雲亭日本古典図書室収録作品の一覧

蝦夷霊亀

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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第十一集 第2話 / 海棠庵 関思亮

厚岸で網にかかった大亀を惣助が放してやると、翌日から十倍の大漁になった。

本文 現代語訳

蝦夷霊亀
蝦夷霊亀
江戸坂本町小林屋平四郞といふもの、松前東蝦夷地アツケシ〔松前城下より行程四百里ばかり。〕といふ場所、受負人にて、手代惣助といふもの、当文政八年乙酉正月にはやく松前へ渡海してけり。〔考異に云、アツケシは三千石目運上請負の猟浜なり。又、惣助は平四郞が子にて、松前へ渡り、蝦夷地へ往来するものとぞ。手代には、あらず。〕
江戸坂本町の小林屋平四郎という者は、松前の東蝦夷地アッケシ〔松前城下から行程四百里ほど〕という場所の請負人で、手代の惣助という者が、この文政八年乙酉の正月に早くも松前へ渡海した。〔考異に言う。アッケシは三千石目の運上を請け負う漁浜である。また惣助は平四郎の子で、松前へ渡り蝦夷地へ往来する者だという。手代ではない。〕
おなじく四月よりアツケシヘ赴きて、漁猟の事、よろづ、手くばりしてをりしに、六月にもなりければ、漁事、いそがはしく、日に日に、蝦夷人、うちまじりて、網をおろしなどする程に、あるとき、弥三郞とて、猟事の頭取をするもの、惣助が許に来て、「今日の漁猟は、殊によき勝利したり。浜辺に出て、見給へ」といふ。〔考異に云、アツケシは、春三月ごろより、漁猟をすなり。大亀を獲たるは、四月ごろといふ。且、弥三郞は、この漁場をあづかるものにて、所謂、支配人なり。是、惣助がためには老僕なり。〕
同じく四月からアッケシへ赴き、漁の事をあれこれ手配していたが、六月にもなると漁が忙しく、日に日に蝦夷人も入り混じって網を下ろしなどするうちに、ある時、弥三郎といって漁事の頭取をする者が惣助のもとに来て、「今日の漁はことによい大漁だった。浜辺に出てご覧なさい」と言う。〔考異に言う。アッケシは春三月ごろから漁をするという。大亀を獲ったのは四月ごろという。また弥三郎はこの漁場を預かる者で、いわゆる支配人である。惣助にとっては年寄りの下僕にあたる。〕
「いかなるものを得しやらん」とて行きて見れば、長さは弐間にあまり、横幅一丈余もあらんとおぼしき大亀〔亀といへど、鼈の類にて、方言に「トツキ」といふものなり。〕の網にかかりてあり。浜辺にあぐるには、五人、十人のちからに、かなふべくもあらねば、船を引く「ろくろ」といふものにて、からくして、引きあげたり。〔考異に云、この大亀は俗にいふ「海坊主」「正覚坊」の類にあらず。又、常陸の海よりあがる「浮木」の類にもあらず。全体、脂膏多く、且、『その甲のへりを、細工にも、つかふ。』といふ。又、云、「「トツキ」は、五、六尺のもの、たたみ弐畳敷ばかりなるはをりをり、網にかかることあり。さばれ、如此、大きなるは、稀に得がたし」とぞ。おもふに黿の類なるべし。〕
どんなものが獲れたのかと行って見ると、長さは二間あまり、横幅は一丈余りもあろうかと思われる大亀〔亀といっても鼈の類で、方言にトツキというものである〕が網にかかっていた。浜辺に上げるには五人十人の力ではかなわないので、船を引く「ろくろ」というもので、ようやく引き上げた。〔考異に言う。この大亀は俗に言う海坊主や正覚坊の類ではない。また常陸の海から上がる浮木の類でもない。全体に脂が多く、その甲の縁を細工にも使うという。また言う。トツキは五、六尺のもの、畳二畳敷ほどのものが時々網にかかることがある。しかしこのように大きなものは稀で得がたいという。思うに黿の類であろう。〕
よく見るに、その頭も、又、ふたかかへもありぬべし。この亀、惣助を見て、涙を流しつつ、哀を請ふありさまなれば、惣助、つらく思ふやう、『かくまで巨大なる亀の、いくばく、年を歴しやらん。「亀の齢は万歲を保つ」としも聞くものを。さらば、又、このものも千載を経しものにこそ。』と、おもふに、そぞろに、かはいくおぼえて、さて、亀にむかひ、いふやう、「汝は齢の長からんを、殺さんことの不便さよ。この浜は、ちかきころとしどしに、不猟のみにて、わがうへ、いたく、仕合わろし。汝、助命のめぐみをおもうて、海のさち、あらせんや」と、さながら、人にものいふごとく、おもひ入りつつ説き示すに、亀は、いよいよ、涙をながし、首(カウベ)をあげて、「キキ」と、なく。そのさま、こころ得たるごとし。『さては。はや、聞きわきたりな。さるにても、不思議なれ。』と思ふに、不便、いや、まして、又、「しかじか」と説き示せば、亀も亦、かうべをもたげて、「キキ」と、なく。初のごとし。
よく見ると、その頭もまた二抱えほどもあるようだった。この亀は惣助を見て涙を流しながら哀れみを請う様子だったので、惣助はつらく思った。これほど巨大な亀は、どれほどの年を経たのだろう。亀の齢は万歳を保つと聞くものを。それならこの亀も千年を経たものに違いない、と思うと、何となくかわいく思えて、亀に向かって言った。「お前は齢が長いだろうに、殺すのは不憫なことだ。この浜は近ごろ年々不漁ばかりで、私の身の上もひどく運が悪い。お前、助命の恵みを思って、海の幸をもたらしてくれないか」と、まるで人に物を言うように思い入れて説き聞かせると、亀はいよいよ涙を流し、頭を上げて「キキ」と鳴く。その様子は分かったというようである。さてはもう聞き分けたのか、それにしても不思議だと思うと、不憫さはいや増して、また「かくかく」と説き聞かせると、亀もまた頭をもたげて「キキ」と鳴く。初めのとおりである。
これにより、惣助は、弥三郞に、よしを告げて、「放ちやらん」と、いひけるを、弥三郞、従がはず。「あの亀の油をしぼらば、三十金にもなりぬべし。甲も又、二十金にはなるべきを、放ちやるべきことかは」と、うち腹立て、争ふにぞ、惣助、かさねて、「大なる漁猟を業にすなるものがはつかなる金の為に。助けやらんと思ひしものを、殺さんは、不便なり」といふを、弥三郞、聞きあへず、「あの亀より、ちひさきを、さきの年に得たりしときだに、云々の利のありけるに、ふたたび、得がたき大亀を得て、又、捨つるは、えうなし」とて、従ふ気色、なかりしかば、惣助が、又、いはく、「まづ、あの亀をよく見て、後にともかくもせよかし」とて、さらに、両人、つれ立ちゆきて、亀に向ひてはじめのごとく、「しかじか」と説き示すに、亀のありさま、又、同じ。弥三郞も、此体たらくに、あはれみの心おこりて、「放ち給へ」と、いひしかば、惣助は、よろこびて、「後々のしるしに」とて、甲のはしを少しけづりて、又、かの「ろくろ」もて、巻おろさせ、そがままはなちつかはしければ、亀は海底にしづみつつ、凡、十町ばかりにして、波の上に浮きあがり、こなたに向ひて、かうべを動かし、又、沈みつつはるかの沖にて、浮きあがること、始のごとく、忽、みえずなりしとぞ。
そこで惣助は弥三郎にわけを告げて、「放してやろう」と言ったが、弥三郎は従わない。「あの亀の油を絞れば三十金にもなろう。甲もまた二十金にはなるものを、放してやるということがあるか」と腹を立てて争うので、惣助は重ねて、「大きな漁を業とする者が、わずかな金のために、助けてやろうと思ったものを殺すのは不憫だ」と言うと、弥三郎は聞き入れず、「あの亀より小さいのを先年獲った時でさえ、これこれの利益があったのに、二度と得がたい大亀を得て、また捨てるのは無益だ」と、従う気配がなかったので、惣助はまた言った。「まずあの亀をよく見て、それからどうにでもせよ」と、あらためて二人連れ立って行き、亀に向かって初めのように「かくかく」と説き聞かせると、亀の様子はまた同じである。弥三郎もこの様子に哀れみの心が起こって、「お放しなさい」と言ったので、惣助は喜んで、「後々のしるしに」と甲の端を少し削り、またあの「ろくろ」で巻き下ろさせ、そのまま放してやると、亀は海底に沈み、おおよそ十町ばかり行って波の上に浮き上がり、こちらに向かって頭を動かし、また沈んで、はるかの沖で浮き上がることは初めのとおりで、たちまち見えなくなったという。
扨、その次の日より、漁猟の得もの、いと多く、これまでに、十倍せり。例歲の荷物、高三千石目に過ぎざりしに、今年は八千石目に余りしとなん。秋は漁猟もなき場所なるに、思ひの外に得ものあり。その上、松前より使船の都合よく、十二分の利を得たり。これ、全く、惣助が慈愛の陰徳より、忽、陽報ありしものか。彼惣助も、この冬は、江戸に帰るとなん。なほ、面談せば、くはしきはなしも、あらんかし。〔考異に云、猟得八千石目に及びしと云ふは、方便のこと葉にて、そは秋中、二、三ケ月に得たる利なり。実は此四月のころより、九月に至りて、二万石目の利を得てければ、これまでの借財を貲ふて、猶、あまりありしとぞ。凡、一万石めは、金三千五百両なり。かかれば、二万石めは七千両なり。かかれば、その借財をつくなふて、猶、あまりありし事、さもありぬべく思ふかし。〕
さて、その次の日から漁の獲物はたいそう多く、これまでの十倍になった。例年の荷物は高三千石目を超えなかったのに、今年は八千石目に余ったという。秋は漁のない場所なのに、思いのほか獲物があった。その上、松前からの使船の都合もよく、十二分の利益を得た。これはまったく、惣助の慈愛の陰徳から、たちまち陽報があったものだろうか。あの惣助もこの冬は江戸に帰るという。なお面談すれば、詳しい話もあるだろう。〔考異に言う。漁の獲物が八千石目に及んだというのは方便の言葉で、それは秋のうち二、三か月に得た利益である。実はこの四月ごろから九月に至って二万石目の利益を得たので、これまでの借財を償ってなお余りがあったという。おおよそ一万石目は金三千五百両である。だから二万石目は七千両である。そうであれば、その借財を償ってなお余りがあったことも、さもありなんと思われる。〕
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す

蝦夷靈龜

江戶坂本町小林屋平四郞といふもの松前東蝦夷地アツケシ〔松前城下より行程四百里ばかり〕といふ場所受負人にて手代惣助といふもの當文政八年乙酉正月にはやく松前へ渡海してけり〔考異に云アツケシは三千石目運上請負の獵濱なり又惣助は平四郞が子にて松前へ渡り蝦夷地へ往來するものとぞ手代にはあらず〕

おなじく四月よりアツケシヘ赴きて漁獵の事よろづ手くばりしてをりしに六月にもなりければ漁事いそがはしく日に日に蝦夷人うちまじりて網をおろしなどする程にあるとき彌三郞とて獵事の頭取をするもの惣助が許に來て今日の漁獵は殊によき勝利したり濱邊に出て見給へといふ〔考異に云アツケシは春三月ごろより漁獵をすなり大龜を獲たるは四月ごろといふ且彌三郞はこの漁場をあづかるものにて所謂支配人なり是惣助がためには老僕なり〕

いかなるものを得しやらんとて行きて見れば長さは弐間にあまり橫幅一丈餘もあらんとおぼしき大龜〔龜といへど鼈の類にて方言にトツキといふものなり〕の網にかゝりてあり濱邊にあぐるには五人十人のちからにかなふべくもあらねば船を引くろくろといふものにてからくして引きあげたり〔考異に云この大龜は俗にいふ海坊主正覺坊の類にあらず又常陸の海よりあがる浮木の類にもあらず全體脂膏多く且その甲のへりを細工にもつかふといふ又云トツキは五六尺のものたゝみ弐疊敷ばかりなるはをりをり網にかゝることありさばれ如此大きなるは稀に得がたしとぞおもふに黿の類なるべし〕

よく見るにその頭も又ふたかゝへもありぬべしこの龜惣助を見て淚を流しつゝ哀を請ふありさまなれば惣助つらく思ふやうかくまで巨大なる龜のいくばく年を歷しやらん龜の齡は萬歲を保つとしも聞くものをさらば又このものも千載を經しものにこそとおもふにそゞろにかはいくおぼえてさて龜にむかひいふやう汝は齡の長からんを殺さんことの不便さよこの濱はちかきころとしどしに不獵のみにてわがうへいたく仕合わろし汝助命のめぐみをおもうて海のさちあらせんやとさながら人にものいふごとくおもひ入りつゝ說き示すに龜はいよいよ淚をながし首(カウベ)をあげてキヽとなくそのさまこゝろ得たるごとしさてははや聞きわきたりなさるにても不思議なれと思ふに不便いやまして又しかじかと說き示せば龜も亦かうべをもたげてキヽとなく初のごとし

これにより惣助は彌三郞によしを告げて放ちやらんといひけるを彌三郞從がはずあの龜の油をしぼらば三十金にもなりぬべし甲も又二十金にはなるべきを放ちやるべきことかはとうち腹立て爭ふにぞ惣助かさねて大なる漁獵を業にすなるものがはつかなる金の爲に助けやらんと思ひしものを殺さんは不便なりといふを彌三郞聞きあへずあの龜よりちひさきをさきの年に得たりしときだに云々の利のありけるにふたゝび得がたき大龜を得て又捨つるはえうなしとて從ふ氣色なかりしかば惣助が又いはくまづあの龜をよく見て後にともかくもせよかしとてさらに兩人つれ立ちゆきて龜に向ひてはじめのごとくしかじかと說き示すに龜のありさま又同じ彌三郞も此體たらくにあはれみの心おこりて放ち給へといひしかば惣助はよろこびて後々のしるしにとて甲のはしを少しけづりて又かのろくろもて卷おろさせそがまゝはなちつかはしければ龜は海底にしづみつゝ凡十町ばかりにして波の上に浮きあがりこなたに向ひてかうべを動かし又沈みつゝはるかの沖にて浮きあがること始のごとく忽みえずなりしとぞ

扨その次の日より漁獵の得ものいと多くこれまでに十倍せり例歲の荷物高三千石目に過ぎざりしに今年は八千石目に餘りしとなん秋は漁獵もなき場所なるに思ひの外に得ものありその上松前より使船の都合よく十二分の利を得たりこれ全く惣助が慈愛の陰德より忽陽報ありしものか彼惣助もこの冬は江戶に歸るとなんなほ面談せばくはしきはなしもあらんかし〔考異に云獵得八千石目に及びしと云ふは方便のこと葉にてそは秋中二三ケ月に得たる利なり實は此四月のころより九月に至りて二萬石目の利を得てければこれまでの借財を貲ふて猶あまりありしとぞ凡一萬石めは金三千五百兩なりかゝれば二萬石めは七千兩なりかゝればその借財をつくなふて猶あまりありし事さもありぬべく思ふかし〕

注

写本の位置
写本は3166の15カット目左ページから18カット目左ページまで。15カット目左ページの冒頭に「兎園小説第十一集」の見出しが立ち、その下に題「蝦夷靈龜」がある。第1話「孫七天竺物語抄」はこの見出しより前にあり、目録では第十一集の第1話に数えられている。
校合
「小林屋平四郞」は写本を原寸で確かめた。活字本系テキストの「小村屋」は採らない。
注記
著作堂の「考異に云」は、写本では四か所が本文中に小字二行の割注として入っており、〔考異に云…〕として該当箇所に置いた。17カット目左ページから18カット目左ページにかけての長い考異は本文と同じ大きさで書かれ、目録の「蝦夷靈龜考異」にあたるものとして第3話に分けた。長い考異は写本では「みえずなりしとぞ」と「扨その次の日より」の間に挟まっている。
注記
披講者は目録に「海棠庵」。本文に署名はない。アツケシは今の北海道厚岸町。
注記
「トツキ」は写本でも片仮名。字句の異同は小さく、ページ全体の画像で読み合わせた。原寸で確かめたのは「小林屋」のみ。
校合
私家版は蝦夷靈龜と考異を1記事にまとめる。第3話と同じ記事を出典にする。

AI試訳 / 専門家未校閲