遊女高尾
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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第九集 第5話 / 輪池堂 屋代弘賢
仙台藩主に斬られたという高尾は、実は老女として天寿を終えた。
本文 現代語訳
著作堂の珍蔵に『みちのくざうし』といふあり。それは陸奥の太守の医師工藤平助が女の、同藩只野氏に嫁して仙台に在りしが筆記なり。その中に高尾が事跡をしるしたり。世の妄説を正すに足れり。いはく、
著作堂の珍蔵に『みちのくざうし』という書がある。それは陸奥の太守の医師工藤平助の娘で、同じ藩の只野氏に嫁いで仙台にいた人の筆記である。その中に高尾の事跡を記している。世間の誤った説を正すのに十分である。こう書いてある。
「昔の国主、たか尾といふ遊女を黄金にかへて廓を出だし給ひて、御館までも召し入れられず、中す川〔解いはく、原本には中す川とあり。写しあやまれるか〕にて切りはふらせ給ふと世の人思へるは、あらぬことなり。これは歌、浄瑠璃におもしろく事添へて、作りなどして、やがて誠のごとく成りしものなり。高尾はやはり御館に召し使はれて、のち老女と成りて、老後跡をたて終はりしは、番士杉原重太夫、また新太夫と代々かはるがはる名のりて〔禄、玄米六百石〕、今目付役をつとむる重太夫はその末なり。只野家近親なるゆゑ、ことのよしは知れり。杉原家にても、世人あらぬことをまことしやかにとなふるはをかしと思ふべけれど、我こそ高尾が末なりと名のらんにもおもただしからねば、押し黙りて聞き流しをる」となり。
「昔の国主が高尾という遊女を黄金と引き換えに廓から出させ、御館にも召し入れず、中す川〔解が言う。原本には中す川とある。写し間違いだろうか〕で切り捨てて流したと世間の人が思っているのは、事実ではない。これは歌や浄瑠璃が面白く話を付け加え、作り話にしたものが、いつしか本当のことのようになったのである。高尾はやはり御館に召し使われ、のちに老女となり、老後に跡を立てて終わった。それが番士の杉原重太夫、または新太夫と代々交互に名乗って〔禄は玄米六百石〕、今、目付役を勤める重太夫はその子孫である。只野家は近い親戚なので、事の次第は分かっている。杉原家でも、世間の人があらぬことをもっともらしく唱えるのはおかしいと思うだろうが、自分こそ高尾の子孫だと名乗るのも体裁がよくないので、黙って聞き流している」ということである。
これをいと珍らしきこととおもひて尋ねおきけるに、このごろある人のもとより、その法号、葬地等の書付を著作堂の主に示さんとて、ここに載す。その記にいはく、
私はこれをとても珍しいことだと思って尋ねておいたところ、このごろある人から、その法号や墓所などの書付を著作堂の主人に見せようと届けてきたので、ここに載せる。その記録にはこうある。
「仙台の人なにがし、遊女高尾が墓碑を摺りて持ちたるを、四谷に住める医生浅井春昌といふ者の写したりとて、島田某の見せたるを記す。
「仙台の人某が遊女高尾の墓碑を拓本に取って持っていたのを、四谷に住む医学生の浅井春昌という者が写したといって、島田某が見せたものを記す。
二代目 享保元丙申年/〔三巴の紋〕浄休院妙讃日晴大姉 十一月廿五日/杉原常之助/時に正徳五年二月二十九日/逆修 源範清義母 行年七十七才
二代目 享保元年丙申/〔三つ巴の紋〕浄休院妙讃日晴大姉 十一月二十五日/杉原常之助/時に正徳五年二月二十九日/生前に建てた逆修の碑 源範清の義母 行年七十七才
右の碑、仙台荒町、法龍山仏眼寺に在り。仙台の人のいふ、高尾、実は国侯に従ひて奥州にいたる。杉原常之助といふは義子にて、名跡をたて給ひたるといひ伝ふ。享保元年、七十八才にて天寿を終ふ」といふ。〔綱宗朝臣は正徳元年六月四日卒。享年七十二才。仙台瑞鳳寺にあり。葬法号、雄山全盛見性院といふ〕
右の碑は仙台荒町の法龍山仏眼寺にある。仙台の人が言うには、高尾は実は国主に従って奥州へ下った。杉原常之助というのは養子で、名跡を立てたと言い伝える。享保元年、七十八才で天寿を終えた」という。〔綱宗朝臣は正徳元年六月四日に没した。享年七十二才。仙台の瑞鳳寺に葬られ、法号は雄山全盛見性院という〕
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す
遊女高雄 輪池堂
著作堂の珍藏にみちのくざうしといふ有。それは陸奥の太守の醫師工藤平助が女の、同藩只野氏に嫁して仙臺に在りしが筆記なり。その中に高雄が事跡をしるしたり。世の妄說を正すにたれり。曰、
昔の國主たか尾といふ遊女をこがねにかへてくるわを出し給ひて、御たちまでもめし入られず、中す川〔解云、原本には中す川とあり。寫しあやまれるか〕にて切りはふらせ給ふと世の人思へるはあらぬことなり。是はうた上るりにおもしろく事添て、作りなどしてやがて誠のごとく成しものなり。高尾はやはり御たちにめしつかはれて、のち老女と成て、老後跡をたて終りしは、番士杉原重太夫又新太夫と代々かはる〴〵名のりて〔祿玄米六百石〕、今目付役をつとむる重太夫はその末なり。只野家近親なる故、ことのよしはしれり。杉原家にても、世人あらぬことをまことしやかにとなふるはをかしと思ふべけれど、我こそ高尾が末なりと名のらんにもおもたゞしからねば、おしたまりて聞ながしをるとなり。
これをいと珍らしきことゝおもひてたづねおきけるに、この比ある人のもとより、その法號葬地等の書付を著作堂の主にしめさんとて、こゝにのす。その記に曰、
仙臺の人なにがし、遊女高尾が墓碑をすりてもちたるを、四谷にすめる醫生淺井春昌といふものゝうつしたりとて、島田某の見せたるをしるす。
二代目 享保元丙申年/〔三巴の紋〕淨休院妙讚日晴大姉 十一月廿五日/杉原常之助/于時正德五年二月二十九日/逆修 源範淸義母 行年七十七才
右の碑、仙臺荒町法龍山佛眼寺に在。仙臺の人のいふ、高尾實は國侯に從ひて奥州にいたる。杉原常之助といふは義子にて名跡をたて給ひたるといひ傳ふ。享保元年七十八才にて天壽を終ふといふ。〔綱宗朝臣は正德元年六月四日卒。享年七十二才。仙臺瑞鳳寺にあり。葬法號雄山全盛見性院と云ふ〕
注
- 写本の位置
- 写本は3171の15カット目左ページから17カット目左ページまで。18カット目右ページは白紙で、18カット目左ページから第6話「奇夢」が始まる。
- 注記
- 披講者の号は目録による。本文の題は「遊女高雄」で、目録は「遊女高尾」。title は目録に従い、原文欄は本文の表記とした。本文中は「高尾」と「高雄」が混じる。
- 判読保留
- 「中す川」に付く割注は、写本では15カット目左ページの上欄に小字で書かれた頭注。「解云原本…中す川とあり寫しあやまれるか」と読んだが、「原本」の下の二字は判読保留。活字本系テキストはここに「中は中洲川にて三派の事なり」という趣旨の注を置き、写本と内容が違う。
- 校合
- 「おもしろく事添て」は写本の読み。活字本系テキストは「おもしろし事添へて」とする。原寸で確かめて写本を採った。
- 校合
- 「世人あらぬことを」は写本の読み。活字本系テキストは「世の人」とする。
- 校合
- 「行年七十七才」「七十八才」は写本の表記で、活字本系テキストは「歲」とする。
- 判読保留
- 末尾の「綱宗朝臣は正德元年六月四日卒…」の一段は、写本では17カット目左ページの本文の後に小字三行で書かれ、活字本系テキストにはない。〔 〕に入れて末尾に置いた。「綱宗」の字形は「總宗」にも見え、判読保留。伊達綱宗は正徳元年六月四日に七十二歳で没し、法号は雄山全盛見性院で、瑞鳳寺に葬られたので、内容は綱宗に合う。
- 注記
- 碑文は写本で二代目の下に三つ巴の紋の丸を描き、その左右に年号と日付を小さく添える。原文欄では「/」で行を区切った。
- 注記
- 『みちのくざうし』は只野真葛(工藤平助の娘、綾子)の随筆『むかしばなし』などの一部と思われるが、書名の特定は未確認。「昔の國主」は伊達綱宗と解した。三派は隅田川の中洲のこと。
AI試訳 / 専門家未校閲