庫法門
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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第十集 第1話 / 好問堂 山崎美成
土蔵の中で「たすけ給へ」と唱えさせて気絶させる秘事法門の勧誘の手口を、訴人の手記から写して示す。
本文 現代語訳
往昔、世に庫法門〔俗に御庫門徒といふ〕とてあやしき宗旨ありしが、ある人その宗をいとあやしみて、かの法に入り、委しくその勧むる手だてを試み、いよいよ直ならぬ教なりければ、官府へ訴訟し奉りしかば、やがてこれを戒めおきてさせ給へり。その訴へ申せし人の、その宗門の勧むるさまを詳らかに記し、『庫裏法』と題せし冊子あり〔また『二樵閑話』とてかの庫法門のことを記したる、この二書にてかの宗はつまびらかに知らるべし〕。その序にいふ、
昔、世に「庫法門」〔俗に「御庫門徒」という〕という怪しい宗旨があった。ある人がその宗派をひどく怪しんで、その教えに入り、勧誘の手口をくわしく試したところ、いよいよまっとうでない教えだと分かったので、役所へ訴え出た。役所はほどなくこれを禁じた。その訴え出た人が、宗門の勧誘のやり方を細かく記して『庫裏法』と題した冊子がある〔ほかに『二樵閑話』という本にもこの庫法門のことが書かれていて、この二書でこの宗派のことはくわしく知られる〕。その序文にこうある。
「古より邪説の人を惑はすこと多し。しかして庫裏法の行はるるや、おそらくは百年ならん。人間に一人としてこれを知るなし。すなはちその険怪秘蔵なること知るべきなり。この書ひとたび出でて、邪徒は屏息し、冷謄もその術を施すところなし。その功もまた偉ならずや」といへり。
「古来、邪説が人を惑わすことは多い。しかし庫裏法が行われてから、おそらく百年になる。世間に一人としてこれを知る者がない。それだけ、その険しく怪しい秘密の隠しぶりが分かるというものだ。この書がひとたび世に出れば、邪教の徒は息をひそめ、冷ややかな胆の者も術を施す余地がなくなる。その功はまた大きいではないか」。
予、このごろ何くれのわざしげくて、いまだ兎園の料を得ざりき。ここにおいて、かつて『庫裏法』を鈔し蔵めたりしを写し出でつ。徂徠翁の『畸人十篇』に題していふ、「遂に一通を写さしめ、もつて犀を燃やして怪を照らすの具となす」と。予がこの書においてもまたいへり。
私はこのごろ何やかやの仕事が忙しく、まだ兎園会に出す材料を得ていなかった。そこで以前『庫裏法』を書き写して蔵っておいたものを写して出す。徂徠翁が『畸人十篇』に題して「ついに一通を写させ、犀の角を燃やして怪物を照らす道具とした」と言った。私のこの書についても同じことが言える。
教主を善兵衛といふ。元来行徳村の者にて、幼少より伝馬町中野屋と申す鼈甲細工致す者の方に奉公せしが、身持ちあしくてかの家を追ひ出され、芝居役者の声まねを申して歯磨など商ひたり。その後この宗をひろむ〔按ずるに『二樵閑話』にいふ、善兵衛、法名は善生、一人なり。ほかに源右衛門とて神田にあり。これを神田方といへり〕。伝来も四代までは姓名覚えたれど、それ以前は名を知らずといふ。もつともみな俗形にて、僧にはこれなきよし。
教主を善兵衛という。もともと行徳村の者で、幼いころから伝馬町の中野屋というべっ甲細工師のところに奉公していたが、身持ちが悪くてその家を追い出され、芝居役者の声まねをして歯磨きなどを売っていた。その後この宗派を広めた〔考えるに『二樵閑話』には、善兵衛の法名は善生で一人だけ、ほかに源右衛門という者が神田にいて神田方と呼ぶ、とある〕。伝来も四代前までは姓名を覚えているが、それ以前は名を知らないという。もっとも皆が俗人の姿で、僧はいないという。
勧め方の次第は、江戸田舎ともに右信仰の者どもの内にて、たとへば親族にても他人にても、「この者を勧め込み申すべし」と心付き候へば、事のついでに世話人へ話し、世話人承り、その勧めんと申す者の行状または宗旨、そのほか気質までとくと承り、誤りもあるまじく思ひ候へば勧めさせ申し候へども、至りて大事に、不調法これなきやう申し含め候。
勧誘の手順は、江戸でも田舎でも、信仰している者たちの内で、たとえば親族でも他人でも「この者を引き込めそうだ」と気づくと、ついでの折に世話人へ話す。世話人はそれを聞き、勧誘しようという相手の行状や宗旨、そのほか気質までよく聞き取り、間違いがなさそうだと思えば勧誘させるが、たいへん慎重に、手抜かりのないよう言い含める。
それより昼夜怠らず付きまとひ、何につけても深切に実情を尽くし、神道信仰の人には六根清浄の祓など神秘がましき事をほのめかせ、儒学など聞きかじりし者へは、「顔子が楽しむところは何事ぞ」など申し、その者の心を引き動かし、また人の貴賤を選ばず、賤しき者のことに貴く存じ候わけは、我々がやうなる下賤の者を「御同行よ、行者衆よ」と歴々の人と同じく致し候事、まことに利を貪るためにもなく、外聞を思ふにてもなし。「ただこの報恩には金銭は力に及ばず」など、人を勧むべき手だてをめぐらし教訓し、
それから昼も夜も怠らず付きまとい、何につけても親身に真心を尽くし、神道を信仰する人には六根清浄の祓など神秘めいたことをほのめかし、儒学を聞きかじった者には「顔回の楽しみは何であったか」などと言って、その人の心を動かす。また人の貴賤を選ばず、身分の低い者をことさら貴く扱うわけは、「我々のような下賤の者を『御同行よ、行者衆よ』と身分のある人と同じに扱ってくれるのは、まったく利益を貪るためでも、体裁を思ってでもない。この恩に報いるには金銭では力が及ばない」などと、人を勧誘する手だてをめぐらして教え込む。
または仏法者なれば、「人々は仏法信仰し給へども、いまだよき智識に逢ひ給はぬゆゑ、誠の事を聞き給はず。残り多きことなり」など申し候ゆゑ、「さては道徳勝れし出家などに近付きて、人知れず貴き教などを聴聞致すもの」と存じ、「何とぞかかる智識あらば、我も近寄りて法談にても聴聞したき」と思ふ心出で来、密かに承り候へば、始めはわざと隠すやうにもてなし、「なるほど尊き師のおはしまし候。さて引き合はせ呉れ候」やうに慎み候へば、何かにつけ日を延ばし、これかれこの同行へ知る人に致し候て法義物語りし、「誠の道を求むるには志浅くては至りがたく、不惜身命の心にて求め候はば、終には志願成就の時もこれあるべき間、ただ心にたゆみなく手足を運び、家にありても専念し、我が信ずる仏菩薩にも、誠の智識にあはせ給へと一心に念じ給へ」など申し聞こえ候まま、理に至極して、教への通り怠りなく念ずる内に、「何とぞ片時もはやく智識の人に逢ひ申したし」と切に頼み、余儀なきときは、「京に至りて、信心の同行の招きにて上京し給ふ」の、あるいは「みちのく」、または「そこの田舎」などと申し延ばして、「待ち遠くおぼすべし。智識に逢ひ給ふまでにありしが、法談を先づ聞かせ申すべし」とて、高弟の弁舌ある者にいはせ候。これを「下催促」と名付け候なり。ただ求むる心のたゆまぬやうにとのみ心励ませ引き立て候。これ深き謀なり。
また仏教を信じる者には「皆さんは仏法を信仰なさっているが、まだよい智識に出会っていないので、本当のことを聞いておられない。残念なことだ」などと言う。相手は「では徳の高い出家などに近づいて、人知れず貴い教えを聴聞しているのか。どうかそんな智識がいるなら、自分も近づいて法話でも聴聞したい」と思うようになり、ひそかに尋ねると、初めはわざと隠すふりをして、「なるほど尊い師がおられる。引き合わせてあげよう」と気を持たせ、何かにつけて日延べし、あれこれとこの同行の知り合いにして法義を語る。「誠の道を求めるには志が浅くては至りがたい。命を惜しまぬ心で求めれば、ついには願いがかなうときもあるだろうから、ただ心をたゆませず足を運び、家にあっても一心に念じ、自分の信じる仏や菩薩にも『誠の智識に会わせてください』と念じなさい」などと言い聞かせる。相手は納得して、教えの通り怠りなく念じるうちに「どうか一刻も早く智識に会いたい」と切に頼む。断りきれなくなると「京へ行った」「信心の同行の招きで上京された」あるいは「みちのくへ」「どこそこの田舎へ」などと言って引き延ばし、「待ち遠しいでしょう。智識にお会いになるまでの間、まず法話を聞かせましょう」と言って、高弟の弁舌のある者に話させる。これを「下催促」と名づける。ただ求める心がたゆまないようにとだけ励まし、引き立てる。これは深い策略である。
「近い内に智識江戸へ渡り給へば案内申すべし」とて、その日になればかの引き立ての同行伴ひて、同行の内とおぼしく人あまた集ひたる処に行きぬ。一間に壇敷きて経机など置きたるは、智識のおはする設けなりと見ゆ。およそ三四十人も集まり寄り、こぞり居る体あやしくめづらかなり。辰の刻ばかりに「智識来たり給ふ」などひそかにいひあへり。かの設けの座につくを見れば若き男なり。「こはいかなることにか」と思ふに、「いづれいづれ、このほど同行衆のおのおの言ひ通じて、仏法のこと切に求めおはする由を承りて、奇特に思ひ侍り。とく会ひ来たるべきを、障ることありて遅なはり侍る」よしなど、ねんごろにいふことの体なめげならず、うやうやし。これ善兵衛なり。
「近いうちに智識が江戸へ来られたら案内する」と言い、その日になると、引き立て役の同行が付き添って、同行と思われる人が大勢集まっている所へ行く。一間に壇を敷き、経机などを置いてあるのは、智識がおられる席の設えと見える。およそ三、四十人も集まってそろって座っている様子は、怪しく珍しい。辰の刻ごろ「智識がお着きになる」などとひそかに言い交わす。その設えの座に着くのを見ると若い男である。「これはどうしたことか」と思っていると、「皆さん、このほど同行衆のそれぞれから、仏法のことを切に求めておられると聞いて、感心に思いました。早くお会いすべきところ、差し支えがあって遅くなりました」などと、ねんごろに言う態度は無礼でなく、うやうやしい。これが善兵衛である。
さていふやう、「仏法の一大事は法衣まとひし老僧の申し侍るべきを、在俗の年若き者のまみえ奉れば、あやしく思し召すべし。これには段々わけのあることなり。まづ蓮如上人の御歌」とて、「説く人の姿を見るな聞く人の理り聞きて身の徳とせよ」と申す歌を語り、八宗九宗の大意、神儒の極意などこそ申し聞かせ候。愚昧の者は「至極の法門」と驚き入り候。「今の一向宗とは我慢愚痴にして自力をこととす。我が伝ふるところは蓮如上人より江州金が森の道西へ伝へ、嫡々相承して某に至れり。御文八十一通あり。その内肝要なるを読むべし」とて、「月の御文」を読む。坊主を戒めの御文なれば、さきの詞に引き合はせて京都様をも譏り奉る趣き明らかなり。
さて言うには、「仏法の一大事は法衣をまとった老僧が申すべきところを、在俗の年若い者が対面するので不審に思われるでしょう。これには段々とわけがあるのです。まず蓮如上人の御歌」と言って、「説く人の姿を見るな聞く人の理り聞きて身の徳とせよ」という歌を語り、八宗九宗の大意、神道と儒教の極意などを説いて聞かせる。愚かな者は「この上ない法門だ」と驚き入る。「今の一向宗は我慢と愚痴にとらわれ、自力を頼みにしている。私が伝えるところは、蓮如上人から近江の金森の道西へ伝わり、嫡々と受け継いで私に至った。御文が八十一通ある。そのうち肝要なものを読もう」と言って「月の御文」を読む。坊主を戒める御文なので、さきの言葉に引き合わせて本願寺を謗る趣旨が明らかである。
また異なるかたにて座を設くるもきのふのごとし。はやきのふ説き勧められて涙にくれ給ひたるゆゑ、けふは涙の落つることはやし。辰の刻より午の刻の頃までに法談畢れば、男女残りなく啼き叫ぶほかに、かかるためしあるべしやと思へり。それより扇を持ち、地を打ちて、「虎と見て石に立つ矢もあるものを」といふ歌をいひ、「『命を捨つる程に』といひしは、いまだ御志の知れ侍らざればなり。誠は命生きて帰らせ給ふことは難きなり。命なくなり給ふなれば、ゆめゆめ悔い給ふべからず。父子兄弟、金銀、何にても思ひ給ふことあらばとて帰り給へり」と強くいひ、誓言を立てさす。これを「懺悔」といへり。
また別の家で座を設けるのも昨日と同じである。すでに昨日説き勧められて涙にくれているので、今日は涙が落ちるのが早い。辰の刻から午の刻ごろまで法話が終わると、男も女も残らず泣き叫ぶほかに、こんな例があるだろうかと思うほどである。それから扇を持って地面を打ち、「虎と見て石に立つ矢もあるものを」という歌を唱え、「『命を捨てるほどに』と言ったのは、まだあなたの志が分からなかったからだ。実は、命が助かって帰れることは難しい。命がなくなっても、決して悔いてはならない。父子兄弟や金銀など、何か思い残すことがあるなら帰りなさい」と強く言って、誓いを立てさせる。これを「懺悔」と呼ぶ。
それより「五重の消息」を読み聞かせ、はや法談は止め、智識の前へひとりひとり出でて、手を組み合はせて鳩尾の下をしつかりと押さへ、目をふさぎ、さていひ聞かするは、「『南無』といふは『たすけ給ひ』といふ詞なり。これをいく度もいく度も唱へ給へ。さてその程に如来の便り、信心治定せしめ給ふゆゑ、阿弥陀仏のおのが身へ宿り給ふなり。これ『南無』と頼む機と、阿弥陀仏の法と、機法一体にて、南無阿弥陀仏全く備はり給ふなり。世に『南無阿弥陀仏』とばかり唱ふるは笑ふべきこと」など、理りこまやかにいひ聞かせ、さて広き座敷に幾人も幾人も手を組み目をふさぎ、「たすけ給へ」といひて居るに、後ろを屏風にて囲ひ、かくする程に志の強きは唱ふる声も力を入れて見ゆるを、「世話」といふ者後ろの方より両脇へ手を入れ、抱きて蔵へ連れ行くなり。
それから「五重の消息」を読み聞かせ、もう法話はやめて、智識の前へひとりひとり出て、手を組み合わせて鳩尾の下をしっかり押さえ、目を閉じさせる。そして言い聞かせるには、「『南無』というのは『たすけ給え』という言葉だ。これを何度も何度も唱えなさい。そのうちに如来の便りがあって信心が定まるので、阿弥陀仏が自分の身に宿る。これは『南無』と頼む機と阿弥陀仏の法とが一体になって、南無阿弥陀仏がすっかり備わることだ。世間で『南無阿弥陀仏』とだけ唱えるのは笑うべきことだ」などと、理屈をこまやかに言い聞かせる。そして広い座敷で何人も何人も手を組み目を閉じて「たすけ給え」と言っているところを、後ろを屏風で囲い、こうするうちに志の強い者は唱える声にも力が入って見えるので、「世話」という者が後ろから両脇に手を入れ、抱えて蔵へ連れて行く。
蔵の内に仏壇ありて、前に灯明、線香、樒の花を備へたり。右の方に善兵衛、冬にても単物に裾細をはき、左に行悦、また稲葉屋などいふ宗徒居れり。縁取りたる敷物の上に抱へ来たれば、行者に善兵衛向かひ、「目を開き給へ」といふ。始めて見れば思ひもかけぬ座に直り居て、異様なる者どもあまた居るゆゑ、誰も誰も驚く。かくて善兵衛いふやう、「尊像阿弥陀仏に向かひて前のごとく目を閉ぢ、人の詞につき、『たすけ給へ、たすけ給へ』と唱ふべし。いか程苦しきことありとも退く心あるべからず」といひ教へて、数多の人かはりがはり「たすけ給へ、たすけ給へ」と唱ふ。その声に付きて唱ふるに、始めは低く、次第次第に高く唱ふる程に、助音する者は大勢にて唱ふる者は一人なれば、苦しさいはんかたなし。
蔵の中には仏壇があり、前に灯明、線香、樒の花が供えてある。右側に善兵衛が、冬でも単衣に裾細の袴をはいて座り、左側に行悦や稲葉屋などという信徒が座っている。縁取りした敷物の上に抱えて来ると、行者に善兵衛が向かい、「目を開きなさい」と言う。初めて見ると、思いもかけぬ席に座らされ、異様な者たちが大勢いるので、誰もが驚く。そして善兵衛が「尊像の阿弥陀仏に向かって、さきほどのように目を閉じ、人の言葉について『たすけ給え、たすけ給え』と唱えなさい。どれほど苦しいことがあっても退く心を持ってはならない」と教え、大勢の人が代わる代わる「たすけ給え、たすけ給え」と唱える。その声について唱えるが、初めは低く、次第に高く唱えるうちに、助けて唱える者は大勢で、唱える本人は一人なので、苦しさは言いようがない。
また信ずる者は少しもためらはず、「はやく死なばや」その心にてたゆまねば、やがて面も変はり、さながら死せる者のごとし。女などは髪面にかかり叫ぶさま、信なくて見つれば浅ましき事いはんかたなし。かの行者をとらへ、引き仰のけ、耳に口をあてて「助けたり」といふ。その時の声始めて耳に入り、「はや往生の業成就したり」と思ふにや、「はつ」といふ声を揚げて啼き出だす。傍らなる智識も「よくしたり」とて悦びあへり。かくて人伴ひて蔵を出で、静かなる所に臥さしめ介抱す。さて人々語りあふは、「今までは訪ひ申すべきも禁じめなれば余所にのみ見侍りしが、はやそのかた様の人となりし」とて物語りす。近きあたりの人は酒酌みなどせり。
また信じる者は少しもためらわず「早く死にたい」その一心でたゆまないので、やがて顔つきも変わり、まるで死んだ者のようになる。女などは髪が顔にかかって叫ぶさまは、信仰なしに見れば浅ましいこと言いようがない。その行者をつかまえて仰向けに引き倒し、耳に口をあてて「助けたぞ」と言う。そのときの声が初めて耳に入り、「もう往生の業が成就した」と思うのだろうか、「はっ」という声をあげて泣き出す。傍らの智識も「よくやった」と喜び合う。こうして人が付き添って蔵を出て、静かな所に寝かせて介抱する。そして人々が語り合うには、「今までは訪ねることも禁じられていたので遠くから見るだけだったが、もうこちら側の人になった」と言って物語る。近所の人は酒を酌み交わしたりする。
すべてこれを「終の日」と定め、七々の法事、一周忌、三回より常に異なることなし。「それより後は強ひてまみゆることもなく、布施など送る煩ひもなし。一紙半銭にても人より取り給ふ智識にあらず」などいへど、大きなる偽りにて、参詣の者「施物、香奠を奉りたき」由かの引き立てどのにいへば、「とく厭ひ給ふを、まのあたり奉り給はんはいかがなり。さりながら志のほど切に思ひ給はば、我らがするごとくし給へ。仏間の内に小さき穴あり。これへ志のほど落とし入れて帰り給へ。さらば御手へ届く事もあるべし。よしやそのまま空しくなればとて、そこの志は仏こそ知り給ふらめ。志あつく人々にあるじせられし報いをせざらんは、犬猫にも劣れりと思ふは人情の常」などいひて、衣類、米麦等寄附するは寺院に異なることなし。その術中に入りぬる人はいかで理をわきまへ知らんや。実に浅ましき、悲しむべき事この事に止まれり。
すべてこれを「終の日」と定め、四十九日の法事や一周忌、三回忌まで、普通と変わらない。「これから後は無理に会うこともなく、布施などを送る煩わしさもない。一枚の紙、半文の銭でも人から取る智識ではない」などと言うが、大きな偽りである。参詣の者が「施物や香典を差し上げたい」と引き立て役に言うと、「固くお断りになるのに、面と向かって差し上げるのはどうか。しかし志を切に思うなら、我々がするようにしなさい。仏間の中に小さな穴がある。ここへ志のほどを落とし入れて帰りなさい。そうすればお手元に届くこともあるだろう。たとえそのまま無駄になっても、あなたの志は仏がご存じだろう。志があつく人々に世話になった恩に報いないのは犬猫にも劣ると思うのが人情の常だ」などと言って、衣類や米麦などを寄付するのは寺院と変わらない。その術中に落ちた人は、どうして道理をわきまえられようか。実に浅ましく悲しむべきことは、この事に極まる。
文政乙酉孟冬朔 山崎美成識
文政乙酉十月一日 山崎美成 識
この御庫門徒は、はじめ延宝、天和のころ盛んなりしが、露顕してその徒は流刑せられたり。多賀潮古が八丈島へ流されしもこの故なりとぞ。かくて明和中また盛んになりしを、ある人〔天明中、狂歌をもてその名聞こえたる町人なりとぞ。憚りてここに記さず〕訴訟申ししかば、やがて罪なはせ給ひてより絶えにたるはいとめでたし。近ごろまた富士講といふものあり。寛政中停止せられしが今もなほあり。さればこの富士講の行者は御廓内はさらなり、御門々々を過ぐることを許されずとぞ。
この御庫門徒は、初め延宝、天和のころに盛んだったが、露見してその徒は流刑になった。多賀朝湖が八丈島へ流されたのもこのためだという。こうして明和のころにまた盛んになったのを、ある人〔天明のころ狂歌でその名を知られた町人だという。憚ってここには記さない〕が訴え出たので、ほどなく処罰されてから絶えたのは、まことにめでたい。近ごろまた富士講というものがある。寛政のころに停止されたが今もなおある。そのためこの富士講の行者は、江戸城の郭内はもちろん、諸門を通ることを許されないという。
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兎園小説第十集 庫法門
往昔世に庫法門〔俗に御庫門徒と云〕とてあやしき宗旨ありしが、ある人その宗をいとあやしみて、彼法に入り、委くその勸むるてだてを試み、いよいよ直ならぬ敎なりければ、官府へ訴訟し奉りしかば、やがてこれをいましめおきてさせ給へり。其訴へ申せし人の、其宗門の勸むるさまを詳に記し、庫裏法と題せし册子あり〔又二樵閑話とてかの庫法門のことを記したる、此二書にて彼宗はつまびらかにしらるべし〕。其序に云、
自古邪說惑人多矣。而庫裏法之行也、亡慮百年焉。人間無一人知之、則其險怪祕藏者可知也。此書一出、邪徒屛息、冷謄無所施其術。其功不亦偉乎。といへり。
予このごろ何くれのわざしげくて、いまだ兎園の料を得ざりき。こゝに於て嘗て庫裏法を鈔し藏めたりしを寫しいでつ。徂徠翁の畸人十篇に題して云、遂俾寫一通以爲燃犀照怪之具云と。予が此書においても亦いへり。
敎主を善兵衞といふ。元來行德村の者にて、幼少より傳馬町中野屋と申す鼈甲細工致すものゝ方に奉公せしが、身持あしくて彼家を追出され、芝居役者の聲まねを申して齒磨など商ひたり。其後此宗をひろむ〔按に二樵閑話に云、善兵衞法名は善生、一人なり。外に源右衞門とて神田に在り。これを神田方といへり〕。傳來も四代迄は姓名覺えたれど、其以前は名をしらずと云。尤みな俗形にて僧には無之よし。
勸め方の次第は、江戶田舍ともに右信仰のものどもの内にて、譬ば親族にても他人にても、此ものを勸め込可申と心付候へば、事の序に世話人へはなし、世話人承り、其勸めんと申者の行狀又は宗旨その外氣質までとくと承り、誤もあるまじく思ひ候へば勸めさせ申候へども、至りて大事に不調法無之樣申含候。
夫より晝夜不懈附まとひ、何につけても深切に實情を盡し、神道信仰の人には六根淸淨の祓など神祕がましき事をほのめかせ、儒學など聞きはつりしものへは、顏子が所樂は何事ぞなど申、そのものゝ心を引動し、又人の貴賤を擇まず、賤者のことに貴く存候譯は、我々が樣なる下賤のものを御同行よ行者衆よと歷々の人と同じく致候事、誠に利を貪る爲にもなく、外聞をおもふにてもなし。只此報恩には金錢は力に及ばずなど、人を勸むべき手だてをめぐらし敎訓し、
又は佛法者なれば、人々は佛法信仰し給へども、いまだよき智識に逢ひ給はぬゆゑ誠の事を聞き給はず、殘り多きことなりなど申し候故、扨は道德勝れし出家などに近付きて、人しれず貴き敎などを聽聞致すものと存じ、何卒かゝる智識あらば我も近よりて法談にても聽聞したきと思ふこゝろ出來、密に承り候へば、始はわざと隱す樣にもてなし、成程尊き師のおはしまし候、扨引き合せ吳候樣に愼み候へば、何かに付き日を延し、爰彼この同行へしる人に致候て法義物語りし、誠の道を求むるには志淺くては至りがたく、不惜身命の心にて求め候はゞ、終には志願成就の時も可有之間、只心にたゆみなく手足をはこび、家にありても專念し、我信ずる佛菩薩にも誠の智識にあはせ給へと一心に念じ給へなど申し聞え候まゝ、理に至極して敎の通り怠りなく念ずる内に、何卒片時もはやく智識の人に逢ひ申し度とせちに賴み、無餘儀ときは、京に至りて信心の同行の招にて上京し給ふの、或はみちのく、又はそこの田舍などと申し延して、待遠くおぼすべし、智識に逢ひ給ふまでにありしが、法談を先聞せ申すべしとて、高弟の辯舌あるものにいはせ候。是を下催促と名付候なり。只求むる心のたゆまぬ樣にとのみ心はげませ引立候。是深き謀なり。
近内智識江戶へ渡り給へば案内申すべしとて、その日になれば彼引立の同行伴ひて、同行の内とおぼしく人あまたつどひたる處にゆきぬ。一間に檀しきて經机など置きたるは、智識のおはするまうけなりと見ゆ。凡三四十人も集りより、こぞり居る體あやしくめづらかなり。辰の刻ばかりに智識來り給ふなどひそかにいひあへり。かのまうけの座につくを見れば若き男なり。こはいかなることにかと思ふに、いづれいづれ此程同行衆の各いひ通じて、佛法のことせちに求めおはする由をうけ給はりて、奇特に思ひ侍り。とくあひ來るべきを、さはることありて遲なはり侍るよしなど、ねんごろに云ふことの體なめげならず、うやうやし。是善兵衞なり。
扨ていふやう、佛法の一大事は法衣まとひし老僧の申し侍るべきを、在俗の年若き者のまみえ奉れば、あやしく思召べし。是には段々譯のあることなり。先蓮如上人の御歌とて、說く人の姿を見るな聞く人の理り聞きて身の德とせよ、と申す歌をかたり、八宗九宗の大意、神儒の極意などこそ申し聞せ候。愚昧のものは至極の法門と驚き入り候。今の一向宗とは我慢愚癡にして自力をことゝす。我傳ふる處は蓮如上人より江州金が森の道西へ傳へ、嫡々相承して某に至れり。御文八十一通あり。其内肝要なるをよむべしとて、月の御文を讀む。坊主を戒めの御文なれば、さきの詞に引き合せて京都樣をも譏り奉る趣き明らかなり。
又異かたにて座を設くるもきのふの如し。はやきのふ說き勸められて淚にくれ給ひたる故、けふは淚の落つることはやし。辰の刻より午の刻の頃までに法談畢れば、男女殘りなく啼きさけぶ外に、かゝるためしあるべしやと思へり。夫より扇を持、地をうちて、虎と見て石に立つ矢もあるものをといふ歌をいひ、命を捨つる程にといひしは、いまだ御志のしれ侍らざればなり。誠は命生きて歸らせ給ふことは難きなり。命なくなり給ふなれば、ゆめゆめくい給ふべからず。父子兄弟金銀何にても思ひ給ふことあらばとて歸り給へりと强くいひ、誓言を立てさす。是を懺悔といへり。
夫より五重の消息をよみ聞せ、はや法談は止め、智識の前へひとりひとり出でゝ、手を組み合せて鳩尾の下をしつかりとおさへ、目をふさぎ、扨いひ聞するは、南無といふはたすけ給ひといふ詞なり。是をいく度もいく度も唱へ給へ。扨その程に如來のたより信心治定せしめ給ふ故、あみだ佛のおのが身へ宿り給ふなり。是南無と賴む機と阿彌陀佛の法と機法一體にて、南無あみだ佛全く備り給ふなり。世に南無あみだ佛とばかり唱ふるは笑ふべきことなど、理りこまやかにいひきかせ、扨廣き座敷に幾人も幾人も手をくみ目をふさぎ、たすけ給へといひて居るに、後を屛風にてかこひ、斯する程に志の强きは唱ふる聲も力を入れて見ゆるを、世話といふもの後の方より兩脇へ手を入れ、抱きて藏へつれ行くなり。
藏の内に佛壇ありて、前に燈明線香樒の花を備へたり。右の方に善兵衞、冬にても單物にすそほそをはき、左に行悅又稻葉屋などいふ宗徒居れり。緣とりたる敷ものゝ上に抱へ來れば、行者に善兵衞向ひ、目を開き給へといふ。始めて見れば思ひもかけぬ座に直り居て、ことやうなるものどもあまた居るゆゑ、たれもたれも驚く。かくて善兵衞いふ樣、尊像あみだ佛に向ひて前のごとく目を閉ぢ、人の詞につきたすけ給へたすけ給へと唱ふべし。いか程くるしきことありとも退く心あるべからずと云ひ敎へて、數多の人かはりがはりたすけ給へたすけ給へと唱ふ。その聲に付て唱ふるに、始はひきく、次第次第に高く唱ふる程に、助音するものは大勢にて唱ふるものは一人なれば、苦しさいはんかたなし。
又信ずるものは少しもためらはず、はやく死ばやその心にてたゆまねば、やがて面もかはり、さながら死せるものゝ如し。女などは髮面にかゝりさけぶさま、信なくて見つれば淺ましき事いはんかたなし。かの行者をとらへ、引あふのけ、耳に口をあてゝ助けたりといふ。その時の聲始めて耳に入り、はや往生の業成就したりと思ふにや、はつといふ聲を揚げて啼き出だす。傍なる智識もよくしたりとて悅びあへり。かくて人伴ひて藏を出、靜なる所に臥さしめ介抱す。扨人々かたりあふは、今までは訪ひ申すべきも禁じめなれば餘所にのみ見侍りしが、はやそのかた樣の人となりしとてものがたりす。近きあたりの人は酒くみなどせり。
すべてこれを終の日と定め、七々の法事一周忌三囘よりつねに異なることなし。夫より後は强ひてまみゆることもなく、布施などおくる煩ひもなし。一紙半錢にても人よりとり給ふ智識にあらずなどいへど、大きなる僞りにて、參詣の者施物香奠を奉り度由かの引立どのにいへば、とく厭ひ給ふを、まのあたり奉り給はんはいかゞなり。去ながら志のほどせちに思ひ給はゞ、我等がするごとくし給へ。佛間の内に小き穴あり。是へ志のほど落し入れて歸り給へ。さらば御手へ屆く事もあるべし。よしやそのまゝむなしくなればとて、そこの志は佛こそ知り給ふらめ。志あつく人々にあるじせられしむくいをせざらんは、犬猫にもおとれりと思ふは人情のつねなどいひて、衣類米麥等寄附するは寺院に異なることなし。その術中に入りぬる人はいかで理をわきまへ知らんや。實に淺ましき、かなしむべき事此ことに止れり。
文政乙酉孟冬朔 山﨑美成識
このおくら門徒は、はじめ延寶天和のころ盛なりしが、露顯してその徒は流刑せられたり。多賀潮古が八丈嶋へながされしもこの故なりとぞ。かくて明和中また盛になりしを、ある人〔天明中狂歌をもてその名聞えたる町人なりとぞ。憚りてこゝに記さず〕訴訟まうしゝかば、やがて罪なはせ給ひてより絕えにたるはいとめでたし。近ごろ又富士講といふものあり。寬政中停止せられしが今もなほあり。されば此富士講の行者は御廓内はさらなり、御門々々を過ぐることをゆるされずとぞ。
注
- 写本の位置
- 写本は3171の35カット目左ページから41カット目右ページまで。35カット目左ページの冒頭に「兎園小説第十集」の巻頭書きがあり、その下に題「庫法門」が続く。41カット目右ページの署名のあとに一字下げの追記がある。
- 注記
- 第十集の目録は34カット目左ページと35カット目右ページにあり、題は「庫法門」、披講者は好問堂。目録の末尾に「右乙酉冬十月朔於輪池堂集會各〻披講了」とある。
- 校合
- 「其訴へ申せし人の」は写本の読み。活字本系テキストは「申しゝ人の」とする。原寸で確かめた。
- 校合
- 序文の「則其險怪祕藏者可知也」は写本の読み。活字本系テキストは「險」を欠く。原寸で確かめた。「邪徒」も写本の字で、活字本系は「耶徒」。
- 校合
- 「彼家を追出され」は写本の読み。活字本系テキストは「彼宗を追ひ出だされ」とする。奉公先を追われた文脈なので写本を採った。
- 校合
- 「冬にても單物に」は写本の読み。活字本系テキストは「單衣に」とする。
- 校合
- 「父子兄弟金銀」は写本の読み。活字本系テキストは「父に兄弟、金銀」とする。
- 校合
- 「佛間の内に小き穴あり」は写本の読み。活字本系テキストは「佛間の中に」とする。
- 校合
- 追記の「その徒は流刑せられたり」は写本の読み。活字本系テキストは「その繼は流刑せられたり」とする。
- 判読保留
- 序文の「冷謄」は写本の字形が「謄」とも「膽」とも見え、判読保留。活字本系に従い「謄」とした。「衣類米麥等寄附」の「等」も字形が崩れて判読保留。
- 注記
- 「多賀潮古」は写本の表記のまま。画家の英一蝶が剃髪後に名乗った「多賀朝湖」を指すと解した。一蝶が流されたのは三宅島で、写本の八丈島とは違う。
- 注記
- 「二樵閑話」は江戸中期の随筆。「畸人十篇」は荻生徂徠が題した書。「金が森の道西」は近江金森の門徒道西。「御文」は蓮如の消息。「京都樣」は本願寺を指すと解した。「五重の消息」は未確認。
- 校合
- 行者を土蔵へ運ぶ場面は活字本系テキストでは会話ごとに改行するが、写本は連続する。読みやすい本文の鉤括弧は雲亭が補った。
- 注記
- 写本の改行は乏しいので、段落は内容の切れ目で雲亭が分けた。
AI試訳 / 専門家未校閲