變生男子
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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第八集 第4話 / 文宝堂 西村寿卜
旅先で助けた娘に与えた観音の御影が、生まれた孫の握った手の中から出てくる。
本文 現代語訳
神田和泉橋通りに住める経師屋の隠居善八といへる者、旅好きなれば、年中処々をあるきて楽しみとせり。一昨丑年より上方筋へゆき、大坂より大和路にかかりける時に、むかふより十五、六ばかりなる娘、ただひとりにて急ぎ来たりけるが、善八の前へ程なく近づきたる所にて気絶して倒れたり。善八も通りがけにて驚き、懐中より薬を出しあたへて、かれこれ介抱しければ、やうやく生き出でて目を開き、心つきたるさまなりければ、なほも白湯などあたへて、「さて御身はいづかたの人にておはするぞ。供もつれず、若き人のひとりありき、所の者とも見えず。いかなる事か」と尋ねければ、この娘まづ一礼をのべて、「わらは事は、かどわかされて大坂へつれらるべきを、さまざまと手だていたし、今朝よき折をうかがひ走り出でたるゆゑ、心もつかれ、思はず気をうしなひ、はからずもそなた様の御介抱に預りたる事、かたじけなし。何とぞこの上の御慈悲に、わらはが宅まで送り給はれかし」と頼みければ、善八も不便に思ひ、「住所は何方ぞ」と問ひければ、勢州津の駅にて紺屋なりし。善八は急ぐ旅にもあらねば、「送り遣はすべし」とて、追手も気づかはしければ、すぐに駕籠にのせ、取り急ぎつつ伊勢の津の紺屋何がし方へつれゆきければ、両親をはじめ家内の者ども喜ぶ事限りなく、娘は始終をくはしく物語りて、大恩人の善八なれば、「しばらくこの方に逗留し給へ」とて、日ごとに厚くもてなしける。善八もいつまでとどまりても果てのなければ、家内の者に暇を乞ひしに、人々名残を惜しみ、「今しばし」ととどめけれども、はや支度などしければ、娘はなほさら何となく別れ惜しく、「わらはも何とぞ御礼のため、一たびは江戸へも下りたき」よしを両親にねがひければ、「いづれ一両年の内に親父同道にて下り申すべし」とて厚く謝しけり。娘はふと心つきたるさまにて、「この度思はず厚き御介抱うけしも、前世の御縁こそありつらめ。わらはもそなた様の御恩忘れぬため、何とても御所持の内一品たび給へ。それを朝夕そなた様と思ひ、後世をも願ひ申したし」といひければ、善八も旅先の事にて外に持ちたる品もなく、懐中の守りに入れ置きし浅草観世音の御影を取り出し、「これを進上すべし。随分信心し給へ」とて娘にあたへ、暇乞ひして伊勢を立ち出で、去る寅年〔文政元年〕四月江戸へ帰りけるに、留守中に新婦懐胎にて男子出生し、すなはち善八帰宅の日、七夜にあたりければ、善八も大いに悦びける。されどもこの出生の小児、毎日泣きて少しもやむ時なく、その上左の手を握りつめて、いか様にすれども開かざるよしを善八に語りければ、「そはいかなる事やらん。まづ孫を抱きみん」とて、小児を善八の膝に抱きとれば、今まで泣き入りゐたるが即座に止み、また握りつめたる左の手をも善八何となく開かせたれば、たちまち開きたり。その開きたる掌の上に物あり。「何ならん」と取り出しみれば、観音の御影なり。みなみな奇異の思ひをなし驚きければ、善八つくづく考へ見るに、「この御影は全く伊勢の津にて娘にあたへし御影なり」と甚だいぶかしく思ひ、家の内の者にも道中にてかの娘に出であふたる始末、しかじかと語り聞かせ、その後伊勢へも書状を出しければ、右の返書六月十四日に着しければ、早速ひらき見るに、かの娘は善八に別れてより間もなく、その年の五月末に病死したるよしを告げ来たりければ、いよいよ不思議に思ひ、「しからばこの小児の男子なるも、右の娘の再来。実に変生男子も、ひとへに大悲の御利益ならん」と、これよりなほも深く信心しけるとぞ。
神田和泉橋通りに住む経師屋の隠居で善八という者は、旅好きで、年中あちこちを歩いて楽しみにしていた。一昨年の丑年から上方へ行き、大坂から大和路にさしかかったとき、向こうから十五、六歳ほどの娘がたった一人で急いで来たが、善八の前まで間もなく近づいた所で気絶して倒れた。善八も通りがかりで驚き、懐から薬を出して与え、あれこれ介抱すると、ようやく息を吹き返して目を開き、正気づいた様子なので、さらに白湯などを与えて、「さてあなたはどちらの方ですか。供も連れず、若い人が一人歩きで、土地の者とも見えない。どうしたことです」と尋ねると、この娘はまず一礼をして、「私はかどわかされて大坂へ連れて行かれるところを、いろいろと手だてをし、今朝よい折をうかがって走り出したので、心も疲れ、思わず気を失い、はからずもあなた様の介抱を受けたことはありがたく存じます。どうかこの上の慈悲に、私の家まで送ってください」と頼むので、善八も気の毒に思い、「住まいはどこか」と問うと、伊勢の津の宿場の紺屋だという。善八は急ぐ旅でもないので、「送ってあげよう」と言い、追手も気がかりなので、すぐに駕籠に乗せ、急いで伊勢の津の紺屋某の家へ連れて行くと、両親をはじめ家の者たちの喜びは限りなく、娘は一部始終を詳しく物語り、大恩人の善八だからと「しばらくこちらに逗留してください」と、毎日手厚くもてなした。善八もいつまで留まっても切りがないので、家の者に暇を乞うと、人々は名残を惜しんで「もう少し」と引き留めたが、もう支度などをしているので、娘はなおさら何となく別れがつらく、「私も何とかお礼のために、一度は江戸へも下りたい」と両親に願ったので、「いずれ一、二年のうちに父親と一緒に下らせます」と厚く礼を述べた。娘はふと思いついた様子で、「このたび思いがけず手厚い介抱を受けたのも、前世の縁があったのでしょう。私もあなた様のご恩を忘れないために、何でもよいのでお持ちの品を一つください。それを朝夕あなた様と思い、後世の幸いも願いたいのです」と言うので、善八も旅先のことで他に持っている品もなく、懐のお守りに入れておいた浅草観世音の御影を取り出し、「これを差し上げよう。しっかり信心しなさい」と娘に与え、暇乞いして伊勢を出発し、去る寅年〔文政元年〕四月に江戸へ帰った。すると留守中に嫁が懐妊して男の子が生まれ、ちょうど善八の帰宅の日がお七夜にあたっていたので、善八も大いに喜んだ。けれどもこの生まれた子は毎日泣いて少しもやむときがなく、その上左の手を握りしめて、どのようにしても開かないと善八に語ったので、「それはどういうことだろう。まず孫を抱いてみよう」と、赤子を善八の膝に抱き取ると、今まで泣き入っていたのが即座にやみ、また握りしめた左の手も善八が何気なく開かせると、たちまち開いた。その開いた手のひらの上に物がある。「何だろう」と取り出して見ると、観音の御影である。皆が不思議に思って驚いたので、善八がつくづく考えてみると、「この御影はまさしく伊勢の津で娘に与えた御影だ」とたいそう不審に思い、家の者にも道中であの娘に出会った一部始終をこれこれと語って聞かせ、その後伊勢へも手紙を出したところ、その返事が六月十四日に届いた。すぐに開いて見ると、あの娘は善八と別れてから間もなく、その年の五月末に病死したと知らせてきたので、いよいよ不思議に思い、「それならこの赤子が男の子であるのも、あの娘の生まれ変わりだ。まことに女が男に生まれ変わったのも、ひとえに観音の大悲の御利益だろう」と、これからいっそう深く信心したという。
右の産婦に服薬をあたへし清水の御医師福富主水老の直物語なるよし、友人利郷といへるもの語りけるまま、ここに記し出でぬ。
この産婦に薬を与えた清水家の御医師福富主水老の直話であると、友人の利郷という者が語ったままに、ここに記し出した。
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す
變生男子
文政二卯年四月の記
神田和泉橋通りにすめる經師屋の隱居善八といへる者旅ずきなれば年中處々をあるきてたのしみとせり一昨丑年より上方筋へゆき大坂より大和路にかゝりける時にむかふより十五六ばかりなる娘只ひとりにて急ぎ來りけるが善八の前へ程なく近づきたる所にて氣絕して倒れたり善八も通りがけにて驚き懷中より藥を出しあたへてかれこれ介抱しければやうやくいき出て目を開き心つきたるさまなりければ猶もさゆなどあたへて扨御身はいづかたの人にておはするぞ供もつれずわかき人のひとりありき所のものとも見えずいかなる事かと尋ければ此娘まづ一禮をのべてわらは事はかどわかされて大坂へつれらるべきをさまざまと手だていたし今朝よきをりをうかゞひ走り出たる故心もつかれ思はず氣をうしなひはからずもそなた樣の御介抱に預りたる事忝し何とぞ此上の御慈悲にわらはが宅迄送り給はれかしと賴みければ善八も不便に思ひ住所は何方ぞと問ひければ勢州津の驛にて紺屋なりし善八はいそぐ旅にもあらねば送り遣すべしとて追手も氣づかはしければすぐに駕籠にのせ取いそぎつゝいせの津の紺屋何がし方へつれゆきければ兩親をはじめ家内のものどもよろこぶ事限りなく娘は始終をくはしく物がたりて大恩人の善八なればしばらく此方に逗留し給へとて日ごとにあつくもてなしける善八もいつまでとゞまりてもはてのなければ家内の者に暇を乞ひしに人々名殘を惜み今しばしととゞめけれどもはや支度などしければ娘は猶更何となくわかれをしくわらはも何とぞ御禮のため一たびは江戸へも下りたきよしを兩親にねがひければいづれ一兩年の内に親父同道にてくだり可申とて厚く謝しけり娘はふと心つきたるさまにて此度思はず厚き御介抱うけしも前世の御緣こそ有つらめわらはもそなた樣の御恩わすれぬ爲何とても御所持の内一品たび給へそれを朝夕そなた樣と思ひ後世をも願ひ申たしといひければ善八も旅さきの事にて外に持たる品もなく懷中の守りに入置し淺草觀世音の御影を取出しこれを進上すべし隨分信心し給へとて娘にあたへ暇乞して伊勢を立出去寅年〔文政元年〕四月江戸へ歸りけるに留守中に新婦懷胎にて男子出生し則善八歸宅の日七夜にあたりければ善八も大に悅びけるされども此出生の小兒每日泣て少しもやむ時なく其上左りの手を握りつめていか樣にすれどもひらかざるよしを善八にかたりければそはいかなる事やらんまづ孫をいだきみんとて小兒を善八の膝にいだきとれば今まで泣入居たるが卽座に止み又握りつめたる左の手をも善八何となくひらかせたれば忽ひらきたりそのひらきたる掌の上に物あり何ならんと取出しみれば觀音の御影なりみなみな奇異の思をなし驚きければ善八つくづく考へ見るに此御影は全くいせの津にて娘にあたへし御影なりと甚いぶかしく思ひ家の内の者にも道中にてかの娘に出あふたる始末しかじかとかたりきかせ其後いせへも書狀を出しければ右の返書六月十四日に着しければ早速ひらき見るにかの娘は善八にわかれてより間もなくその年の五月末に病死したるよしを告來りければいよいよ不思議に思ひしからば此小兒の男子なるも右の娘の再來實に變生男子もひとへに大悲の御利益ならんと是より猶も深く信心しけるとぞ
右の產婦に服藥をあたへし淸水の御醫師福富主水老の直物語なるよし友人利鄕といへるもの語りけるまゝこゝに記し出ぬ
注
- 写本の位置
- 写本は3170の58カット目右ページから60カット目左ページの冒頭まで。60カット目左ページの2行目で終わり、同じページの3行目から第5話「狐囑の幸」が始まる。
- 注記
- 写本の題の下に披講者の名はなく、目録に「文寶堂」とある。末尾の署名もない。
- 校合
- 活字本系テキストは「出だし」「取り出だし」「入れ置きし」「走り出でたる」と送るが、写本は「出し」「取出し」「入置し」「走り出たる」と書く。原文欄は写本の表記に従った。
- 校合
- 「氣絕して倒れたり」「取いそぎつゝ」「暇乞して」「泣入居たるが」も写本の表記。活字本系は「取りいそぎつゝ」「暇乞ひして」「泣き入り居たるが」とする。
- 注記
- 59カット目右ページの「後世をも願ひ」の「後」の脇に朱で「後」と書き込みがあり、60カット目右ページの「かの娘に出あふたる」の「娘」の脇にも朱で「娘」と補いがある。写本の校正の跡と解した。
- 注記
- 「去寅年〔文政元年〕」の割注は写本でも小字二行で入る。
- 注記
- 変生男子は女が男に生まれ変わることをいう仏教語で、法華経提婆達多品の竜女成仏の説話に基づくと解した。清水の御医師は御三卿清水家の医師と解したが、福富主水と利郷の人物は未確認。
- 注記
- 神田和泉橋通りは今の千代田区神田佐久間町から岩本町のあたり。
AI試訳 / 専門家未校閲