雲亭日本古典図書室収録作品の一覧

九姑課

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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第八集 第6話 / 好問堂 山崎美成

草の茎九本を折って結び、ほどけた形で吉凶を占う中国の雑占を図つきで紹介する。

本文 現代語訳

九姑課
九姑課
上古、卜筮ありてより以来、世に雑占ことに多し。鶏卜、碁卜、響卜、鳥卜の類、なほ少なからず。吾が邦もまた、いにしへ太占の卜を始めとして、竈輪の米占などいふ多かり〔これらの類、和漢にはいと多し。集録して一巻となさんことをおもへど、いまだその稿を脱せず〕。今左に記す九姑課もまた雑占の類のみ。
大昔に卜筮が始まって以来、世の中には雑占がとりわけ多い。鶏卜、碁卜、響卜、鳥卜の類もなお少なくない。わが国でも昔は太占の卜をはじめとして、竈輪の米占などというものが多かった〔この種のものは日本にも中国にもたいへん多い。集めて一巻にしようと思っているが、まだ原稿ができていない〕。今ここに記す九姑課もまた雑占の一種にすぎない。
『鉄耕録』に云ふ、「呉楚の地、村巫、野叟、および婦人女子の輩、多く九姑課を卜すること能くす。その法、草九茎を折り、これを屈して十八となし、握りて一束となして、これを呵す。両々相結び、ただ両端を留む。すでにして抖ひ開き、もって休咎を占ふ。もし続きて一条となる者は、名づけて黄竜儻仙といふ。また一圏を穿つ者は、名づけて仙人上馬といふ。圏穿たざる者は、名づけて蟢窠落地といふ。皆吉兆なり。あるいは紛錯して緒なく、分理すべからざる者は、すなはち凶なり」云々。愚意ふに、俗に九姑といふは、あに即ち九天玄女か。『離騒経』に云ふ、「璚草を索めて筳篿をもってし、霊氛に命じて余がために卜せしむ」。注に曰く、「璚草は霊草なり。筳は小さき破竹なり。楚人、草を結び竹を折りてもって卜すといふ」。これによれば、すなはちまた本づく所あり。
『鉄耕録』にこうある。「呉や楚の地方では、村の巫女や田舎の老人、それに婦人や娘たちの多くが九姑課を占うことができる。その方法は、草を九本折り、それを折り曲げて十八本にし、握って一束にして息を吹きかける。二本ずつ結び合わせ、ただ両端だけを残す。それから振りほどいて、吉凶を占う。もし続いて一本の筋になれば黄竜儻仙と名づける。また一つの輪ができれば仙人上馬と名づける。輪がつながらなければ蟢窠落地と名づける。どれも吉兆である。もつれて筋がなく、ほどけないときは凶である」云々。私の考えでは、俗にいう九姑とは、すなわち九天玄女のことではないだろうか。『離騒経』には「璚草を求めて筳篿で占い、霊氛に命じて私のために占わせる」とあり、その注に「璚草は霊草である。筳は小さく割った竹である。楚の人は草を結び竹を折って占うという」とある。これによれば、この占いにも由来があるわけである。
予かつて戯れにこの九姑課を試み、児輩に授けて消日の具に充てしむ。しかれども、なほ初学びの童児らがこの文のみにては、とみにえ悟るまじくおもひ、今ここにその詳しきさまを記す。いはゆる老婆心切にこそあれ。
私はかつて戯れにこの九姑課を試み、子どもたちに教えて暇つぶしの道具にさせた。けれども、まだ初学の子どもたちにはこの文だけではすぐには理解できないだろうと思い、今ここにその詳しいやり方を記す。いわゆる老婆心からである。
草の茎九本を二つに曲げて、これを握るさま、かくのごとし。
草の茎九本を二つに曲げて握る様子は、次の図のとおりである。
〔図一 草の茎の束を握った手/かくのごとし〕
〔図一 草の茎の束を握った手/このようにする〕
握るところを掌近くに、新たにそのことを祈りて、ささやく息を吹きかけて、後、二本づつを結びつけ、終はりて余りの二本をそのままにして、おもむろにこれを開きて、たとへば小吉兆なれば、左の三様にあらざれば悪しき時も、何々と占ふことと知られぬ。この書の図、今写す。
握る位置は手のひらに近くし、あらためて占いたいことを祈り、ささやくように息を吹きかけたのち、二本ずつ結び合わせ、終わったら余った二本はそのままにして、ゆっくり手を開いて見る。たとえば小吉兆であれば、次の三つの形でないときは悪いなど、何々と占うのだと知られる。この書の図を今写す。
〔図二 黄竜儻仙/仙人上馬/蟢窠落地〕
〔図二 黄竜儻仙/仙人上馬/蟢窠落地〕
文政八年乙酉八朔 山崎美成記
文政八年乙酉八朔 山崎美成記
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す

九姑課

上古卜筮ありてより以來世に雜占ことに多し鷄卜碁卜響卜鳥卜の類猶少からず吾邦も亦いにしへ太占の卜を始として竈輪の米占などいふ多かり〔これらの類和漢にはいと多し集錄して一卷となさんことをおもへどいまだその稿を脫せず〕今左に記す九姑課も亦雜占の類のみ

鐵耕錄云吳楚之地村巫野叟及婦人女子輩多能卜九姑課其法折草九莖屈之爲十八握作一束而呵之兩々相結止留兩端已而抖開以占休咎若續成一條者名曰黃龍儻仙又穿一圈者名曰仙人上馬圈不穿者名曰蟢窠落地皆吉兆也或紛錯無緖不可分理者則凶矣云々愚意俗謂九姑豈卽九天玄女歟離騷經云索璚草以筳篿兮命靈氛爲余卜注曰璚草靈草也筳小破竹也楚人結草折竹以卜曰據此則亦有所本矣

予曾て戲れにこの九姑課を試み兒輩に授けて消日の具に充しむしかれども猶うゐまなびの童兒等が此文のみにてはとみにえさとるまじくおもひ今こゝにその詳なるさまを記す所謂老婆心切にこそあれ

草の莖九本を二つにまげてこれを握るさまかくのごとし

〔圖一 草の莖の束を握った手/かくのごとし〕

握るところを掌ちかくに新にそのことを祈りてさゝく息を吹かけて後二本づゝを結びつけ終りてあまりの二本をそのまゝにしておもむろにこれをひらきてたとへば小吉兆なれば左の三樣にあらざればあしき時も何々とうらなふことゝしられぬこの書の圖いまうつす

〔圖二 黃龍儻仙/仙人上馬/蟢窠落地〕

文政八年乙酉八朔 山崎美成記

注

写本の位置
写本は3170の61カット目左ページの後半から63カット目左ページの冒頭まで。63カット目左ページの2行目「文政八年乙酉八朔 山崎美成記」で終わり、同じページの3行目から第7話「夷言粉挽歌」が始まる。
注記
図は二つある。図一は62カット目左ページの下半分にあり、二つ折りにした草の茎の束を握った左手と、束の端の小図に「かくのごとし」の書き込みがある。図二は63カット目右ページの下半分にあり、上から黄龍儻仙、仙人上馬、蟢窠落地の三様の結び方が線描で描かれ、それぞれの名が添えてある。図の書き込みは原文に〔圖一〕〔圖二〕として収めた。
校合
『鐵耕錄』の引用には写本に返り点と送り仮名が付いているが、原文欄では外した。写本は「握作一束而呵之」で、活字本系の「握作一束祝而呵之」の「祝」が見えない。写本を採った。
校合
「筳篿」「爲余卜」「楚人結草折竹以卜曰」は写本の読み。活字本系テキストは「筵篿」「爲餘卜」「楚人名結草折竹以卜曰」とする。写本を採った。
校合
「うゐまなびの童兒等」「おもひ」は写本の表記。活字本系は「兒童等」「思ひ」とする。
判読保留
63カット目右ページの図二の前の五行は活字本系テキストにない占いの手順で、写本から起こした。くずし字が細かく、「たとへば」の次の二字と「しられぬ」の前後は字形からの推定にとどまる。判読保留。
注記
「小吉兆」は文脈から、三様の吉兆以外の形が出たときの扱いを述べた箇所と解した。
注記
『鉄耕録』は中国の随筆と解したが、著者と時代は未確認。九天玄女は道教の女神。『離騒』の一節は屈原の句で、雲亭の読み下しは試訳。
注記
好問堂は山崎美成の号。竈輪の米占は竈の輪に米粒を置いて占う民間の占いと解したが未確認。

AI試訳 / 専門家未校閲