立石村の立石
畑の邪魔な石を掘っても根が見えず、埋めても翌日には元のとおり地上に現れる。
本文 現代語訳
立石村の立石
立石村の立石
下総国葛飾郡立石村〔亀有村の近村なり〕の元名主新右衛門が畑の中に、むかしより高さ一尺ばかりの丸き石一つあり。近きころ〔年月未詳〕当時のあるじ新右衛門思ふやう、「さまで根入りもあるべくも見えず。この石なければ耕作に便りよし。掘り出しのぞきなん」とて、掘れども掘れども思ひのほかに根入り深くて、その根を見ず。とかくして日も暮れければ、「翌また掘るべし」とて、その日は止みぬ。翌日行きて見れば、掘りしほど石ははるかに引き入りて、一尺ばかり出でてあり。「こは幸ひのことぞ」とて、そがまま埋みて帰りぬ。またその次の日行きて見れば、石はおのれと抜け出でて、地上にあらはるること元のごとし。ここにおいてかつ驚きかつあやしみ、その凡ならざるを知りて、やがて祠を石の上に建て、稲荷としてあがめまつれりといふ〔一説に、石のめぐりにただ垣のみしてあり、祠を建てたるにはあらずとぞ〕。今も「石を見ん」と乞ふ人あれば見するとなん。
下総国葛飾郡立石村〔亀有村の近くの村〕の元名主新右衛門の畑の中に、昔から高さ一尺ほどの丸い石が一つある。近ごろ〔年月は不明〕当代の主人新右衛門が「それほど根が深いようにも見えない。この石がなければ耕作に都合がよい。掘り出して取り除こう」と考えて掘ったが、掘っても掘っても思いのほか根が深く、底が見えない。そうこうするうちに日も暮れたので「明日また掘ろう」と、その日はやめた。翌日行って見ると、掘った分だけ石はずっと引っ込んで、一尺ほど出ているだけだった。「これは幸いだ」と、そのまま埋めて帰った。またその次の日行って見ると、石はひとりでに抜け出して、元のとおり地上に現れていた。そこで驚きかつ怪しみ、ただの石でないと知って、まもなく石の上に祠を建て、稲荷として崇めまつったという〔一説には、石の周りに垣をしただけで、祠を建てたのではないという〕。今も「石を見たい」と頼む人がいれば見せるそうだ。
右、新右衛門は木母寺境内にをる植木屋半右衛門が縁家にて、「詳らかに聞きし」とて半右衛門語りき。思ふにこの村にこの石あるをもて、古来村の名に負はせけん。なほ尋ぬべし。
以上、新右衛門は木母寺の境内にいる植木屋半右衛門の縁者で、「くわしく聞いた」と言って半右衛門が語った。思うに、この村にこの石があるので、昔から村の名にしたのだろう。なお調べるべきである。
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す
立石村の立石
下總國葛飾郡立石村〔龜有村の近村なり〕の元名主新右衞門が畑の中に、むかしより高さ壱尺許の丸き石一つあり。近き比〔年月未詳〕當時のあるじ新右衞門おもふやう、さまで根入りもあるべくも見えず、この石なければ耕作に便りよし、掘出しのぞきなんとて、掘れども掘れども思ひの外に根入深くて、その根を見ず。とかくして日も暮れければ、翌又掘るべしとて、その日は止みぬ。翌日ゆきて見れば、掘りしほど石ははるかに引入りて、壱尺ばかり出てあり。こは幸のことぞとて、そがまゝ埋みて歸りぬ。又その次の日ゆきて見れば、石はおのれと拔け出て、地上にあらはるゝこと元の如し。こゝにおいて且驚き且あやしみ、その凡ならざるをしりて、やがて祠を石の上に建、稻荷としてあがめまつれりといふ〔一說に石のめぐりに只垣のみしてあり、祠を建てたるにはあらずとぞ〕。今も石を見んと乞ふ人あれば見するとなん。
右新右衞門は木母寺境内にをる植木屋半右衞門が緣家にて、詳に聞きしとて半右衞門かたりき。おもふにこの村にこの石あるをもて、古來村の名におはせけん。猶尋ぬべし。
注
- 写本の位置
- 写本は3171の41カット目左ページから42カット目右ページの前半まで。42カット目右ページの中ほどから次の話「掘地得城壘」が始まる。
- 注記
- 目録の題は「立石村の立石」、披講者は海棠庵。本文には署名がない。
- 校合
- 「高さ壱尺許の丸き石」は写本の読み。活字本系テキストは「高き壱尺計の」とする。原寸で確かめた。
- 校合
- 「新右衞門おもふやう」は写本の読み。活字本系テキストは「新右衞門、相はかりて」とする。原寸で確かめた。
- 校合
- 「掘出しのぞきなん」「出てあり」「拔け出て」は写本の表記。活字本系テキストは「掘り出だし」「出でゝあり」「拔け出でて」と送り仮名を補う。
- 注記
- 立石は今の葛飾区立石八丁目の立石児童遊園にあり、葛飾区の史跡。木母寺は隅田川東岸の梅若伝説の寺で、今の墨田区堤通にある。
- 注記
- 「古來村の名におはせけん」の「おはせ」は「負はせ」と解した。
AI試訳 / 専門家未校閲