小右衛門火
大和松塚村の堤に出る陰火を見届けようとした百姓が、火に頭を飛び越えられて死んだ。
本文 現代語訳
小右衛門火
小右衛門火
大和国葛下郡松塚村は東西に川あり。西を大山川といふ。この堤に陰火出づ〔出でし初めはいつの頃よりといふを知らず〕。土俗は小右衛門火といふ。百済の奥壺といふ墓所より、新堂村の小山の墓といふへ通ふ火なり。雨のそぼ降る夜はわきて出づ。大きさ提灯ほどにて、地をはなるること三尺ばかりといふ。奥壺より小山までは四十町ばかりにて、松塚の面の端はその屋敷なり。同村に小右衛門といへる百姓、この火を見とどけんとて、かの所に至りけるに、火は北より南をさして飛び行く。小右衛門は南より北に向かひて歩みよりたれば、この火小右衛門が前に来たるとひとしく、急に高くあがり、小右衛門が頭の上を飛び越ゆるに、流星のごとき音聞こえたり。頭を越ゆると、また以前のごとく地を去ること三尺ばかりにて行き過ぎぬ。一説に、この時小右衛門、杖にて打ちければ、数百の火となりて小右衛門を取り巻きけるを、やうやう杖にて打ち払ひ帰りたりといふ。その夜より小右衛門、病を発して死す。よりて小右衛門火と名づく。この事、およそ百年ばかり以前にもなるべし。
大和国葛下郡松塚村には東西に川があり、西の川を大山川という。この堤に陰火が出る〔出はじめがいつの頃からかは分からない〕。土地の人は小右衛門火という。百済の奥壺という墓所から新堂村の小山の墓というところへ通う火である。雨がしとしと降る夜にはとりわけよく出る。大きさは提灯ほどで、地面から三尺ばかり離れて飛ぶという。奥壺から小山までは四十町ほどで、松塚の面の端がその屋敷である。同じ村に小右衛門という百姓がいて、この火を見届けようとその場所へ行くと、火は北から南へ向かって飛んで行く。小右衛門は南から北へ向かって歩み寄ったので、この火は小右衛門の前に来ると同時に急に高く上がり、小右衛門の頭の上を飛び越えたが、そのとき流星のような音が聞こえた。頭を越えると、また前と同じように地面から三尺ばかりのところを通り過ぎた。一説には、このとき小右衛門が杖で打ったところ、数百の火になって小右衛門を取り巻いたのを、やっとのことで杖で打ち払って帰ったという。その夜から小右衛門は病を発して死んだ。それで小右衛門火と名づけた。このことはおよそ百年ほど前になるだろう。
この火、年をふるにしたがひて、火の大きさもやや減じ、出づることも次第に稀になりたり。小右衛門死してより、人恐れて近く寄らざるゆゑにや。今は遠望にては見るものなし。もしたまたま見ゆる時は、蛍火ばかりの大きさにて、それかあらぬかといはんほどなりといへり。
この火は年を経るにつれて火の大きさもやや小さくなり、出ることも次第にまれになった。小右衛門が死んでから人が恐れて近くに寄らないためだろうか。今は遠くから眺めても見る者はない。もしたまたま見えるときは、蛍の火ほどの大きさで、それだかどうだか分からないというほどだそうである。
この松塚村は我が食邑ゆゑ、土俗の物語をよくよく尋ね聞きたるままに書せり。
この松塚村は私の知行地なので、土地の人の話をよくよく尋ね聞いたままに書いた。
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す
小右衞門火
大和國葛下郡松塚村ハ東西に川あり西を大山川といふ此堤に陰火出〔出し初はいつの頃よりといふを知らず〕土俗ハ小右衞門火といふ百濟の奧壺といふ墓所より新堂村の小山の墓といふへ通ふ火なり雨のそぼふる夜ハ分て出大サ提灯程にて地をはなるゝ事三尺計といふ奧壺より小山迄ハ四十町計にて松塚の面の端ハ其やしきなり同村に小右衞門といへる百姓此火を見とゞけんとて彼所に至りけるに火ハ北より南をさして飛行小右衞門ハ南より北に向て步みよりたれば此火小右衞門が前に來るとひとしく急に高くあがり小右衞門が頭の上を飛越ゆるに流星の如き音きこえたり頭を越ゆると又以前の如く地を去る事三尺計にて行過ぬ一說に此時小右衞門杖にて打ければ數百の火となりて小右衞門を取卷けるを漸杖にて打拂ひ歸りたりといふ其夜より小右衞門病を發して死す因て小右衞門火と名づく此事凡百年計以前にもなるべし
此火年をふるにしたがひて火の大さもやゝ減じ出る事も次第に稀になりたり小右衞門死してより人恐れて近く寄らざる故にや今ハ遠望にてハ見るものなし若たまたま見ゆる時ハ螢火計の大さにて夫かあらぬかといはん程なりといへり
此松塚村ハ我食邑ゆゑ土俗の物語を能々尋ねきゝたるまゝに書せり
注
- 写本の位置
- 写本は3170の70カット目左ページの2行目から72カット目右ページの冒頭まで。72カット目右ページは1行だけで、残りは白紙。72カット目左ページから第12話「天照太神を吳太伯といふの辯」が始まる。
- 注記
- 写本の題の下に披講者の名はなく、目録に「仝」とあって前の話と同じ龍珠館を指す。末尾に松塚村を自分の食邑と書くので、龍珠館こと三村昌武の知行地と解した。
- 注記
- 「出し初はいつの頃よりといふを知らず」の割注は写本でも小字二行で入る。
- 校合
- 活字本系テキストは「分けて出づ」「飛び行く」「向ひて」「飛び越ゆる」「打ちければ」「取り卷きけるを」「出づる事」と送るが、写本は「分て出」「飛行」「向て」「飛越ゆる」「打ければ」「取卷けるを」「出る事」と書く。原文欄は写本に従った。
- 注記
- 松塚村は今の奈良県大和高田市松塚。大山川は葛下川の別名と解したが未確認。百済の奥壺と新堂村の小山の墓は、今の広陵町百済と大和高田市新堂のあたりの墓地と解したが未確認。
- 注記
- 陰火は墓地などに出る火の玉のこと。「地をはなるゝ事三尺計」は地面からの高さを指すと解した。
AI試訳 / 専門家未校閲