雲亭日本古典図書室収録作品の一覧

本所石原の石像

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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第八集 第10話 / 龍珠館 三村昌武

十万坪を開いた千田庄兵衛一家の盛衰と、今も残る石像の由来。

本文 現代語訳

本所石原の石像 龍珠館
本所石原の石像 龍珠館
本所石原多田の薬師の前、石工の家にある、上下着たる男子と打掛着たる婦人の石像は、十万坪を初めて開きたる者に千田庄兵衛といへるあり、家富みて十万坪一円をおのれが有となし、奴婢数十人つかひ、銭を鋳ることなど司れり。その盛んなりしはおよそ宝暦の頃にやとおもはる。庄兵衛、惣領の男子〔名は聞くに及ばず〕に妻をむかへて、両人ともに死す。その像を石にて作りたるなり。次男も後に庄兵衛と名乗りたり。その次は女子にて、名をゑんといふ。親庄兵衛、庄十郎といへるものをゑんへ聟養子とし、後の庄兵衛は庄十郎の妹の清といふを妻として、家を二つに分けたり。後には共に落魄して、後の庄兵衛は出家し、庄十郎は竹本浜太夫といふ義太夫語りとなる。今はその家、遺橛なし。元祖庄兵衛は、石像今もなほ十万坪に存す。おくもりたる松樹の中に小堂あり。坐像にて、頭にがんどう頭巾を着、袴羽織に、手に扇を持ち、脇差を帯びたる形なり。所の者は「ゴヱイ堂」といふ。
本所石原の多田の薬師の前の石工の家にある、裃を着た男と打掛を着た婦人の石像について。深川十万坪を最初に開いた者に千田庄兵衛という人がいて、家が富み、十万坪一帯を自分の所有とし、下男下女を数十人使い、銭を鋳ることなども取り仕切っていた。その全盛期はおよそ宝暦の頃だったかと思われる。庄兵衛は惣領の息子〔名は聞いていない〕に妻を迎えたが、二人とも死んだ。その姿を石で作ったのがこの像である。次男も後に庄兵衛と名乗った。その次は娘で、名をゑんという。父の庄兵衛は庄十郎という者をゑんの婿養子にし、後の庄兵衛は庄十郎の妹の清という者を妻にして、家を二つに分けた。後にはどちらも落ちぶれて、後の庄兵衛は出家し、庄十郎は竹本浜太夫という義太夫語りになった。今ではその家は跡形もない。初代庄兵衛の石像は今もなお十万坪に残っている。こんもりとした松の木立の中に小さなお堂がある。坐像で、頭にがんどう頭巾をかぶり、袴と羽織を着け、手に扇を持ち、脇差を帯びた姿である。土地の者は「ゴヱイ堂」と呼んでいる。
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す

本所石原の石像 龍珠館

本所石原多田の藥師の前石工の家にある上下着たる男子とかいどり着たる婦人の石像ハ十万坪を初て開きたる者に千田庄兵衞といへるあり家冨みて十万坪一圓におのれが有となし奴婢數十人つかひ錢を鑄ることなど司れり其盛なりしハ凡寶曆の頃にやとおもはる庄兵衞惣領の男子〔名は聞不及〕に妻をむかへて兩人ともに死す其像を石にて作りたるなり次男も後に庄兵衞と名乘たり其次ハ女子にて名をゑんといふ親庄兵衞庄十郎といへるものをゑんへ聟養子とし後の庄兵衞ハ庄十郎の妹の淸といふを妻として家を二つに分たり後にハ共に落魄して後の庄兵衞ハ出家し庄十郎ハ竹本濱太夫といふ義太夫かたりとなる今ハ其家遺橛なし元祖庄兵衞ハ石像今も猶十万坪に存すおくもりたる松樹の中に小堂あり坐像にて頭にガントウ頭巾を着袴羽織に手に扇を持脇差を帶びたる形なり所の者ハゴヱイ堂といふ

注

写本の位置
写本は3170の69カット目左ページから70カット目左ページの冒頭まで。70カット目左ページの2行目から第11話「小右衞門火」が始まる。
注記
写本の題の下に「龍珠館」とあり、目録と一致する。龍珠館は三村昌武の号と解した。
校合
「ガントウ頭巾」は写本の読み。活字本系テキストは「ガソドウ頭巾」とするが、「ン」を「ソ」と誤ったものと解した。龕灯頭巾は龕灯の形に似た頭巾。写本を採った。
校合
「初て開きたる」「家を二つに分たり」は写本の表記。活字本系は「初めて」「分けたり」とする。
判読保留
「次男も」の「も」は69カット目左ページの末尾で字が詰まり、判読保留。活字本系に従った。
注記
「名は聞不及」の割注は写本でも小字二行で入る。70カット目右ページの「手に扇を持」の脇に小字の書き込みがあるが、本文の重複と見て原文には入れなかった。
注記
十万坪は深川の東の埋立地で、今の江東区千田のあたり。千田の町名は千田庄兵衛に由来すると解したが未確認。本所石原の多田の薬師は今の墨田区本所の東江寺と解したが未確認。
注記
遺橛は家の跡形の意と解した。

AI試訳 / 専門家未校閲