならんとの取沙汰にて、浦太夫追日平癒せしが、其後ハ太夫をやめ、外のなりはひして世を送り、程へてハ折にふれて人の望に応じてかたりしこともあれど、たえて業とハせざりし。実に安永年中の事なりとぞ〔岸和田藩中茂大夫談。同藩三宅定昭筆記〕。
注
- 写本の位置
- 写本は3170の22カット目左ページから25カット目右ページまで。25カット目右ページの末尾に「同藩三宅定昭筆記」の割注があり、25カット目左ページから次の話「上野國山田郡吉澤村掘地所見石棺圖」が始まる。
- 判読保留
- 三昧の割注は写本では小字で「三昧といふハ火葬所をいふ」と読めるが、字形が細かく判読保留。活字本系テキストはこの二字を読めない字として伏せている。
- 注記
- 割注は写本では小字二行で本文中に置かれている。原文では〔 〕に入れて同じ位置に置いた。
- 校合
- 筆記者の割注は写本で「同藩三宅定昭筆記」、活字本系テキストは「三宅定昭が筆記」とする。
- 注記
- 食野家は泉州佐野の廻船問屋で江戸時代屈指の豪商。三昧は墓地や火葬場をいう語。馬勃牛溲は馬糞と牛の尿で、狐狸に化かされて食わされるものの喩え。安永年間は一七七二年から一七八一年。高石の高師の浜は万葉集以来の歌枕。
- 注記
- 岸和田藩士の茂大夫と三宅定昭の素性は未確認。
AI試訳 / 専門家未校閲