上野国山田郡吉沢村掘地所見石棺図
上州の庚申塚から石棺が出て、中から小さな不動尊と金の輪と脇差が見つかる。
本文 現代語訳
上野国山田郡吉沢村掘地所見石棺図
上野国山田郡吉沢村で地面を掘って見つかった石棺の図
〔図三 天平己亥三月/尊像人民/依倚意志/耕故理〕
〔図三 天平己亥三月/尊像人民/依倚意志/耕故理〕
唐金不動尊 丈一寸五分、台座より火煙先まで二寸四分。右一体、錆の中程、金箔の光相見え、台に書き物切り付けこれ有り。ただし小像ゆゑ不動不分明。
唐金の不動尊 高さ一寸五分、台座から火焔の先まで二寸四分。この一体は錆の中ほどに金箔の光が見え、台に文字らしいものが切り付けてある。ただし小さな像なので不動明王かどうかははっきりしない。
赤金の輪一 差し渡し一寸一分、太さ一寸廻り。右は錆懸かり、二分四方ほど金着せこれ有り。
赤銅の輪一つ 差し渡し一寸一分、太さは一寸まわり。錆びており、二分四方ほど金を着せた部分がある。
脇差身ばかり 長さ一尺二寸二分。無銘。錆厚く、しのぎ分かり兼ね。
脇差の身だけ 長さ一尺二寸二分。無銘。錆が厚く、鎬の有無は分からない。
御領分上州山田郡吉沢村学音寺持地、百庚申塚これ有り、百姓菊太郎、心願これ有り、石集め拵へたき由にて、当三月七日庚申塚へ参り、石集め候ところ、庚申塚東の方少々の崕これ有り、場所、石数多く相見え候間、掘り出し候ところ、四尺ばかり掘り候へば、左右大石にて積み立て候石棺体の物出で、その中より右の品出で申し候。
御領分の上州山田郡吉沢村学音寺の持地に百庚申塚があり、百姓の菊太郎が願掛けのために石を集めて何か拵えたいというので、この三月七日に庚申塚へ行って石を集めていたところ、塚の東側に少し崖があって石が多く見えたので掘り出したところ、四尺ほど掘ると左右を大石で積み上げた石棺らしい物が出て、その中から右の品が出てまいりました。
これ、村役人より領主への届書なり。五月末の事なりとぞ。
これは村役人から領主への届書である。五月末のことだという。
行智曰く、「倚依は帰依なり〔集韻、倚は奇に同じ〕。上州人はエをイといふ。江沢をイサハ、蝦をイビといふ類なり」。輪池曰く、「天平三は辛未なり。天平宝字三は己亥なり。予、その搨本を見しに、筆力、書式ともにその時代のものとは見えず。疑ふべきなり」。行智曰く、「天正三、乙亥なれば、天平は天正の誤写、己亥は乙亥の誤字なるべし」。輪池曰く、「搨本につきて見るに、誤字にはあらず」。
行智が言うには、「倚依は帰依である〔集韻に倚は奇と同じとある〕。上州の人はエをイと言う。江沢をイサハ、蝦をイビと言う類である」。輪池が言うには、「天平三年は辛未である。天平宝字三年なら己亥である。私はその拓本を見たが、筆力も書式もその時代のものとは見えない。疑うべきである」。行智が言うには、「天正三年が乙亥だから、天平は天正の書き誤り、己亥は乙亥の誤字だろう」。輪池が言うには、「拓本について見ると、誤字ではない」。
乙酉六月 輪池再記
乙酉六月 輪池再記
これは乙酉六月の兎園会の附録なりとぞ。
これは乙酉六月の兎園会の附録だという。
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す
上野国山田郡吉沢村堀地所見石棺図
〔図三 天平己亥三月/尊像人民/依倚意志/耕故理〕
唐金不動尊 たけ壱寸五分、臺座より火煙先まで弐寸四分。右一躰、錆之中程金箔の光相見、臺に書物切付有之。但小像故不動不分明。
赤金の輪一 差渡し壱寸壱分、太さ一寸廻り。右ハ錆懸り、弐分四方程金きせ有之。
脇差身計 長壱尺弐寸弐分。無銘。錆厚くしのぎ分り兼。
御領分上州山田郡吉沢村学音寺持地、百庚申塚有之、百姓菊太郎心願有之、石集拵度由にて、當三月七日庚申塚へ参り、石集候処、庚申塚東の方少々の崕有之、場所石数多く相見候間、掘出候処、四尺計掘候へバ、左右大石にて積立候石棺体之物出、其中より右之品出申候。
これ村役人より領主への届書なり。五月末の事なりとぞ。
行智曰、倚依ハ帰依なり〔集韻、倚同奇〕。上州人ハエをイといふ。江沢をイサハ、蝦をイビといふ類なり。輪池曰、天平三ハ辛未なり。天平宝字三ハ己亥なり。予その搨本を見しに、筆力書式ともにその時代のものとハ見えず。疑ふべきなり。行智曰、天正三乙亥なれバ、天平ハ天正の誤写、己亥ハ乙亥の誤字なるべし。輪池曰、搨本につきて見るに、誤字にハあらず。
乙酉六月 輪池再記
これハ乙酉六月の兎園会の附録なりとぞ。
注
- 写本の位置
- 写本は3170の25カット目左ページから26カット目左ページまで。25カット目左ページに石棺の図があり、26カット目左ページの末尾に「これハ乙酉六月の兎園会の附録なりとぞ」とある。27カット目右ページから次の話「石棺圖別錄」が始まる。
- 校合
- 私家版はこの話と次の「石棺圖別錄」を一つの記事にまとめているが、写本の目録では別の話で披講者も違うので、目録どおりに二つの passage に分けた。
- 注記
- 図は蓋つきの箱形の石棺を描き、蓋に「天平己亥三月」、側面に「尊像人民」「依倚意志」「耕故理」の三行の銘がある。写本では「理」の脇に赤字で「埋」と書き入れがある。図の書き込みは右上から順に「/」で区切って収めた。
- 校合
- 「学音寺持地」は写本の読みで、活字本系テキストは「住地」とする。「届書」も写本の読みで、活字本系テキストは「屆出」とする。
- 注記
- 崕には写本で「キリギシ」の振り仮名がある。原文では外した。
- 注記
- 行智は真言僧で悉曇学者の行智。輪池は屋代弘賢。天平三年は七三一年で辛未、天平宝字三年は七五九年で己亥、天正三年は一五七五年で乙亥にあたる。搨本は拓本のこと。
- 注記
- 吉沢村は今の群馬県太田市吉沢町にあたると思われるが未確認。黒田三五郎の領分については次の話を見る。
AI試訳 / 専門家未校閲