双生合体
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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第九集 第10話 / 著作堂 滝沢馬琴
尾張で頭二つ手足四本ずつの子が生まれ、続けて一本足の鶏をめぐる戯文が添えられる。
本文 現代語訳
文化十年癸酉の夏のはじめに、尾張の民銀之右衛門が妻、異形の子を産みにきといふ。当時同藩の陪臣山田生がある人に送りし消息にいはく、
文化十年癸酉の夏の初めに、尾張の民、銀之右衛門の妻が異形の子を産んだという。当時同藩の陪臣であった山田生がある人に送った手紙にこうある。
大番沢井図書組松平伝右衛門知行所/尾州中島郡奥村 百姓 銀之右衛門 酉三十一歳/同人妻 きを 酉二十一歳
大番沢井図書組松平伝右衛門知行所/尾州中島郡奥村 百姓 銀之右衛門 酉年三十一歳/同人の妻 きを 酉年二十一歳
「右きを儀、当酉四月出産いたし候ところ、異体の者出生、男子にて頭二つ、手足四本づつこれあり、軀は一つに御座候。無事に生育いたし、御勘定所にも申し達し、この間御見分御座候由、右の趣に御座候。実に異体の者にて、全く二子の別れ申さざる者と見え申し候。右の通り承り、珍しき事ゆゑ申し上げ候。」
「右のきをは、この酉年四月に出産したところ、異体の者が生まれた。男子で頭が二つ、手足が四本ずつあり、胴体は一つである。無事に育っており、御勘定所にも届け出て、先ごろ御検分があったとのことで、以上の次第である。実に異体の者で、まったく二子が分かれなかった者と見える。右の通り聞き及び、珍しいことなので申し上げる。」
この山田生は尾州の御家老石河土州の留守居なり。同年八月十日、愚息興継が一友人より借り抄して見せけるを、雑記中に載せおきしかば、取り出でてふたたびここに録しつ。孿胎の合体したるに疑ひなし。按ずるに方書に、「果実の双仁なるは毒あり、食ふべからず」といへり。果子すらかくのごとし。まいて人倫鳥獣の双生合体なるものは、毒悪の気の致すところ、不祥なること知るべきのみ。『書紀』仁徳紀にいふ、「飛驒国に一人あり、宿儺といふ。その人となり、一体にして両面あり、おのおの相背き、頂合ひて項なし」。この宿儺は凶猛多力にして朝命に背きしよし、六十五年の条下に見えたり。この他双頭の子を産みしもの、和漢の史書に見る所、皆これ孿児の合体なるべし。また按ずるに、双頭両頭は蛇に多かり。蚖蛇はもとも毒あるもの、その毒悪の気に感じつつ遂に胎を受けたること、これによりても暁り易かり。
この山田生は尾張の御家老石河土佐守の留守居である。同じ年の八月十日、愚息の興継が一人の友人から借りて写して見せたものを雑記の中に載せておいたので、取り出して再びここに記録する。双子が合体したものに疑いはない。考えるに医書には「果実の仁が二つあるものは毒があり、食べてはならない」と言う。果物ですらそうである。まして人や鳥獣の双生合体は、毒悪の気の致すところで、不吉なことは明らかである。『日本書紀』仁徳紀に「飛驒国に一人あり、宿儺という。その人となりは一つの体に両面があり、それぞれ背中合わせで、頭頂が合わさって項がない」とある。この宿儺は凶暴で力が強く、朝廷の命に背いたことが六十五年の条に見える。このほか双頭の子を産んだ例は和漢の史書に見えるが、皆これは双子の合体であろう。また考えるに、双頭両頭は蛇に多い。まむしはもともと毒のあるもので、その毒悪の気に感じてついに胎を受けたことは、このことからも理解しやすい。
文化十一年の夏のころ、飼鳥商ふ者、鶏の雛の一足なるを持て来て、「これ買ひたまはずや」と言ひしかば、引き寄せてよく見るに、げに一足なることは実に一足なるものから、その足らざる左の足は皮肉の間にありとおぼしく、運動にしたがふて腹の皮うごもちたり。これ尫弱不具にして真の一足なるものならず。よりて鳥屋に示していはく、「汝、恵子の言を聞かずや。『鶏に三足あり』といへり。語は『荘子』に見えたるなり。けだし彼の恵子がこころは、鶏は二足なれども、その足を使ふもの内にまた一つあり。ゆゑに『三足あり』と言ひにき。もしその理をもて言はば、三足もなほ足らず。宜しくもつて四足となすべし。いかにとなれば、およそ手足の運動は魄その用をなすごとに、心まづ魂に伝へ、魂速やかに魄に指揮して、その進止を自由にす。これによりて推すときは、鶏の二足なるも、これを使ふもの内にもまた二つなければ、足の用をなしがたし。かかれば四足といふこそよけれ。恵子が言のごとくならば、足を動かす魄のみありて、これを指揮する魂なきものなり。もしかくのごとくならば、進退その度を失ふて、その行くところを知らざること、風に輾べる瓢に同じ。これに似たるは狂人のみ。狂人の進退は神識衛りを失ふゆゑに、その動静、夢寐と異ならず。かくのごとくなるものは二足にして三足なり。その魂、位を失ふゆゑのみ。この余はすべて四足とすべし。吾、三足の説をすら排斥すること既に久し。汝はこの鳥をもて一足なりといふめれど、われは則ち四足とす。虁をすら一足といふ謬説は『風俗通』に弁じたり。あに一足の鳥あらんや。行きね、行きね」と追ひ立つれば、鳥商人嘆じていはく、「なべての鳥は二足なり。ただこの鳥のみ一足なるに、君は恵子の語を引きて三足といひ四足とす。わが一足といふよしは、目に視るままを言へるなり。君が四足といふよしは、形を取らで理を推すものか。その理の隠れて見えざること、なほこの鳥の一足の皮肉に籠りて出でぬがごとし。細人は理に疎かり。欲するものはただ利のみ。君がいはゆる足多かるも、われその足を取るよしなければ、魄のみありて魂なきごとく、還らば妻子に虚走と言はれん。足か、足か、われまた赴くところあり、いとま申す」と言ひかけて、籠を挑げてまかり出でにけり。この商人はさるものか、「野夫にも功者あり」と言はまし。
文化十一年の夏のころ、飼い鳥を商う者が鶏の雛で一本足のものを持ってきて、「これを買いませんか」と言うので、引き寄せてよく見ると、なるほど一本足であることは確かに一本足なのだが、その足りない左の足は皮と肉の間にあるらしく、動きに従って腹の皮が動いていた。これは虚弱で不具なだけで、本当の一本足ではない。そこで鳥屋に示して言った。「お前は恵子の言葉を聞かないか。『鶏に三本の足がある』と言った。言葉は『荘子』に見える。思うに恵子の心は、鶏は二本足だが、その足を使うものが内にもう一つあるということだ。だから『三本足がある』と言ったのだ。もしその理屈で言えば、三本足でもまだ足りない。四本足とするべきだ。なぜなら、およそ手足の運動は魄がその働きをするたびに、心がまず魂に伝え、魂が速やかに魄に指図して、その進み止まりを自由にする。これで推せば、鶏の二本足も、これを使うものが内にもまた二つなければ足の働きができない。それなら四本足と言うのがよい。恵子の言葉どおりなら、足を動かす魄だけがあって、それを指図する魂がないことになる。もしそうなら、進退の節度を失って、行き先を知らないことは風に転がる瓢箪と同じだ。これに似ているのは狂人だけだ。狂人の進退は精神が守りを失っているから、その動静は夢と変わらない。このようなものは二本足で三本足なのだ。その魂が位を失っているからである。それ以外はすべて四本足とすべきだ。私は三本足の説さえ退けて久しい。お前はこの鳥を一本足だと言うようだが、私は四本足とする。虁でさえ一本足だという誤説は『風俗通』が論じている。どうして一本足の鳥があるものか。行け、行け」と追い立てると、鳥商人は嘆いて言った。「すべての鳥は二本足だ。この鳥だけが一本足なのに、あなたは恵子の言葉を引いて三本足と言い、四本足とする。私が一本足と言うのは、目に見えるままを言ったのだ。あなたが四本足と言うのは、形を取らずに理屈を推すものか。その理屈が隠れて見えないことは、この鳥の一本の足が皮と肉に籠って出てこないのと同じだ。小人は理屈に疎い。欲しいのはただ利益だけだ。あなたの言う足が多いというのも、私がその足を取るすべがなければ、魄だけあって魂がないのと同じで、帰れば妻子に無駄足だと言われるだろう。足か、足か、私はまた行くところがある、失礼する」と言いかけて、籠を担いで出て行った。この商人はなかなかの者だ。「野夫にも功者あり」と言うべきだろう。
乙酉菊秋草 愚山人解識
乙酉の菊秋に草す 愚山人解しるす
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す
雙生合體
文化十年癸酉の夏のはじめに、尾張の民銀之右衞門が妻、異形の子をうみにきといふ。當時同藩の陪臣山田生がある人におくりし消息にいはく、
大番澤井圖書組松平傳右衞門知行所/尾州中嶋郡奧村 百姓 銀之右衞門 酉三十一歲/同人妻 きを 酉廿一歲
右きを儀、當酉四月致出産候處、異體之もの出生、男子にて頭二ツ、手足四本ツヽ有之、軀は一ツに御座候。無事に致生育、御勘定所にも申達、此間御見分御座候由、右之趣に御座候。實に異體之者にて、全く二子の別れ不申者と見え申候。右之通承り、珍敷事故申上候。
六月六日 山田定之惠
この山田生は尾州の御家老石河土州の留守居なり。同年八月十日、愚息興繼が一友人より借抄して見せけるを、雜記中にのせおきしかば、とり出てふたゝびこゝに錄しつ。孿胎の合體したるに疑ひなし。按ずるに方書に、果實の雙仁なるは毒あり、食ふべからずといへり。果子すらかくの如し。まいて人倫鳥獸の雙生合體なるものは、毒惡の氣の致すところ、不祥なること志るべきのみ。書紀仁徳紀に云、飛驒國有一人、曰宿儺、其爲人一體有兩面、各相背、頂合無項。この宿儺は凶猛多力にして朝命に背きしよし、六十五年の條下に見えたり。この他雙頭の子をうみしもの、和漢の史書に見る所、皆是孿兒の合體なるべし。又按ずるに、雙頭兩頭は蛇に多かり。蚖蛇はもとも毒あるもの、その毒惡の氣に感じつゝ遂に胎を受たること、これによりても曉り易かり。
一足の雞
文化十一年の夏のころ、飼鳥あきなふもの、雞の雛の一足なるをもて來て、これ買ひたまはずやといひしかば、引よせてよく見るに、げに一足なることは實に一足なるものから、その足らざる左の足は皮肉の間にありとおぼしく、運動にしたがふて腹の皮うごもちたり。これ尫弱不具にして眞の一足なるものならず。よりて鳥屋に示していはく、汝惠子の言を聞かずや。雞有三足といへり。語は莊子に見えたるなり。蓋彼惠子がこゝろは、雞は二足なれども、その足を使ふもの内に亦ひとつあり。故有三足といひにき。もしその理をもていはゞ、三足も尚足らず。宜しくもつて四足となすべし。いかにとなれば、凡手足の運動は魄其用をなす每に、心まづ魂に傳へ、魂速かに魄に指揮して、その進止を自由にす。これによりて推すときは、雞の二足なるも、これを使ふもの内にも亦ふたつなければ、足の用をなしがたし。かゝれば四足といふこそよけれ。惠子が言のごとくならば、足を動かす魄のみありて、是を指揮する魂なきもの也。もしかくの如くならば、進退その度を失ふて、そのゆくところを知らざること、風に輾べる瓢におなじ。これに似たるは狂人のみ。狂人の進退は神識衞りを失ふ故に、その動靜夢寐と異ならず。かくの如くなるものは二足にして三足也。その魂位を失ふ故のみ。この餘はすべて四足とすべし。吾三足の說をすら排斥すること既に久し。汝はこの鳥をもて一足なりといふめれど、われは則四足とす。虁をすら一足といふ謬說は風俗通に辨じたり。豈一足の鳥あらんや。ゆきねゆきねと追ひたつれば、鳥あき人嘆じて曰く、なべての鳥は二足なり。只この鳥のみ一足なるに、君は惠子の語を引きて三足といひ四足とす。わが一足といふよしは、目に視るまゝをいへるなり。君が四足といふよしは、形を取らで理を推すものか。その理の隱れて見えざること、猶この鳥の一足の皮肉に籠りて出でぬが如し。細人は理に踈かり。欲するものは只利のみ。君がいはゆるあし多かるも、われその足を取るよしなければ、魄のみありて魂なきごとく、還らば妻子に虛走といはれん。足乎足乎、われ又赴くところあり、いとま申すといひかけて、籠を挑げてまか出にけり。此あき人はさるもの歟、野夫にも功者ありといはまし。
乙酉菊秋艸 愚山人解識
注
- 写本の位置
- 写本は3171の28カット目左ページから31カット目右ページと、31カット目の綴じ目に近い1行まで。31カット目左ページから第11話「雙生合體追記」が始まる。
- 判読保留
- 披講者は目録の「著作堂」による。末尾の署名は「乙酉菊秋艸 愚山人解識」で、解は馬琴の名。「愚山人」は馬琴の号と解したが未確認。「識」の字形は判読保留。活字本系テキストは「【乙酉九月朔草】」とし、そのあとに「百川云」で始まる百川の評を付けるが、写本にはない。
- 注記
- 目録は「双生合体」の一話とし、「一足の雞」を別の話に立てない。写本の本文は「雙生合體」の末尾に続けて「一足の雞」の題を置く。目録に従い一つの passage とし、原文欄では「一足の雞」を段落の題とした。
- 判読保留
- 「山田定之惠」は写本の字形から読んだ。活字本系テキストは「山田定之丞」とする。原寸で確かめたが、判読保留。
- 校合
- 「同年八月十日」は写本の読み。活字本系テキストは「八月十一日」とする。「雜記中に」は写本の読みで、活字本系テキストは「題記中に」とする。「和漢の史書」は写本の読みで、活字本系テキストは「書史」とする。「尾州の御家老」は写本の読みで、活字本系テキストは「尾張御家老」とする。いずれも全ページの画像で読んだ。
- 校合
- 「とり出て」の「とり」は写本では朱で書き入れてある。「一足の雞」の本文は活字本系テキストと大きな異同がない。
- 注記
- 書状の宛名と名前は写本で行を分け、字の大きさを変えて書かれる。原文欄では「/」で行を区切った。「きを」は名前で、写本は仮名で書く。
- 注記
- 写本には「軀」に「ムクロ」、「孿胎」に「フタゴ」、「宿儺」に「スクナト」、「蚖」に「ハミ」の振り仮名があり、仁徳紀の引用には返り点がある。原文欄では外した。
- 注記
- 石河土州は尾張藩家老の石河土佐守。宿儺は『日本書紀』仁徳天皇六十五年条の両面宿儺。恵子の「鶏三足」は『荘子』天下篇に見える弁者の命題。虁は一本足の獣で、『風俗通義』が孔子の「夔一足」を一本足の意ではないと論じる。細人は小人のこと。虚走は無駄足。
AI試訳 / 専門家未校閲