雲亭日本古典図書室収録作品の一覧

中川喜雲京童の序の弁

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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第十集 第9話 / 客員 青李菴 角鹿桃窓

名所記『京童』の作者は序を書いた中川喜雲か、絵と発句の雛屋立圃か。京の客員が短く問う。

本文 現代語訳

乙酉初冬兎園 京 角鹿桃窓
乙酉初冬の兎園会 京 角鹿桃窓
明暦四年の印本『京童』六巻は中川喜雲の序ありてその作なりと思ひしに、森許六が『歴代滑稽伝』に、「雛屋立圃は野々口氏なり。貞徳門人にして撰集数多あり。画を能くす。『京童』といふ名所記、自画なり。立圃発句あり」と見えたり。しかれば喜雲作にして図と発句は立圃なるにや。『京童』の序に「そもそもやつがれは丹波の国馬路といふ村に育ち、牛の角文字さへ知らず、無下にかたくななり」などあり。もとは丹波の人にして京に住せしや、立圃門人なりしや、なほ考ふべし。
明暦四年に印刷された『京童』六巻は、中川喜雲の序があるので喜雲の作だと思っていたが、森川許六の『歴代滑稽伝』に「雛屋立圃は野々口氏である。貞徳の門人で撰集が数多くあり、絵をよくする。『京童』という名所記は立圃自身の絵で、立圃の発句がある」と見える。とすると喜雲の作で、図と発句は立圃なのだろうか。『京童』の序に「そもそも私は丹波の国の馬路という村で育ち、牛の角文字さえ知らず、まったく頑固者だ」などとある。もとは丹波の人で京に住んだのか、立圃の門人だったのか、なお考えるべきである。
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す

乙酉初冬兎園 京 角鹿桃窓

明曆四年の印本京童六卷は中川喜雲の序ありて其作なりと思ひしに、森許六が歷代滑稽傳に、雛屋立圃は野々口氏なり。貞德門人にして撰集數多あり。畫を能くす。京童といふ名所記自畫なり。立圃發句ありとみえたり。しかれば喜雲作にして圖と發句は立圃なるにや。京童の序にそもそもやつがれは丹波の國馬路といふ村にそだち、牛の角もじさへしらず、無下にかたくなゝりなどあり。もとは丹波の人にして京に住せしや、立圃門人なりしや、なほ考ふべし。

注

写本の位置
写本は3171の57カット目左ページから58カット目右ページまで。57カット目右ページは白紙。本文には題がなく、冒頭に「乙酉初冬兎園 京 角鹿桃窓」と提出の記しがある。
注記
目録の題は「中川喜雲京童の序の辨」、披講者は「客員 青李菴」。青李菴は京の角鹿桃窓の号と解した。
校合
写本と活字本系テキストの字句に目立つ違いはない。
校合
活字本系テキストの私家版はこの話と次の「謠曲中の小釋」を1記事にまとめるが、写本の目録では別の話なので分けた。
注記
『京童』は明暦四年刊の京都の名所記。中川喜雲は俳人で仮名草子作者。雛屋立圃は野々口立圃で、松永貞徳の門人の俳人、絵師。森川許六の『歴代滑稽伝』は俳人の伝記。「牛の角文字」はいろはの「い」の字のことで、文字を知らないの意。

AI試訳 / 専門家未校閲