越後烈女
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兎園小説 / 曲亭馬琴ほか 兎園会の会員 / 第十一集 第7話 / 輪池堂 屋代弘賢
与力の留守宅に押し入った強盗五人を、越後生まれの下女がひとりで追い払う。
本文 現代語訳
ことし八月の末つかたに、小石川水道端に住める与力藤江又三郞の宅に、强盗入りしことあり。
今年八月の末ごろ、小石川水道端に住む与力藤江又三郎の家に強盗が入ったことがあった。
あるじは、やも男にて、俳諧の会に行き、老母は親類がり行きて、下女と下男のみ、留守に居たり。
主人は妻を亡くした独り身で俳諧の会に出かけ、老母は親類のところへ行き、下女と下男だけが留守番をしていた。
よる亥の刻過ぐる比、門をたたく音す。「あるじのかへりたるならん。」と思ひて、男、出でて、あけたれば、白刃を提げしもの、五人、おし入りて、この男をしばりあげ、部屋に入れて、二人は、まもりをり。三人は内にいらんとせしを、下女、窓よりのぞきみてとみに帰り入り、灯火をふきけし、「誰、おきよ。かれ、起きよ」と、有合ひもせざる人を、あるがごとくによばはり、さて、雨戸を、音たかくあけて、うしろのかたにさけ、椽を下りて、庭に出で、玄関の前に行きて、うかがふに、人影、なし。
夜、亥の刻を過ぎたころ、門を叩く音がした。主人が帰ってきたのだろうと思って下男が出て開けると、白刃を提げた者が五人押し入り、この男を縛り上げて部屋に押し込め、二人が見張りについた。残る三人が奥へ入ろうとするのを下女が窓から覗き見て、すぐに引き返し、灯を吹き消し、「誰、起きなさい。彼、起きなさい」と、いもしない人がいるかのように呼ばわった。それから雨戸を音高く開けて裏手に避け、縁側を下りて庭に出て、玄関の前まで行って様子をうかがったが、人影はなかった。
あたりをみれば、稲荷の祠の垣のかげより、さきにみし、ぬす人三人、出でたり。
あたりを見回すと、稲荷の祠の垣の陰から、さきほど見た盗人三人が出てきた。
女、少も、さわがず、「こなたへ、き給へ。みづから、道びきすべし。いざ」とて、先に立ちて、刀を前にさげて、椽をあがり、物かげにかくれて、まちゐたり。かくて、ひさしくまてども、入りきたらず。「いかがせしならん。」ともとの如く、庭にいでてみるに、さらに、かげも、なし。
女は少しも騒がず、「こちらへおいでなさい。私が案内しましょう。さあ」と言って先に立ち、刀を前に提げて縁側に上がり、物陰に隠れて待っていた。こうしてしばらく待ったが、盗人は入ってこない。どうしたのだろうと、元のように庭に出てみると、もう影も形もなかった。
垣のかげをのぞきみても、あらず。「さては。にげさりしならん」と、あけたる門の戸をたて、戸ざしする音を聞きて、男は、ふるへ声にて、女を、よぶ。女、「いかがせしや」ととへば、「かく、しばられたり。ときて、たべ」と、いふ。すなはち、繩をときながら、「此有さまを、かならず、人にかたるまじ。あるじにも申すまじ」と、いひきかせて、うちに入り、子過ぐる比に、あるじかへりたれば、事、ゆゑなきさまにて、やすませたり。
垣の陰を覗いてみてもいない。「それでは逃げ去ったのだろう」と、開いていた門の戸を閉め、閂をかける音を聞いて、下男が震え声で女を呼んだ。女が「どうしたのです」と尋ねると、「このように縛られた。解いてくれ」と言う。そこで縄を解きながら、「このありさまを決して人に語ってはいけません。主人にも申し上げてはいけません」と言い聞かせて家に入り、子の刻を過ぎたころに主人が帰ってきたので、何事もなかった様子で休ませた。
あくる日、あるじ、銭湯にゆきたればとなりの同僚に逢ひたり。同僚の、いはく、「夜辺は、そこには、何ごと、有りしや」と。あるじ、「それがしは他行して、しり侍らず」と。「いかがなる事にや。ただならぬ物おとしければ、耳たててききをり、「猶、物おとせば、出で逢ふべし。」と、身がまへせしが、その内に、納りたれば、うちやすみぬ」と。
翌日、主人が銭湯に行くと、隣家の同僚に会った。同僚が言うには、「昨夜はお宅で何かあったのか」と。主人は「私は外出していて存じません」と答えた。同僚は「どういうことだろう。ただならぬ物音がしたので耳を澄まして聞いていて、さらに物音がしたら駆けつけようと身構えていたが、そのうち静まったので休んだのだ」と言った。
あるじ、かへりて、「かのひとの、かくいはれしは、なにごとか有りし」ととへば、「しかじか」と、こたふ。「さばかりのことを、いかで告げざるや」と、いへば、「さん候。ぬす人、おしいりたるのみにて、物も、うせず、人もあやまたず候へば、申す迄もなしとおもひしなり」と、こたへて、打ち過ぎぬ。
主人は帰ってから、「あの人がああ言われたのは、何かあったのか」と尋ねると、女は「これこれのことでした」と答えた。「それほどのことを、どうして告げなかったのか」と言うと、「さようでございます。盗人が押し入っただけで、物も失わず、人も傷つきませんでしたので、申し上げるまでもないと思ったのです」と答えて、それきりになった。
わがちかきあたりに、この家あるじの姉あり。長月なかばに、この女、つかひにきたり、姉がいふやう、「さきに、ぬす人しりぞけしは、たぐひなき、ふるまひなりき。その時、いかがの覚悟にて有りしぞ」と。女は、「堅固の田舎人にて、覚悟と申すことは、しり侍らず。おしはかりても、み給へ。白刃さげしものの、いくたりも、入りきたれば、みづからが命は、なき物と、おもひしのみにて侍り」と、こたへし。
私の家の近くに、この家の主人の姉が住んでいる。九月半ばにこの女が使いに来たとき、姉が「先に盗人を退けたのは、たぐいまれな振る舞いでした。あのとき、どういう覚悟でいたのですか」と尋ねた。女は「無骨な田舎者ですので、覚悟などということは存じません。お察しください。白刃を提げた者が何人も入ってきたのですから、私の命はもうないものと思っただけでございます」と答えた。
越後のむまれにて、年廿あまり三になるとぞ。酉彦といふものの、かたりきかししなり。
越後の生まれで、年は二十三になるという。酉彦という者が語って聞かせた話である。
原文 / 昭和女子大学本の字句を採り、正字体を保持、振り仮名を外す
越後烈女 輪池
ことし八月の末つかたに小石川水道端に住める與力藤江又三郞の宅に强盜入りしことあり
あるじはやも男にて俳諧の會に行き老母は親類がり行きて下女と下男のみ留守に居たり
よる亥の刻過ぐる比門をたゝく音すあるじのかへりたるならんと思ひて男出でてあけたれば白刄を提げしもの五人おし入りてこの男をしばりあげ部屋に入れて二人はまもりをり三人は内にいらんとせしを下女窓よりのぞきみてとみに歸り入り燈火をふきけし誰おきよかれ起きよと有合ひもせざる人をあるがごとくによばゝりさて雨戶を音たかくあけてうしろのかたにさけ椽を下りて庭に出で玄關の前に行きてうかゞふに人影なし
あたりをみれば稻荷の祠の垣のかげよりさきにみしぬす人三人出でたり
女少もさわがずこなたへき給へみづから道びきすべしいざとて先に立ちて刀を前にさげて椽をあがり物かげにかくれてまちゐたりかくてひさしくまてども入りきたらずいかゞせしならんともとの如く庭にいでゝみるにさらにかげもなし
垣のかげをのぞきみてもあらずさてはにげさりしならんとあけたる門の戶をたて戶ざしする音を聞きて男はふるへ聲にて女をよぶ女いかゞせしやととへばかくしばられたりときてたべといふすなはち繩をときながら此有さまをかならず人にかたるまじあるじにも申すまじといひきかせてうちに入り子過ぐる比にあるじかへりたれば事ゆゑなきさまにてやすませたり
あくる日あるじ錢湯にゆきたればとなりの同僚に逢ひたり同僚のいはく夜邊はそこには何ごと有りしやとあるじそれがしは他行してしり侍らずといかゞなる事にやたゞならぬ物おとしければ耳たてゝきゝをり猶物おとせば出で逢ふべしと身がまへせしがその内に納りたればうちやすみぬと
あるじかへりてかのひとのかくいはれしはなにごとか有りしととへばしかじかとこたふさばかりのことをいかで告げざるやといへばさん候ぬす人おしいりたるのみにて物もうせず人もあやまたず候へば申す迄もなしとおもひしなりとこたへて打ち過ぎぬ
わがちかきあたりにこの家あるじの姊あり長月なかばにこの女つかひにきたり姊がいふやうさきにぬす人しりぞけしはたぐひなきふるまひなりきその時いかゞの覺悟にて有りしぞと女は堅固の田舍人にて覺悟と申すことはしり侍らずおしはかりてもみ給へ白刄さげしものゝいくたりも入りきたればみづからが命はなき物とおもひしのみにて侍りとこたへし
越後のむまれにて年廿あまり三になるとぞ酉彥といふものゝかたりきかしゝなり
注
- 写本の位置
- 写本は3166の23カット目左ページ2行目から26カット目右ページ8行目まで。23カット目左ページの冒頭に「天正兎園」の四字があり、その次の行に題「越後烈女」と披講者「輪池」がある。署名はない。
- 校合
- 26カット目右ページの「いかゞの覺悟にて有りしぞ」の「り」は、写本では本文の右に朱で補われている。活字本系テキストと同じ字句になるので、そのまま採った。
- 判読保留
- 「親類がり」は活字本系の表記のまま。写本の字形は「親族」とも読めるが、原寸で確かめていない。判読保留。
- 注記
- 藤江又三郎は小石川水道端の与力で未確認。酉彦は輪池堂に話を伝えた人物で、本名は未確認。「わがちかきあたり」の「わが」は屋代弘賢自身。
- 校合
- 字句はページ全体の画像で活字本系テキストと読み合わせ、朱の補入のほかに異同は見つからなかった。「親類」以外は原寸で確かめていない。
- 校合
- 私家版は1記事。
AI試訳 / 専門家未校閲