濃州の仙女
美濃の山中に朝倉の遺臣の娘が二百六十年生き続けているという、尾張の儒者の手紙。
本文 現代語訳
濃州仙女 輪池
美濃の仙女 輪池
今年は雨多にて、濃州も前月十四日夜水災、長良川ことに溢決いたし、尾州領も堤三千間も溢決申し候。溺死も今日にて百人ばかりも相分かり候へども、いづれも二百人からの儀と相聞こえ候。総ては八百人とも千人とも申し候。可憐の事ども、いはんやうもこれなく候。
今年は雨が多く、美濃でも先月十四日の夜に水害があり、とくに長良川が決壊し、尾張領でも堤が三千間も決壊しました。溺死者も今日までに百人ほど分かっていますが、いずれにせよ二百人からになると聞いています。全体では八百人とも千人とも言います。気の毒なことで、言いようもありません。
一、大垣領にや、北美濃越前境にもや、根尾野村山中に仙女住居申し候。初めには「斎藤道三の女子なり」と申し伝へ候ところ、さにはあらで、越前の朝倉が臣の妻、懐妊の身にて、朝倉没落の時山中へ逃れ、女子を出産せし。その女子、幽穴中にて成長し、今年は二百六十歳ばかり、顔色は四十歳の人と相見え申し候。髪は棕櫚の毛のごとしと申し候。写真も遠からず来たり申すべく存じ候。詳らかなる事は、いまだ所々水災にて、誰も誰も途中の決口を恐れ、え往き観申さず候なり。奇なる事に候。
一つ。大垣領でしょうか、北美濃と越前の境でしょうか、根尾野村の山中に仙女が住んでいます。初めは「斎藤道三の娘だ」と言い伝えていましたが、そうではなく、越前の朝倉の家臣の妻が身ごもったまま、朝倉が滅んだときに山中へ逃れて女の子を産みました。その娘が洞穴の中で育ち、今年で二百六十歳ほど、顔色は四十歳の人のように見えるとのことです。髪は棕櫚の毛のようだといいます。写生図も遠からず届くだろうと思います。くわしいことは、まだあちこちが水害で、誰も途中の決壊箇所を恐れて、行って見ることができません。奇妙なことです。
九月四日
九月四日
右、尾張公儒官秦鼎の手簡なり。
以上は尾張公の儒官秦鼎の手紙である。
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す
濃州仙女 輪池
今年は雨多にて、濃州も前月十四日夜水災、長良川殊に溢決いたし、尾州領も堤三千間も溢決申候。溺死も今日にて百人計も相分候へども、いづれも二百人からの儀と相聞候。總ては八百人とも千人とも申候。可憐事ども、いはん樣も無之候。
一大垣領にや、北美濃越前境にもや、根尾野村山中に仙女住居申候。初には齋藤道三の女子也と申傳候所、さにはあらで、越前の朝倉が臣の妻懷姙の身にて、朝倉沒落の時山中へのがれ、女子を出產せし。その女子幽穴中にて成長し、今年は二百六十歲計、顏色は四十歲の人と相見え申候。髮はシユロの毛の如しと申候。寫眞も不遠來り可申存候。詳なる事は未所々水災にて、誰も誰も途中の決口を恐れ、得往觀不申候也。奇な事に候。
九月四日
右尾張公儒官秦鼎手簡なり。
注
- 写本の位置
- 写本は3171の50カット目左ページから51カット目右ページまで。51カット目右ページの末尾に「右尾張公儒官秦鼎手簡なり」とあり、左ページから次の話「鶴の稻」が始まる。
- 注記
- 目録の題は「濃州の仙女」、本文の題は「濃州仙女」。披講者は輪池堂で、題の下に「輪池」とある。
- 校合
- 写本と活字本系テキストの字句に目立つ違いはない。「顏色は四十歲の人と相見え申候」「髮はシユロの毛の如し」の片仮名も写本のまま。
- 注記
- 「一大垣領にや」の「一」は箇条書きの記号で、手紙の第二条を示す。
- 注記
- 秦鼎は尾張藩の儒者秦滄浪。根尾野村は今の岐阜県本巣市根尾。文政八年八月十四日の長良川の水害は尾張と美濃に大きな被害を出した。「寫眞」は仙女の姿を写した図の意。
- 注記
- 「得往觀不申候也」は「え往き観申さず候なり」と読み、行って見ることができないの意に解した。
AI試訳 / 専門家未校閲