仏像腹籠の古書
盲目になると恐れられた釈迦像の胎内から、元弘元年の寄附状が出てきた。
本文 現代語訳
仏像腹籠の古書
仏像腹籠の古書
野州西鹿沼村〔当時、番町藪主膳殿知行所なり〕の畑の中に古堂あり。その後堂に釈迦の木像あり。「この御鞍を抜きて見る時は、立ちどころに盲目となる」と言ひ伝へて、誰も御鞍を抜きて見る者なかりしに、蒲生伊三郎といへる儒者、その寺へ断りて、仏像の御鞍を抜きて、腹の内へ手を入れ探り見るに、一通の書あり。取り出だし開き見れば、
下野国西鹿沼村〔当時は番町の藪主膳殿の知行所である〕の畑の中に古い堂がある。その後堂に釈迦の木像がある。「この御鞍を抜いて見ると、たちまち盲目になる」と言い伝えられ、誰も御鞍を抜いて見る者がなかったが、蒲生伊三郎という儒者がその寺に断って、仏像の御鞍を抜き、腹の中へ手を入れて探ってみると、一通の文書があった。取り出して開いてみると、
金箔 五百目/再建のために寄附せしむる者なり/元弘元年二月 藤原少将公綱
金箔 五百目/再建のために寄附するものである/元弘元年二月 藤原少将公綱
とありしよし。野州栃木町渡辺某よりの文通に言ひおこしたれば、ここに記す。
とあったということである。下野国栃木町の渡辺某からの手紙で知らせてきたので、ここに記す。
文政乙酉長月朔 文宝堂抄出
文政八年乙酉九月一日 文宝堂が抄出した
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す
佛像腹籠の古書
野州西鹿沼村〔當時番町藪主膳殿知行所なり〕の畑の中に古堂あり。その後堂に釋迦の木像あり。このみくらをぬきて見る時は立どころに盲目となるといひ傳へて、誰もみくらを拔て見るものなかりしに、蒲生伊三郞といへる儒者、その寺へ斷りて、佛像のみくらをぬきて、腹の内へ手を入れさぐり見るに、一通の書あり。とり出しひらき見れば、
金箔 五百目/爲再建令寄附之者也/元弘元年二月 藤原少將公綱
とありしよし。野州杤木町渡邊某よりの文通にいひおこしたれば、こゝにしるす。
文政乙酉長月朔 文寶堂抄出
注
- 写本の位置
- 写本は3171の22カット目右ページの4行目から22カット目左ページまで。23カット目右ページは白紙で、23カット目左ページから第9話「窮鬼」が始まる。
- 校合
- 題は写本の本文が「佛像腹籠の古書」、目録が「仏像腹籠の古書」で一致する。活字本系テキストは「佛敎腹籠の古書」とするが、写本は「像」で、原寸で確かめて写本を採った。
- 校合
- 「その後堂に」は写本の読み。活字本系テキストは「其後堂に」とする。「このみくら」「拔て」「とり出し」は写本の表記で、活字本系テキストは「此みくら」「拔きて」「とり出だし」とする。いずれも原寸で確かめて写本を採った。
- 注記
- 「みくら」は御鞍で、仏像の背にある納入品を出し入れする蓋と解した。腹籠は仏像の胎内に納めた物のこと。
- 注記
- 書付の三行は写本では字の大きさと位置を変えて書かれ、「金箔」と「五百目」の間、「元弘元年二月」と「藤原少將」の間に空きがある。原文欄では「/」で行を区切った。
- 注記
- 元弘元年は一三三一年。藤原少将公綱は藤原姓の少将の公綱で、人物は未確認。西鹿沼は今の栃木県鹿沼市。藪主膳と蒲生伊三郎と渡辺某は未確認。
AI試訳 / 専門家未校閲