藪に香の物の俗諺
藪の瓶に瓜や茄子を投げ入れないと荷が重くなる。
本文 現代語訳
藪に香の物の俗諺 乾斎
藪に香の物という諺 乾斎
尾州公御領分、尾張名古屋を過ぎ、「琵琶の市」といふ処、毎朝青物市立ち、名古屋の町に出づる橋あり。琵琶橋といふ。これより少し行きて、津島海道土手を右に一町半ほどに、逢手の森、反魂香の森あり。二か処ともに名所なり。この処を左へ下りて角に藪あり。この藪の中に妙心山正法寺といふ曹洞宗の禅院あり。熱田明神の幽跡の寺といふ。この藪の中にあり。この処に四石入りの瓶あり。しかるにこの瓶、地中に埋まり、この中に瓜、茄子二つ三つづつ、前の川にて洗ひ、かの瓶に入れて通る。瓜、茄子荷ふもの、直に通る時は荷重くして上がらず。よりてかの商人に所のもの、この明神の望み給ふよしを告げて、前の川にて洗はせ、瓶へ投げ入れさせて通すに、荷は軽くなりぬ。塩を荷ふものもかくのごとし。「年により瓜、茄子多く、塩の少なき時もありといへども、塩かげんいつも替ることなし。まことに奇怪なるべし」といふ。世の諺に「藪にも香の物」とは、これより言ひ初めたり。さてこの香の物は、毎年六月四日この瓶の口を明け、五日の朝熱田大明神の神膳に具へて、五日の朝御膳過ぎて尾州公へも献じ、尾州公より江戸将軍家へ献上のよしなり。この香の物の在所は海道郡蜂須賀村といふ。香の物の瓜、茄子の多少によらず、塩一斗これあり。瓜、茄子千ばかりありても、瓜、茄子百、二百くらゐに塩五合、三合にても、その風味、塩かげんは少しも替らず。これまた奇事といふべし。
尾張徳川家の御領分で、名古屋を過ぎると「琵琶の市」という所があり、毎朝青物の市が立ち、名古屋の町へ出る橋がある。琵琶橋という。そこから少し行き、津島街道の土手を右へ一町半ほどのところに、逢手の森と反魂香の森がある。二か所とも名所である。ここを左へ下りると角に藪があり、この藪の中に妙心山正法寺という曹洞宗の禅寺がある。熱田明神ゆかりの跡の寺だといい、藪の中にある。ここに四石入りの瓶がある。この瓶は地中に埋めてあり、その中へ瓜や茄子を二つ三つずつ、前の川で洗ってから投げ入れて通り過ぎる。瓜や茄子を担ぐ者がそのまま通ろうとすると、荷が重くなって持ち上がらない。そこで土地の者がその商人に、この明神がお望みなのだと告げて、前の川で洗わせ、瓶へ投げ入れさせてから通すと、荷は軽くなる。塩を担ぐ者も同じである。年によって瓜や茄子が多く塩が少ない時もあるが、塩加減はいつも変わらない。まことに奇怪なことだという。世間の諺に「藪にも香の物」というのは、ここから言い始めたのである。さてこの香の物は、毎年六月四日にこの瓶の口を開け、五日の朝に熱田大明神の神前の膳に供え、五日の朝の御膳が済んでから尾張公へも献上し、尾張公から江戸の将軍家へ献上するのだという。この香の物の産地は海道郡蜂須賀村という。香の物の瓜や茄子の多い少ないにかかわらず、塩は一斗ある。瓜や茄子が千ほどあっても、百や二百ほどに塩が五合や三合であっても、その風味と塩加減は少しも変わらない。これもまた奇事というべきである。
文政八乙酉九月朔 中井乾斎誌
文政八年乙酉九月朔日 中井乾斎記す
解いはく、この藪の香の物の事は、享和中、予目撃して『簑笠雨談』に誌したり。この説と頗る異なり。よろしく参考すべし。
解が言う。この藪の香の物のことは、享和のころ私が実際に見て『簑笠雨談』に記した。この説とはかなり異なる。あわせて参考にしてほしい。
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す
藪に香の物の世諺 乾齋
尾州公御領分、尾張名古屋を過、琵琶の市といふ處、每朝靑物市立、名古屋の町に出る橋あり。琵琶橋と云。是より少し行て、津嶋海道土手を右に壱町半程に、逢手の森、反魂香の森あり。弐ケ處ともに名所也。此處を左へ下りて角に藪あり。此藪の中に妙心山正法寺といふ曹洞宗の禪院あり。熱田明神の幽跡の寺と云。此藪の中にあり。此處に四石入の瓶あり。然るに此瓶地中に埋り、此中に瓜茄子二ツ三ツづつ、前の川にて洗ひ、彼瓶に入て通る。瓜茄子荷ふもの、直に通る時は荷重くして上らず。依て彼商人に所のもの、此明神の望み給ふ由を告て、前の川にて洗はせ、瓶へなげ入させて通すに、荷はかろくなりぬ。鹽を荷ふものもかくの如し。年により瓜茄子多く、鹽の少き時も有といへども、鹽かげんいつも替ることなし。誠に奇怪なるべしと云。世の諺に藪にも香の物とは、是より云初たり。扨此香の物は、每年六月四日此瓶の口を明け、五日の朝熱田大明神の神膳に具へて、五日の朝御膳過て尾州公へも獻し、尾州公より江戶將軍家へ獻上のよし也。此香の物の在所は海道郡蜂須賀村と云。香の物の瓜茄子の多少によらず、鹽壱斗有之。瓜茄子千計有ても、瓜茄子百弐百位に鹽五合三合にても、其風味鹽かげんは少しも替らず。是亦奇事といふべし。
文政八乙酉九月朔 中井乾齋誌
解云、この藪の香の物の事は、享和中予目擊して簑笠雨談に誌したり。この說と頗異なり。宜參考すべし。
注
- 写本の位置
- 写本は3171の6カット目右ページの5行目から7カット目左ページの2行目まで。7カット目左ページの3行目から第3話「慶雲 彗星」が始まる。
- 校合
- 題は写本の本文で「藪に香の物の世諺」、目録で「藪に香の物の俗諺」。title は目録に従い、原文欄は本文の表記とした。活字本系テキストも「世諺」とする。
- 校合
- 「名古屋の町に出る橋あり」「土手を右に壱町半程に」は写本の読み。活字本系テキストは「町へ出づる橋」「右へ壱丁半程」とする。原寸で確かめて写本を採った。
- 校合
- 「津嶋海道」は写本の表記。活字本系テキストは「津島海道」とする。
- 校合
- 「海道郡蜂須賀村」は写本と活字本系テキストがともにこの表記で、原寸で確かめた。蜂須賀村は海東郡に属したので「海東郡」の誤りと思われるが、写本のままとした。
- 注記
- 「逢手の森」の右に「アハデ」の振り仮名がある。振り仮名は外した。
- 注記
- 末尾の「解云」の一段は馬琴の付記で、写本では改行して書く。「簑笠雨談」は馬琴の紀行で、享和二年の旅の記録。
- 注記
- 乾斎は中井乾斎。琵琶の市と琵琶橋は名古屋城下の西で、逢手の森は阿波手の森とも書き、今の愛知県あま市甚目寺のあたりと解したが、雲亭の推定で未確認。
AI試訳 / 専門家未校閲