人の天降りしといふ話
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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第十集 第4話 / 文宝堂 西村寿卜
浅草の夜道に裸の男が空から降りてきた。京の愛宕山で老僧に誘われたと言う。
本文 現代語訳
文化七年庚午の七月二十日の夜、浅草南馬道竹門のほとりへ、天上より二十五六歳の男、下帯もせず赤裸にて降り来たりてたたずみゐたり。町内の若き者、銭湯より帰るさ、これを見ていたく驚き、立ち去らんとせしほどに、かの降りたる男はそのままそこに倒れけり。かくて件のありさまを町役人らに告げ知らせしかば、みな急がはしく来て見るに、その者は死せるがごとし。やがて番屋へ舁き入れて介抱しつつ、くすしを招きて見せけるに、脈は異なることもあらねど、いたく疲れたりと見ゆるに、「しばらく休らはせおくこそよからめ」といへば、みなうちまもりてをるほどに、しばしありて件の男はさめて、かうべを擡げにければ、人みなかたへにうち集ひて、ことのやうを尋ぬるに、答へていはく、「某は京都油小路二条上る町にて、安井御門跡の家来伊藤内膳が忰に安次郎といふ者なり。まづここはいづくぞ」と問ふ。「ここは江戸にて浅草といふ処ぞ」と答ふるに、うち驚きてしきりに涙を流しけり。
文化七年庚午の七月二十日の夜、浅草南馬道の竹門のあたりへ、天から二十五、六歳の男が、下帯もつけず真っ裸で降りてきて、たたずんでいた。町内の若い者が銭湯から帰る途中にこれを見てひどく驚き、立ち去ろうとしたところ、その降りてきた男はそのままそこに倒れた。そこで事の次第を町役人たちに知らせると、みな急いで来て見たが、その者は死んだようになっている。すぐに番屋へかつぎ込んで介抱しながら医者を呼んで診せると、脈は変わりないが、ひどく疲れているように見えるので「しばらく休ませておくのがよかろう」と言う。皆で見守っているうちに、しばらくして男は目を覚まし、頭を持ち上げたので、皆がそばに集まって事情を尋ねると、答えて言うには、「私は京都の油小路二条上る町で、安井御門跡の家来伊藤内膳の倅、安次郎という者です。まず、ここはどこですか」と問う。「ここは江戸で、浅草という所だ」と答えると、驚いてしきりに涙を流した。
かくてなほつぶさに尋ぬるに、「当月十八日の朝四時ころ、嘉右衛門といふ者と同じく、家僕庄兵衛といふ者を具して愛宕山へ参詣しけるに、いたく暑き日なりければ、衣を脱ぎて涼みたり。その時の着る物は、花色染の四つ花菱の紋つけたる帷子に黒き絹の羽織、大小の刀を帯びたりき。しかるにその時一人の老僧わがほとりへ出で来て、『おもしろきもの見せんに、とく来よかし』といはれしかば、随ひゆきぬとおぼえしのみ。その後の事を知らず」といふ。いともあやしき事なれば、その者の履きたる足袋〔白木綿の足袋なり〕をあたり近き足袋商人に見せて、「こは京の足袋なりや」と尋ねしに、「京都の仕入れに違ひなし」といへり。その足袋に少しも泥土のつかでありけるもまたいぶかしきことなりき。「江戸にてはかかる事あれば官府へ訴へ奉るが町法なれば、何と御沙汰あるべきか、その事もはかりがたし。江戸に知音の者などのありもやする」と尋ねしに、「知る人とては絶えてなし。ともかくも掟のまにまにはからひ給はれ」といふにより、町役人ら談合して、身の皮を拵へつかはし、官府へ訴へ申ししかば、当時御吟味の中、浅草溜へ御預けになりしとぞ。その後の事を知らず。いかがなりけんかし。
そこでさらにくわしく尋ねると、「今月十八日の朝四つ時ごろ、嘉右衛門という者と一緒に、家僕の庄兵衛という者を連れて愛宕山へ参詣したところ、ひどく暑い日だったので着物を脱いで涼んでいました。そのときの着物は、花色染めに四つ花菱の紋をつけた帷子に黒い絹の羽織、大小の刀を差していました。すると一人の老僧が私のそばに出てきて、『面白いものを見せるから、早く来なさい』と言われたので、ついて行ったと覚えているだけです。その後のことは知りません」と言う。とても怪しい話なので、その者の履いていた足袋〔白木綿の足袋〕を近所の足袋商人に見せて「これは京の足袋か」と尋ねると、「京都の仕入れに間違いない」と言った。その足袋に少しも泥がついていなかったのもまた不思議なことだった。「江戸ではこういうことがあれば役所へ訴えるのが町の決まりなので、どんな御沙汰になるかは分からない。江戸に知り合いなどはいないか」と尋ねると、「知っている人はまったくいない。ともかく掟のとおりに取り計らってください」と言うので、町役人たちが相談し、身につける着物をこしらえて着せ、役所へ訴え出たところ、当時吟味中のまま浅草溜へお預けになったという。その後のことは分からない。どうなったのだろうか。
文政乙酉冬十月朔 文宝堂しるす
文政乙酉冬十月一日 文宝堂 記す
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す
人のあまくだりしといふ話
文化七年庚午の七月廿日の夜、淺草南馬道竹門のほとりへ、天上より廿五六歲の男、下帶もせず赤裸にて降り來りてたゝずみゐたり。町内のわかきもの錢湯よりかへるさ、これを見ていたく驚き、立去らんとせし程に、かの降りたる男は其まゝそこに倒れけり。かくて件のありさまを町役人等に告しらせしかば、みないそがはしく來て見るに、そのものは死せるがごとし。やがて番屋へ舁入れて介抱しつゝ、くすしをまねきて見せけるに、脉は異なることもあらねど、いたくつかれたりと見ゆるに、しばらくやすらはせおくこそよからめといへば、みなうちまもりてをる程に、しばしありて件の男はさめて、かうべを擡げにければ、人みなかたへにうちつどひて、ことのやうを尋ぬるに、答へていはく、某は京都油小路二條上る町にて、安井御門跡の家來伊藤内膳が忰に安次郞といふものなり。先こゝはいづくぞと問ふ。こゝは江戶にて淺草といふ處ぞと答ふるに、うち驚きて頗りに淚を流しけり。
かくてなほつぶさに尋ぬるに、當月十八日の朝四時比、嘉右衞門といふものと同じく、家僕庄兵衞といふものをぐして愛宕山へ參詣しけるに、いたく暑き日なりければ、きぬを脫ぎて凉みたり。その時のきるものは、花色染の四ツ花菱の紋つけたる帷子に黑き絹の羽織、大小の刀を帶びたりき。しかるにその時一人の老僧わがほとりへいで來て、おもしろきもの見せんに、とく來よかしといはれしかば、隨ひゆきぬとおぼえしのみ。其後の事をしらずといふ。いともあやしき事なれば、そのものゝはきたる足袋〔白木綿の足袋なり〕をあたり近き足袋あき人に見せて、こは京の足袋なりやとたづねしに、京都の仕入にたがひなしといへり。その足袋にすこしも泥土のつかでありけるも亦いぶかしきことなりき。江戶にてはかゝる事あれば官府へ訴へ奉るが町法なれば、何と御沙汰あるべきか、その事もはかりがたし。江戶に知音のものなどのありもやするとたづねしに、しる人とては絕えてなし。ともかくも掟のまにまにはからひ給はれといふにより、町役人等談合して、身の皮を拵へつかはし、官府へ訴へまうしゝかば、當時御吟味の中、淺草溜へ御預けになりしとぞ。其後の事をしらず。いかゞなりけんかし。
文政乙酉冬十月朔 文寶堂しるす
注
- 写本の位置
- 写本は3171の46カット目左ページから47カット目左ページまで。47カット目左ページの末尾に「文寶堂しるす」の署名があり、次の48カット目右ページは白紙で、左ページから「小春兎園小説第十集」の見出しで素馨花が始まる。
- 注記
- 目録の題は「人の天降りしといふ話」、本文の題は「人のあまくだりしといふ話」。披講者は文宝堂。
- 校合
- 「其まゝそこに倒れけり」は写本の読み。活字本系テキストは「そこへ倒れけり」とする。
- 校合
- 「先こゝはいづくぞと問ふ」は写本の読み。活字本系テキストは「と思ふ」とする。安次郎が問い、町の人が答える流れなので写本を採った。原寸で確かめた。
- 校合
- 「朝四時比」は写本の表記。活字本系テキストは「朝四つ時比」とする。
- 校合
- 「足袋あき人に見せて」「たづねしに」は写本の読み。活字本系テキストは「足袋あき人等に見せて」「たづねよ」とする。
- 注記
- 南馬道は浅草寺の東側、今の台東区浅草二丁目あたり。安井御門跡は京都の安井門跡蓮華光院。浅草溜は無宿や病囚を収容した施設で、今の台東区浅草七丁目あたりにあった。
- 注記
- 「身の皮を拵へ」は着物を用意して着せたことと解した。
AI試訳 / 専門家未校閲