鑿井出火
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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第八集 第1話 / 海棠庵 関思亮
越後白根で掘り抜き井戸から水と火が噴き出し、村々が七日間騒いだ。
本文 現代語訳
越後国新発田領蒲原郡中野口組大庄屋、戸頭村三郎左衛門支配、名主助右衛門触下、白根中町造酒屋金左衛門と申す者、富有の者にて、屋敷内に掘抜井を掘りたく、年来心がけ、文政六年癸未三月十日頃より取り懸り、三月二十六日掘り抜き候ところ、砂交りの水を五、六丈吹き上げ、水おびただしく出で、近辺の土地どんどんと鳴りわたり、井の口段々大きく相成り、その町水浸しにも相成るべき様子につき、まず溝を掘り、水を流し、水を止めたく存じ、金左衛門方にこれある物は何によらず井戸へ投げ込み候へども、棒などのようなる物は吹き上げ、井戸へ落ちつかず候あいだ、拠なく大豆俵十俵ばかり投げ込み、また畳、石板等を並べ、石を上げ候へども、水止み申さず。その夜、白根町髭医者〔この者、髭を長く延ばし置き候あいだ、その所にて髭医者と呼びなしたり〕井戸を見に参り、「井戸はここか」と提灯をさし出し候へば、井の内より火燃え出で、提灯も髭も燃やし、火気やはり五、六丈燃え上がり、遠近ともに「白根町出火なり」と存じ、竹貝を吹き、纏、高張提灯を押し建て、村々より馳せ集まり、大いに騒動いたし、かつ両三日の間、金左衛門屋敷の四、五十間四方ゆるみ、力を入れて踏み候へば、どぶりどぶりと入り候ように相成り、人家数十軒、少しずつ柱めり込み傾き、右投げ込み候大豆を処々へ吹き出し、井の中八、九十間四方もうつろに相成り候ように思われ、火気ますます盛んに相成り候。その節、売卜師参り候につき、卜呉れ候よう頼み候へば、「金子二十両差し出し候はば、よく占ひ祈祷いたし、火気、水をも相鎮むべき」旨申し候へども、余り高金ゆえ見合わせ、また別の売卜師に金子二両二分遣わし、占わせ候へば、判断いたし候。「構わず差し置き候はば、七里四方土地ゆるみ、落ち入り沈み申すべし。右水火を鎮め候には、地主金左衛門ならびに右井戸を掘り候職人を井の中へ投げ入れ申さず候ては、水火相鎮まらず、土地落ち入り、泥の海に相成るべき」旨判断いたし候よしにて、白根町はもちろん、近辺の者まで拠なき事に候あいだ、「金左衛門ならびに井戸掘職人を捕らえ、井の中へ投げ込み申すほかこれなし」と申す風聞に相成り、金左衛門ならびに井戸掘職人、早々逐電いたし候よし。さて相集まり候村々は、
越後国新発田領蒲原郡中野口組の大庄屋、戸頭村三郎左衛門の支配で、名主助右衛門の触下にあたる白根中町の造り酒屋金左衛門という者は、裕福な者で、屋敷内に掘り抜き井戸を掘りたいと年来心がけていた。文政六年癸未の三月十日頃から取りかかり、三月二十六日に掘り抜いたところ、砂まじりの水が五、六丈も吹き上がり、水がおびただしく出て、近辺の土地がどんどんと鳴り響き、井戸の口はだんだん大きくなって、町が水浸しになりそうな様子だった。まず溝を掘って水を流し、水を止めたいと思い、金左衛門の家にある物は何でも井戸へ投げ込んだが、棒のような物は吹き上げられて井戸へ落ちつかないので、やむなく大豆の俵を十俵ばかり投げ込み、さらに畳や石板を並べ、石を載せたが、水は止まらなかった。その夜、白根町の髭医者〔この者は髭を長く伸ばしていたので、その土地で髭医者と呼びならわしていた〕が井戸を見に来て、「井戸はここか」と提灯をさし出したところ、井戸の中から火が燃え出し、提灯も髭も燃やし、火の気はやはり五、六丈も燃え上がった。遠近の人々は「白根町が火事だ」と思い、竹貝を吹き、纏や高張提灯を押し立てて村々から駆け集まり、大騒動になった。しかも二、三日の間、金左衛門の屋敷の四、五十間四方の地面がゆるみ、力を入れて踏むとどぶりどぶりと沈むようになり、人家数十軒が少しずつ柱がめり込んで傾き、投げ込んだ大豆をあちこちへ吹き出し、井戸の中は八、九十間四方もうつろになったように思われ、火の気はますます盛んになった。そのとき売卜師が来たので占ってくれるよう頼むと、「金子二十両を差し出せば、よく占い祈祷して、火の気も水も鎮めてみせる」と言ったが、あまりに高額なので見合わせ、別の売卜師に金子二両二分を渡して占わせると、こう判断した。「構わずに放っておけば、七里四方の土地がゆるみ、落ち込んで沈むだろう。この水と火を鎮めるには、地主の金左衛門とこの井戸を掘った職人を井戸の中へ投げ入れなければ、水火は鎮まらず、土地は落ち込んで泥の海になるだろう」。それで白根町はもちろん近辺の者まで、やむを得ないことだから「金左衛門と井戸掘り職人を捕らえて井戸の中へ投げ込むしかない」という噂になり、金左衛門と井戸掘り職人は早々に逐電したという。さて集まった村々は、
平片新田 下道かた 上道かた 沖新保 平片/万年 吉崎 櫛笥 藤新田 蔵主/両木山 浦梨子 田井 鍋潟 両曲り
平片新田 下道かた 上道かた 沖新保 平片/万年 吉崎 櫛笥 藤新田 蔵主/両木山 浦梨子 田井 鍋潟 両曲り
戸頭組村々を始め、このほか四、五里四方より駆け集まり候村々、枚挙にいとまあらず。
戸頭組の村々をはじめ、このほか四、五里四方から駆け集まった村々は数え切れない。
右村々、七日の間昼夜白根町へ相集まり居り候へども、水火鎮まり申さず。それより村々役人ども相談の上、御領主へ相届け、検使役人出役これあり、見分の上、右の井戸を埋め候よう申し付けられ、埋め方等の差図これあり、その通りにいたし候ところ、水火ともに勢気弱く相成り、水は湯の花のにおい甚だしく、飲水にならず。その水を汲み温め、薬湯にいたし候へば、諸病に宜しく、湯治人も追々これあるよし。火は「からめき」〔からめきは地の名。土中より火の出る所〕同様に、竹筒にて処々へ引き取り、相用い候よし。かつ傾き候家も修覆いたし、金左衛門も帰宅いたし候由。
これらの村々は七日の間、昼も夜も白根町へ集まっていたが、水火は鎮まらなかった。そこで村々の役人たちが相談の上で御領主へ届け出ると、検使の役人が出役して見分の上、この井戸を埋めるよう申し付け、埋め方などの指図があり、その通りにしたところ、水も火も勢いが弱まった。水は湯の花のにおいが強く、飲み水にはならない。その水を汲んで温め、薬湯にすると諸病によく効き、湯治客もだんだん来るようになったという。火は「からめき」〔からめきは地名で、土の中から火が出る所〕と同じように、竹筒であちこちへ引き取って使っているという。また傾いた家も修復し、金左衛門も帰宅したとのことである。
右は平片新田組頭甚右衛門弟、仁太郎と申す者、先年奥州へ日雇稼ぎに参り、予が家にもしばし働き居り、予も存じ居り候者にて、当三月ふと江戸本郷丸山本妙寺中東岳院にて逢い、その後予が客舎へ折節来たり候ところ、五月初めまた予を訪ねて、「国元に大変これあり、書状到来につき帰国いたし候」とて暇乞いに参り、帰国いたし候ところ、六月十六日また出府いたし、同十八日予東岳院へ参り候節、仁太郎物語りを承り、そのまま下略相記す。村名、語音の間違いもこれあるべし。
以上は、平片新田の組頭甚右衛門の弟で仁太郎という者が語ったものである。仁太郎は先年、奥州へ日雇い稼ぎに来て、私の家でもしばらく働いていたので、私も知っている者である。この三月、ふと江戸本郷丸山の本妙寺の塔頭東岳院で会い、その後私の宿へも折々来ていたが、五月の初めにまた私を訪ねて、「国元に大変なことがあり、手紙が来たので帰国します」と暇乞いに来て帰国した。六月十六日にまた江戸へ出て来て、同十八日に私が東岳院へ行ったとき、仁太郎の話を聞き、そのままおおよそ記した。村の名や言葉の音には間違いもあるかもしれない。
癸未六月十八日 熊坂盤谷記
癸未六月十八日 熊坂盤谷記
熊坂盤谷は奥州福島の郷士にて、四郎入道長範が裔なりという。世々学を好み、常に倉廩をひらき、窮民を救うをもて業とせり。この故に近郷その風を慕わざる者なし。しばしば東都に遊びて予と友たり。近来『継志編』を著し、祖先を盗なりとせられし俗説を破るに足る。真に篤実の君子なり。
熊坂盤谷は奥州福島の郷士で、四郎入道長範の子孫だという。代々学問を好み、いつも米蔵を開いて困窮した民を救うことを生業としている。だから近郷でその人柄を慕わない者はいない。たびたび江戸に遊学して私と友人である。近ごろ『継志編』を著し、祖先を盗賊だとする俗説を打ち破るに足る。まことに篤実な君子である。
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す
鑿井出火
越後國新發田領蒲原郡中野口組大庄屋戸頭村三郎左衞門支配名主助右衞門觸下白根中町造酒屋金左衞門と申者冨有之者にて屋敷内に堀抜井を堀度年來心がけ文政六年癸未三月十日頃より取懸り三月廿六日堀抜候處砂交りの水を五六丈吹上ケ水夥しく出近邊の土地ド〱と鳴りわたり井の口段々大きく相成其町水浸しにも可相成樣子に付先溝を堀り水を流し水を止度存金左衞門方に有之ものは何によらず井戸へ投込候へ共棒などの樣なるものは吹上ケ井戸へ落つかず候間無據大豆俵拾俵ばかり投込又疊石板等を並べ石を上ケ候へ共水止不申其夜白根町髭醫者〔この者髭を長く延し置候間其所にて髭醫者と呼びなしたり〕井戸を見に參り井戸はこゝかと提灯をさし出し候へば井の内より火もえ出提燈も髭も燃し火氣やはり五六丈燃上り遠近共に白根町出火なりと存竹貝を吹きまとひ高張提燈を押建村々より馳集り大に騷動いたし且兩三日の間金左衞門屋敷の四五十間四方ゆるみ力を入てふみ候へばドブリ〱とはいり候樣に相成人家數拾軒少しづゝ柱めり込傾キ右投込候大豆を處々へ吹出し井の中八九拾間四方もうつろに相成候樣に思はれ火氣益熾に相成候其節賣卜師參候に付卜呉候樣賴候へば金子弐拾兩差出候はゞよく占ひ祈禱いたし火氣水をも可相鎭旨申候へ共餘り高金故見合せ又別の賣卜師に金子弐兩弐分遣し占せ候へば判斷いたし候不搆差置候はゞ七里四方土地ゆるみ落入沈ミ可申右水火を鎭め候には地主金左衞門幷右井戸を堀候職人を井の中へ投入不申候ては水火相鎭らず土地おち入泥の海に可相成旨判斷いたし候よしにて白根町ハ勿論近邊の者まで無據事に候間金左衞門幷に井戸堀職人を捕へ井の中へ投込申外無之と申風聞に相成金左衞門幷に井戸堀職人早々逐電いたし候よし扠相集り候村々ハ
平片新田 下道かた 上道かた 沖新保 平片/万年 吉崎 櫛笥 藤新田 藏主/兩木山 浦梨子 田井 鍋潟 兩曲り
戸頭組村々を始この外四五里四方より駈集り候村々枚擧にいとまあらず
右村々七日の間晝夜白根町へ相集居候へ共水火鎭り不申夫より村々役人共相談の上御領主へ相屆檢使役人出役有之見分之上右の井戸を埋候樣被申付埋方等の差圖有之其通にいたし候處水火共に勢氣弱く相成水ハ湯の花のにほひ甚敷飮水にならず其水を汲溫め藥湯にいたし候へば諸病に宜く湯治人も追々有之よし火ハからめき〔からめきハ地の名土中より火の出る所〕同樣に竹筒にて處々へ引取相用候よし且傾き候家も修覆致し金左衞門も歸宅いたし候由
右は平片新田組頭甚右衞門弟仁太郎と申もの先年奧州へ日雇稼に參り予が家にもしばしはたらき居予も存居候者にて當三月不圖江戸本鄕丸山本妙寺中東岳院にて逢ひ其後予が客舍へ折節來候處五月初又予を訪て國元に大變有之書狀到來に付歸國いたし候とて暇乞に參り歸國致候處六月十六日又出府いたし同十八日予東岳院へ參候節仁太郎ものがたりを承り其まゝ下略相記す村名語音の間違もこれあるべし
癸未六月十八日 熊坂盤谷記
熊坂盤谷ハ奧州福島の鄕士にて四郎入道長範が裔なりといふ世々學を好み常に倉廩をひらき窮民を救ふをもて業とせり此故に近鄕その風を慕はざるものなししばしば東都に遊びて予と友たり近來繼志編を著し祖先を盜なりとせられし俗說を破るに足る眞に篤實の君子なり
海棠菴記
注
- 写本の位置
- 写本は3170の52カット目左ページから55カット目右ページまで。52カット目左ページの冒頭に「兎園小説第八集」の見出しがあり、55カット目左ページから第2話「婦女産石像」が始まる。第八集の目録は51カット目左ページと52カット目右ページにあり、末尾に「右乙酉秋八月朔於海棠菴集會各々披講了」とある。
- 写本の位置
- 写本は「掘」を一貫して「堀」と書く。原文欄は写本の字形どおり「堀」を残し、読みやすい本文では「掘」とした。
- 判読保留
- 「土地ド〱と鳴りわたり」は写本の読み。活字本系テキストは「ドンドンと」とする。原寸で切り出すと片仮名の「ド」に長い繰り返し符号が続くので写本を採ったが、符号の読みは判読保留。
- 校合
- 「力を入てふみ候へば」「卜呉候樣賴候へば」「金子弐拾兩」「落入沈ミ可申」「其まゝ下略相記す」は写本の表記。活字本系テキストは「力を入れて踏候へば」「賴み候へば」「金弐拾兩」「落入り沈み可申」「下、略相記す」とする。
- 校合
- 「万年」は写本の表記。活字本系テキストは「萬年」とする。
- 判読保留
- 「屋敷内に堀抜井を」の助詞は写本では「に」と読めるが字が小さく、活字本系テキストの「へ」との区別は判読保留。
- 校合
- 「右井戸を堀候職人」の「候」は原寸で切り出して確かめた。「泥の海に可相成」も原寸で確かめ、活字本系と同じ読みになった。
- 注記
- 海棠庵は関思亮の号。話の本体は文政六年六月に熊坂盤谷が書いた聞き書きで、海棠庵はそれを写し、末尾に盤谷の人物を添えた。
- 注記
- 白根は今の新潟県新潟市南区白根。掘り抜き井戸から出た火は、越後平野の地下の天然ガスと解した。「からめき」は今の新潟市秋葉区柄目木で、地中から火の出る所として知られた。
- 注記
- 熊坂盤谷は奥州福島の儒者で、熊坂台州の子。祖先とされる熊坂長範は伝説上の盗賊で、『継志編』はその俗説を破ろうとした書と解した。人物の詳細は雲亭の推定で未確認。
- 注記
- 村の名は写本の表記のままとし、現在の地名との対応は未確認。
AI試訳 / 専門家未校閲